ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

古墳に興奮 最後

2013年06月30日 21時44分55秒 | ウォーキング

仁徳陵に参拝をし、
次は百舌鳥三陵の最後のひとつ、
百舌鳥耳原南陵
(もずのみみはらみなみのみささぎ)である

履中(りちゅう)天皇陵

を目指します。

仁徳天皇陵の南側には
大仙公園があります。

ここでは毎年4月29日に
10キロ部門を最長とする
マラソン大会が開催されます。

この10キロがdoironの初レースでした。
1987年、今から26年前のできごとです。

今回訪ねたのはそれよりもず~っと、ず~っと昔の
西暦400年頃にこのあたりに築造された
古墳群をめぐる歩き旅でした。

公園内には、そんなイベントができる広場や
いこいの広場などとあわせて
様々な施設が設置されるとともに、
往時の古墳も大切に残されています。

公園の中の仁徳御陵にいちばん近いところにあるのが、

孫大夫山古墳。



お堀もめぐらせてあるので、
公園の中とはいえ
内部に踏み入ることはできません。

次の竜佐山古墳とならんで



これらの古墳は
仁徳陵の陪塚とされています。

それにしても、公園の中というのに
結構しっかりと守られているため、
樹木の密度もかなり濃ゆいものがあります。

そう思っていたら、
次のグワショウ坊古墳には、



外部と隔てられたことにより
古墳林がどのように変化していくかを
詳しく調べている旨の記載がありました。

今回の歩き旅で見た永山古墳のスイレン、
収塚古墳のササユリのように、
貴重な生態を残している古墳林は
絶好の自然研究のフィールドでもあるわけなんですね。

その先にある旗塚古墳も



そんな自然観察の目で
見守られている古墳でした。

大仙公園もこうして通り抜けようとする最後の頃に、
現れるのがこれ。

七観音古墳。



ここまで来ると、仁徳御陵からはかなり離れているなと思ったら、
この古墳は南にある履中天皇陵の
陪塚であるとのことでした。

コースは公園を出て、履中天皇陵の
周回コースに入っていきます。



こういう御陵の近くは
風致地区になっていることが多く、
静かないい環境ですねえ。

さぞかし、土地の値段も高いんでしょう。

道なりに歩いていくと、
車がゴーゴーと走る泉北1号線に出ていきます。



それを左折し、
広い歩道を行くと
履中天皇の拝所に到着です。





この履中天皇陵は
お堀も広く、多くの樹木が密生しています。

また野鳥の姿も多く、



とてもバランスのいい御陵だな



と思いました。

それにしても、こういった古墳の築造には
気の遠くなるような
労力がそそがれたにちがいありません。

ちなみに、仁徳天皇陵を
現代のゼネコンが築造したら、
総作業員数680万人、
工期が15年8か月、
総費用が
見積もりした当時(1985年)の貨幣価値で

796億円という、

結果をはじいています。

いずれにしましても、
これらの古墳は巨大な権力と
高度な土木技術が
結集した巨大建造物だったんですね。

したがってそれは権力の象徴だけでなく、
当時の土木技術の礎を
築いた工事でもあったんでしょう。

地方の大きな改修工事などに
その技術が生かされていったことを思えば、
まさに歴史が磨いた技術の進化に
古墳築造が大きな役割を果たした
といわざるを得ません。

この後コースはまだ、
いたすけ古墳やニサンザイ古墳へと続いていきます。

しかしその日の時間の都合上、
合計20の古墳を興奮気味にめぐり終えたところで
残念ながら今回のdoironの歩き旅は終了です。

上野芝駅からJRで帰路に着いたdoironでした。

残った古墳や、今回コースから外れていて
いけなかった古墳にも、
そのうち是非行ってみようと
思っている今日この頃です。

古墳に興奮、これにて終了。