こま犬の謎が解けたところで
話は熊野街道に戻っていきます。
八軒家浜から始まって
大阪府内だけでも70キロを超える
熊野街道紀伊路を歩いているわけですが、
さすがに「日本一小さいまち」と豪語するだけあって、
忠岡町の区間はすぐに通り過ぎてしまいます。
天神社を出て広い道路を渡ると、
そこはもう岸和田市です。
街道の雰囲気漂う道を歩いていくと、
正面に小さな地蔵堂が見えてきました。
ここにも道標地蔵が祀られてある筈です。
道端に置かれた地蔵堂の中を
見させていただくと、
確かに浮き彫りになった地蔵の脇に
「右 」と「左 」の文字が見えます。
地蔵本体は祠の奥の方にあったのと、
前にきれいに花が添えられていたので
前垂れをめくり上げるのは憚られました。
このあたりで道が、変則的に
いくつかの分岐に分かれていたので
(だからこそ道標があった?)
とてもややこしかったのですが、
先にあるはずの菰池を目印に
道を探ったらわかりました。
いかにも、小さな路地に見えるところを曲がると、
そこからずっと道が続いているのが
街道にありがちな姿ですね。
これがその菰池です。
そうですね、各地で埋め立てが進んでいる
こういう里のため池は残してほしいですね。
泉O津にため池はほとんど残っていませんもんね。
街道らしい古い街並みを抜け、
不審者と間違われたらかなわんので
写真の撮りにくい小学校の裏手の細い道はささっと抜け、
田んぼの中のあぜ道のようなところを歩いていくと、
その先で、熊野街道は
岸和田から牛滝山の
大威徳寺へとつながる牛滝街道と交差します。
その牛滝街道沿いには、
doironがこれまで見たどの地域公民館よりも
立派な建物である「下池田町」の町会会館がそびえておりました。
そんな街道を横切ってさらに進み、
遺構は何も残っていないけど、
どうやらこのあたりらしいという
「池田王子跡」
と言われている場所に出ます。
確かに、このあたり
何も根拠はないけど、
ちょっと空気が違うような感じがするのは、
王子跡が醸す雰囲気なんでしょうか。
資料には、池田王子跡は
奥のアパートの裏
と記載がありますが、
どこからどうみて裏なのか
さっぱりわかりません。
アパート周辺のそれらしい雰囲気のところを
何枚か撮影しておきました。
線路を渡って府道30号線に出たところで
Aコースは終点です。
ここから少し戻って、
あの有名な「清原電器店」のある交差点から、
久米田池に向かって寄り道をすることにしました。
牛滝街道へとつながっていく道を歩いていき、
久米田駅前商店街からくる道の交差点を右折します。
前方に小高い緑の森が見えてくるのが、
「史跡 諸兄塚」。
貝吹山古墳ともいわれる橘諸兄
(もちろん兄貴というわけではありません)
のお墓なんですが、
とくに立ち入りが制限されることもなく入ってゆけます。
小高い丘のてっぺんを目指してのぼってゆき、
登り切ったところには、
三角点がポツンと置かれてました。
帰宅して国土地理院の25000分の1の地形図を
虫眼鏡で見てみると、
確かに三角点が書かれてありました。
(あたりまえ~)
しかし、橘諸兄の墓と言えば
京都府の井手町にもあるはずです。
どちらが本物なのか、
それとも両方本物なのかわかっていないそーです。
ただ、こちらの方は
久米田寺所蔵の古文書でも書かれてありますし、
久米田寺を描いた和泉名所図会にも
「諸兄塚」とはっきり書かれています。
西暦1800年ころです。
また、この塚の東に橘諸兄と
同時代の皇后である光明皇后のお墓がある
ことからも信憑性が高いのではないかと思われるところです。
その墓の横の、
塀と塀に挟まれ、
車止とかかれたバリカー石碑の置かれた狭い通路を抜けていくと、
広大な久米田池の景色を背景にした
久米田寺の境内に出てゆきます。
続く