以前から、どこで聞いたのか知らないが、
住吉大社のそばの
とある洋食屋にランチしにいきたいと
ミセスdoironにせがまれていた。
ただ、それだけのために
住吉大社まで行くのもどうかと
ためらっておったのだが、
ついでに住吉大社も探検してみたら?
というおススメの言葉につられて、
行くことにした。
熊野街道を歩いていても、
途中立ち寄って住吉大社を
つぶさに見て回るとなると
結構時間がかかりそうなので、
あらかじめ押さえておく
というのも悪くはないなとの判断であった。
しかし二人して急に出かけるのには、
介護のこともあって時間的な制限がある。
通院のない日で、
しかもデイサービスに出かけている
天気の良い日というのが、最低条件だ。
その日も親父はデイには出かけていたが、
夕方早く帰宅する予定だったため、
自由に行動できる時間は短かった。
だが天気も上々だし、
そろそろ機は熟したとみて
住吉大社までビューンと車で行くことにした。
走行距離10万キロを超えた
ミセスの軽自動車に乗り込み
いざ出発である。
往きはdoironが運転。
帰りはミセスの運転だ(ビール飲むもんね)。
ナビに従って行き、
大社の南側の駐車場に車を停めた。
あとでわかったのだが、
この日は初辰(はったつ)詣りの日なので
駐車場は無料になっていた(ラッキー)。
初辰とは、毎月最初の辰の日のこと。
この日に参拝すれば、
より一層力を与えて守り助けてくれる
と信仰されている。
いわば住吉さんポイント12倍デーみたいな感じね。
この初辰まいりは4年を一区切りとして、
48回参拝すれば、満願成就とのこと。
これは、四十八辰、
つまり始終発達する
という意味からきたものだそうで、
近年お詣りする人が増えているそうだ。
しかし、こんなところでも
大阪人はシャレでゲンを担ぐんやね。
そうして4年間欠かさず月参りを続けられる
というのは、それだけで
無事発達していることでもあるんだそうだ。
この考え方はまんざらでもないけどね。
なので境内には平日にもかかわらず、
大勢の人で賑わっていたし、
出店も結構出ていた。
境内には国宝である4つの本殿と
小さな社が各所にある。
ここを参る人々は信心深い人が多いとみえ、
見ていると、社の前を通るたびに、
いや、しめ縄をまいた樹のそばを通る時でさえ
さりげなく両手を合わす人が何人もいた。
doironも本殿には参拝したが、
あとは境内の由緒ある場所を
めぐりつつぶらぶらと歩いた。
ちょこっと住吉神社の名所を案内してみよう。
ひとつ目はやはりこれ。
住吉さんと言えば「太鼓橋」。
というくらい有名だ。
正式には「反橋(そりはし)」というそうだ。
水面に写るその姿は華麗で、
この世と天上界をつなぐ
虹を例えて作られたというだけのことはある。
あの淀君が奉納された橋だ。
そしてこれは、あまりご存じないのかもしれない。
住吉さんの鳥居は円柱ではなく角柱なのだ。
これはとても古い様式で、
大変珍しいそうだ。
南側を奥に向かって歩いていくと
見えてくるのが、最近話題のパワースポット
「御所御前」。
住吉大神を最初にお祀りした聖地で、
この中に敷き詰められた石の中から
「五」・「大」・「力」を墨書した石を見つけて拾い集め、
袋に入れてお守りにすれば
御利益があるそうだ。
doironもさっそく集めてみました。
結願すれば、お礼参りに
近所の石を三つ集めて
「五・大・力」を書き、
先の石とともに
倍返しをするしきたりになっている。
うん、よく考えたものだ。
これでここの石が絶えることはなかろう。
そしてその近くにあるここが
「石舞台」。
豊臣秀頼によって奉納されたもので、
日本三舞台の一つと言われている。
ちなみに、あと二つは
四天王寺と厳島神社にあるそうで、
四天王寺のそれは先日の
「浪速ともあれ、熊野街道シリーズ」の時にも
見ることができた。
そして住吉大社で見たかった最後が
住吉名所図会にも描かれている
「誕生石」。
雷鳴とどろく中で
丹後局がこの石を抱いて出産したのが
島津三郎忠久だったといわれている。
いくらいにしえをしのぶとはいえ、
その光景は、ちょっと想像したくありませんがね。
とまあ、そんなマニアックな旧跡等を数々を回ってお腹をすかし、
目的の洋食屋さんへと向かった二人なのでありました。
長くなりましたのでそれは明日に続きます。