Kさんはこの長尾街道を
30数年間雨の日も風の日も
チャリンコで通勤していました。
飲んで帰るときは
たいていフラフラになるので、
きっと電車で帰ったと思いますが・・・。
年間250日として30年で7500回、
往復で15000回。
多分有史以来最も多く
長尾街道を行き来した人だったのではないでしょうか。
松原市内の官庁街を抜けたところに
大きなモニュメントが立っています。
それはこの街道沿いを流れていた
今井戸川の流れを管理する
中門の記念碑だと思われます。
その横には東と西に分岐する
水流の堰高を定める享和元年(1801)7月の
分量石が残されています。
こんな風に川に置かれていたようです。
その先で長尾街道は
中高野街道と交わります。
その交差点がここ。
画面右から左に通るみちが
中高野街道です。
この交差点は二つの街道が交わる要衝で
休憩所としてお茶屋が並んでいたそうです。
なので今もこの交差点は
「阿保茶屋」(あおんちゃや)と言われています。
「阿保」はここの町名になっています。
なぜ「阿保」なのか、
そしてその名前に秘められた話は・・・
それはちょっと寄り道しすぎで、
長くなりますのでまた別の機会に書きましょう。
それにしても、この交差点は
近鉄河内松原駅に近いこともあって
人も車も頻繁に往来しております。
今も昔も交通の要衝ということですねえ。
そこを過ぎると街道は、
ため池を眺めながら、
あるいは畑に沿って
一気にのどかな雰囲気になります。
中央環状線の高架下をくぐり
しばらく歩くと松原市を出て
羽曳野市に入っていきます。
このあたりでようやく10キロ。
途中給水をしながら歩いていますが、
そろそろ生ビールが
ちらちらと頭に浮かんできました。
今日はKさんが通っている
スイミングプールの仲間が
串カツ屋をしているというので
そこで一杯やるとのことでした。
楽しみ~。
先を急ぎましょう。
ところで、「大阪の街道と道標」という本があります。
もう既に絶版になっており
新しくは手に入らないのですが、
図書館で見つけたので
その内容を参照にして歩いています。
それによりますと
この先にも道標が3つほどあったらしいのですが、
地図に記載されているところを
キョロキョロしましたが、
見つかりませんでした。
街道は羽曳野市の北っぺりをかすめて
いよいよ藤井寺市に突入です。
うう~待ってろよ生ビール。
雄略陵には
こんな立派な石碑が立っていました。
そしてついに本日の
街道最終地点に到達です。
そこにはこんな道標がありました。
「右 いせ 道明寺 藤井寺」
と書かれた道標です。
道の突き当たりにあるので
Kさんも毎日眺めていたそうです。
そこを右に折れ伊勢に向かう・・・のではなく
待ち合わせの藤井寺駅に到着したのが、
約束の時間の20分前でした。
なかなか絶妙なペース配分でしょ。
歩行距離は13.4キロ。3.3里。
時間で2時間40分の
長尾街道歩行これで終了。
そのあと串カツ屋に行くつもりでしたが、
何とその日は定休日。
「片隅でも開けといて」とKさんはお願いしたそうですが
却下されたそうです。
でも居酒屋でみっちり3時間半
積もる話を語り合い、
めちゃ楽しい時間を過ごし
遠路はるばる電車で帰宅した
doironなのでした。
このシリーズ終わり。