ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 香り高き区間 4

2014年11月01日 21時46分54秒 | ウォーキング

急な上り坂を終え、
坂道の頂上に見えていた青い空に
手が届きそうなところに突然ポンと出たところが「糸我峠」です。



藤原定家はこの登りを
「険阻を凌ぎて、イトカ山を登る」と書いています。

doironもひと汗かきました。

わらじでここを登ったのなら大変だったでしょうねえ。
ましてや雨降りだったら、一筋縄では登れなかったでしょう。
有田の渡しといい、ここの急な登りといい、
昔の旅は天候に大きく左右されたことでしょう。

現在は石積みの跡と石碑があるだけですが



この峠にはかつて2軒の茶屋がありました。

そこではみかんを蓄えておいておき、
盛夏の頃にこれを出すと旅人は一様に喜び、
そのおいしさに驚愕したらしいです。

そりゃ、汗をしたたらせて登ってきたら
さぞやおいしかったことでしょう。

この峠から道の向こうに湯浅の町が姿を現します。



そしてその向こうには連なる紀州の山々も見渡せ、



人々は熊野への思いをいっそう募らせたことでしょう。

この景色が今回の歩行のベストシーンです。

ここから下り道が始まります。



なかなか味のある下り道やなあ



と思って歩いていたのですが、



ここが地獄から天上界への
「六道」をもじってつけられた

「道六路」と呼ばれていたそうです。

途中にはこんな看板が立っていました。



このあたりの松を削って燻した香り高き煙を
赤ちゃんに嗅がしたら
夜泣きがぴたりとやんだことから、
このあたりの松を

「夜泣松」

と呼んだそうです。
残念ながらもう松は残ってません。



削られすぎたのでしょうかね。
でもどことなく松の香りがするような気がしました。
さらにいわくありげな石の地蔵を見ながら



道六路を下っていくと、
老人憩いの家の前にあったのが



「行者石」です。



具をいっぱい包み込んだようなその形から
「餃子石」ともいわれています。
ないない。

行者がこの石の上で水垢離をして
身を清めたのだそうです。

この下の村を流れる
「逆川(さかがわ)」の川底から出てきたそうです。
それがなぜ行者石とわかったのか、
その辺の経過はわかりません。

下りきったところを少し右にそれていくと、
そこに「逆川王子」があります。





ここはスタンプポイントです。



忘れずに押しておきましょう。



おっ、ここで初めて気がついたのですが、
このスタンプを収納している箱が
「紀州材」を用いているそうです。



「紀州材」は主にヒノキなのですが、
この木の国紀州で育ったヒノキは
耐久性にも優れるとともに、
香りもあって防虫効果も高いそうです。

まさに「香り高き木」なわけですね。

野ざらしになっていることの多い
熊野古道のスタンプ収納箱の材料としては
うってつけともいえる木です。

何よりその地で育った木を
その地で用いるというのが、
木の特性にもあっているんだろうしね。

さらに、この王子名となっている
「逆川」の名前の由来も面白いのです。

この川はこのあたりでは海の方に向かって流れるのではなく、
山の方に向かって流れていくことから
その名がつけられています。
といっても、川は高い方から低い方へ向かって
流れていくという自然の摂理に反しているわけではありません。

地形の関係上、一旦山側へ流れ、
きのくに線が通る渓をぐるっと迂回して、
海にそそぐ湯浅の山田川に合流しているのです。

それを知らなければ確かに、
右が海方向なのに左に流れていくというのは
違和感を覚える景色になっています。

そしてさらに、「逆」の文字がついているのは
ゲンが悪いということで、
熊野古道を下りてきたこのあたりの地名は
後に改名されて、「吉川」と呼ばれています。

道に戻ってその逆川を「巡礼橋」で越えます。



続く。