40号線をまっすぐ上り詰めた終点にあるTさん石から
さらに奥の牛滝山大威徳寺に入っていきます。
昔、お百姓さんにとって、
牛はとっても大事な財産でした。
そのため、滝の中から青牛に乗って
大威徳明王が現れて
それをみた恵亮和尚が作った像を本尊としているこの寺に、
昔は大勢のお百姓さんがお詣りをし、
牛にまつわるいろんな祈りや行事があったそうです。
山門をくぐると、
まずこの石が目につきます。
近頃、歴史関連のウォーキングをしているので、
石にはとても敏感なdoironなのです。
その石には「赤牛の碑」と刻まれていました。
仏の使いは青牛が多いようですが、
赤牛は百姓の飼ってる牛が多く、
この碑はそんな牛のために建てられたのかもしれません。
説明書きがなかったのであくまで推測ですが・・・。
これは比較的新しい地蔵様。
おっと、その横には珍しいこんな地蔵も。
これはいいですね。
なにかと愚痴りたくなることの多いこのご時世です。
いっぱい聞いてもらいたいものです。
さらに石段を登っていくと、
国の重要文化財の多宝塔です。
この先の本堂の背面に建てられているのが
とても珍しいんだそうです。
地形上やむをえなかったんじゃないでしょうかね。
そしてその本堂はというと、
山寺の風格を漂わせ、
古風にたたずむ名刹という言葉がぴったりの風情でした。
屋根の下には、牛と人の彫り物も彫られてありました。
そしてこの寺の近くには、
滝がたくさんあります。
全部で48本あるそうですが、
なぜか“四十八”というのが
たくさんの滝を表す数字になっているようです。
近畿だけでも
三重県の名張の赤目四十八滝、
那智四十八滝、
滝畑四十八滝、
有馬四十八滝などたくさんの四十八滝があります。
ここもそれくらい何本もの滝があるのでしょう。
水量も豊富だということですね。
実際、この牛滝川にまつわる水害は
過去から多く、時に河川があふれて
小さな河川がまるで龍が暴れるがごとくに枝分かれし、
その水流が人々の生活を襲ったという記録があります。
特に、牛滝川中流の今の久米田池周辺は、
ひどい干ばつがあったり
はげしい水害があったりしたようです。
少し前にジダンがブログで書いていた
九頭神橋のある久米田池横の田治米のあたりは、
水にまつわる災害がよくあったようです。
牛滝川の氾濫も頻繁にあったことや、
田治米村が管理していた
久米田池の三番樋の堤が決壊し、
1779年に大災害があったという記録も残っています。
それだけに水の怖さをよく知っている村であるといえます。
そしてその田治米はまた
水利に関して強い権利を持っていた村でもありました。
久米田池の管理のために各村々から、
人足がかり出されても
この村はそれが免除されていたそうです。
なので牛滝川からの取水、
久米田池からの出水に強い発言力のある村だったようです。
なので、水に関する取り組みは
他の村に比べて熱心で、
今も公民館のある菅原神社の前には
久米田池のさらに上流にある蜻蛉池に設置してあった
底樋の穴石が展示されていたりします。
そんな村に架けられた橋を、
枝分かれして暴れた水路を
九頭竜に見立て、それを支配する神様という意味で、
村の人々の思いから
九頭神橋と名付けたのではないかと、
doironは勝手に推察するのであります。
水神といえば、河童や蛇もありますが
やはり「龍」でしょうしね。
また一方、この橋には「久須神橋」という別名もあります。
どちらが先につけられた名前かわかりませんが、
こちらの名前には
ずっと神様にここにとどまって見守っていてほしい
という意味も込められているのかもしれませんが、
このへんは追々検証していけたらと思います。
ちなみに「屑髪橋」という別名はありません。念のため
推察ばかりですみません。
ギャグでごまかしてしまいました。
じっくり調べる時間がありませんでしたねん。
で、話は遡ります。
そんな中流域にまで思いをはせつつ、
牛滝川の最上流にある大威徳寺を
キョロキョロと見て回った後、境内に別れを告げて、
Tさん石にもさよならをいって、バイクにまたがった時です。
ふと横を見ますと、地蔵さんがありました。
覗き込んでみますと、
おにぎりのようなものを持った地蔵菩薩の光背に
「二丁」の文字が刻まれていました。
そうです、これが葛城山頂につながる
地蔵道登山道沿いに置かれてある
地蔵のひとつだったんですね。
この丁石は全部で21丁まであるといわれています。
はたしてこの石、
21体あるのでしょうか?
トレイルラン大好きのジダンのことですから、
そのうち数えに行ってくれるものと期待しておきましょう。
友達と晩夏に訪ねた牛滝で、
あれやこれやと思いを巡らせたdoironでした。