日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
トウゴマの花も実も見られました
ご近所をちょっと散歩していたら、紅い茎をしたトウゴマの木が花を咲かせているのを、見つけました
トウゴマは、東アフリカ原産のトウダイグサ目トウダイグサ科トウゴマ属・一属一種の一年草(温帯地域)ですが、栽培品種が多くあり、その植生や形態は個体によって大きく変化し、熱帯地方では多年生で小さな木になります
葉の形や色も多様で、育種家によって分類され観葉植物用に栽培されているそうです
一般的なトウゴマの草丈は2mほどになり、直径30~40cmほどもある大きな葉を互生につけます
葉は手状で7~11に深裂しますが、葉柄は葉の中央につきます
新葉は赤色ですが、成長すると葉脈の赤さは残し緑色に変化します
トウゴマの葉の向こうの青空を覗いてみました
真っ赤な果実が生っています
棘がものすごくまるで赤い栗のイガイガみたいです
触れると痛そうだけど、何となく可愛げです
花の花序は総状で腋生し、上部に雌花、下部に雄花が集まって咲いています
雌花の花柱は赤色で、基部近くで3裂し、裂片はさらに2裂しています
雄花は5花被片と多くの雄ずいからなり、雄ずいは多くの枝を分け、多数の白黄色の葯をつけます
花序は面白い配列であり、雌花が花序の上側に集まって付き、雄花は下側に付きます(➝この逆が多い)
この赤い果実はもう少し経つと褐色に熟し、3つに割れ、中に入っている長さ1cmほどの種子が顔を出します
種子の表面は暗褐色の地に金色の文様があり、なかなか綺麗です
トウゴマの別名は「ヒマ(蓖麻)」といい、種子から得られる油は「ひまし油」として広く使われてます
種にはリシンという毒タンパク質があり、注意が必要との事です
トウゴマの種は紀元前4000年頃につくられたエジプトの墓所からも見つかっているそうで、「ひまし油」を灯りや身体に塗る油として使用していたらしい記録が残っているようです
中国でも数世紀にわたって、内用・外用の医薬品として処方され、日本では、ひまし油は日本薬局方に収録されており、下剤として使われてきています
実りの秋近づく・・・案山子がとっても気になりました
九月も間もなく終わりになってきています
今朝は曇っていますが、雲が切れてきておりこれから晴れるでしょう
彼岸花もぼつぼつ盛りを過ぎようとしています
稲穂が大分実りの色を濃くしてきました
あっちを向いてもこっちを向いても、案山子A子さん、案山子B雄君が気取りながら野良仕事です
こちらではC男兄ちゃん案山子がよもやま眺め、Dさん案山子はちょっと休憩
間もなくこれらの田んぼが黄色にすっかり色づくでしょう
最近は 案山子もスタイル 気にかかる ( ダッペ )
高圧鉄塔の続く先は、晴れ間が見えてきました
実り秋 案山子の顔も 晴れがまし ( ダッペ )
鉄塔の 続く彼方も 秋の風 ( ダッペ )
シオンの花が咲き出しました
先だっての台風一過の朝です
早朝ウォーキングの田んぼコースの途中で見た日の出です (下画像 )
逆光 では、いつもマイポンコツデジカメではうまく撮れませんが、この時は光線がやや弱かったのでしょうか・・・うまく撮れました
稲穂は案山子に見張られ、強風に倒されることなく、何事もなかったように見えます
この時はマイ畑の様子も見に行きました
太陽が先刻より上がって、光を増してきています
マイ畑は草取りが間に合わず、まるで草地なのですが、それがためかあまり風になぎ倒された様子がありません
雑草強しです
とは言え、左程の被害なかったとして、喜ばしい事でした
畑の隅に植えたシオンが咲き出していたのですが、これも幸いつぼみが多かったせいかあまりやられず、日の出に映えて、咲いていました
陽射しの関係か、シオンの表情も明るく輝いて見えました
シオンは、キク科、シオン属の多年草で、原産地はシベリア、モンゴル、中国北部などのアジア一帯です
漢字で「紫苑」と書き、優雅なイメージをもてますが、「鬼の醜草(しこくさ)」という一見すると恐ろし気な別名があります
この名前は、今昔物語に記されている伝説によるものだそうです
伝説では、母を亡くした男が母の墓に、母を忘れぬために「忘れぬ草・シオン」を植え毎日墓参りをしたところ、ある晩夢枕に鬼が現れ親孝行のご褒美に明日のことが前夜に分かる不思議な力を授けてくれたのだそうです
今昔の時代からなじみ深い花なのですね
学名では「 Aster tataricus 」・これは、「タタールの星」を意味し、原産地の中央アジアと、星のような花の様子からつけられたようです
シオン(紫苑)の花言葉は 「 追憶 」、「 君を忘れない 」、「 忘れぬ心 」、「 どこまでも清く 」 です
群馬・高崎にある進雄神社・・・「進雄」は「すさのお」と読みます
先日、群馬・高崎にある進雄神社に行ってきました
高崎の割に田園部に近いところに鎮座している神社のせいかとても神聖な感じです
この神社名の読み方わかりますか!?
「すさのお」神社と読みますが、ちょっと読めませんでした
祀ってある主祭神は、祇園祭で有名な京都八坂神社と同じ「須佐之男命(すさのおのみこと)」で、その他に稲田姫命様ほか二十四神が合祀されています
進雄神社の由緒書によると、『貞勧11年(869年)諸国に疫病蔓延、地震・津波で国内困窮の時、清和天皇の勅諚により、尾州津島神社を勧請して当地に創祇され、牛頭天王を祭る神社として江戸時代までは「天王宮」を社号として千百数十年にわたり広く崇敬されてきました』
明治維新後神仏分離令なるもので改称され、現在の名前になったのだそうで、名づけはご祭神に因み「雄大に進むを祈誓」してだそうです
尚合祀された二十四神は明治の中頃に、近郷三町内でおまつりされた合祀の神々で、進雄神社になっての後のようです
現掲額の社頭額は明治天皇の外祖父中山忠能公が染筆したものだそうです
総檜、権現造の御社殿です
合祀されていた お稲荷さんです 左奥に本殿が見えます
平成になって、新築改造された折、建てられた記念碑です
拝殿から振り返った参道景観です
寺社の存続は、時の権力者の意向によって大きく左右される時代がありました
戦国の群雄が割拠した時代、とくに上州においては、北方から上杉氏、西方から武田氏、南方から北条氏がなだれ込み、権力者はめまぐるしく変わり、更に神仏混交から分離等々幾多の変遷で
寺社の存続は今に至ってきています
そんな重みをわからず帰ってきてしまい、千年以上の歴史探索にその内またたずねてみようかなとおもっています
曼珠沙華の花花・・・こんなに種類があるの知ってましたか!?
曼珠沙華の花は、今が盛りです
今日は黙って、能書き云わず、曼珠沙華鑑賞と行きましょう
とは言え、ちょっと説明はしておきます
早朝ウォーキングの河辺コースは、今土手一杯の「曼珠沙華ロード」になってます・・・この土手以外にも田んぼの畦一杯に咲いているところがありますが
全長1km有余は続いている曼珠沙華ロードです
数年前ボランティアで、土手に一人で球根を植えているのを見かけ、すごい人がいるなと思っていました
最初の頃は数十株からコツコツ植えつけ始まった球根が、今や見事に花を咲せています
去年は幾株か白い花を咲かせたものがありましたが、残念ながら今年は見かけません・・・珍しいので持ち去られたのでしょうか!?
白い曼珠沙華はよほどに珍しいのでしょうね・・・過日産直の花木コーナーで、白色の花を咲かせた曼珠沙華のポットが、2000円の正札をつけて売られていました
余計土手に咲かせていて欲しかったですね
そんな思いでいたら、色々な彩りの曼珠沙華を一編にみる事が出来ました
場所の特定はやめましょう
黙って鑑賞です
曼珠沙華の白花は、「ヒガンバナ」の二倍体変種と「ショウキズイセン」との種間交雑種だと考えられています
わが国の九州や朝鮮半島の済州島、中国で自生しているようですが、今では各地で観賞用に栽培されているようです
アジサイ ‘アナベル’ の今・・・そして何故かウドの実
先だって群馬・榛名山麓に秋探しにいったおり、渋川総合運動公園近くで、沢山のアナベルの花が咲いているのを見つけました
アナベルはアメリカ原産の「ワイルドホワイトハイドランジア」を改良した園芸品種で、ユキノシタ科アジサイ属の落葉小低木(=丈は90~150cm)です
花期は初夏です
緑色の蕾がついて、開くにつれて花色はしだいに緑色から薄緑色、そして白色へと変化していき、小花の集まった花房は手毬のように真っ白な大輪(=直径20cm以上に)となります
夏が終わり、大分秋めいてきた今、アナベルの色は真っ白からライムグリーン色に変わってきていました
松林の横で、アナベルが群落をなしていました
秋のアナベルです
初夏のアナベルは真っ白でした
猛暑の続いたこの夏もいつの間にか秋風が吹き始めています
秋の中で咲くアナベルはライムグリーン色に変わり、触れば少しカサカサぽい硬めの花弁に変わっています
すっかり大人魅力のアナベルです
切って、そのまま逆さに吊るしておけば、綺麗なドライフラワーになるでしょう
アナベルの花の前で、見得を切るように、ウドの実が真っ黒に熟して生っていました
ウドはウコギ科の多年草で、日本各地の山地に広く自生しています
茎の高さは2mほどにも大きくなるので、木と見紛いますが、美味しい山菜です
春芽をだし、ぐんぐん大きくなって、夏、茎の先端、葉腋に散形球状の花序をつけ、白い小花を咲かせます
そして花が終わると過ぐに淡緑色のごま粒大の実がつき、晩秋、熟れるにしたがって黒くなります
若芽のウドはとてもおいしく、私の好物です
てんぷらにしてもよし、味噌に軽く漬けてたべてもいいし、酢味噌もいい、大きい葉は鰹節味の煮物でもいけます
ところでウドの実は食べられるのでしょうか
レシピを探したけど、誰も食べたとは書いていません
小鳥たちは美味しそうに食べにやってきます
真っ黒に熟した実はどんな味なんでしょう
物好き親父は、その内味見に挑戦してみようかな !?
名胡桃城(=ナグルミ城と呼びます)に行ってきました
先だって久しぶりに、リンゴを食べたいなと、群馬・水上の方に、行ってきました
群馬は北関東に位置し結構リンゴの産地があります
味、種類は青森、長野に一目置くかのようですが、最近は果樹農家も増え、結構独自の品種改良もあって美味しいリンゴが食べれるようになっています
群馬で品種登録されたリンゴは、名月、陽光、赤城などあります
群馬の中では沼田が有名ですが、水上、中之条・四万等の各山間地で作られています
訪ねた時は、ここ群馬・水上では、リンゴの実りは時期的に早い感じで、走りながら見るリンゴ園のリンゴの樹は紅くなっているものは少なめでした
水上を訪ねたのはもう一つ目的がありました
リンゴの売っている水上地域は利根川の上流地域で、歴史的には縄文時代からの遺跡も残っているくらい古くから生活されていたところですが、戦国時代には地理的意味合いから軍事的に城跡がいくつか残っています
そんな城の中で利根川の河岸段丘に、沼田氏が築いた「名胡桃城」が有名です
「名胡桃城」は現在の群馬利根郡みなかみ町下津にあったお城で、今は「名胡桃城址」として県指定の史跡として残っています
城址の位置は利根川上流の右岸断崖部にあり、川を挟んで北東に位置した「明徳寺城」と対峙しています
「名胡桃城」は、伝承によれば室町時代の明応元年(1492年)に沼田城の支城として沼田氏によって築かれたとされています
史料上では、上杉景勝との甲越同盟により東上野の割譲を受けた武田勝頼が、天正7年(1579年)に家臣の真田昌幸に命じて、敵対関係となっていた北条氏から沼田領を奪取するための前線基地として築いた城だそうです
真田昌幸は名胡桃城を足場に念願の沼田城を調略し沼田一帯を治める事になりました
この後、武田氏は織田信長に寄って滅ばされ、その信長も本能寺の変で倒れました
関東に影響を及ばしていた武田、織田の強力大名が消えた為、この地における勢力図が変わり、北条氏政と徳川家康との約定(北条氏が利根・吾妻の二郡は北条氏が甲斐都留郡と信濃佐久郡は徳川氏が治める)が結ばれることになりました
それは真田昌幸には知らされず、後に家康より、沼田を北条氏に渡すように要請を受けますが、これを拒絶し徳川氏と一戦交え徳川軍を撃退する事になりました
この年豊臣秀吉が関白になり、関東・奥州の大名に私闘を禁ずる令を出し、それと同時に各大名に上洛を命じます
北条氏は上洛の条件として、利根・吾妻地域の領有を要求しましたが、これに対し昌幸は『沼田城は渡しても、臣の墳墓の地である「名胡桃城」は渡すことはできない」と訴え、これを秀吉は許したといいます
しかし北条氏はこれで納得せず、この後沼田城に入った北条氏は「名胡桃城」を不法に攻略します
この事件は秀吉を激怒させ、北条氏討伐の軍が発令されます・・・即ち「名胡桃城」の領有問題が、「小田原の役」の原因になっています
そしてこの役によって、5代百有余年にわたって関東に覇を称えた北条氏は滅亡しました
北条氏滅亡後、関東は秀吉によって家康に与えられましたが、利根・吾妻は軍事上重要な地であったにもかかわらず、真田の旧領としてそのまま真田氏に安堵され、以降真田氏が沼田領を治める事になります(➝1681年真田は沼田を改易されます)
真田に沼田城が安堵された後、「名胡桃城」は廃城となり、結果的には城として機能したのはわずか10年ほどでしたが、その間の「名胡桃城」の果たした意味は日本史上重要な山城であったといえそうです
そんな事が城址跡に建てられた看板書かれていました
往時の「名胡桃城」は天守閣もなく、物見櫓や守備隊の詰所程度のものがあるだけのいわゆる山城だったようです
遺構からは馬出しから三郭・二郭・本郭・ささ郭と主要な郭が直に並ぶ連郭式の山城出会ったことが分かっているようです
城の両側は切り立った天然の要害です
近年の発掘調査で、土塁址・三日月堀・虎口・通路・門礎石址・掘立柱建物址などの重要な遺構が多数確認されています
向かいの台地は、沼田台地で、沼田城(➝今は城跡だけです)は右手の方向に当たりますが、実際には往時でも山にさえぎられて見えません
何にもない荒廃したばかりの名胡桃ですが、さまざまな想いが駆け巡ったのだなと歴史を堪能したひと時でした
キバナコスモスと「小泉稲荷神社」を見てきました・・・群馬・伊勢崎です
先だってあっちこっちに被害をもたらした台風18号が過ぎ去った翌日、群馬・伊勢崎に休耕田を利用して、キバナコスモスが沢山植えられているときいていたけど、あれはどうなったのかなと見に行ってきました
辺りは当然のことながら緑一杯の田園ですから、ナビを頼りに走ったのですが、なかなか見つかりません
探しにさがしてようやく見つけました
前日までの台風のため、咲いていたキバナコスモスはなぎ倒され、花が目立たなくなっていたのです
花は残念でしたが、実は発見がありました
キバナコスモスの咲く休耕田は、とっても大きな大鳥居の近くでした
休耕田にはコスモスも沢山植えられており、花はこれからですから、ちゃんと咲いた時、この大鳥居を目印にすれば来ることができそうです
打ち倒されたキバナコスモスの群落から、大鳥居が見えました
この大鳥居は、鳥居東方800m程離れている処に建つ「小泉稲荷神社」の「一の鳥居」です・・・「一の鳥居」は広々した周囲のせいかとっても大きく見えました(=22.17mあるそうです)
せっかく来たので、「小泉稲荷神社」に参拝してきました
「稲荷神社」に行ってみてびっくりしました
コンクリート製の鳥居の後ろに数十基いや数百基かもしれない鳥居が、3列に隙間なくびっしりと並んでいました
「 小泉稲荷神社」は、崇神天皇の時代に、毛の国開拓の祖神とされる豊城入彦命が、東夷征討の折に山城国伏見稲荷の分霊を祀って住民の安穏と五穀豊穣を祈願し崇敬の道を教えるため創建されたと伝えられています
平安時代には、耶無陀羅寺という阿弥陀寺の境内社でしが、稲荷信仰の高まりから伏見稲荷に因んだ縁で、広く信仰を集めることとなりました
社は大正年代に大東神社に一時合祀されましたが、後に戻されて氏子の管理となり、以来祈願して作られる鳥居が増えているそうです
老朽化した社殿は昭和36年に造営されたものです
「小泉稲荷神社」の霊験は、とてもあらたかで有名だそうです
特に金運が上昇するらしく、群馬県下では平成18年度の初詣参拝数は一位の貫前神社に次いで二位になったそうです
周辺が田園地帯なので駐車場がいくらでも確保できるというのが人気の理由のようですが、この鳥居の数を見て、下を潜って詣でれば自然にありがたみが感じられました
帰ってから、ご利益期待で、「ロト6」を一枚買いました ・・・当たるかなぁ~ ・ いや当たりますように・・・
お月見に、バンバスグラスは似合っています!?
「仲秋の月」が、今年は台風が去った後でしたから、とってもきれいでした
お月見のお供え物定番と云えば、お団子とススキでしょう
何故ススキを供えるのか私にはわかりませんが、ススキの花穂の向こうに見る月見は何とも言えぬ風情です
ところでこの月見は十五夜のみしかできないわけでなく、「月待ち」という風習があるそうなのですが知っていましたか!?
十七夜以降を「立待月(たちまちづき)」、「居待月(いまちづき)」、「寝待月(ねまちづき)」、「更待月(ふけまちづき)」という具合に「二十三夜」待ち、「二十六夜待ち」まで行う事が出き、そのお月見方法は、この時の月の光に、「阿弥陀仏」・「観音」・「勢至」の三尊が現れるとして、お月様の昇るまでの間、月を愛でる習慣なのだそうです
私もこの習慣をいい事に、美味しいお酒をいただいたのを幸いにこのところ毎夜盃を重ねて楽しんでいます
お月様とお酒をくれた友人に乾杯!!
早朝ウォーキングをしていて、コース途中のお宅の庭で大きな花穂のパンパスグラスが咲いているのを見つけました
パンパスグラスは別名をシロガネヨシといい、イネ科シロガネヨシ属の多年生植物です
原産地はブラジル、アルゼンチン、チリなどの南米大陸の草原(パンパス)で、高さ1~3m程度と大きく成長し、細長い葉が根元から密生して伸びています
「パンパ」とはアルゼンチン近辺の草原地域の名前で、「パンパ地方に生えているグラス(芝)」というのがその名前の由来ですが、ちょっと単純ですかね
要するに日本版のススキです・・・バンバスグラスの別名は、西洋ススキといいますが、これも単純な呼び名ですね
大きくてフワフワしている「花穂(かすい)」はススキよりも大型で、花穂の色も白銀色だけでなく、黄色やピンク色もあるのだそうです
8~10月にかけて、垂直に立ち上がった茎に長さ50~70cmの羽毛様な花穂をつけます
パンパスグラスは雌雄異株で、雄株の花穂は細長いのに対し、雌株は大きく幅広い綿毛の花穂を持っています
白銀の中を覗きこんでみました
ちょっと頬摺りしたくなる柔らかさです
大きな花穂は、まるで全身をつつんでくれるようです
バンバスグラスの花言葉は、「 光輝 」、「 人気 」、「 雄大な愛 」、「 強気な心 」、「 風格 」、「 歳月 」 です
お月見談義忘れていました
お月見の風習はアジア圏だけなのでしょうか!?
南米ではお月見はしないのでしょうか!?
バンバスグラスの向こうに見える月は、とっても素敵だと思うのですが・・・
仲秋と中秋の違い・・・中秋の名月を楽しみました
お彼岸に入り、秋がいよいよたけなわになりました
今年は先だって台風18号が来襲し、天候の悪い日が続いていましたが、通過後急に秋めいて久方ぶりに「仲秋」の名月が楽しめました
古来からお月見は「月」、主に「満月」を眺めて楽しむ事を言い、「観月」と称するそうです
お月見は主に旧暦8月15日から16日の夜(八月十五夜)と、旧暦9月13日から14日の夜(九月十三夜)にも行われます・・・こういうとややこっしいけど、今年の「八月十五夜」は9月19日でした
話を戻して、そのため、お月見は単に「十五夜(じゅうごや)」、「十三夜(じゅうさんや)」の夜に楽しむと云う事になります
この時の月を「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」と呼びます・・・正確には「仲秋の名月」ではありません
「仲秋の名月」と表現すると、これだと「陰暦8月の月」を指し、十五夜の月に限定されなくなるのだそうです
即ち「仲秋」とは、秋を初秋(旧暦7月)、仲秋(旧暦8月)、晩秋(旧暦9月)の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指すのだそうです
対して「中秋」とは、「秋の中日」=陰暦8月15日のみを指す訳です
先日「十五夜」を楽しみました
我が家の二階からパチリ!!です
これだけ見ると、『なんなんだでしょう!!』 ですね
頭にススキの花穂と、虫の音を思い描いて眺めて下さい
「十五夜」の翌朝のお月様です
早朝ウォーキングの最中に撮りました (撮影は5時10分ころです)
5時30分頃日の出です
赤く燃えるような太陽が、高圧線鉄塔の向こうから上りはじめました
この日のウォーキングはまさに月が沈み、太陽が昇る共演が見られ最高の気分になりました
9月23日(=旧暦8月の中気)は「秋分(=お彼岸の中日)」で、昼夜の時間が等分されます
センニンソウ(=仙人草)の花の白さに息をのみました
先日(台風の来る前ですが・・・)、群馬・榛名山麓に秋探しに行きました
行った先が、伊香保温泉近くでしたので、温泉街の駐車場に車を入れ一休みをもくろみました
停めた駐車場のフェンスに、真っ白なつる花がびっしり咲いているのを見つけ、パチリ!! してきました
この花センニンソウといい、今が花の盛りです
センニンソウ(=仙人草)はキンポウゲ科センニンソウ属の多年草で、日本各地に分布し、日当りの良い山野に多く見られるつる植物です
長く茎を伸ばし、節ごとに葉を対生します
葉は五枚の小葉を持つ羽状複葉になるのが普通で、小葉は卵状楕円形で草質、なめらかですがつやはありません
葉の表面に白い模様を出すことがあります
葉柄が他の植物の枝や葉に絡み付き、それによって植物体を固定しています
伊香保は石段の街として知られるほど、坂道の多いところですから、駐車場などフェンスが多く見られます
枝葉の代わりに、センニンソウはフェンスでしっかり咲いていました
センニンソウは、茎の先端付近の葉腋から三出状の散房花序ふうに白花を多数さかせます・・・花はちょっといい香りがします
でも花の4枚の花びらに見えるのはガク片で、実際には花びらはありません
ガク片から雄しべと子房が沢山飛び出すようについています
9月過ぎて白い毛がついたみかん色の果実が付きます
この実の先端についた羽毛状の毛を仙人の髭に見立て、センニンソウの名が付いたそうです
羽毛状の種は風に乗って繁殖します
センニンソウは別名で、「馬食わず(うまくわず)」 という呼び名があるそうですが、これはセンニンソウが馬が食べれないほど有毒植物だからだそうです
センニンソウの花言葉は、「 安全 」、「 無事 」、「 あふれるばかりの善意 」 です
これらの花言葉は、真っ白い花が一杯つくことから生まれたようです
センニンソウのびっしり咲いた花を見ると、ふぅ~と息が吸い込まれるような魅力を感じます
ヤマジノホトトギスが咲いていました
先だってキノコさがしをしていたら、松林の縁でヤマジノホトトギスが咲いているのを見つけました
ホトトギスは毎年夏から秋にかけて花を咲かせる多年草で、東アジアを中心におよそ20種が分布しており、その内の10種が日本に自生しています
茎が湾曲や下垂して花を咲かせる姿はとても風情があり、秋の山野草として人気の高い植物です
斑点のある花びらが、「ホトトギス(鳥)」のおなかにある模様と似ているためこの名前がつけられたそうですが、若葉には油染みのような斑点もあるので、ユテンソウ(油点草)と別名でよばれているようです
ユリ科トリルキルティス属で、この属名のTricyrtis(トリルキルティス)は「3つの距」という意味で、花の基部に3つの距ができるところから付けられたようです
「距(きょ)」というのは、花びらやがくが変化した突起状の部分で中は空洞になっており、主に花の後ろ側にできることを言います
ホトトギスの花は通常花びらは6枚あり、杯状で上向きに咲くタイプと、私は見たことはないのですが、釣鐘状で下向きに咲くタイプがあります
山地の林内に自生し、草丈は30~70cm、茎には下向きの毛が密生して、葉は互生しています
基部は心形で茎を抱き、葉は卵状長楕円形から狭長楕円形で毛があり、先端は鋭尖、長さは8~18cmほどです
花期は8月から10月です
茎頂や葉腋から花柄を出して1~3個の花を上向きに付け、花被片は内花被片3と外花被片3の6枚で、花被片1/3あたりで平開しています
下部には他のホトトギスの仲間のような黄色ではないものの、蜜標である環状の斑紋があり、外花被片は内花被片より幅が広く、基部には袋状に曲がった3つの距があります
距には蜜が貯められているのだそうで、虫が寄ってきて顔を突っ込んでいるのを見たことがあります
ホトトギスは雌雄同花で、自家和合性があり、雄性先熟の虫媒花です
雄しべ花糸は6で黄白色、3本は雌しべ下に重なっていて、湾曲した先端に葯を付けています
この形は蜜を求めて訪れた虫が花被に乗った時に花粉を着けやすくする構造になっているようです
雌しべ花柱は、上部で3裂した後、先端で2裂しており、3裂した上部には腺毛状突起が密生します
見つけたヤマジノホトトギスはホトトギスの中でも野趣満点です
茎の高さ30~60cm程で日陰に多く自生しているのが見られます
花は、茎頂の葉柄から、花柄を伸ばして1~2個の特徴のある紫色と白色の斑点が混ざった、美しい花をつけます
花びら、6枚は水平に開き反り返らず、雄しべの真ん中に雌しべがあり深く3裂して、2裂しています
よく似たヤマホトトギスとの違いは、花被片が強く反り返ることで区別できるのだそうです
ホトトギスの花言葉は、「 永遠にあなたのもの 」、「 秘めた意志 」、「 秘めた恋 」、「 愛しい 」 です
ホトトギスは山菜としても美味だそうです
食べ方は若葉、若芽を、5~6月に採取して、若葉は、薄く衣をつけて天ぷら、汁の実に 、塩を入れた熱湯で茹でさらして、糸がつおと醤油味、辛しマヨネーズの和え物、おひたし、油いためにと食べ方豊富です
台風一過の早朝風景
台風18号が各地に被害をもたらしました
18号は和歌山辺りに上陸し東海・関東を縦断して行きました
この台風は台風圏の大きな台風で、まだ上陸する前から進行方向200km以上も先で竜巻などが起こり、被害を拡大していました
上陸寸前の朝5時ころ京都・桂川は増水つづけ、観光客で賑わう渡月橋辺りは、一面の濁流で被われた様がテレビで流されていました
各地に被害をもたらしながら、関東甲信越を通り過ぎた今回の18号は私にとって今までになかったことを教えてくれました
今年の気象は猛暑があり、乾期があり、ゲリラ豪雨があり、竜巻まで起こり、ついには台風が集大成のように深夜の竜巻まで伴っているなんて・・・
これらの背景はすべて地球温暖化によるものでしょう
海面の海水温度が平年より1~2度高くなっているため、海流の移動が変わり、加えて海水からの蒸発量が増えて大気中の湿度は上がり、冷気暖気が入れ替わることで激しい雨や竜巻を引き起こす積乱雲が急激に発達する様になったようです
これらの気象現象は地球温暖化が平常化してきている事を思えば、これからも続くのでしょう
いかに身を守るかはさまざまな事象に気配りしていかなければならない事をしって、自身で考え学ばなくてはいけないようです
台風の過ぎた翌日の朝、ウォーキングをしながら、自然の裏表を見てきました
台風一過、朝5時半過ぎの日の出です
向かって正面の新幹線高架に、陽が昇って輝いていました
ウォーキングコースの川辺に咲いていたヒマワリとまだ咲き始めたばかりの曼珠沙華です
前日の風雨に痛めつけられた態が、痛ましく残っていますが、陽に照らされてほっとした表情に見えませんか!?
位置を変えて曼珠沙華の日の出浴びです
陽を浴びて、元気にまた咲きそろうでしょう
曼珠沙華の花は約2週間程で盛りを過ぎてしまうのですから、頑張らにゃ~です
川沿い周りの水田は、稲穂が生えそろってきていました
台風一過にしては、少し立ちあがりにかたに乱れがありますが、これならばテレビで紹介のあった被害程ではないようです
彼方の榛名山系は、大気が洗われとてもくっきり見えました
大事な事は一杯あるけど、基本の基本は地球温暖化防止です
目先の事は心配すんなといいたいけど・・・うぅ~んそうはいかないから困ります
初雪カズラがびっしり茂っていました
時たまお寺さん詣りをしますが、先だって高崎のあるお寺さんの境内で、ハツユキカズラがびっしり茂って植えられているのを見つけました
ハツユキカズラは時折生け垣の片隅に彩りを添えているのを見る事はありましたが、築山ふうに広くびっしり植えられているのを見たのは初めてです
ハツユキカズラは、東アジア原産のキョウチクトウ科、(半)常緑多年草で、背丈5~15cm、横幅20~50cm以上になるつる性植物です
ピンク色の新芽と白い斑入りの葉がとても綺麗な観葉植物として人気があり、耐寒性もあることから防寒なしで庭植えとしてそだてられているようです
ハツユキカズラはマイナス5度ぐらいまで耐えられるそうで、関東以南では庭植えで育てられるかもしれません
葉は新芽が伸びる春がきれいですが、晩秋まで芽を出し生長しますから永く楽しめます
最初はピンクですが、ハツユキ(初雪)の名の通り新芽が白色に染まり綺麗です
その後は濃緑色に代わってきます
今の時期新芽、萌芽、成熟葉が重なり合いとてもシックな装いで和の雰囲気を醸していました
お寺の境内にあっている感じもするから不思議です
ハツユキカズラの花は葉ばかりが目立ってあまり見られません
事実咲くのは稀なようです
見たことないのですが、花の色は最初は純白で、終わりに近づくと黄色くなるそうです
花形はスクリューのような形をしている合弁花で、5つに裂けていて、花のつけ根の筒には雄しべ5本と雌しべがあります
そんなみったに見られないハツユキカズラの花言葉は、「 心の灯 」、「 素敵になって 」、「 素直に応えたい 」 です
今年のキノコの様子・・・榛名山麓で見てきました
先日榛名山麓に、秋探しに行ってきました
秋探しの楽しみは何といっても「キノコ」で、この時期になると、毎年生え方の様子が気になってきます
最近は面倒くささも手伝って、遠出をしてまで、「キノコ」採りには行かなくなりましたが、物好き親父としてはどうしても見に行きたくなります
公園の松林の下では、予想通り色々な「キノコ」が生え始めていました
ベニタケが一杯出始めていました
ベニタケは幾つか種類があり、よく見られるのはドクベニタケというベニタケ科の「キノコ」です
これにそっくりさんはドクベニダマシというのがあるそうで、一目では見分けがつかないそうです
ドクベニタケは、各種針葉樹・広葉樹林内によく出てきます
ベニタケ科の「キノコ」は、強い辛味をもつ種類が多く 知られていますが、ドクベニタケは特に激辛キノコの代表格で、口に入れると麻痺するほどの辛さだそうです
食用としては海外で死者が出たという報告があるそうで、食べるのはとてもとても・・・の代物です
なおドクベニダマシは騙しと名づいているくらい、ドクベニタケに似ていますが、このキノコは辛みが薄く食用になるそうですから、騙されても大丈夫と云う事になります
騙されたかどうかは、辛みにご用心という訳です・・・まあ食べない事がいいでしょうね
”ドクベニタケ”の周囲には、ツチカブリも負けずに出ていました・・・ぐっと枯れ松葉を持ち上げている姿は力持ち といった感じです
ツチカブリのカサは直径10cm程度、色は白色で、形は最初は真ん中が窪んだ饅頭型をしています
じょじょにカサが開いて、最終的には反り返って漏斗型になり、成熟すると色は淡い黄褐色になり、濃いめの黄褐色のシミが表面に出てきます
歳をとるとシミができるなんて、う~ん生き物はみんなそうなのかな
ヒダの色は白色~クリーム色でややツカに垂れており、極めて密に並んでいます
ツチカブリもベニタケ科で、傷つけると乳液のような液がでて、とても辛い味を持っています
食用になるといわれますが、辛みを持つ事だし、食べない方が無難です
松林を色々キノコ観察していたら、色鮮やかな「キノコ」を見つけました
あんまりも色鮮やかなので、毒キノコと思ってか先に見つけたどなたかはひっくり返してありました
多分毒キノコの代表格ベニテングタケと思ったのではないでしょうか!?
これはタマゴタケではないかと思ってパチリ!! しました
タマゴタケは見た目毒キノコようですが、ちゃんとした食用きのこで、広葉樹、針葉樹の林の地上に発生します
ベニテングタケと同じテングタケ科ですからとてもよく似ているので、食べる場合は誤食しないよう特に注意です
私も自信はあるのですが、やはり食べるのは躊躇です
もっと私よりよく知っている人に確認してからと思っています
図鑑によると、
タマゴタケのカサの色は赤から赤橙色で、出始めの形は卵型( 上左画像)をし、やがてお饅頭型になり、最終的には中央に出っ張りのある平らな形に変形(
上右画像)し黄色味を帯びていきます
成長過程で縁の付近にはハッキリとした条線が現れてくるのも見分けの特徴になるようです
タマゴタケのヒダは黄色でやや密で、ツカは全体的に黄色味をおびていて斑模様があり、上部にアンズ色のツバが垂れ下がっていて、根元に行くほど太くなります
基部には名前の由来ともなったタマゴ型のツボがあるのはもっともわかりやすい特徴です
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