ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 番外編 湯浅

2014年11月23日 22時29分47秒 | ウォーキング

河瀬王子からバスに乗って湯浅まで戻りました。

車を置かせてもらっている駅前多目的広場に行き、



熊野古道を歩いてきたこと、
さらに湯浅の街をこれから歩くことを告げ、
車で背中の荷物を整理して
必要なものだけ持って再び歩きはじめました。

湯浅は文化財保護法に基づく

「重要伝統的建造物群保全地区」
(略して「重伝建築」という)

に指定されています。
全国で108地区、
大阪府では富田林のみで
和歌山県もここ湯浅のみとなっています。

先ずは、前回見た立石の道標を目指します。

途中、かなり老朽化した湯浅町役場の前には、



町木である「なぎ」が植えられています。



このことから、湯浅の施設には
「なぎの里」という言葉が冠されていたりします。

湯浅にはよく来るのに、
この時までずっと「なぎさ(渚)の里」と勘違いしておりました。

重伝建地区だけあって古い建物が並ぶ中、



熊野古道を少し戻っていくと・・・

おなじみ立石の道標です。



裏面には「右いせかうやみち」と書かれてありますので、
今朝柳瀬で見た道標に刻まれていた
弘法大師道も高野山への道案内かもしれません。

このあたりから重伝建の中心地区に入っていきます。



湯浅は「醤油発祥の地」です。
金山寺味噌の生産過程で産生した
溜から作られました。

doironも醤油は大好きです。
先日友達が醤油工場の見学に行ったお土産に、
そこでだけ手に入るという
天皇陛下もご愛用されているという醤油を
いただいたのですが、
これぞ「ザ・醤油」。



混じりけのないすっきりした味わいの中に
醤油のうまみがギュッと詰まっていました。

醤油がなければ、こんなにイカ好きにも
なっていなかったかもしれません。

それはさておき、この街も
全体が醤油に浸かったような色合いで統一されています。

店先の水道ホースまで茶色でした。

これが有名な醤油屋さん。



別のところでは手軽に出入りできる
醸造所の展示もありました。



そういった街づくりにやはり地元の人も大変熱心で、
「まちなみ交流館」といった拠点を作って、



高齢者たちが観光客にお茶をふるまう
などの「お・も・て・な・し」をしていました。

そんな施設への
街の人たちの客引きがとても熱心でした。

その交流館の前には「甚風呂」という、
昔の風呂屋の施設が無料開放されていました。

これが男湯。



浴槽を抜けると、祭りの備品や
昔の生活用品の展示が見られます。

おお~、これはまるで「赤いふなっしー」です。



懐かしい殺虫剤の噴霧器や



番頭さんがさっきまで座っていたような
帳簿台も展示されていました。



街の中にはいたるところに、
ガラス張りの窓にしつらえられた
小さな博物展が見られます。
これは薬の調合用道具、



これは鍛冶屋の作品。



おお~、鍾馗さんも初めて目の当たりにしました。



そうしてぐるっとひとめぐりして
そろそろ帰ろうと車に向かっている時に、
お寺の前にさしかかりました。

「深專寺」です。

この寺の前にあったのが、
「大地震津なみ心え之記碑」です。



1854年に起こった大津波のことが
迫力を持って書かれ、
最後に地震・津波の時の
逃げ道を刻んであります。

和歌山県の指定文化財です。

今朝見た道標といい
さすがに海辺の町だけのことはありますね。

こうして古道歩きの後、
湯浅の町歩きも楽しんだ今回の旅も終わりです。

次回は、帰りのバスに乗った地点まで、
またバスで行き、そこから歩行です。

ただバスの時刻が湯浅駅午前7時50分発とのこと、
そのあとは昼頃までありません。

さてどうなりますことやら。

最後に湯浅城を中心に
タイやヒラメが舞い踊り、
みかんがたわわに実るさまを描いた
マンふたを紹介して、



番外編も終わり。