ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

驚きの岩湧山 後編

2014年04月23日 21時21分54秒 | ウォーキング

送電線の鉄塔下を過ぎると、
しばらく植林の林の中を歩く尾根道が続く。



ん?植林の木立の合間に見える景色が
なんだか変だぞと思いつつ、
進んで行って開けたところに出てみたら
ビックリ仰天の驚きの光景が広がっていた。

前の週が寒くて、
下から見上げたら雪で白くなっていたのにも驚いたが、
な、なんとススキやカヤに覆われているはずの山頂周辺が
今日は真っ黒けだった。



ややっ、これはどうしたことかと近づいていくと、
どうやら山焼きをした直後だったようだ。

あとでわかったのだが、
その前の日に山焼きをしたらしい。
折からの風で灰が舞い上がり、
その光景はまるで地獄の山のような様相だった。

そういえば、なんとなく地面も
ほんのり熱を帯びているような感じもした。

見上げた時に山頂付近に
一人で座っていた登山者の光景も、



地獄の番人かと思わせるような風情で
世間を眺めおろしているように見える。

草原や山は放置しておけば、
草原から林へとどんどんその様相
(「植生」という)を変えていく。

その最終形を極相といい、
極相は環境によって草原であったり
広葉樹であったり針葉樹であったりする。

ここでは岩湧山頂のカヤを
文化財にするために
刈り取ったりしているので、
茅場の植生を維持するために
山焼きをしているそうだ。

かつて、ここで刈られたカヤは
この「梅の木永久索道」によって降ろされていたが、



見た所現在は使われていないように見えた。

地獄の番人が座っていたところの広場には、



こんな方位盤施設がある。



それによると
条件が良ければかなり遠くまで見渡せるようだ。
この日はあいにく花粉等で霞んでいたけどね。



そこからもう少し行くと、三角点がある。
この看板の手前にある
上辺に十字を刻んであるのが三角点。



標高897.7m。
ここまでかなりのんびりと歩いてきたつもりだったのに、
地図のコースタイム通りに
ちょうど2時間で到着だ。

そこは風が強かったので、
先ほどの方位盤のところに戻って食事をすることにした。

今日の食事はこれ。



小さなお弁当とカップヌードルとビールである。

ビールは登山口に来るまでの
コンビニで買ったもの。
そんなにあったまっておらずおいしくいただけた。

お湯を沸かしたりしているうちに
正午を迎えるようになると、
最初は数人だった山頂にも
結構人が登ってきた。

写真撮影をお願いした2人連れは、
ダイトレ縦走のために関東からやってきて、
昨夜は紀井見荘に泊まったそうだ。



これから槇尾山まで行くという。

結構山に行ってそうな恰好だったのに、
「金剛山というのはどれですか?」
と訊かれて驚き、
あれがそうやでと教えてあげた後
「どこから?」と聞いてみて
関東からの登山者だと分かった次第だ。
ダイトレ縦走をしに泊りがけでこられているとのこと。

ダイトレは大阪以外でも結構知られているんやねえ。

最終的に山頂は20人くらいの登山者で埋まった。
あとは下るのみなので
ゆっくりとコーヒーを沸かし、
こんな手作りケーキのデザートもいただいた。



食事中は油断すると風に舞う灰が、
お弁当に降ってきたりしたので、
その点は要注意だったな。

まわりを見ると、「ゴミは持ち帰りましょう」
などの看板に加えて、
「火気厳禁」などという看板も立っていた。
これだけ燃やしておいて、
ちょっぴり説得力に欠けるなあ
などと考えてしまった。

下りは元来た道を下っていくことになる。
このあたりは道がいくつか分岐しているので、
あちこちと歩き回れそうだし、
南側に見える南葛城山の稜線も楽しそうだ。

機会を見つけて行くことにしよう。

ところで、着ていった例の肌着だが、
先日街道歩きで試した通り、
背中がべたつくこともなく
快適な着心地を維持し、
山で使っても評判通りの性能を発揮してくれた。
まさに登山の三種の神器の名にふさわしいグッズだ。
もう少し値段が安ければ、もっと多用出来るのじゃがね・・・。

屋外での活動にぴったりなこの季節、
まだまだ動き回りたいところですが
そうとばかりも言ってられません。

仕事もしなくてはなりません。

そこで、今考えている新しい仕事の展開に備えて、
このあとdoironは信州へと旅立ったのであります。

その話は次回以降で。