1980年末から90年代にかけての「競馬ブーム」の中心的存在で、「アイドルホース」と呼ばれていたオグリキャップが3日午後、繋養先である北海道新冠町の優駿スタリオンステーションにて死亡していたことが明らかとなりました。馬齢25歳でした。
関係者の話によると、オグリキャップは放牧中にパドックで転倒して右後ろ脚を骨折。その後医療センターに搬送されましたが、手の施しようのないほどの重傷で、そのまま息を引き取りました。葬儀にあたるお別れ会は今月半ばにも行われるということです。
オグリキャップは1985年に父・ダンシングキャップ、母・ホワイトナルビーの間に生まれ、1987年に地方競馬の笠松競馬場でデビュー。1988年に中央競馬に移籍し、中央初戦のペガサスステークスで快勝すると、その後も重賞競走を連勝し続け、有馬記念で岡部幸雄騎手とのコンビでGI初制覇。重賞7勝&グランプリ制覇が評価され、ヤエノムテキ・スーパークリーク・サッカーボーイを抑えてこの年のJRA賞最優秀4歳牡馬を受賞しました。
5歳となった1989年は死闘が続き、毎日王冠でイナリワンとの叩き合いを制し、秋の天皇賞でスーパークリークの後塵を拝して惜敗。マイルチャンピオンシップでバンブーメモリーに鼻差で勝利、連闘で臨んだジャパンカップではホーリックスにあと一歩及ばず。しかし、このレースで当時の世界レコード・2分22秒2のタイムを叩き出しました。
6歳の1990年、武豊騎手との初コンビで挑んだ安田記念でGI3勝目を飾りましたが、その後はGI3連敗。骨膜炎を発症して「限界説」が流れる中、引退レースの有馬記念で並み居るライバルを破って有終の美を飾り、レース後には17万人以上の「オグリコール」が鳴り響いたのでした。通算成績では32戦22勝(地方12戦10勝/中央20戦12勝)、GI4勝。
引退後は種牡馬となりましたが、目立った成績は上げられず。2007年に種牡馬引退した後は功労馬として余生を過ごしていました。
オグリキャップが活躍していた時代は自分がまだ4,5歳のとき、競馬を見始めたのもブーム真っ只中でした。ぬいぐるみも結構売れていて、我が家も持っていましたよ。オグリのレースは記憶に残るものが多くて、イナリワンとスーパークリークとのライバル対決、ホーリックスとの叩き合い、伝説の有馬記念などが浮かばれます。オグリの激走に競馬ファンも熱くなっていたし、90年の有馬記念に感動した人もいたでしょう。もしオグリがいなかったら、競馬なんて一切興味を持っていなかったと思います。
「オグリキャップ死亡」というニュースがヤフーのニュースに載っていたときは非常にショックだったし、今でも信じられない気分です。馬齢25歳は、人間で言えば80後半~100歳近くだといわれているそうで、オグリからすれば大往生かもしれない。今日まで長く生きてきたよなあ。でも、骨折で最期を迎えるのは非常に残念としかいえません。謹んでお悔やみ申し上げます。今までありがとうございました。天国でも競馬界を見守っていてください。
TBありがとうございました!
なのにすみません、今年の春くらいから突然、
gooブログ様ぜんぶの方に、
こちらからのTBがエラーになってしまうんです。
コメントにURLを入れるのもダメな状況で・・・。
なので、失礼してしまって恐縮ですけれど、
記事、詳しくありがとうございました!
よりによって事故死なんて。
せめて老衰まで生きて欲しかったです。
中央競馬というより、
他の地方競馬、競輪、競艇のイメージを変えた功績は未来永劫消えないもの。