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困った、困った、こま犬2

2013年06月10日 21時21分27秒 | ウォーキング

前回、ジダンの宿題ということで、
忠岡町の菅原神社(天神社)の
かわったこま犬に関して、
狛犬の歴史、その神社のいわれを探ったうえで
一定の回答を提示した。

しかし、これらはいわば
“状況証拠”に基づく推察に過ぎないものです。

なので、それを決定づける
“物的証拠”を見つけるべく、
後日忠岡市内をめぐる
ウォーキングに出かけた
doironなのでありました。

目的地は二か所。

当該神社の再訪と
町内にあるもう一つの「天神社」である
忠岡神社です。

今は合祀されて
忠岡町内の神社は
その天神社2社のみになっていますが、
かつて忠岡町には天一神社など
「天」の付く神社が多くありました。

それは干ばつにより
多くの民が苦しめられたからなんだそうです。
天(空)を見上げて、雨を懇願したんでしょう。

でも近くには牛滝川や
その下流の大津川が流れているのに何故でしょうね。

これはまた次の課題ですかね。

梅雨の晴れ間を見て
家を出てまず向かったのが、
問題のこま犬のある「天神社」です。

「26号線」をてくてく歩き、
ホテル街から高板橋に出て、
約35分で到着です。

まずは、こま犬の台石に刻まれている
年代を確認したところ、
昭和23年とありました。

そして施主としておひとりの名前が刻まれているようでした。

宮座で新調したというのではなさそうです。

そこで、やはり地元の人に聞いてみるのが一番だろうと、
昔取った杵柄で
聞き込み取材活動をしてみました。

こんなとき、無害そうな顔つきのdoironは有利ですね。

まず、最初にお話をお聞きしたのが、
神社の前の畑でせっせと農作業をされている
妙齢の女性でした。

「すみませーん。もしご存知でしたら教えていただきたいのですが、
ここの神社のこま犬ってちょっと特殊な形ですよねえ。
なにかいわれでもあるんでしょうか?」と聞くと

「そうそう、変な形してるでしょ。
いわれ?
う~ん、わかりませんねえ。
聞いときますわ。」とのこと。

「いえいえ、もしご存知でしたらと思っただけですから、
他で聞いてみます。手をとめてすみませんでした。」

とまあ、そこは空振りに終わったので、
次に少し歩いて、
大きな屋敷の前で
生垣に水をやってる人がいたので聞いてみた。

旧家の家だったので
多分、宮座のメンバーだろうと踏んだわけですが、
「わしゃ、わからんわ」とこれも空振りでした。

少しめげそうになりましたが、
もう一人、今度は広い畑で
野良仕事をしていた高齢の方に訊いてみました。

そしたら、
「ああ、あれねえ」と言いながら
メガネをかけ直し、
近寄ってこられました。

もう顔が「よくぞわしに訊いた」
みたいなドヤ顔になっていました。

「こま犬には“阿吽”がおってな」
(し、知ってるけど)

「あのこま犬は台石に刻んであったと思うが、
昭和23年に一人の人が寄付したものなんや。
せやから今から50年くらい前やな」
(ろ、60年以上経ってますけど)

「その人がなあ、一目で見て
“阿吽”の違い、左右の違いが分かるようにと、
あんな形のこま犬を作らせて寄付しはったんや」

「ということは、あの神社やから
あの形というわけではないし、
宮座の皆さんで選んで置きはった
ということでもないんですね」

「そうや、あの形のものをひとりの人が選んで
50年前に寄付しはったんや」
(せやから60年経ってるて)

なあるほど、これで謎は解けました。

丁寧にお礼を言って立ち去るdoiron。

そして次の目的地である
別の「天神社」に向かいました。

そこから歩くこと20分ぐらいでしょうか。

「旧26号」沿いにある「忠岡神社」にやってきました。
先の高月の天神社と
主祭神が同じ、菅原道真公の神社です。

ここには高浜虚子親子3代の句碑があるのが有名ですが
それはまた次の機会に紹介しましょう。

今回ここを訪ねたのは、
もしかして主祭神も同じで
「天神社」を同様に標榜する神社なら
もしかしてこま犬は“逆さ狛犬”じゃないか。
みたいなことになっていないかどうかを
調べたかったのです。
もしこの神社のこま犬も
同じ形をしていたら
やはり天神社と逆さ狛犬には
なにか深い関係がありそうですしね。

しかし、境内をウロウロ歩いて
見つけた4対8頭の狛犬は、
いずれも普通に座っているこまいぬでした。







どうやらあのメガネのお百姓さんの証言は
まちがいではなさそうです。

そう思って、
あらためて撮影した狛犬群の写真を見てみますと、
台石にはたいてい奉納または奉献の文字が刻まれています。

そう、狛犬はほとんど神社に寄進されたものなんです。
前回紹介した「天神社」の古いこま犬にも
「泉州泉之郡軽部高槻村中子共女子寄進」と
書かれてあったそうです。
昔も今もそういうものなんでしょう。

また、逆さ狛犬と立ち姿の狛犬のセットは
九州北部でよく見られるそうで、
多分寄進者もそういうのを目にして
石工に作らせたのではないでしょうか。

ま、普通の狛犬よりも
熱烈歓迎ぽくていいかも
というような気持ちもあったかもしれません。

ともあれ、菅原神社(天神社)の狛犬に
宗教上の深い理由などはなく、
単なる寄進者の意向であるということでした。
doironの推察も、まんざら間違ったものではなかったことが
地元の人の証言、
他の天神社の状況といった物的証拠に
裏付けられたわけですね。

え~、ジダン氏、これでどんなものでしょうか。
次に、後ろ足の片足をあげて
おしっこ体制をとってる狛犬や
頭にタオルを巻いて走っている格好のこま犬がいたら
また教えてくださいな。

ナニこれに投稿したいと思います。
(今回の狛犬も持っていきようで投稿できるかもね)