我々庶民の日常生活にどれほどの影響があるのか、
それほど「へ」でもないのか、
その辺よくわからない話が
「うるう秒」の話だ。
数年に一度、一日の長さを
1秒だけ長くするというきまりにそった措置が、
1972年から始まり
これまで24回実施されているそうだ。
前回のうるう秒は2008年の12月末日であった。
地球の自転という不確定要素が
絡んでいるので
不定期に実施されているが
通常は1月1日の午前0時になる前に1秒が挿入されるそうだ。
しかしこれは世界標準時の話である。
日本時間では1月1日の午前8時59分59秒の後に
60秒が挿入された後、
9時となるという措置となる。
このようなことをするのは、
原子の動きという小さな世界から
地球の自転という大きな世界までの
整合性を図ろうとするもので、
詳細は我々庶民には、
計り知れなく小さく、また計り知れなく大きな話であり
本当のところはよくわからない。
たかが1秒である。
なにもそんなに大騒ぎしなくても
よさそうなのだが
ところがどっこい。
光と同じ速さの電波の動きで
距離を測るGPSなんかだと
1秒狂えば、理論的には30万キロ異なることになる
車で走っていて
ナビが突然アメリカだったりする・・・なんてことは
まあ、そんなデータは入ってないから
大丈夫だろうが
いずれにしても
大きく狂うことになる。
では、電話117で聞く時報は
どうなるのか。
普通は
プッ、プッ、プッ、ポーンとなるのが
プッ、プッ、プッ、プッ、ポーンと
一回分プッが多くなるのかと
思いきや、
最近はそのときの前から徐々に
プッとプッの感覚をほんの少し長くする
などの調整をしていき
普通にプッ、プッ、プッ、ポーンとなるのだそうだ。
結構面倒くさいことをやっているんですね。
そもそもあの時報の
音声入力をするだけでも
誰が、どのようにしてやったんだろう?
なんて考えはじめると
寝つきがわるくなりそうですやん、ねえ。
まあ、そんなことはさておき、
コンピュータが世界の動きを
支配している現代社会において
この1秒のあり方が今大きく問われているんだと
新聞には書かれてあった。
各方面への影響を考慮しつつ
この1秒のあり方や是非を議論するのに
実に数年かかるんだそうだ。
1秒のために数年!
これじゃまるで
1円節約するために
百万円のエコ家電を買うみたいな話やなと思った
doironなのでした。
今日は元部下たちと
一杯飲みがあった。
doironが去り、残った人たちには
ぜひとも頑張ってもらいたいものだ。
遊びも仕事も全力でやること。
さすれば、晴れ晴れと退任できるんだと
話してあげた。
doironはそうしてきたよ。
自分の能力はさほどでもないけど
遊びも仕事も精一杯やってきたよ。
だから、今は何も後悔していないもんね。
あ~、今日も精一杯飲んだあ。
なのでもう寝ます。
義母さんがデイサービスに行くのを見計らって、
迎えてくれる施設で
献立を考えている
管理栄養士のキャッさんが
義母さんの好物は何かと聞いてくれた。
そやなあ、
アワビとフグと松阪牛やなと言えば、
ぶっ飛ばされそうなので
真剣に考えてみた。
だいたい義母さんの嗜好は
あっさり系OR酒のつまみ系だが、
天ぷらもちょっと好きという複雑な嗜好を持っている。
もとより、食には
非常にこだわりを持つ人で、
たまに旅行の土産を買おうとしても、
ミセスdoironにそんなのは絶対に食べへんから
と言われて拒否されることが多い。
買うのなら変に味付けしたものではなく、
素材のままの方が好まれるようである。
そんなこだわりのある義母さんゆえ
よく作ってくれるものに、
秘伝ともいうべきものがいくつかある。
ひとつは「豆昆布」。
昆布の佃煮に大豆を固く煮しめたものが入っており、
薄く短冊状にした柚子をいれて
味のアクセントにしたものだ。
これがあると、ごはんが何杯でもいける
「ご飯がイケルくん」だ。
もちろん、少々味は濃いが、
酒のつまみにもなる。
もうひとつが「じゃこ山椒」だ。
これも、山椒の風味を最大限に引き出しつつ、
しょうゆで薄めに味付けしたじゃこにまぶしてある。
具合よくできた山椒は、
ほんとに小粒でもピリリどころか
グワーンと辛い。
これも食欲をグゥーンとアップさせる、
「食欲アップくん」だ。
この二点は、作り続けて120年。
母から娘に引き継がれてるからね。
老舗の佃煮屋も真っ青の絶品であると言ってよいだろう。
ミセスdoironも少しずつ教えてもらっているようだが、
なかなか義母さんの味にまでは到達していない。
ナマコの酢加減、
カズノコの塩加減、
炊き込みご飯の炊き加減、
土手鍋のみその塗り方など、
まだまだ伝授してもらわないといけないことは多い。
ミセスdoironも退職して
春から時間ができるので、
せっせと勉強してもらおう。
というわけで、
施設でキャッさんに腕を振るってもらうとしたら、
天ぷらが無難かなあ。
エビ、レンコン、カボチャ、
そして変わったところでは
アオヤギ(バカ貝)がお好みだ。
そして義母さんの食を語るとき、
忘れてならないのが、
「カキモチ」。
餅つき機でついた餅を少し干して、
うすーく切る。
そしてそれをさらに新聞紙に広げて干して
カチンカチンにして保存する。
いわゆる昔でいう干飯(ほしいい)かな。
しかし、ただ単に餅をつくだけではなく、
そこに具を入れる。
そうしてできたものの一部がこれだ。
上から、柚子、ゴマ、海苔、紫蘇、エビが混ぜられてある。
このほかにもバリエーションがあって、
一味唐辛子入り、
黒豆入りなどもある。
これも、常に台所の机に上にあって、
ちょっと小腹がすいたときなどに焼いて食べると、
絶品なのである。
正月を挟んで食べる義母さんのかきもちは、
間違いなく「おふくろの味」である。
以上の嗜好を踏まえて、
あとは管理栄養士の腕の見せ所だと
キャッさんには言っておこう。
地元の町会では、
月に一度、各種団体の役員や組長さん、
月当番が集まって町内清掃を実施している。
集合を呼びかける町内の有線放送の
アナウンスの役割はdoironだ。
つまり第3日曜日の朝、
泉O津南部に響く
うっとりするような美声は
たいていdoironの声なわけだ。
近隣に大きく響き渡るこの放送は、
若い頃は緊張したものだが、
この頃は全く緊張感もなく
平気のヘで放送をしている。
歳をとり、慣れるってえらいもんですな。
放送が終わると、
公民館前に関係者が三々五々集まってくる。
そこで町会長からの
連絡事項が告げられた後、
みんなは銘々にごみ袋と
ごみハサミを持って
町内に散らばっていく。
問題はごみ袋だ。
doironが生息する市では、
家庭系の一般ごみは有料で、
ごみを出すために緑色で作られたごみ袋を
購入しないといけない。
しかし、ボランティア活動を行っている中で、
有料でというのは割に合わないから、
こういった取り組みをしている団体には、
青いボランティア袋が無料で配られてきて、
それを町会長が管理する仕組みとなっている。
それを銘々手に手に持って
掃除に散らばっていくと、
管理がいきとどかなくなるので、
清掃時には白いごみ袋を持っていってもらい、
回収してきたものを
公民館前で自治会役員が
分別して青袋に詰めなおさないといけないのだ。
これがそのときの様子。
普段、ずぇーったい家で
掃除などしない
ムサイおっさん連中で
しこしこと分別するわけである。
これが結構手間がかかるし、
中には犬のフンを入れた袋なんかも
混ざっていて大変なのだよ。
平成22年12月に
ごみの排出が有料になって1年強が経つが、
こういった地元の取り組みを悪用して、
不法にごみを投棄する輩も
最近はちょくちょくみられるようになってきた。
掃除をしている人達は
そういうことをするわけがないのだが、
そうでない人達は
お金が絡んでくると、
悪さごころが働くようだ。
実際、ここ一年
清掃ごみの中にも
明らかに家庭ごみと思われるものが混ざって、
量も増えてきたように思う。
人の心って浅ましいもんだなと、
思いたくなくても
それが現実だと突きつけられると、
人間不信になっていってしまうのは、
doironだけでなく、聞けば皆も同じ思いだそうだ。
ポイ捨て、許すまじ!
今日は、恒例の浜ちゃん
キャッサン、じゅんちゃんカルテットの飲み会だ。
みんなは仕事が終わって駆けつけるのも
時間的に余裕があるけど
doironは職場が遠いので
仕事が終わってすぐに帰宅してから
慌しく出かけていくことになる。
今日も帰宅してすぐにかばんを置いて
あわててチャリで出かけたので
手袋を忘れてしまった。
往路はまあ何とかなったのだが・・・
復路はとても大変でした。
いつものお店で最初から
最後までハイテンションではしゃぎまくり
さあ帰ろうと外に出てみたら
寒いこと寒いこと。
doironのママチャリはライトがついていないので
100均のLEDライトを手に持って
道を照らしながら帰った。
痛かった~。
指が凍傷になって
千切れるかと思いましたわ。
家までの15分間は
まるで八甲田山死の彷徨でした。
「天は我を見離し・・」とまあそれはちょっと
オーバーだが、
本当に体の震えが止まらないほど
寒かったです。ブルブル。
宴会が御ひらきのあと
何とか凍傷になる前に
帰宅しましたが
帰宅時にはすぐにはトイレで
チャックを開けられないほど
しびれておったぞよ。
すぐさま、風呂に飛び込んだのは
言うまでもない。
忙しさにかまけていても
こうしてはしゃげる仲間がいる。
指が千切れそうになるほど
冷たくても暖かい風呂がある。
いろんな人やことに支えられて
「新年」と呼べる季節も
ぼちぼち終わりです。
年の初めのそんな1月も
あっという間に
もう、あと半月足らずになりました。
doironの退職を聞きつけて
いろんな人がいろんな声をかけてくれる。
先日はあるイベント会場で
社長からもじきじきに声をかけていただいたし、
この前は、一般会社であれば
株主の代表ともいえる人から
1冊の本をいただいた。
ある日、バッタバタの会議を終えて
席に戻ると、デスクの電話が鳴った。
その人の部屋に呼び出され、
「むむむ、何事じゃ」と思いながら
行ってみると、一冊の本を差し出され、
「これはケタケタ笑える本やから
ぜひ、仕事中に読んでください。」
といって渡された。
今年80人以上が退職を迎える中で
その人にとっての
今年一番のハッピーリタイア賞
をあげようと決めた退職者が
doironなんだそうだ。
退職にいたる事情は
多分、その人の広い人脈の中で
いろいろと耳にされているんでしょう。
それにしても、今年一番のリタイア賞とは
光栄でもあり、気恥ずかしくもありますが
何より、その人の温かさに
あらためて感動を覚えました。
職場では「さびしくなるなあ」
とか「もったいないなあ」と
doironの決断を惜しんでくれる人は多く、
それはそれでありがたいのですが、
何も言わずに
そっとエールを送っていただくような
言葉をかけてくれたのは
その人だけでした。
いただいたその本のタイトルは
「ハッピー・リタイアメント」
浅田次郎の作品である。
この人の作品で一番最近読んだのが
「オー・マイ・ガアッ!」
ラスベガスに行った「大前剛(おおまえごう)」
という人の話だ。確かに面白かったなあ。
一方で「鉄道員(ぽっぽや)」といった
人間味あふれる作品や
「蒼穹の昴」といった重厚な作品も
したためている。
幅広い作風を持つ作家だ。
株主代表として
いろいろと難しい重責を担われていながら
仕事中に読みやと行って渡してくれる
ユーモアもあわせ持っている
その人らしいセレクトのプレゼントです。
そしてまた「今度、いっぱい行こう」と
誘っていただいているので
それまでにはなんとしても
読み終えていなくてはと
ちょっとプレッシャーを感じ、
今夜は最低30ページは読もう
と思って布団に持って入るのですが
目がもたずに、30行が関の山という
毎日が続いている。
宿題がいっぱい残っているのに
夏休みがもうすぐ終わる
みたいな焦りにもさいなまれている
今日この頃だ。
今夜は頑張って夜更かしして読むぞ~
すぐれた頭脳?と
人並み外れた体力のおかげ?
と一年間の精進で、
常時服用する薬が減ったことは
先日このブログでお披露目したとおりだ。
え?そんな、頭脳や体力の話は聞いてない?
ま、そんな固いことはさておいて、
こうして快癒の兆しを得られたのも
グワーッと走りたい気持ちを抑え、
ドバーッと泳ぎたい気持ちを抑える
などとりあえずはできるだけの心配りを
1年間続けてきたおかげであろう。
西宮戎の一番福争奪競争や
京都駅階段競争もあきらめたし、
サスケに出場することや
サハラマラソンの出場もあきらめ、
夢のまま挫折することにしたおかげである。
当然オリンピック出場の夢も
断たれてしまったことは
人類の損失でもあるわけだが、
いたしかたなかろう。
そうして自重に自重を重ねることで、
予後の経過が順調となり、
これまで4種類飲んでいた薬が
3種類になったものである。
そしてさらに朝晩の薬の服用を
朝のみにしましょうという
医者の診断も下ったものである。
歴史的快挙と言わざるを得ない。
このことは、ゆくゆくは教科書に載り
青少年へのハゲましのエピソードとして
人々に勇気を与えるだろうし、
doironは賢者として生きる世界遺産に
登録されるかもしれない。
そういうことで、医者の賢明なる診断によって、
薬が減らされたことは
財布にも喜ばしい出来事であったし、
心も少し軽くなったのでありました。
(体重は増えたけど・・・)
また朗報は他にもあって、
血圧についても改善されていたのだ。
前回の検診時に、高い測定値が出たことに対し、
何度もそんなはずはないと
医者に測り直しを強要したことから、
そこまでいうのならこれをつけてきなさい
と血圧手帳を交付された。
そのため何回か自分で家の機械を使って
血圧を測った中では、
朝の血圧が150くらいに上がることもあった。
これは要注意やなと思いつつ、
手帳交付時に何の指導もなかったので、
夜に測るのか朝に測った方がいいのか、
あるいは食後がいいのか、
ビールを飲んでいてもいいのかがわからず、
測るタイミングを考えあぐねていたため、
分析に耐えれる継続データが
取れなかったのが実情である。
そこでそういうことを説明した上で、
今回は2回測っていただいた。
結果は、全くの平常値であった。
にもかかわらず、
これまで飲んでた最小単位の
血圧の薬の方は継続となったのは、
血圧の薬は一度飲み始めたら
一生飲み続けなくてはならない
という世間のうわさどおりの
措置であるのかもしれない。
いずれにしても、
今回の検診で良好な結果となり
普通にしてもいいんじゃないか
といわれたdoironの気持ちは
本当に随分軽くなった。
ということでこの週末は
ちょっと発奮して
屋外ロングにチャレンジしてきたよ。
和泉中央に車を置き
そこから西国33ヶ所の札所のひとつ
施福寺のある槇尾山までたらたらと
歩いたり走ったりで
20キロ強の外ランをした。
さすがに久しぶりなので
疲れはしましたが、こういう疲れはひさしぶりの
心地よさでした。
参道の突き当たりの寺まで行くつもりでしたが
自重をして、途中の山門で引き返した。
次の課題にしておこう。
普通の生活はやっぱりいいもんである。
そして本日夜は昨日に引き続いて
新年会。
濱ちゃんを中心とする
トラ仲間中心の集まりだ。
連日の新年会。
う~ん。
ここまで普通にしていいのか
ちと疑問の残ったこの週末の出来事でした。
もう今を遡ること20年前。
風呂屋の裏にあった居酒屋に
毎週木曜日、やたら元気な
連中が集まってきていた。
話題は水泳やマラソンの話で
一杯の生中で盛り上がっていた。
メンバーは微妙に変わりながらも
10人くらいはいつも同じメンバーだった。
こんな楽しい週1回の夜は
ずーっと続くものと思っていた。
それがある日、一人が定年を迎え
仕事帰り、ジム帰りに
その店に寄ることがなくなった。
そしてまた一人、
仕事が忙しくなってこれなくなった。
なかには結婚をしたために
出てこれなくなったというものもいる。
月日の流れは容赦なく
定年や仕事や家庭の都合で
その居酒屋メンバーを
一人奪い、二人奪い
ついに最近は、3人の常連となってしまっていた。
一人は、九州出身で、
近所に住み、岸〇田の金属会社の役員
もう一人は、エイの近くの駅で
和歌山に住み、エイの近くの駅で乗降し、
臨海で働く山好きの人だ。
そしてそのうち隣の風呂屋も
時代の波に押されて
なくなってしまったが
相変わらず、木曜日の夜のエイは
楽しく盛り上がり続けていた。
しかし、やはりこの世は無常。
ついに、その3人のうち一人が
定年を迎え、
和歌山から通勤していた彼も
この1月いっぱいで退職となり
毎週木曜日に集合することは
無理ということになった。
doironも3月に退職ではあるが
家からチャリで5分のところにある
その居酒屋には全然支障なく行けるし
残ったもう一人もチャリで5分である。
なので常連二人は
残る算段である。
その1月に定年となる人のために
本日、送別会を開催したところ
懐かしい連中が8割くらい集まり
送別会、新年会、同窓会が
一度に行われることになった次第である。
これがエイママに撮って貰った写真。
あと関係者二人ほどは
都合がつかなかったので写っていない。
この写真には、
ギリシャのスパルタスロンに出場した者、
あの伝説の琵琶湖アイアンマンに出場した者、
アコーディオンの達人、
津軽三味線の達人などが写っているんだ。
今回定年となったのは
真ん中に座っている
ピンクの服を着たT本さんである。
これからは左から2人目の
S藤さんとの木曜日が
続くんやなあ。
もし読者の皆さんもよければ
木曜夜8時~9時のエイに
たまに顔を出してみてくださいな。
場所は、泉O津税務署の
北隣のマンションの1階です。
こう寒くなってくると、
バタバタの仕事を終えてから入るお風呂が
とても恋しくなりますねえ。
そんな季節です。
doironの場合、
家のお風呂は小さくて足も延ばせないし、
たいていはジムで入ってくることにしている。
その方が細かい話、
電気もガスも水道も節約できるから
エコで経済的でもあるしね。
だから仕事で遅くなっても、
たいていは風呂だけでも入りに
ジムに行くことにしている。
doironが行くジムはことのほかすいているので、
の~んびりと湯船につかることができる。
願わくば、サウナにも入りたいが、
脱水は禁物の体なので、
昨年は一度もサウナに座ることはなかった。
しかし、一方で
普通の生活をしてもいいという
最近の医者の見解もある。
doironの普通がどういうものなのか
という疑問はあるものの、
ロングを走りまくる「普通の生活」はさておいて、
サウナに入るくらいは
「普通の生活」と判断してもいいかなと思い
今日は久しぶりにサウナに入ってみた。
う~ん、やっぱり心拍数も上がるしちと心配。
備え付けの砂時計で3分座っただけですぐに出た。
これは徐々に慣らしていこう。
風呂では、前にも書いたように
ガシガシタオルで体を洗う。
いろいろこびりついた生活の垢も
一緒に流すつもりで
頭の先から足の先までガシガシ洗う。
つめの垢は煎じ薬としてとっておく
(誰が飲むんじゃい!)
しかしのんびり入る風呂は
実に至福のひと時である。
生活の垢はそうして流したが、
では仕事の垢はいつ流すのか。
doironの仕事の場合は、
一年間の予算が決められているから、
ほとんどの業務が
一年単位の繰り返しとなる。
したがって、この時期にはこの仕事
と決められているものがあるんだよね。
それをひとつずつこなしていくと、
「ああやっと今年のこの仕事はこれで終わりだ。」
と通常はほっとするのだが、
今年の場合はちょっと違う。
ひとつの仕事が終わって、
関連ファイルを閉じると
「ああ、この仕事ももう二度とすることもなくこれで終わりなんだ。」
となるわけだ。
なので、そういう仕事がひとつ片付くごとに、
仕事の垢が一枚ずつ剥がれていくような
感慨を覚えるもんなんだと、
辞表を出してから
しみじみと実感するようになったのであります。
右の中指がうずいている。
深爪というわけでもなく、
ちょっとした逆剥けから
ばい菌が入ったようだ。
こうなると、普段それほど役に立っていない
と思っていても、ちょっとした刺激で疼くから
その存在感は日常のあちこちで際立ってくる。
例えば、ペンを持つとき、
キーボードを打つとき、
車でキーを回すとき、
本のページをめくるとき、
箸を持つとき等々。
ま、要するに何かを持つだけで、
痛みが走るのだ。
またじっとしていても、
まるで指先に心臓があるみたいに、
どっくん、どっくんと鼓動を感じるわけだ。
そしてその時に、
ふと面白いことに気が付いたのだが、
そういう指先の痛みの鼓動にも、
なんと不整脈が現れているではないですか。
すごいもんだ。
身体ってつながっている。
なあんて、脚から腕から
心臓にカテーテルを挿入したdoironが
今さら言うことではないかな。
でも、指先のけがで不整脈を感じるなんて、
長い人生で初めて気づいた現象でした。
これまでの経験から
そのうち直るだろうと
ほうっておいたら
かなり痛みがひどくなってきたので
薬箱をひっくり返して見つけた
抗生物質、マイシン系の軟膏を
塗ってみたら
今日、劇的に痛みが引いた。
そもそも、逆剥けができる原因には、
外部要因としては空気の乾燥があり、
内部要因としてはビタミン不足があると言われている。
加えてやっぱり介護で
盛んに手洗いとかすると
指先がかさかさになってきたりもする。
でも、介護の場合だと
逆剥けするのは指先だけでなく
心もささくれ立ってくる。
そんなときにつける薬は
ないもんかねえ。
やはり、時間を見つけて
しっかり汗をかくのが
一番の薬かもね~