日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
早春の樹花といえば、早咲きの桜・ケイオウ桜とハクモクレンでしょう
二三日前、郊外の野山散策してきました
温かくなってなって、桜の開花情報が駆け回りはじめていますが、この時はまだちょっとソメイヨシノのつぼみが大分膨らんだ頃です
朝晩はまだ寒く、気温的には日中20度をきる時候ですから、私の定義では早春と云うところでしょうか!?
散策していて、こんな風景が目に入りました
桜(手前)とハクモクレン(向かって奥中央)が満開です
桜はバラ科スモモ属サクラ亜属に分類される落葉広葉樹で、日本では固有種・交配種を含め600種以上の品種が確認されているそうです
そんなに沢山の品種があるとは思いませんでした
日本で咲く桜の80%はソメイヨシノ(=大島さくらと江戸彼岸桜の雑種)だと云われていますから、春に「桜咲く」といえば、ソメイヨシノが咲くだと思っていました
散策していたら、間違いなく桜の花が咲いていました
ソメイヨシノではありません
ケイオウ桜だと思います
ケイオウ桜は、支那実桜と寒緋桜の雑種と推定されています
花は一重で、ソメイヨシノと比べると、小型の紅色を帯びる可愛らしい花です・・・開花期は3月中旬から下旬で、ソメイヨシノより早めです
樹高もやや小さくおさまり、細くもっつり茂る「直立叢生形」になります
ケイオウ桜の花
向こうに咲いていたハクモクレンを望遠でアップ しました
ハクモクレンは木蓮(もくれん)科の白花モクレンです・・・因みに通常の紫のモクレンはシモクレンと呼びます
実は両方モクレンと総称されているのですが、ハクモクレンとシモクレンは別な種類だそうで、よくよく観察すると花びらの数とか成長の仕方など様々な相違がみられるようです
ハクモクレンの開花時期は、3月初旬~4月初めです
名前の通り白く清楚な花です
花びらの幅が広く、厚みがあり、上向きに閉じたような形で咲きます・・・全開しないのでコブシと見分けができます
望遠でアップしたハクモクレン
開花しているときの風景は、木に白い小鳥がびっしり止まっているように見えます
ハクモクレンの花びらは、太陽の光を受けて南側がふくらみ、花先は北側を指すのだそうですが、なんか面白いな
ぐんま洋ラン展を見てきました
毎年今の時期、上信越道藤岡ICにある道の駅ららん藤岡・「花の交流館」で、群馬洋ラン展が開かれます
今年は藤岡市制施行60周年記念として催され、今年はもう終わりかけていた昨日( ➝ 開催日程は、2015.3.20(金) - 3.29(日)) 、珍しいらんの出品があると聞いて見に行ってきました
会場入り口の看板
コンテストは鉢もの、寄せ植え、切り花の3部門で、藤岡市特産のシンビジウムを中心に県内外から85人、288点が出品されていたとききました
休日のせいか大勢の見物客で賑わっていました
地球儀のような胡蝶蘭・・・協賛者の作品だそうです
今回展覧会各部門入賞作品です ・・・ひな壇勢ぞろいと云ったところでしょうか
どれも見事な花振りですが、始めて見たシンビジュームに似たらんが入賞していたので、パチリ!! しました ・・・リカステ属のようです
ちょっとチューリップに似た花柄です
今回の天覧会の目玉は、なんといっても「青い色胡蝶蘭」でしょう
ショ―ケースに入れられ、ガードマンが一人立っての展示でしたが、こんな物々しいラン見物は初めてです
「青い胡蝶蘭」は千葉大学が遺伝子組み換え技術を駆使し、15年以上の歳月をかけて作り上げたものだそうです
胡蝶蘭には青の色素はありませんから、青色の遺伝子を持ったツユクサの遺伝子を組み換えたものだそうです
昨年の世界らん展で初公開され、群馬にも初お見みえという訳です
他にないのだから、このガードも納得ですね
ショーケース内の「青い胡蝶蘭}
遺伝子を組み替えてできたランは、これから増やすことはできるのでしょうか!
身近で見てみたいけど、自然界を壊すことにはならないように願いながら鑑賞してきました
マイ庭に咲き出したクリスマスローズとヒヤシンス
マイ庭の端に作った一坪程の小さな花壇に、ヒヤシンスとクリスマスローズが花開きました
両方とも数年前、鉢植えされていたものをスーパーの花木コーナーで 買い求め、花後に、花壇に植えたものです
あまり考えず植えたもので、花壇とはとても言えない状態ですが、放りぱなしに拘わらず、季節になると色々花開くようになって楽しんでいます
先月 スーパーの花木コーナーでヒヤシンスを見つけた時 は、マイ庭のヒヤシンスはやっと芽が出たばかりでした
マイ庭はやっと春らしくなってきました
石膏のアヒル君と並んで咲く、ヒヤシンス・・・アヒル君の陰にカモ君もいたのですが、すっかり色あせちゃって
ヒヤシンスの 花言葉は 、 「 しとやかなかわいらしさ 」 、「 初恋のひたむきさ 」 です
茎先に総状花序(柄のある花が花茎に均等につく)を出し、花開きます
花の中を覗いてみました
花被片は6枚で、反り返り、中には 雄しべは6本でした
ヒヤシンスの花のアップ
クリスマスローズの花のアップ
ヒヤシンスの隣で、赤紫紺色のクリスマスローズが咲き出しています
クリスマスローズは寒さに強く、霜に当たっても傷みはしますが、枯れることはありません
寒さに強く霜に当たっても枯れないのですが、マイナス5度くらいまでさがると葉っぱが痛み、茎がダラっとなり傷んだようになりますから、低木の足元に植えるか、簡単な霜よけがあるといいようです
「キリスト」とクリスマスローズの伝説があるそうです
『 昔、イエス・キリストが誕生したときに、羊飼いたちと一緒にマデロンという少女が祝福に駆けつけました
贈り物に囲まれた赤ん坊のキリストを見て、貧しかったマデロンは自分には何も贈るものがないと泣きました
すると天使が舞い降り、地面に触れると、そこにクリスマスローズが現れたのです
マデロンはそれを摘んでキリストに捧げたそうです 』
クリスマスローズの 花言葉は、「 私の不安をやわらげて 」、 「 慰め 」、 「 中傷 」 です
柊南天の花が咲き出しました
マイ庭のフェンスでは、ヒイラギナンテン(=柊南天)の花が咲き始めています
ヒイラギナンテンはメギ科の常緑低木で、中国~ヒマラヤにかけてが原産で、江戸時代初期に渡来したとされています
名前は、日陰でも良く育ち、南天のような枝ぶりをし、ヒイラギに似たトゲのある葉をもつことから付いたといわれています
葉の縁が鋸の様に尖っているので、触れると痛いです
このため人を寄せ付けない目的で、公園などでは寄席植えに使われることもありますが、本来はつくばいや景石の横にアクセントとして、単植えしそえるように使います
特に鬼門除けとして玄関前に植える場合が多いようです・・・我が家はフェンスに植えました
葉が痛いので敬遠されがちな感じのヒイラギナンテンですが、咲かせる黄色い小さな花はとても愛らしくみえます
近寄って匂いをかぐと、かすかに菜の花に似た春の香りがします
フェンスから顔を出し咲くヒイラギナンテンの花
ヒイラギナンテンの葉は奇数羽状複葉で互生します
小葉は固い上、一枚一枚の葉には鋭い棘があります
常緑ですが、冬霜に当たると赤銅色になり、紅葉の様に色づきます
あまり大きくはならないようですが、それでも放っておいたら、2m位に横に伸びました・・・樹高(50cm~2m)
枝も結構生えるので、古い枝を地際から切って枝数を少なくするとまとまりやすいようです・・・尚切る枝数は、なぜか奇数にするとまとまりやすいそうです
3~4月総状花序に小さい黄色い花が咲きます
花は花弁が6枚で、先が浅く2つに裂けています
萼片は9枚、雄しべ6本、雌しべ1本です
雄しべは昆虫などが触れることによる刺激で、内側に動いて、花粉を雌しべになすりつけます
果実はブドウのような液果で、夏終わりごろに青い実から柴黒色に熟します
ヒイラギナンテンの花
ヒイラギナンテンの 花言葉は、「 激しい感情 」、「 激情 」、「 愛情は増すばかり 」 です
庭のサンシュウの花が今が盛りです
マイ庭の サンシュウ が、今花盛りです
サンシュウは、 ハルコガネバナ(春黄金花)とか、アキサンゴ(秋珊瑚)とも呼ばれるミズキ科の落葉小高木です
江戸時代中期(享保七年:1722年)に薬用として、朝鮮から種子が持ち込まれ、東京の小石川植物園と駒場薬園に植えられ広まったとされています
2~4月にかけて、若葉に先立って鮮黄色の小花がびっしり咲きます
マイ庭のサンシュウは、実生で2.5m程になりました
サンシュウは、10m以上にもなる樹木ですから、マイ庭のサンシュウはまだ若木と云えますが、花が咲き出すようになって4~5年経ちます
樹皮は薄茶色で、葉は互生し、葉形は長さ4~10cmほどの楕円形で両面に毛があります
花は葉に先立って咲きます・・・まるで春告げ花です
花弁は4枚で反り返っています
雄しべは4個、中央の雌しべは丸くなっています
春黄金花のアップです・・・サンシュウと呼ぶより、こっちの呼び方がぴったりです
短枝の先についた花芽は、先が尖った球形で、褐色の総苞片4枚で蕾を包んでいます
短枝の先に咲いたサンシュウの散形花序
4枚残った苞片とマッチ棒のような実の膨らみ始めの姿 (当画像は私の撮ったものではありません)
実は秋になると、真紅になります・・・秋サンゴの由来です
赤く熟した実から種を取り除き、乾燥した果肉は「山茱萸」と呼ばれる生薬になります
私は種など抜いたことはありませんが、これを果実酒にしたものは滋養強壮や疲労回復の民間薬として利用されており、一昨年から作っています
群馬・高崎の「歴史民俗資料館」に行って来ました
先日、群馬・高崎にある「歴史民俗資料館」に行って来ました
春さがしの途中でした
「歴史民俗資料館」は、各地に建てられています
その目的は、遠い昔から自然の中で先人が生活し、残し伝えてきた歴史・文化について、そこに生活する後世の人々に貴重な資料を通じて理解を深めてもらおうと開設されたものです
自然とかかわりの深かった土地の生活を、今に伝わる生活用具や年中行事で紹介されています
群馬・高崎市「歴史民俗資料館」 玄関
「高崎市歴史民俗資料館」は、旧群南村役場の建物を利用して、昭和53年10月1日に開館されたものだそうです
以来、高崎市内を中心に、日々失われつつある民俗資料の収集・保存・研究・展示を行っており、伝統的な文化をより深く理解してもらおうと色々の催事展示をされているようです
訪れたこの日、玄関横のハクモクレンが咲き始めておりました
冨岡製糸の世界文化遺産登録によって脚光を浴びましたが、群馬は全国でも有数の養蚕県として知られています
今、「高崎市歴史民俗資料館」では、平成26年度企画展・蚕の懐古展第三部として、「冬の縁側と養蚕農家」をテーマとして展覧会が催されていました
企画展・「蚕の懐古展」は、平成25年度第一部を開催して以来、26年度夏「夏蚕 なつご」に続く養蚕関連の展覧会だそうです
養蚕は農家の一年通じての生業として大きなウェイトを占めていましたから、農閑期にあたる冬の季節も次期の養蚕のために準備作業が必須でした
このため農家は、日本家屋の大きな特色である「縁側」や「軒下」を冬の手仕事を行う生活の場として、活用してきました
「冬の縁側」と云うテーマ言葉は、実にほのぼの感がありますね!!
農家ではなかったけど、田舎育ちの私にも、少年時代の空気を思いだせてくれます
断って企画展を覗きながら、懐かしい展示品をパチリ!! してきました
見たことあるもの、初めて見たもの色々でした
農耕民族の日本では、稲作、養蚕、ワラ細工が生活の中心でそのための用具が、土地土地の生活暦の中で土地文化を支えてきています
ワラ織り機(ムシロ、俵)とワラ細工品 ( ムシロや俵、草履、畳、等々が見られます )
毛糸の湯のし器 ・・・初めてみました
毛糸編み器(?) ・・・手編みでしか知らなかったけど工業用かな
向かって奥; うどん打ち用器、手前左; バリカン
縄ない機(足踏み式)
バリカンを使って、縁側で母親に頭を買ってもらったっけなぁ~
右上の縄ない機は明治時代のものだそうです
この時代の輸送用梱包紐は、縄全盛でしょうから、日本の産業を引っ張ってきたと云えますね
日本家屋における縁側の構造は、夏には暑さを座敷から遠ざけ、寒い冬には熱の保温効果を上げるための生活の工夫から生まれた空間です
日差しの調節もでき、戸を広く開放すると風通しも良くなり、自然との一体感を確認できます
現在は生活様式の変化によって、縁側がなくなり、軒下の懐もない家屋が増えました・・・この空間は、ロマンの時空をえられるものだったのですがね~
最近、このエコロジーともいえる自然の利用法と省エネの推進により、機能や効果が再び見直され始めているように見られます
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昭和30年頃の教室風景が思い出されました
駄菓子屋さんが有ったけなぁ~
小学生の時は一つの机に並んでいました
隣の子は誰だった気な
中学生になって一人付けになった時なんか大人になった感じがしたっけな
駄菓子屋さんに5円玉にぎって行って、飴玉買うのが楽しみだった小学生でした
この企画展(入館無料)は4月5日までだそうですが、終わっても楽しめそうです
行ってみて、ほっとするひと時が得られましたよ
日本三古碑の一つ「多胡碑」に行って来ました・・・古墳も見れました
先日群馬・高崎吉井にある「日本三古碑」の一つ「多胡碑」に行って来ました
「日本三古碑」というまとめ方が生じたのは、明治時代に入ってからと考えられていますが、その経緯は不明なようです
古来古墳時代より鉄剣や石などに文字を刻み、墓の墓誌や死者の副葬品、あるいは特定の出来事を記録する記念碑などに多種多様の金石文が作られました
「金石文(きんせきぶん)」とは、金属や石などに記された文字資料のことで、紙、布などに筆で書かれた文字に対し、刀剣、銅鏡、青銅器、仏像、石碑、墓碑などに刻出・鋳出・象嵌などの方法で表された文字を指します
当時の出来事を鮮明に伝える「金石文」は石に刻まれた即ち碑文、銘文の中で幾つか見つけられます
したがって碑文・銘文は一定の様式を持ち、また、さまざまな技巧がこらされ、書体を含め書道史のうえで重要な意味を持っています
これら「金石文」の中で、「日本三古碑」は書道史上で最も重要とされた栃木・大田原市の「那須国造碑」、宮城・多賀城市の「多賀城碑」、そして高崎市の「多胡碑」の三つを呼びます
これらの三古碑が書道史上で重要とされるという事は、当時の貴人、高僧などの高い教養をもった人物によって刻まれているのは当然として、尚且つある程度の長文が刻まれ、風化、破損が少ないという事で選ばれたものと考えられています
三古碑は、いずれも飛鳥時代~奈良時代にかけての8世紀前後のもので、必然的に文献史学・歴史考古学的にも極めて重要な位置づけとなっていると云えます
「多胡碑}は、1954年(昭和29年)、国の特別史跡に指定され、1996年(平成8年)市立の記念館が併設されました
現在「多胡碑」はガラス張りの覆堂内に保存され、併設された多胡碑記念館と近くの古墳を公園化した吉井いしぶみ公園は整備され近隣市民の憩いの場所となっています
「多胡碑」 覆堂をみる・・・周囲には沢山の記念石碑が見られます
覆堂の中には、「多胡碑」が保存されています
ガラス越しからでも肉眼ではっきりと碑文が読めそうなほど、非常に良い状態で保存されているように見えました
毎年3月9日近辺の休日に「多胡碑まつり」が開催され、この日は覆堂の扉が開かれ一般公開されるのだそうです
訪れたこの日は平日であったせいか訪れる観光客も少なく、静かな古碑見学でした
「多胡碑」に刻まれた「金石文」
覆堂内のガラス越しにみた「多胡碑」
「多胡碑」は、和銅4年(711年)3月9日に多胡郡が設置された事を記念するために建碑されたものです
碑には、弁官局からの命令が刻まれており、穂積親王(天武天皇皇子)、藤原不比等などの当時の高官の名も伺える記述もあります・・・続日本紀に記載される多胡郡が設置された公の事跡を記念した碑であることを示しています
「多胡碑」は碑身、笠石、台石からなり、材質は安山岩、碑身は、高さ125cm*幅60cmの角柱で、面には6行80文字の楷書が丸底彫り(薬研彫りとされてきたが、近年丸底彫りであることが判明した)で刻まれています
頭部の笠石は高さ25cm*、軒幅88cmの方形造りです
台石には、「國」の字が刻まれていると言われるが、コンクリートにより補修されているため、現在確認できないようです
材質は、近隣で産出される牛伏砂岩(地元では天引き石、多胡石と呼びます)です
多胡碑覆堂正面 (手前の古木は未様手植えの樹)
「多胡碑」に刻まれた内容は、看板によると、以下のように書かれています
『弁官局からの命令である
上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新しい郡を作り、羊に支配を任せる
郡の名前は多胡郡とせよ
これは和銅4年3月9日甲寅に宣べられた』
左中弁・正五位下多治比真人。
太政官・二品穂積親王、左太臣・正二位石上尊、右太臣・正二位藤原尊
参考: 日本三古碑の選別は考古学的に古い順によるものではないことを上記しましたが、多胡碑周囲にはこれらより古い碑が近くに点在しています
多胡碑の周囲には、山之上碑、金井沢碑という古代碑が点在しており、多胡碑を含め「上野三碑」と呼ばれています
中でも山之上碑は681年建碑で、最も古く8世紀後半建碑と推定される多胡碑より古いだけでなく、日本三古碑中最古の建碑である那須国造碑(700年建碑)よりも古いそうです
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石垣で園内を巡れますが、「多胡碑」に記述された文字が組み石に大きく彫り込まれていました
これは後から彫り込んだものと思いますが、多胡碑を別角度で偲べます
「和銅4年」はよくわかりますが、「給羊」の字の特に未は古くから注目されていたのだそうです
その「羊」の字は方角説、人名説など長い間論争されてきたそうですが、現在では人名説が有力とされています
人名説の中でも「羊」氏を渡来人であるする見解が多く、多胡も多くの胡人(中国北方の一族)がいたを意味するものではないかとの見解もある上、近隣には高麗神社も存在し、この説が有力と考えられているそうです
今度高麗神社を探してみようと思っています
マイ畑に春到来!?です・・・彼岸桜、菜の花、ナズナ、オオイヌフグリの花
今日はお彼岸の入りですね
畑作業が始まっています
先月頃から、天地返しを少しづつしながら、耕作の準備をしてきました
約150坪の畑をスコップで、黙々と掘り返していますが、なかなか手ごわい相手です
昨年頃から自然菜園作りを心掛けて、耕し方を変えてきていますが、なかなか思うように言ってません
ぼつぼつ・・・楽しみながらやっていきます
目指す自然菜園とは、出来るだけ耕さず、草を生やして野菜の共育ちをさせる事です・・・年寄向きに、草取りのなかなか出来ない怠け者の私にピッタリと考えました
昨年から雑草代わりに沢山の菜ものを植えました
今月になってマイ畑は幾つか花が咲き始めました
春到来!!の感じです
まずは、ジャガイモの植え付けが、マイ菜園の開始作業です
毎年お彼岸に、ジャガイモを植えています
この時期は畑に来る途中の寺の境内の彼岸桜が咲き出すのが、私の畑作気温情報です
彼岸桜が見ごろになってきています ・・・ 寺の境内にはソメイヨシノもありますが、こちらはまだ固いツボミです
色々な菜ものがごちゃ混ぜに植えてあり、菜の名前が定かではありませんが、早く咲き出した菜ものです
咲き始めた菜の花
畑に行く度、菜の花を摘んで、毎日食膳に添えて食べています
一般的菜の花はアブラナ科の、とても栄養価の高い緑黄色野菜で、βカロチンやビタミンB1・B2、ビタミンC、鉄、カルシウム、カリウム、食物繊維などの豊富な栄養素をバランスよく含んでいます
和え物、煮びたし、吸い物、炒め物などして、ちょっとほろ苦い春の味を味わっています
幾つかの野草が菜の花の植わってない空き地に咲き出しています
ナズナの花アップです
ナズナは、アブラナ科ナズナ属の越年草です
別名ぺんぺん草といい、田畑や荒れ地、道端など至るところに生える日本に渡来した史前帰化植物と考えられています
4枚の白い花弁を持つ直径3mmほどの小さな花を多数、花穂に付けます・・・アップなかなかイケるでしょう!!
畑の縁に咲いたオオイヌフグリの花アップ
オオイヌフグリはオオバコ科クワガタソウ属の越年草で、路傍や畑の畦道などに見られる雑草です
別名を、瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳等と呼ばれます
この名の方が素敵なのですが、なぜかオオイヌフグリの呼び名が良く知られています
オオイヌフグリの株は、茎が根元で枝分かれし、広がり繁茂します
葉は茎の下では対生し、上部では互生しています
葉脇に1個づつ瑠璃色の小さな花をつけて咲きます・・・花柄は1~2cm・花径は7~10mmくらいです
曇りや雨の日は花は閉じたままで、陽光をあびるとパッチリ咲きます
群馬・高崎の「滝の慈眼寺」に行って来ました・・・まだしだれ桜は早いけど、サンシュウが見ごろです
先だって、春を探しながら車を走らせていましたら、「滝の慈眼寺はこちら」 の看板を見かけました
「滝の慈眼寺(じげんじ)」とは、群馬・高崎にあるしだれ桜見事な歴史あるお寺です
正式名は、「高野山真言宗華敷山補陀落院慈眼寺」といい、奈良東大寺初代別当良弁僧正(689~773年)が開創したそうですから、ゆうに1300年以上の時が経つほどですからまさに古刹です・・・山号、院号共、意味分かりませんが、古そう
宗祖弘法大師(774~835年)が諸国歴遊中、この寺で護摩修行をしたという炉石が大師堂西に現存しています
境内には沢山のしだれ桜が植えられていました
この見事なしだれ桜は、南北朝時代(1352年)に足利尊氏の命により、住職の中興開山乗弘大徳によって植えられたものとされています
本堂 ・・・周囲は古木のしだれ桜が、一杯植えられています
「慈眼寺」のある場所は、高崎市下滝町というところ(昔、あたり一帯は滝川村と呼ばれていた)ですから、通称「滝の慈眼寺」と呼ばれているのだそうです
浅学思い込みの私は、沢山のしだれ桜があり、桜の花の時期はまるで滝の流れのように咲くので、そう呼ばれるのかと思っていました
前記したように、「慈眼寺」は、真言宗のお寺で、高野山を本寺としています
開基は、聖武天皇の時代と古く、江戸時代には御朱印30石を抱える県内でも屈指の古刹なのだそうです
上の画像・現在の「本堂」は昭和58年、52世良雄代に落慶したもので、間口11.5間、奥行8間、広さ92坪あります
本尊は中興開山乗弘大徳により南方の古墳より見出された1寸2分の聖観音様だそうですが、南方とはどこなのでしょう
境内から 鐘楼、 山門を見る (鐘楼奥に山門が見えます)
上画像奥にみれる「山門」は、文政元(1818)年、36世良恵代に造立されたもので、現存する建造物では古いものです
格天井に絵画がありますが、これは平成5年に奉納されたものです
山門より南方に参道が伸びており、表門(石門)へと繋がっています
上画像手前の「鐘楼」は、天保12(1841)年、37世覚信代に造営されたそうです
梵鐘は昭和19年に応召されましたが、昭和50年に再鋳され、現在は毎日6時・12時・18時に時をしらせているそうです・・・除夜の鐘を聴いて近隣の人は年を越すのでしょう
鐘楼の許のしだれ桜はすっかりつぼみが膨らんできていました
しだれ桜はまもなく咲き出すようです
まだ閑散とした境内ですが、間もなく見物客でにぎわうでしょう
この寺には、パチリしませんでしたが、芭蕉が詠んだ句碑がありました
「芭蕉句碑」は、文政7(1827)年の造立・高さ3尺2寸の石碑で、「 木の下は しるもなますも さくらかな 翁 」 とありました
しだれ桜は、まだこれからですが、今盛りはサンシュウです
庫裡の方の庭は沢山のサンシュウの古木が花開いていました 庭園で咲くサンシュウ花
サンシュウの別名は、早春に葉にさきだって黄金色の花を咲かせるので、「春黄金花」(はるこがねばな)といいます
あまりに見事な黄金色を見て、とても心温まりました
サンシュウの花言葉は、「 持続 」、「 忍耐 」、「 耐久 」 です
冬を耐え偲んでの黄金色は、明日への希望ですね
バイカオウレンの花を産直の花棚で見つけました
昨日に続いて・・・
産直の花棚には、バイカオウレンの小鉢が置かれていました
バイカオウレンは、山地から亜高山帯にかけて、林の下に生えるキンポウゲ科オウレン属の常緑多年草です
売られていたバイカオウレンの小鉢・・・花の咲き方が見ごろでした
バイカオウレンの名の由来の「バイカ」は、花の様子が梅の花に似ており、「オウレン」は、黄蓮(おうれん)であり黄色い根からついたそうです・・・「梅花黄連」です
葉の数から、ゴカヨウオウレン(五加葉黄蓮)の別名もあります
バイカオウレンは、東北南部~本州、四国の山地の少し湿った場所(深山の渓谷沿いや針葉樹の下などの腐植質にとんだ場所)に好んで自生し、早春の花として知られています
草丈は3~10cm位で、糸状の地下茎が地中を四方に広がって這い葉を出します
細長い根茎は横に這い、地下で匍匐枝を出して繁殖しますから、自生地では群生しているのが普通だそうで、群生していたら綺麗でしょうね!?
根から出る根生葉は鳥足状複葉で、5枚の卵倒形小葉が輪になってつき、革質で光沢があります
花茎を伸ばし、咲き誇っているバイカオウレン
バイカオウレンの花期は1~4月です・・・自生の深山だと6月頃も見れるようです
高さ4~15cmになる赤褐色を帯びた花茎を出し、1個の花を上向きにつけます
花は全体に丸っこい印象で、如何にも可愛らしい感じです
花の径は12~18mm、白い花弁にみえるのはガク片で5枚あります
花弁は黄色い小さな棒状部分で、蜜を分泌します・・・花びらが蜜腺に退化したのだそうです
蜜腺の先端の広がっている部分(舷部)は、平たく皿状で、雌しべの花柱(雌しべの細い部分は)は真っ直ぐです
花のアップです
バイカオウレンの 花言葉は、「 情熱 」 、「 変身 」、「 2度目の恋 」 です
自然の中、樹林の生い茂る沢などでひっそりと咲くバイカオウレンに出合ったら、森の中の妖精のように見えそうです
白いショウジョウバカマの花を見つけました
先だって、群馬・渋川の奥の「道の駅・白井宿」に行って来ました
いつも行く産直めぐりの買い物です
寒い日でしたが、伊香保温泉に近いせいか観光客が一杯で賑わっていました
花木コーナーがあり、花棚に春の花が沢山咲いて売られていました
そんな中に山野草のショウジョウバカマの鉢植えがありました ・・・珍しい白花です
ショウジョウバカマ(猩々袴)は、ユリ科ショウジョウバカマ属の多年草です
北海道から九州までの、やや湿った場所に生え、人里近くの田んぼのあぜ道から高山帯の高層湿原まで生える垂直分布広い山野草です
ショウジョウバカマの名前は、紅色の花を能楽で使う能装束の空想上の「猩々」(オランウータンの意味もある)の赤い頭の毛と見立て、花の下の葉を袴と考えたものだと言われています
花色は生育場所によって、淡紅色、紫色、白色と変化に富んでおり、白花のものは白花ショウジョウバカマと呼ばれます
小鉢の中で咲き出した白花ショウジョウバカマ
ショウジョウバカマの葉は広い線形でなめらか、根本から多数出てロゼット状に平らに広がっています・・・根性葉で、倒披針形・長さ5~15cmほどになります
花茎は中心部から出て、高さは10~20cm、先端に横向きに総状の花が数個付きます
花期は低山では3~4月ですが、高山では雪渓の溶けたあとの6~7月になります
花被は花が終わった後もそのまま残り、色あせはするものの、咲いたときの姿を残して、緑色が残っている姿となるそうです
雄しべは6個、花糸は花被片と同長かやや長めです
白花ショウジョウバカマのアップ
ショウジョウバカマの花言葉は、 「 希望 」 です
ショウジョウバカマは、3月27日の誕生日です
冬アジサイの花
今の時期、デパ地下での花屋さんで、贈答用の花としての定番は、冬アジサイです
アジサイの名の由来はいくつかあり、一つは「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が語源だそうです
英名のハイドランジアはギリシャ語の「水の器」を意味する語源だそうです
一般的によく知られるのは、江戸時代に長崎オランダ商館の滞在医官であったシーボルトが愛する「お滝さん」に因み「オタクサ」と命名していたと思われます
従来のアジサイと比べると早咲き(冬咲く)で、1年に2回花が楽しめ、落葉せず1年中緑が楽しめるそうです
売られていた冬アジサイは、「フユサキアジサイ・スプリングエンジェル ・フリルエレガンス 」です
デパ地下のレンガ塀にきれいに並べて売られていた冬アジサイ ・・・寒い朝のせいか葉にちょっと生気がありません
冬に咲いた花を3月中~下旬までに花の下から2~3節のところで切ると、5~6月に2番花が咲きます
その後は翌年の花芽を作るため、7月下旬までに同じく花の下から2~3節のところで茎を切ると、夏に伸びた枝の先端が秋に花芽となります
常緑で休眠性が無く非常に早咲きで、加温すればお正月にも開花するそうです
ガク片の鋸歯の出かたは年によって変わり、花房柄(花序柄)の有無は花房(花序)によって異なるそうで、ハイテク技術による人工種間雑種のため性質が不安定なのかもしれません
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_down.gif)
真っ白な装飾花に囲まれ、ビッシリ両性花が咲き出し始めていました
冬アジサイの両性花
アジサイ全般の 花言葉は、「 移り気 」、「 冷淡 」、「 辛抱強さ 」、「 冷酷 」、「 無情 」、「 高慢 」 です
色別の花言葉で、特に白いアジサイは、 「 寛容 」 です
アジサイの花言葉からみると、贈答用にするとちょっと嫌なメーセージになるような気がします
贈るなら白のアジサイがいいですね
今、″ ミモザアカシア ″ の花は贈答用に最適です
昨日に続いて・・・デパ地下の花贈答品紹介です
昨日紹介のシラー‟の隣には、ミモザアカシア(=単にミモザ)‟の鉢がいくつも並べられていました
‟ ミモザ " とは、マメ科の植物であるオジギソウを指すラテン語名です
オーストラリア南東部原産の小高木で、日本には明治時代の始めに渡来しました
開花時期は3~4月で、結構大木になります
葉がシルバーがかったグリーンで、黄色い花が房のように咲きます
ビッシリ花が付いた "ミモザ" 鉢
‟ミモザ″は、早春に淡黄色の花を枝いっぱいにつけ、丈夫であることに加え、都会的な美しさと香りのよさで人気があります
房状についた小花は明るく華やかなので、枝物の少ない時期の花材として重宝され、洋風の生花によく利用されているのを見かけます
黄色い小さな綿毛のような花は春の喜びを知らせてくれます
またドライフラワーにしても楽しめるようです
‟ミモザの花
イタリアでは、3月8日の「女性の日」に、女性に‟ ミモザ ‟の花を贈る習慣があるそうです
今が、“ ミモザ ‟ の贈答の一番シーズンなんですね
"ミモザ″の花言葉は、「 友情 」、「 真実の愛 」、「 秘やかな愛 」、「 豊かな感受性 」、「 堅実 」、「 エレガンス 」、「 神秘 」 など色々です
この花言葉をキーワードに、大切な人、お世話になっている人へ、ミモザ‟の花に想いを込めてメッセージを贈るのはいかがかと推奨されました
花をもらうのは嬉しいことです
気持ちを込めて贈ることで、人間関係もさらに深まるのではないでしょうか!?
アップした″ミモザの花
“ ミモザ ″ の7つの花言葉を使って気の利いたメッセージを贈ったら・・・ いいかも
「友情」は、いつもそばにいてくれる友人に
「真実の愛」は、自分を守ってくれている人へ
「密やかな愛」は、想いを寄せている人へ
「堅実」は、仕事でお世話になった人へ
「エレガンス」は、おしゃれな知人へ
「神秘」は、出会いの神秘に感謝を込めて
「豊かな感受性」は、交際に色添えを込めて
デパートの花ショップは、贈答用花が一杯ありました・・・"シラー・ベルビアナ"が目立ってました
最近すっかり小市民生活で、あまりデパートには行かなくなってました
高齢化社会にはデパートよりもスーパーが似合っているようです・・・
いやスーパーよりも、もっと産直が行きやすいかなとも思っているな~
先日久しぶりにデパ地下に行って来ました
花屋さんがあり、贈り物用に綺麗にラップ掛けされた花鉢が沢山売られていました
青紫色のキラキラした花がさいているのを見つけました
名札には価格と共に商品名があり、何ともロマンチックな『星のソナタ』と書かれていました
花の名を調べたところ、″シラー・ペルビアナ" と云って、ユリ科シラー属の一品種で、地中海西部が原産の球根植物です・・・球根は有毒です
別名を、「ワイルドヒヤシンス」、「オオツルボ」、「スキラ」と呼ばれています ・・・ スキラという名はギリシャ語で、「害になる」の意味だそうですが、鱗茎に毒がある事からついたようです
シラー・ベルビアナ‟ のラップ品
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シラーの〝開花時期は4月~5月です
売られていたシラー‟はツボミ状態がまだ多いですが、暖房が働いているせいか大分咲き始めていました
草丈は20~40cmくらいになります
花茎の先に径2cmぐらいの星型の小花を数十個傘状につけます
花色は、濃い青紫が多いですが、白色の物もあるようです
傘の下の方から咲き始め、釣り鐘状になり咲きます
まだ、蕾の状態が大半ですが、咲き始めた花はとてもキラキラして見え新鮮でした
花弁は6枚で、花芯の部分は濃い青です
根際から生える葉っぱは幅の広い線状で波打っています・・・長さは15~30cm位あります
"シラー・ベルビアナ"の花のアップです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/c3/038afd7d83b59fde86f6f97e274e3fbe.jpg)
"シラー・ベルビアナ" の花言葉は、「 多感な心 」、「 我慢強い 」、「 恋の呼びかけ 」、「 変わらない愛 」、「 隠れた価値 」 です
地下茎は有毒だそうですが、贈り物には大丈夫かな
花言葉を信用して贈りましょう
群馬県立自然公園・「群馬の森」で、“ アオサギ ″ を見かけました
先日、群馬県立自然公園・「群馬の森」を、ちょっと散策してきました
「群馬の森」は群馬・高崎にある県立の都市公園(総合公園)で、明治百年記念事業の重点施策として建設され、平野部の貴重な森林地の保全、育成、活用を進めていくと共に、文化的レクリエーション活動の拠点として整備を進めてられてきました
都市の住民が緑を通じて人間性を確保するため、森林公園としての性格の強い公園として建設されています
園内には、くつろげる大芝生広場をはじめ、遊びの広場、わんぱくの丘(木製遊具)、かたらいの丘、花木園、ふるさとの道(全国都道府県の木の並木道)、修景地、休憩舎、駐車場が設けられています
今、園内は各所改修工事が行われ、散策が限られています
陽射しはちょっぴり暖か気ですが、まだまだ寒さが厳しく、木々の枝間も寒々した感じです
「群馬の森」には修景池があり、この辺りは工事からも離れているせいか静かな空間でした
修景池の散策路を歩いていたら、池の向こうに、“アオサギ″が留まっているのが見えました
群馬の森・修景池 の冬のある日 ・・・ 中央右に、“アオサギ″が留まっているのがみえますか!?
″ アオサギ(蒼鷺) ″ は、コウノトリ目サギ科アオサギ属に分類される鳥類で、アフリカ、ユ―ラシア大陸、マダカスカル、インドネシア、日本、フィリピンに分布しています
一般的に夏季にユーラシア大陸中緯度地方で繁殖し、冬季になるとアフリカ大陸中部、東南アジアなどへ南下し越冬します
日本では、九州以北での林で集団繁殖し、各地の水辺で見られ、北日本では、秋冬に暖地に移動するものが多い水鳥ですが、本州、四国では周年生息する留鳥と見られます
そぉ~と近づいてアップしました ・・・ 下 画像
“アオサギ"は、全長95cmほどはある最も大きなサギです・・・体重は1.5kg、翼開張150~170cm・・・大きさの割に意外と軽いと思ったけど、飛ぶ事を思えばこんなもんかな~
正面からは白く見えますが、上面は青みがかった灰色の羽毛で被われ、横、後ろからは青味がかった灰色に見えます ・・・ アオサギの名はこの色合いから名づけられたと思えます
成鳥では首が白く、頭に黒い冠羽があるが、若い鳥では首や冠羽の部分がぼやっとした感じをしているそうです
頭部は白い羽毛で覆われ、眼上部から後頭にかけて眉状の黒い筋模様(眉斑)が入っています
後頭は眉斑と繋がるように黒い羽毛が伸長(冠羽)しています
修景池には鯉が放流されています
‟アオサギ″の食性は動物食で、魚類、両生類、鳥類の雛、小型哺乳類、甲殻類、昆虫と、結構獰猛な鳥です
水辺で待ち伏せたり、水辺や浅瀬を徘徊しながら獲物を探し、獲物を発見すると、素早く頸部を伸ばし捕食します
鯉を狙っているのでしょうか!?
優雅な姿をしていますが、顔付を見ると怖い顔をしていますね
餌場では意外に攻撃的で、餌を取られそうなときは飾り羽を逆立て他の鳥を威嚇したり、攻撃して執拗に追い立てたりするようです
私が近寄ったので、飛び上がって池の上のまだ枯れ枯れした枝に、留りました
‟ アオサギ ″
通常″アオサギ"は河川、湖、池沼、湿原、干潟、水田などに生息します
非繁殖期には殆ど単独で生活しますが、小さな群を作ることもあるようです
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