ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野街道 紀ノ川を越えて3

2014年04月08日 21時05分48秒 | ウォーキング

えーっと、短い桜の季節の
花見の話題が済んだところで
ブログは街道へと戻ってまいります。



力侍神社から相変わらずの田んぼ道を歩くと、



すぐに交通量の非常に多い国道24号に出ます。



そこを横切って道はまっすぐ続いています。

導き石を頼りに進んでいきますと
地蔵堂がありました。



中を見ると、まさに地蔵がひしめき合うような状態。



なんだかいつもワイワイと楽しそうにやってる雰囲気でした。
きっと今頃、
「この前わしらの写真を撮っていった変な奴がいたなあ」
「そうや、あいつわしらと同じような頭しとったで~」
と盛り上がっているかもしれません。

そこには波切不動尊が祀られています。
名前からしてここで「波」といえばやはり紀ノ川でしょう。
暴れ川の紀ノ川の、
ここが波打ち際だったときもあったのかもしれません。
そしてその先で、こういう道と、



こういう道が



交差するところに立派な道標がありました。
これ。



北大坂みちと刻まれてありますが、





こういう道は初めて目にしました。

「北へ行くと大坂への道」という意味でしょうねきっと。

別の面に「三国一錐纉不動尊」と刻まれ



そしてその上にはどうやら「根来寺」と刻まれているようです。
山口王子近くにも
この寺の名前が刻まれた道標がありました。
当時のお寺の勢力が
いかに大きかったかということを窺わせます。

このあたりは昔の街道の風情が残っているところですが、
道はややこしくくねくねしています。

ここでも、導き石を頼りに進みましょう。

街道沿いに正念寺というお寺がありました。
後にまたこのお寺のことが登場しますので
覚えておいてください。



門構えの上に「鬼瓦」、「こま犬」、「しゃちほこ」が
置かれたやたら豪華な瓦屋根でした。
しかも狛犬が逆立ちをしています。



と、そうこうしているうちに
前方に紀ノ川の堤防が見えてきました。



堤防にポツンと案内板が立っています。



そこから少し下流の川辺橋まで
堤防の下の道なきところを歩いていきますと、



ちょっとした広場の奥に、
地蔵さんがずらっと並んでいるところに出ます。



全部で10体ありました。

なぜここにあるのかは不明です。

大阪を歩いている時と違って、
どうも資料や知見が少なくて
追求していくとわからないことが多いですね。

そこから堤防に上がっていくところに
道しるべが立てられてありました。



それに沿っていくと、
紀ノ川を渡る橋「川辺橋」にさしかかります。



春先の川の堤防は賑やかです。
いっとき一世を風靡したセイヨウカラシナや
クサフジといった河原に多い植物が
堤防で風に揺れていました。

それにしても紀ノ川は大きい。



有吉佐和子の小説「紀ノ川」の中で、
主人公の「花」は九度山から
嫁入り道具を積んだ船を5艙も連ねて
この川を下ったことになっています。

また2005年の8月にはdoironはこの川で
生まれて初めてのカヌーを経験しています。

このブログの2000話以上昔で
記念すべき第2話でそのことを書きましたっけ。

その頃カヌーでくぐった橋を
今こうして歩いて渡ることは
想像もできなかったことです。

この川辺橋は全長775.5m。
歩いて渡るのに、途中写真撮影をしたり
下流を眺めたりしながら
ちょうど10分を要しました。

結構長い橋やなと思ったら、
なんと和歌山県下で最も長い橋なんだそうです。

渡りきったところの橋柱がこれ。



街道はこの後左に曲がって布施屋を目指しますが、
一旦右折して河原に降ります。

時間も正午を少し回りましたので、
ここらで昼食です。

おりた河原にはこんな立札が・・・



散弾銃でカワウや



アオサギといった



有害な生き物を捕獲しているとか。
カワウやアオサギが有害獣とは知りませんでした。

調べてみたら、両者とも魚の捕食で
水産資源を犯す鳥で、
特にカワウは大量の真っ白なふんで環境汚染を招くので
平成19年に狩猟対象に加えられたんだそうです。

看板に書かれていた狩猟実施日を見たら
その日は大丈夫なようなので安心して入っていきました。

川べりに陣取って、さあ昼食です。