ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

古墳に興奮 2

2013年06月29日 21時33分23秒 | ウォーキング

けやき通りのけやきトンネルと
なっている部分の長さは約1キロ。



その4分の3ほど歩いたところで、
西に右折をし、西高野街道の方へと向かっていきます。
そして南海高野線をまたいだところで、
線路に沿って右折していくと
仁徳御陵の陪塚群が現れてきます。

まず最初に出会うのが永山古墳。



かつてこの古墳のお堀には
釣堀があったように思いますが、
今はお堀にスイレンの咲く
静かなたたずまいとなっています。



大阪屈指の幹線道路である
中央環状線を渡るとすぐに、



仁徳御陵の西面に接して、
丸保山古墳があります。



住宅街の中なので
全体を移すのは難しかったです。

この古墳の形が、
前回紹介した「帆立貝型」古墳なんです。

その古墳の南の角にはこんな神社もありました。



長い年月の間に、
御陵への敬意が
様々な形になって残っていったんでしょうね。

少しコースを外れて住宅街に入っていくと、
菰山塚古墳があります。



それにしても住宅街の中に
デンとこんな古墳がいくつもあるなんて、
この地域ならではの景色ですねえ。

そこからまた、仁徳御陵の方へ行き
時計回りに回っていきます。

いつの間にかまた西高野街道を
歩いていました。



この仁徳御陵は墓域面積が世界最大で、
周りをぐるっと回ると2850mあります。



長居の周回道路より少し長い
ランニングコースが取れるというわけですね。

15周すれば42.8キロとお手軽です。

ここでも平日にもかかわらず、
歩いている人や走っている人が結構おりました。



古墳の一番外堀の内側にも陪塚があります。

大安寺山古墳もその一つです。



円墳だそうですが、
外からだと境界がはっきりせず、
全体の形がわかりません。

そしてその少し東側にある

「源右衛門山古墳」



も仁徳御陵の陪塚なんでしょうね。

どうも名前の語感から見て、
御陵築造の土木集団の棟梁のような感じですね。

いや、これはまったく根拠はありませんが・・・。

道はさらに、堺シティマラソンで御馴染みの
御陵周回コースを逆行する形で進んでいきます。

途中、塚廻古墳が駐車場の背後にありました。



また、線路を一時的に越えていくと、
鏡塚古墳もあります。



この古墳は名前からして、
副葬品収蔵のための古墳のように思えます。

再び線路を渡り直し、
仁徳御陵周回コースに戻っていきます。



御陵の南を通る御陵通に出たところにあるのが

収塚古墳



百舌鳥駅近くのこんなところにある古墳ですが、
先の永山古墳同様に
墓域内には都会には珍しい

「ササユリ」

が咲いていました。



こんな可憐な花が絶えずに
残っているというのは
立ち入り制限をしているからこそですね。

コースはここから仁徳御陵の拝所へと向かうのですが、
以前から気になっていた古墳に
少し足を延ばしました。

というのも、この古墳、
電車のすぐ横にあって
うっそうとしているその姿を
いつも車窓から見ていたからです。

百舌鳥駅前を右折し少し行くと、
交番の横にその古墳があります。



近づいていくと、石碑が三つ建っていました。



ひとつが、かつて百舌鳥駅前に建てられていた
仁徳御陵への道標で、
もう一つが「長山古墳」と命名された石碑、
そしてもう一つが、
後に「長塚古墳」の名前で
史跡に指定された旨が書かれた石板でした。

いわば三つの顔を持つ古墳なわけですね。

写真を撮ってたら、
交番の人がちらちら見ておりました。

決して怪しいものではござらぬ~。
と心の中で言いつつ、
元のコースに戻り、
ようやく仁徳御陵の拝所にとやってまいりました。



するとそこに、黄色のウインドブレーカーを着て、
手にバインダーを持った二人連れの高齢者がおられました。

多分、ボランティアガイドの方たちでしょう。
写真を撮ってるdoironの方を見て
何か声をかけたそうにしていましたが、
関わっていると時間がかかりそうなので
早々に立ち去るようにしました。

ここから百舌鳥耳原南陵に向かって、
まずは大仙公園を横切っていきます。

あと一回続く。