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群馬高崎・新町にある「正一位於菊稲荷大明神」に寄って来ました

 ひな祭りも過ぎて閑散とした群馬高崎市の新町・橋場町にある「行在所公園」の奥には、朱塗りの少しはで目な神社が建てられています

神社の名は、「 於菊稲荷神社(おきくいなりじんじゃ)」といって、ちょっと変わった名前がつけられています

「於菊稲荷神社」の由緒書によると、

 「古くより鎮座いたします稲荷神社は、天正十年(1582)八月小田原城主北条氏政と厩橋城主滝川一益と神流川原に於いて、天下分け目の決戦を行いたる時、北条氏は、先祖以来の守護神稲荷の社頭に戦勝祈願をいたしました

その甲斐有りて大勝利を得た北条氏政は、御神徳の偉大さに感激し小祠を立派な社に再建して報賽の誠を捧げ当社の起源となりました」 とありました

      「正一位於菊稲荷大明神」 参道入口 ・・・ 朱塗りの鳥居が幾つも続いていました  

 更に由緒書きは続きます

 「その後、時移り太平の徳川の御代となりて、新町宿にも幾多の妓楼が立ち並ぶようになりました。

宝暦年間(1751~)大黒屋の娼妓於菊は、新潟の貧農の娘であったが、美貌で気だてもよく、新町随一の売れ妓ともてはやされていた。

 稲荷神社に日参りする多くの娼妓達のなかでも、於菊は特に熱心なる信者でした。

また子供好きで、境内で遊ぶ子供達にいつも、あめ菓子を買い与えたり一緒に遊んであげたりと子供達親達にとても慕われておりました。

しかし、ふと風邪をこじらせた於菊は、ついに足腰たたぬ病となってしまいました。

これをとても心配した子供達の親は日頃から於菊が信仰していた稲荷神社に小屋を建て看病を三年間続けました。

 彼女の信心、親達、子供達の願い遂に神に通じてか、ある夜半枕辺に稲荷の霊あらわれ不思議に病気も全快いたしました。

人々は喜び合って神の恵みと感謝し、彼女は一生涯神明奉仕と世の人々の為に尽すことを決意し稲荷社の巫女となりました。

巫女となった於菊は、日々の神明奉仕を続けるうちに神の霊移ってか神秘的な力を授かりました

彼女の言葉は、天候をはじめとして世上の事の予言また困っている人の手助けをしておりました。  

そして人々は、口々に「困った事は稲荷の於菊に聞けばよい」「於菊に聞いて稲荷に参ればよい」と言われておりました。

於菊の稲荷、稲荷の於菊と誰言うとなく於菊稲荷神社と呼ばれる様になりました」 

これが、「於菊稲荷大明神社」の謂れだそうです

 その後、益々神社は弥栄えて文化文政から、嘉永初旬まで最も隆盛を極め、遠くは江戸、横浜、長崎からも参拝する者多く、中には吉原の遊女、歌舞伎の名優、両国の力士、詩人、名僧等と参詣に来た人たちの枚挙にいとまもなかったそうです

社には数々の文化財は昔時を語る宝物として残っているそうです

   朱塗りの鳥居の足元に、祀られた双体道祖神        依願者たちの寄進した鳥居群・・・境内を抜け社まで続いていました

  

     「正一位於菊稲荷大明神」 ・・・ 朱塗り鳥居奥: 拝殿社 、 向かって左: 手洗舎

鳥居をくぐると、すぐに狛狐像があり、左側の狛狐の裏側には手水舎があります

この水屋は文政六年(1823)、町人の浄財で作られたもので、大久保詩仏「冰香」の筆跡がある水盤や、狛犬の彫刻がある珍しい水屋になっています ・・・ 高崎市指定文化財

鳥居を潜っていくと、左側に授与所があり、最奥に拝殿前に出ます

  手水舎内の様子・・・正面下:水盤、 上部:彫刻が見えます    暗くて分かりにくかったのですが、欄間彫刻

  

    拝殿

 

 拝殿前には狛犬のすぐ裏側に狛狐がありました

狛狐の背中に子狐が乗っていたのが、珍しく、かわいらしかったです

 拝社殿のちょっと離れた右側には、「太子社」が鎮座していました
 
 
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栃木にある「足利織姫神社」に行って来ました

 先月末頃、栃木・足利にあるフラワーパークを訪ねた道すがら、「織姫神社」という看板を見て立ち寄って来ました

「織姫神社」は、栃木・足利市にある織姫山の中腹に建つ朱塗りの美しい神殿をもつ足利名勝のひとつです

神殿の綺麗さは、『 足利来るなら織姫様の /赤いお宮を目じるしに /カラリコトントン カラリコトン /足利絵の街 機の街 』と、足利音頭にも歌われ、産業振興と縁結びの神様として地元の人達に広く親しまれているようです

 縁起によると、「織姫神社」の祭神は、太古の昔より機織を司る天御鉾命(あめのみほこのみこと)、天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)の二柱の神様です

この二柱の神様は、もともとは皇太神宮御料の織物を織って奉納したという、伊勢国渡会郡出井の郷、御織殿の祭神で、1200年余の歴史と伝統を誇る足利全産業の守護神として、この二柱の神を勧請、その分霊をお祭りしたものだそうです

1705年(宝永2年)に土地住民により社は創建され、のちに現在の通4丁目の八雲神社の境内社としてまつられました

「織姫神社」は、明治12年(1879年)に八雲神社から織姫山中腹に経糸・緯糸の縁結びの神として遷座されましたが、その社を火災により焼失し、しばらく仮宮のままでありました

昭和9年織姫神社奉賛会が組織され社殿再建に着手し、3年の歳月をかけて当時では珍しいコンクリートの現有社殿の平等院鳳凰堂をモデルにしたと云われる威容の社が創建・完成されました

朱塗りのお宮は緑に映えて景観が美しく、また、境内からは関東平野を一望できます  ・・・ 2016年隣接する織姫公園とともに日本夜景遺産の認定を受けているそうです

      「織姫神社」 ニの鳥居                            「織姫神社」 参道 ・・・ 石段は何段あるのでしょう

 

本殿は小高い丘の上にあります

一番下の一の鳥居から229段の階段をゆっくり上って行くと境内になり朱色の神殿が厳かに現れます

      「 織姫神社 」  神殿

     「織姫神社」 紹介看板                           神殿正面 ・・・ 平等院鳳凰堂を模した!?

 

「織姫神社」は一時衰退し、平成期になってから再興されたとされています

平成16年(2004年)に社殿・神楽殿・社務所・手水舎が登録有形文化財に登録されました

また縁結びにご利益があるとされ、平成26年(2014年)に恋人の聖地に選定されました

       「織姫神社」 社務所  

 

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栃木にある「足利フラワーパーク」に、冬牡丹を見にいってきました

一度は行ってみたいと思っていた「足利フラワーパーク」に行って来ました

「足利フラワーパーク」は、600畳敷の大藤棚3面と世界でも珍しい八重の大藤棚がメインに、園内いたるところに庭木仕立ての藤があり、80mにも渡って続く藤の花のトンネル(白藤、きばな藤)がある藤の名所としてよく知られています

藤の花の時期には、我も我も見たいと大勢押しかけて、近隣の交通網は大分混雑するようで、あまり運転技術には自信もないし、人込みは苦手でもあって、今まで見にきたことがありませんでした

先だって、友人から、『混雑が苦手なら、冬の「足利フラワーパーク」もなかなかいいから行ってみるといいよ』 と、教えてもらいました

冬のイルミネーションは、日本夜景遺産「関東三大イルミネーション」にも認定登録となったし、日中も雪囲いした冬牡丹は花の少ない今の時期に一見だよというのです

アクセスは、東北自動車道・佐野藤岡ICより、国道50号前橋・足利方面進行(約18分)、北関東自動車道からは、太田桐生ICより、国道122号経由、国道50号足利・小山方面進行(約20分)です

駐車場は結構広くあるのですが、道路が狭いからやはり藤の花満開の頃は、相当混雑しそうです

花のファンタジックワールードと称する「足利フラワーパーク」・「光の花の庭」は、300万球使用ともいわれるイルミネーションが飾り付けられています

日本一といわれる大藤に藤色の花房をイメージした電飾が付き、春を想像させ風に揺らめく様は、まるで大藤が満開になったような見ごたえになるそうです

池の水面に映り込むように造られた幻想的な光のピラミッドや、クリスマスシーンを演出する為のクリスマスタワー、園内南側の山際に登場する「スノーワールド」等と、イルミネーションが色々セットされています

 「足利フラワーパーク・「光の花の庭」」は、全国13位( ➝ もちろん栃木県内で1位 )の人気の高いイルミネーションスポットで、今年(2016年)のイルミネーションは2月4日まで開園だそうです

日中だから、イルミネーションの綺麗さは駄目でしたが、静かな風景は楽しめました

玄関口のフラワーショップを通り抜けて、パーク内に入ると、沢山の雪囲いした冬牡丹が見られました     

牡丹は本来春から夏の花です

冬牡丹とは、花は「牡丹」と同じで、特別管理をすることで冬の間に咲かせる牡丹を指します ・・・ 冬牡丹の見ごろは、1月上旬~2月下旬です

別名として、「寒牡丹(かんぼたん)」とも呼ばれますが、正確には、若干品種が違うようです

即ち、「冬牡丹」は春咲き牡丹と同じ品種を1~2月に開花するよう、特に手間をかけて調整したもので、「寒牡丹」は、春と秋に花をつける二季咲きの変種です

通常、春にできる蕾は摘み取り、秋にできる蕾のみを残し10月下旬から1月に開花させたものが、「寒牡丹」です

こんな句を見つけました

   『  一つ散りて 後に花なし 冬牡丹  』       ( 正岡子規 )

   『  そのあたり   ほのとぬくしや 寒ぼたん  』   ( 高浜虚子 )

雪囲いされた冬牡丹が幾つもありました

夜になるとこれらの冬牡丹が雪囲いの中でライトアップされるのだそうです

 雪囲いされた冬牡丹です

 

園内には幾つかの園池があり、水上に浮かぶ冬牡丹が楽しめます

傍には鉄柱で組んだ、イルミネーションツリーが造られ、夜間演出ができていました

  

園内一隅で、寒紅梅が咲いていました ・・・ 寒紅梅の見ごろは、1月中旬~2月下旬 です

 

     寒紅梅 ( 向かって奥はハクモクレンです ・・・ 花芽が沢山ついていました )

 園内には栃木県の指定天然記念物になっている幾本かの大藤が植えられていました        

 

   

藤の花の時期ではありませんが、 スクリーン仕立て、池に映る水鏡効果の夜の藤達は、この世のものとは思えない程の息をのむ美しさだそうです

移送の上、植栽した10年前72㎡の藤棚も今では10倍以上の1,000㎡にも拡がり、世界一美しい藤と言われるほどになっているそうです

 

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群馬・保渡田八幡塚古墳群の一つ「八幡塚古墳」に行って来ました

喪中であった為、のんびりしたお正月を迎えました

三が日の一日、通年だとどこぞの社に初詣に行くのですが、今年は初詣見物に行って来ました

どこもかしこも人、人・・・です 

こんなに大勢の人が初詣で、テンデンに色々お願いをするわけだから、神様、仏様も大変だなと思いながら走ってきました

 こういうと願い事は達観してるように聞こえますが、実は幾つになっても願い事は一杯あり、喪中はそれができないとは、心中穏やかならずです

不幸があったのだから余計に色々お願いしたいのにな~と、思う訳です

神様、仏様も喪中の人がいるから、一呼吸できるのかもしれません

来年はその分優先的に聴いてあげるよと云って下さっていると期待して、今年も頑張ります

「土屋文明記念文学館」の裏手には、保渡田古墳群の一つ・「八幡塚古墳」があります

 「保渡田古墳群」は、群馬・榛名山山麓の保渡田・井出に分布している古墳群(➝ 二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の3基の大型前方後円墳) です  

1985年(昭和60年)に国の史跡に指定されました

築造年代は、5世紀代後半も終わりに近い頃から6世紀前半代にかけてであり、二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の順に造営されたと推定されています

お天気よく、風もほとんど無風の穏やかな日でした

のんびり「八幡塚古墳の周囲を歩いてきました

       八幡塚古墳眺望  ( 「土屋文明記念文学館」裏手からみました ・・・ ウォーキングをされている人もいました )

「八幡塚古墳」は、三ツ寺遺跡に居住し、このあたり一帯を支配した豪族の墓と思ます

形状は前方後円墳、墳丘は全長96mで3段に造られ、周濠は馬蹄形で二重に取り巻き、さらに外側を幅の狭い外周溝が巡っています

内堀、外堀、外周溝がめぐり、それらの間には内堤、外堤があり、墓域自体はなんと190mかける148mにも及んでいるそうです

内濠部のくびれ部と後円部後側に4基の中島が配置されているのが特徴で、なんとも悠久極まる墳墓です

墳丘には葺き石が葺かれ、円筒列が墳丘裾部、中島裾部、中堤縁に見られます

墳丘長102m、後円部径56m、高さ現存約6m、前方部幅53mで、高さは削平されて分かりません

  

   後円部から見た墳墓( 正面向こう 「土屋文明記念文学館」)    八幡塚古墳 説明碑

「八幡塚古墳」は、後円部に舟形石棺と砂利層が露出しており、石槨が存在したと推測されているが、詳細は明らかでないそうです

副葬品は鉄地金銅張F字形鏡板の轡と同剣菱形杏葉、小石槨から鉄刀片、甲冑片が出土した伝承があるそうです

墳丘東側くびれ部の中島から高杯の土師器が出土しているが、初期須恵器高杯を模造したもので、古墳時代後期の初期と推測されています

前方部前面の中堤上に円筒埴輪列で方形に区画された部分から人物類や、馬・ニワトリなどの家畜、イノシシ・水鳥など狩猟鳥獣をモチーフとした形象埴輪が出土しています

これらの動物埴輪は、埴輪祭祀の一つの表現様式として注目されます 

特に「八幡塚古墳」からは鵜形埴輪が出土しており、首を高く上げ口に魚をくわえ、首に鈴のついた首紐が付けられた「鵜(う)」の姿が表現されています

これは鵜形埴輪が古墳時代から儀礼・行事としての鵜飼が行われていた可能性を示していると考えられます ・・・ 鵜飼は、古代中国の歴史書『隋書』や『古事記』、『日本書紀』に見られます

往時埴輪は6000本ほど設置されていたと考えられており、復元に当たっても出来る限り配置したようです

墓は後円部に2箇所設置されており、1つが古墳を造らせた豪族本人、もう1つがその近親者であると考えられています

      形象埴輪墓越しから「八幡塚古墳」を見ました  ( 向かって右奥 : 「土屋文明記念文学館」 )

 古墳の奥には、榛名山系が広がっていました

豪族たちは、この山並みをどんな想いで眺めていたのでしょう

 

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群馬県立「土屋文明記念文学館」周囲の冬景色を見てきました

今年のお正月は温かな日が続きのんびり出来ました 

三が日の内の一日、群馬県高崎市保渡田町にある県立「土屋文明記念文学館」に行って来ました

土屋文明記念文学館は、歌人「土屋文明」の業績を記念して、その短歌とともに生きた生涯を紹介しながら、関連する短歌などの資料や、群馬県ゆかりの文学資料を収集し、企画展示などで公開をしています 

実は以前きたことがあるのですが、季節が違ってます

この日は温かい小春日和に誘われ、初詣でもしようかなと家をでて、さてどこに行こうかと思って、赤城・榛名方面に車を走らせました

途中「土屋文明記念文学館方面案内看板が目に入り、ハンドルを切りました

静かな装いの記念文学館です

入園料 一般200円、  開館時間 :9時30分~17時(観覧受付は16時30分まで)

休館日 : 火曜日(祝日の場合は翌日) 、年始年末(12月29日~1月3日)、燻蒸などの臨時休館日

       県立「土屋文明記念文学館」 外観  ・・・  芝生の綺麗な前庭 ・・・ 建物はフランス産石灰石からなると云われています

記念館内では、日本人の心の深奥ともいうべき短歌を生涯詠みつづけ、その源郷である万葉集の研究でも大きな足跡を残した「土屋文明」を常設展示で紹介しています 

あまり休館日の少ない文学館なのに、訪ねたこの日は休館日でした

その為か人の姿はほとんどなく静かな静かな文学館の佇まいでした

県立記念文学館北側には前庭があり、そこには文明の歌碑、暮鳥の詩碑、鬼城の句碑などの石碑があります

県立記念文学館が建てられる前、群馬町(ぐんままち)では土地改良事業による余剰地の有効利用として、1989(平成元)年に「やくし公園」を開設しました

その翌年、この公園に文明歌碑が建立されました

その後、「やくし公園」という名称は、群馬町(現在は高崎市)の都市計画公園である「上毛野(かみつけの)はにわの里」公園の一部となりました

    旧名・「やくし公園」前庭の冬景 ・・・ 中央石碑 ; 山村暮鳥詩碑 、 

      山村暮鳥詩碑                                   土屋文明歌碑

    

 山村暮鳥碑は、高さ150cm、巾245cmの磨かれた黒石に彫られています  ・・・ 2001(平成13)年3月、当時の群馬町(ぐんままち)が設置しました

  風景   純銀もざいく      山村暮鳥

いちめんのなのはな   いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな   

いちめんのなのはな   いちめんのなのはな  かすかなるむぎぶえ  いちめんのなのはな


いちめんのなのはな   いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな
いちめんのなのはな   いちめんのなのはな  ひばりのおしゃべり   いちめんのなのはな

いちめんのなのはな   いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな
いちめんのなのはな   いちめんのなのはな  やめるはひるのつき  いちめんのなのはな

この詩は、 詩集『聖三稜玻璃(せいさんりょうはり)』(1915(大正4)年12月人魚詩社刊行)の中にある暮鳥の代表作です

詩碑の裏側に、詩碑の説明がありました

『風景 ・ 純銀もざいく』の作品は、山村暮鳥の詩集「聖三稜玻璃」のなかで最も広く知られている詩である

「いちめんのなのはな」の繰り返しと全編がひらがなで書かれた表現が面白く斬新な詩形態である

群馬町を生誕の地とする暮鳥は多数の作品を世に送り出した』

町はその功績を称えここに詩碑を建立する        平成十三年三月


上右の画像の土屋文明歌碑は、高さ160cm、巾260cm、材質は榛名山系の安山岩で、近くの工業団地の造成時に掘り出されたものだそうです

土屋文明が1990(平成2)年9月18日に満百歳となることを祝い、群馬町が建てたものだそうです

  「青き上に榛名を永久の幻に出でて帰らぬ我のみにあらじ」  : 土屋文明の第九歌集『青南集(せいなんしゅう)』(1967(昭和42)年11月25日白玉書房発行)

 解説によると文明が地図を見ながら、榛名を思って詠んだ歌だそうですが、昭和の良き時代が心に染み入ってきます

 

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群馬・前橋の「群馬フラワーパーク」に行ってきました

赤城の裾野には、総面積18.4haの敷地をもつ群馬県立の植物園・「群馬フラワーパーク」があります ・・・ 開園:1992年(平成4年)

年7回の花祭りが開かれ、5棟ある温室では年間を通して色々な花が咲くのを見る事ができます 

とはいえ、冬濃くなってきた今は、年間で最も咲く花が少ない時期と云えそうです

群馬観光案内パンフで、フラワーパークの イルミネーション が、昨年の日本夜景遺産ライトアップ部門に群馬県内初に認定されたと知りました

「妖精たちの楽園」をテーマに、園内100万球以上のLEDとプロジェクションマッピングが楽しめるそうです

このイルミネーションは、2015年10月31日(土)~2016年1月11日(月・祝)   日没後~21時(最終入園は20時30分) 入園500円(10月31日は600円)、中学生以下は無料

で、見る事が出来ます

車でのアクセスは、関越自動車道前橋ICより約40分、又は北関東自動車道駒形ICより約30分です

高崎・駒形を抜け一般道で、先日「群馬フラワーパーク」に行って来ました

パンフによるイルミネーションの様子は、園内中央にある高さ18mのパークタワーがスクリーンとなりプログラムが上映され、園内の池を舞台に新アトラクションが登場し、眼下には関東平野一円の夜景も広がる様子はなかなか見ごたえあるとかかれていました

出かけたこの日は、残念ながら日中出かけましたので、イルミネーションは見る事は出来なかったのですが、代って冬が始まったばかりの静かな園内風景をみながらゆっくり散策できました

正面ゲートをくぐるとフラトピア大花壇(約6000m²)がひろがって、一面にパンジー” が植えられていました  ・・・ 春にはチューリップが花壇一杯に咲き誇ります     

         向かって右奥は、パークタワー ( 高さ18m )  奥のカラマツの黄葉がきれいです

         バラ園から見た 群馬の池  ( 向かって正面奥 ; パークタワー 、向かって右 ; バラ園のバラ )

花は少ないけど、陽射しがとても気持ちよく体を温めてくれました

  冬日和  サンサンと照り  空気澄む   ダッペ

         四季のエリア ( 園内整備をする人 、手前中央樹木は、ハンカチノキ )

園内各所で、紅く熟したサンシュウ(➝ 別名は、ハルコガネバナ、アキサンゴ、ヤマグミといいます)の実が青空に映えていました

サンシュユ(山茱萸)は、ミズキ科の落葉小高木です

サンシュウは、早春に咲く花 なので、季語は、「春」ですが、アキサンゴと呼べば「季語」は秋かな!?

     サンシュウの実                         サンシュウの実 

 

      サンシュウの実 と ジュウガツサクラ

ジュウガツサクラの花は 4月上旬頃と10月頃の年2回開花します

花は十数枚で、花弁の縁が薄く紅色になり、萼筒が紅色でつぼ型です

樹高は5m程になり、フユサクラとは、別種です

    葉は見えませんが、頭上高くに花が見えます              ジュウガツサクラの花アップ

 

        日本庭園   中央にある雪囲いが目立ってました

      日本庭園の梅 ・・・ つぼみが膨らんで             数輪花開いていました ・・・ 吸蜜に来た「ハナアブ」に、びっくりぽん‼ です

 

 もう梅の花が咲いているのですね

    『  梅一輪  一輪ほどの  暖かさ  』    ( 嵐雪 )    の句が思い出されます

 

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群馬・百名山の一つ「庚申山」晩秋

 「ぐんま百名山」は、21世紀の文化づくり事業の一環として、平成13年度から平成15年度にかけて選定されました

百名山の選定にあたっては、認知度、地域のバランス性、住民との関わり合いなど総合的な観点から判断されたそうです

「庚申山」は群馬百名山の中で、No.41にランクされ、丘陵地で、標高は低いが、地域の人々から親しまれている身近な山として選定されました

藤岡市街地の南西に広がる庚申山総合公園の南方一角にある山で、標高189m(➝百名山の中で最も低い山)・ハイキングコースとして多くの市民に親しまれています

総合公園内にはスポーツ施設やミニ遊園地もあります

因みに、次に低い標高の山は、高崎市にある「観音山」・227mです

 先日、「庚申山総合公園」を散策に行って来ました

今年は暖冬のせいか12月も半ば近くになった今、晩秋真っ盛りの様子でした

       総合運動公園の晩秋   ( 向かって左は、ハナミズキ・・・ びっしり赤い実が生っていました。 向かいの山は庚申山 )

 木々には紅葉がまだ残り、来る冬の姿にはまだまだ遠いようです

    ハナミズキ ・・・ 紅い実がびっしり                ケヤキの紅葉です

 

 「庚申山」は標高が200メートルにも満たない丘陵地で、この付近一帯が公園化されて四季を通じて大勢の人々に親しまれています

山の散策ルートには男坂と女坂があり、山頂にはあずまや風の展望台が設置され、遠くの浅間までみれ絶景です

シーズンには桜、つつじ、ふじなどの花が次々と咲き、華やいだ雰囲気に包まれます

「庚申山」のハイキングコースはいくつかありますが、どの道も自然が残されていて、今からの時期、落葉を踏みしめて歩くのが何とも心地よく感じます

道沿いの雑木林の中には野鳥の飛び交う姿が見られ、時に聞こえるさえずりに心が和み、爽快な気分に浸れました

      庚申山総合公園・ヒョウタン池 晩秋   ( 向かって左手前 ; 桜の樹 ・・・ 芽が膨らみ始めていました )

       池の縁で、休む マガモ ・・・ 今年はまだ数は少ないようです。 これから集まってくるのかな!?

 「庚申山」は気軽なハイキングのほか、麓の公園を散策もできるし、テニスコートなどもあり、老若男女を問わず、日ごろの体力づくりや憩いの場などとして利用するのにまさに最適なところです

「ぐんまの百名山」を選定するのに幾つかの選定対象を作ったと上述しましたが、他の選定内容をネットで調べたので以下書き足しておきます

   複数の峰をもつ山については、全体を総称する山で選定し、個々の峰は対象外とされました ・・・  赤城山 草津白根山 榛名山 妙義山 など

  丘陵地であったり標高が高くなくても、地域の人々から親しまれている身近な山 ・・・  金山 観音山 庚申山 桜山 戸神山 など

  信仰の対象として、あるいは古跡や伝説を有するなど、私たちの暮らしや産業に密接に関わってきた山 ・・・  笠丸山 迦葉山 鉱石山 子持山 物語山 温泉ヶ岳 など

  地元の人々が自らの手で整備し、大切にしている山 ・・・  荒神山 茶臼山 など

  県内外から登山客が訪れるなど、広く親しまれている山や本県を象徴する山  ・・・ 赤城山 草津白根山 谷川岳 日光白根山 榛名山 妙義山 など

  登山禁止や登山道がない、あるいははっきりしない、難路であるなどの理由により人々を容易に近付けない山も、その姿や豊かな自然に着目して選定の対象にした山 ・・・  浅間山 阿能川岳 御飯岳 景鶴山 四郎岳 高間山 日暮山 など

抜け落ちているところもあるかもしれませんが、全然行ったこともないところもあり折を見て巡ってみたいものです

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群馬県立自然公園・群馬の森を散策してきました・・・晩秋いや初冬かな

先日、久しぶりに群馬県立自然公園・「群馬の森」に行って来ましたので、報告です

12月に入り、大雪(だいせつ:今年は12月7日)間近のお天気の日に何となく散歩したくなって、車を走らせてきました

まだまだ園内は紅葉が一杯残っていました

初冬なのですが、気候は晩秋と云えそうです

今年は近来にないエルニーニョ現象が起っているそうで、典型的に暖冬傾向のようです

散策路をゆっくり歩きながら、遅い秋を堪能しました

        黄色の芝生広場   ( 向かって正面 ; 近代美術館 、 右 ; 歴史博物館 ・・・ 改修中でした )

黄葉したケヤキの葉が一杯降り積もり始めていました

散策路の横には、錦木の綺麗な紅葉が見られ、パチリ !!です    

    錦木 の枝アップ( 枝の翼から紅葉が出ていました)        錦木の紅葉

 

園内各所に彫像が見られます

   モミジの紅葉 (向かって左手前; 石の像 ・・・ベンチではありません)   子供とヤギの像 ・・・ 右手もモミジの紅葉です

 

園内奥には、落葉樹の落ち葉がびっしり降り積もって、絨毯のようになっていました 

散策する人があっちこっちに訪れて、夫々に紅葉を愛でたり、何かを観察したりと楽しんでいました

   園内には、ダイナマイト碑といった珍しい記念碑がありました      大きなイチョウの樹の下で、老夫婦がギンナン拾いをしていました

 

園最奥の群馬の森・景勝地です   

ツバキの花が咲き、クルミやカシの樹の葉が散り積もり、ここは晩秋というより初冬を感じました

池には鯉が悠々と泳いでいました

  

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初冬を迎えた多胡の古碑 ・・・ 大河ドラマ「花燃ゆ」で話題の楫取素彦の業績です

秋も深まり、立冬も過ぎて最早冬に入ったようです

先日車を走らせ、高崎・吉井いしぶみの里公園にある「多胡の古碑」を見に行ってきました

何度か見に来たことのある「多胡の古碑」ですが、何となく足が向きました

今、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台は群馬の明治時代・絹糸産業が日本の産業を担うところを描いています

ドラマ「花燃ゆ」は幕末から明治維新にかけての激動の時代・吉田松陰の末妹で後に久坂玄瑞の妻になった主人公・杉文(後の楫取美和子)を中心に、松下村塾の弟子たちの人間模様を織り交ぜながら描いたもののようです

楫取美和子の後夫・楫取素彦は、吉田松陰の盟友で、松陰の跡松下村塾の塾長となり、幕末維新を藩士として奔走しました

維新後、新政府の地方官、熊谷県令(知事)を経て、明治9年群馬初代県令になり、絹産業を筆頭に教育・文化財保護などに先駆的な事業をなし、近代群馬の基礎を築いたと云われています

特に、楫取素彦の先見性は卓抜していたとみられ、県民の教育、文化振興に力を入れる事によって、群馬は先進的教育環境が実現され、全国屈指の教育県として発展、多くの人材を輩出していくことになりました

 よく知られる人物として、昭和天皇の侍従長・後に終戦時の内閣総理大臣となった鈴木貫太郎は、父親が教育県となった群馬に学問を覚えさせるために千葉県野田から移り住んだそうであります

近年に至っても群馬は、中曽根康弘、福田武雄、小渕恵三といった総理大臣を輩出して次代を担ってきていますが、そんな素地も楫取素彦の功績かもしれません

楫取県令の行った業績の中で、文化財の保存行政があります

楫取県令は群馬県が古代に「毛野国(けのくに)」として栄えていたことを示す史跡である古墳の保存、さらに「上野三碑 」(多胡碑・金井澤の 碑・山上の碑)の保護にも努めました

「多胡碑」については、碑の拓本を中国人書家・楊守敬に与え、碑文がその著 『楷法遡源』に登載されて、(「多胡碑」は)書道的名声を博するに至りました

これらの事は教育振興と同様、群馬県人に誇りと郷土愛を持たせるためであったとみられます

       吉井いしぶみの里公園内の「 多胡碑覆屋 」 ・・・  ケヤキの落ち葉で一杯でした  ( 右奥の廟内に、多胡碑があります)

 「多胡碑は、和銅4(711)年に多胡郡(現在の吉井町と山名町を中心とする地域)が設置されたことを記念して建てられた石碑です

栃木県大田原市にある「那須国造碑」と宮城県多賀城市にある「多賀城碑」とともに日本三古碑と呼ばれています

因みに、上野三碑の内の他の二碑の設置年次は、山上碑(681年)、金井沢碑(726年)です

「多胡碑」は、吉井町南部で採れる牛伏砂岩を加工してつくられており、笠石・碑身・台石から構成されています

碑文は6行にわたって80文字が楷書体で刻まれ、その内容は、『和銅4年3月9日に片岡郡・緑野郡・甘良郡から300戸を分割して、新たに多胡郡を設置した』ことが記されています

同様の記述は『続日本紀』にもみられるそうです

多胡郡の設置の背景については、当時の律令国家がすすめていた蝦夷政策との関わりや地域の勢力バランスの是正などが指摘されていると考えられています

         多胡碑覆屋 外観 ・・・  正面のイチョウの黄葉がきれいです

 「多胡碑」の保護の面では、明治15(1882)年県令・楫取素彦が内務省にかけあって木柵等の修理をおこない、さらに地元の有志に、寄付を募って多胡碑のある稲荷明神社周辺の土地を買収して整備するよう助言し、自らも寄付をおこないました

こうした人々の努力によって、多胡碑は保護され、現在もその姿をみることができています

訪ねたこの日も、ボランテアの人なのか、落ち葉の整理をしている人たちが来ていました

黄葉したイチョウの樹の下に、楫取素彦の詠んだ歌碑がありました      向かって左画像; 歌碑 、右画像; 歌碑説明

  

歌碑に刻まれていた歌は

   『  浮草の  うちに埋もれし  石文の  世にめづらるゝ  時は来にけり  』     ( 楫取素彦 )

   吉井いしぶみの里公園芝生広場にある古墳 ( 向かって右: 南高原1号古墳(墳径17mの円墳 、左手前端: 粘土槨古墳(5世紀始) )

 古墳周囲の紅葉の色どりはとても綺麗です

今年は温かいせいか今が平野部では紅葉の旬なのでしょうか!?

 

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群馬・榛名山麓の紅葉を見てきました ・・・ まだまだ見頃です

群馬の秋はまだまだ見ごろです

榛名山の山々は大分秋が深まってか全山錦を飾ってきています

榛名山麓にある「県立伊香保森林公園」~渋川市「上の山公園」に行って来ました

「伊香保森林公園」は、伊香保町の南西にそびえる二ツ岳(雄岳・雌岳)を中心とした東西約2.9km、南北約1.9kmに及ぶ史跡や景勝に富んだ自然植生に恵まれた緑豊かな県立森林公園です

そして森林公園の端部にあたるところに、伊香保温泉街から伸びるロープウェイ山頂「見晴らし駅」周辺に、周囲の山並みを見渡せる展望台が造られています

ここは渋川市の「上の山公園」と呼ばれています

      「上の山公園」入口 の紅葉    ( カラマツが黄葉始まっていました ) 

 「上の山公園」に分け入ると、びっしりと敷き詰められた紅葉落ち葉のじゅうたんです

ふかふかとした山路を踏みしめて上がると、見晴らし展望台へと続いていました

  

 展望台には「輝望の鐘」と呼ばれる鐘がありました

恋人たちが来ては鐘を鳴らして、幸せを祈るのだというのですが、一人できた人は鳴らしてだめなのかなとひょっぴりひがみかな!?

       「輝望の鐘」 越しに見える二つ岳  (向かって右: 雌岳 、左: 雄岳 ) 

 展望台からの眺めは絶景でした

残念ながら前日まで雨だったので、ガスがかかったようで遠くまでは見通しがききませんでした

       榛名山麓一帯景   (向かって右奥は、お天気ならば日光白根が見えるようなんですが・・・ 向かって左: 赤城山系 )

 

    展望台からみた正面: 「子持ち山」                  渋川公園からモミジ越しにみた 「 子持ち山 」

  

 展望台で眼をめぐらせると、子持ち山の向かって左手には、「小野子山」の山容が見えます   

 奥には水上の山々が連なり、お天気良ければその奥には、谷川の冠雪姿が見られるはずです

 「上の山公園」・見晴展望台「ときめきデッキ」から望んだ周辺の山々、眼下に広がる温泉街から市街地の眺めは絶景でした

惜しむらくは谷川、穂高、日光白根といった名山が見えなかった点です

帰り、渋川市総合運動公園を廻ってきました

運動場の紅葉は見事でした

       運動場から紅葉越しに見た 「 水沢山 」

     運動場の法尻にみた錦秋                     総合運動公園の野球場に向かう舗道もモミジバフウで一杯でした 

 

       渋川総合運動公園、陸上競技場周囲の紅葉 ・・・ 今が盛りです

 

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今日はブログ創刊丸9年経ちました ・・・ 群馬・榛名山「沼の原」の錦秋報告です

今日は、ブログを始めて丸9年になりました

よくまあ続いたと我ながら感心してます

とは言え、最近は休むことが多くなりました

ここまで来たら、毎日の書き込みは無理でもなんとか10年継続を目標にもう少し頑張らねば・・・ 

 


 

昨日に続いて・・・群馬・榛名山の錦秋を紹介します

榛名山一帯は県立榛名公園となっています

公園区域は、榛名山頂の榛名湖を含む395ヘクタールで、おおむね榛名山外輪山の内側・カルデラ部分です

即ち榛名公園は、榛名カルデラ公園と云えそうです

「 カルデラ」とは、火山の活動によってできた大きな凹地のことをいい、「釜」、「鍋」という意味のスペイン語に由来しています

 カルデラ中央はカルデラ形成後にできた中央火口丘の榛名富士ができ、足下に満々と水をたたえた火口原湖の榛名湖・その東には、火口原の「沼ノ原」が広がっています

 「沼の原」はかっては「沼の原湿原」と呼ばれていたようですが、年々草原化が進み、現在は湿地帯の面影はなくなってきています 

「沼の原」を散策してきました  ・・・ 沼の原の散策路は、「ゆうすげの道」と名付けられ、人気の遊歩道です

         「沼の原」遊歩道・「ゆうすげの道」 入口   ( 向かって正面 : 榛名富士 ・・・ 山頂にロープウェイが見えました ) 

散策した『沼の原』は、秋一杯でした

でも、湿原ではなく、草原化が進み、すっかりススキの原に変わってきていました

沼の原植物群としてみられた亜高山植物が、これから少なくなっていくのでしょうか!?

       「沼の原」の秋風景 ・・・ ススキの穂波がたわわになびき、草紅葉の赤さも混じって秋の深まりを感じました

    ススキの穂波の中、「ゆうすげの道」 が続きます      「ゆうすげの道」から見た 「榛名富士」

 

   草紅葉化したトウダイグサ                  草ラッキョウの花 

 

     ワレモコウの紅葉                     テンナンショウの実 ・・・ 黒く種子ができていました

 

「 沼の原」周囲の山々は、紅葉一杯です

       沼の原から見た 榛名外輪山・「相馬山」 です ・・・ 褐色に紅葉した広葉樹の樹林が山肌を綺麗に包んでいました

 今年は例年より秋の深まりが早いような気がします

地球規模の温暖化のせいなのでしょうか!?

年々の進行でない事を祈りたくなりました

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群馬・榛名山で、榛名湖錦秋を楽しんできました

数日前(10月24日)、紅葉情報をテレビで見ました

今年は秋の深まりが例年より早いらしく、丁度群馬・榛名山が今紅葉が見ごろと報道がされていました

矢も楯もたまらず、早速車  を駆って、産直を買い物に廻りながら行ってきました

私と同様情報通の人が多いとみえ、関越道・伊香保・渋川ICは10時現在で渋滞が始まる騒ぎです

渋滞を避けて、高崎から県道を通って中之条をまわり榛名山頂を目指してきました

榛名山は群馬の中で赤城山、妙義山と並んで上毛三山の1つに数えられる名山です

山頂にはカルデラ湖である榛名湖とカルデラ内にできた榛名富士があります

毎年秋になると、カエデ、モミジ、ヤマウルシ、カラマツ、桜などが鮮やかに色づき、山全体が紅葉で装われます

湖畔周遊道路を走って、紅葉を堪能してきました

      湖岸から「榛名富士」をみました   

紅葉した「榛名富士」が湖面から浮き上がるように見えました

今、榛名湖では、錦秋開始です

    湖岸から、見た「榛名湖畔温泉」 ( 向かって 右手前 : 『榛名富士』 、榛名富士の陰に、『烏帽子が岳』、その左手に、『鬢櫛山』があります

カルデラ湖・榛名湖を、紅葉した榛名山々がぐるりと取り巻いていました

湖岸の紅葉は、湖面に映えています

湖面には多くの釣り船が、糸を垂れ、秋たけなわを楽しんでいます

 

   散った紅葉が波に打ち上げられています                  向かって右は、湖岸に建つホテル、 正面 : 『天目山』 かな

       榛名湖畔温泉ゆうすげの湯近くの紅葉越しにみた 「烏帽子ヶ岳」   ( 向かって右下奥 : ゆうすげの湯温泉 )

      榛名湖畔温泉・ゆうすげの湯 近くの紅葉です 

     多色に色づいた紅葉(モミジ)                 『 山の日に 染め上げられし 赤とんぼ 』  の碑がありました

 

       榛名湖畔温泉・ゆうすげの湯前からみた対岸の 『 鬢櫛山 』 紅葉  ( 向かって右 : 湖岸レストラン )

    湖面に浮かぶ白鳥号                           向かって正面 奥 : 『 掃部ヶ岳 』 

 

 

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群馬・安中にある「安中教会」を見てきました

先だって群馬・安中に所用があって行って来ました

その折、安中教会近くを通ったので、車を停めパチリ!!してきました

今、NHK大河ドラマ・『花燃ゆ』で、群馬が話題になっています

『花燃ゆ』は、主人公・文(後、美和と改名)が、幕末の思想家長州藩士・吉田松陰の妹で、松陰の友・「楫取素彦(かとりもとひこ)」と再婚し、夫を支える生涯を描いたドラマです

『楫取 素彦』は、維新後、中央政府に請われ、明治5年(1872年)に足柄県参事、明治7年(1874年)に熊谷県権令、明治9年(1876年)の熊谷県改変に伴って新設された群馬県令となりました

尚、改変前の熊谷県とは 明治六年に入間県(埼玉県)と群馬県を合わせて誕生した大県でした

『素彦』は前橋に県庁を正式移転し、県内の農産業発展に大きく貢献しました

特に日本の産業維新の中心ともなったと云われる絹産業に力を入れ、日本外貨獲得に大きく寄与しました

楫取素彦が群馬・前橋に現れた頃、群馬・安中には、アメリカからキリスト教主義の学校設立のために新島襄が帰国、伝道を始めています

因みに、新島襄は1864年函館から海外脱出、1874年帰国、安中で3週間ほど滞在し、藩校・造士館と龍昌寺を会場にキリスト教を講義した結果、30人の求道者がでて、以降研究会が続いて、1878年安中教会設立の運びとなりました

安中教会は日本人の手によって造られた群馬県最初の伝道拠点です

        安中教会正面  ( なんとなく教会に似つかわしくない和風看板でした )

教会内には予約をしてないと入れないので、教会周囲から建物をパチリ!!してきました

安中教会は旧中山道の古い町並みの中に、木々の緑に囲まれた閑静な佇まいを見せていました

石造りの重厚な礼拝堂は、周囲の景観にやわらかく寄り添い合うかのように建ち続けて、歴史を経ても、今も新島襄を初めとする「開拓者の精神」が息づいているようです

安中教会の礎は、有田屋当主湯浅治郎の私設図書館「便覧舎」において礼拝がとり行われていました

1919年新島襄召天30周年を記念して、現在の安中教会教会堂(新島襄記念堂)が建設されました

以来100年近く安中教会の礼拝は守られています

 

          安中教会・新島襄記念会堂 (東正面) ・・・ 塀越しに見たので、碑や樹木の障害がありました

中に入ってのシャッターではないので、どれがどれかは分かりませんが、説明を見ますと・・・

大谷石造の建造は、F・L・ ライト設計の帝国ホテル(大正12年竣工)の5年前で、設計者古橋柳太郎と安中教会礼拝堂の建築史上の意義が高く評価できるとされています

礼拝堂のデザインは、基本的には外観をゴシック様式とし、石造の壁体に控壁(バワトレス) を入れて分節を行い、正面玄関左に鐘塔を配置しています

尚、内部は天井をロマネスク風に円筒ヴォールトとし、身廊と側廊の間には列柱を設けず、会堂を広く見せる工夫がされているそうです

身廊と祭壇部との境にも大アーチをつくらず、祭壇までヴォールトを延長して一体化し、ヴォールト端部を2本の石柱(茨城産の大理石)で受けて祭壇に変化をつけるなど見事な手法がみられ(東海大学建築学科の調査による)といわれています

なお現在の屋根は銅板葺に改められているようです

新島襄記念会堂(登録上は「安中教会教会堂」)、及びその関連施設である温古亭、義円亭、牧師館は、その建築上の歴史的な意義が認められて、2004年に登録有形文化財になりました

        教会南方から塀越しに見た礼拝堂   ( 向かって右手 : 鐘楼です )

明治以降の時代激変が様々な形で、何気ない群馬で見る事が出きました

大河ドラマを歴史的に見ると、身近なせいか面白いなと感じています

 

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群馬・「鼻高展望花の丘」は花一杯  その2

昨日に続いて・・・ 

「鼻高展望花の丘」で見つけた花の群落は、千日紅と、ラベンダーセージです

一体何本植えられているのでしょう

丘一面とはいかない広さですが、びっしりと色々の花が重なり合って咲いていました

その中で、千日紅の花はなかなか見ごたえありました

      「展望花の丘」一面に咲く花々  ( 向かって正面 手前 :千日紅 、向こう :マリーゴールド 、奥 : ラベンダーセージ 、右奥 :キバナコスモス )

千日紅は、 熱帯アメリカ原産のヒユ科 センニチコウ属の一年草です

初夏から晩秋(=7~11月)まで、次々と枝分かれする細い茎先に、紅紫やピンク、赤、白などの苞(ほう)が球状に集まり、小さな苞に包まれて小花が咲きます

草丈は40~50cm・花持ちが長いことから仏花として好まれ、その永さは「百日紅」の別名をもつサルスベリ(猿滑)よりも、さらに永く花の色を失わないといわれたことから千日紅と名付けられたそうです

 江戸時代の中期には既にドライフラワーとして利用されたという記録もあるといいます ・・・ ドライフラワーとしても、色あせ少なく、千日(➝3年以上)以上は大丈夫という訳です

咲く期間が長く季節感がはっきりしませんが、俳句の季語では夏です

誕生花としては、9月15日です

       千日紅の群落 ( 茎のてっぺんにポンポン玉の様に花咲いています )

 千日紅の葉は互生し、葉の形は楕円で先が尖り、縁にぎざぎざ(鋸歯)はありません(=全縁)

 前述しましたが、花は、茎先にボンボンのような丸い花(頭花)をつけます

花のように見え丸い部分は苞(花のつけ根につく葉の変形したものが発達したものです

アップしてパチリ!!しました          ・・・ 何とも変わった花形と云えますが、とても優しい花形に感じます

  

 千日紅の 花言葉は、「 不朽不死 」、「 不滅 」、「 変わらぬ愛 」、「 永遠の恋 」、「 永遠に安全 」、「 情の豊かさを無くさない 」   です

花言葉は花期が長く、風通しのよい日陰で逆さにしてつるしておくと、簡単にドライフラワーになり、乾燥しても美しい花色を保つことからつけられています

カサカサした紅色の花弁(苞)は色あせずに長く残ることからもうなづけます


千日紅の向こうに、ラベンダーセージの群落がありました

ラベンダーセージは、シソ科サルビア属で、耐寒性多年草です

ブルーセージ(サルビア・ファリナケア)とサルビア・ロンギスピカタとの人工交雑種だそうで、花穂の様子がラベンダーに似ていることから名づけられました ・・・ 即ちブルーサルビアの園芸品種です

草丈は、1.2mほどになり、4~11月ごろまで鮮やかな青紫色の花を咲かせます

長い花穂が伸びて、空に向かって濃紫色の花が咲く様子は、私には悠々性が感じられ心が豊かになります

       ラベンダーセージの 群落 

 

 ラベンダーセージ の花言葉は、 「 家庭的 」   です

 

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「鼻高展望花の丘」の花達を見に行ってきました ・・・ コスモスが盛りでした

 先だって、群馬・高崎にある「鼻高展望花の丘」を覗いてきました

 立ち寄り見物だったのが残念!!

「展望花の丘」は、高崎市街地西部、鼻高町の丘陵地につくられた展望公園で、特に展望台はありませんが、眺望はとても優れています

公園では一年を通して色とりどりの花が咲き、上毛三山を見渡す素晴らしい景観と合わせて楽しむことができる地となっています

「鼻高展望花の丘」には、車では関越自動車道前橋IC、高崎ICより約30分、電車では、JR高崎線高崎駅下車・バスで約30分、タクシー約25分、JR信越線群馬八幡駅下車ではバス約30分、タクシー約15分で行けます

訪れた時は秋の花の代表コスモスが咲き乱れていました ・・・ 「鼻高展望花の丘」のコスモスの見頃時期は毎年だいたい9月中旬~10月中旬頃となっています

コスモスは、「秋桜」と書き、落ち着いた色合いの多い秋の自然色の中で、その鮮やか彩る様は目を引く存在といえます

コスモスは、メキシコを原産地とするキク科コスモス属の総称で、日本には明治20年頃に渡来し、秋の季語として親しまれるようになりました

           「展望花の丘」でさく コスモス  ( 向かって正面 赤城山系 ・・・ あいにくのくもり空で霞んでいたのが残念   )

 

 コスモス(Cosmos、Kosmos)とは、ラテン語で宇宙や秩序を意味する言葉です

コスモスの規則正しい花びらの並びや、野原に群生する色とりどりに咲くコスモスから、宇宙の星座のような秩序さを感じ取ったのかもしれません

風の流れる中、ゆったりした素振りで揺れる様はとても優美です

    色さまざまに咲く コスモス                         色さまざまに咲く コスモス

  

コスモスの綺麗さ可憐さから、花言葉は優雅な言葉が生まれています

コスモスの一般的な花言葉は、「乙女の純潔」、「乙女の真心」、「美麗」、「調和」、「謙虚」です

更に、花の色によって花言葉が変わります

因みに、色別に花言葉を分けますと・・・ (ネットから探した花言葉説明で、受け売りです)

・ピンク・白色のコスモスの花言葉 : 「 純潔 」、「 愛情 」、「 優美 」

 最もコスモスらしい色合いのピンク、白は清らかさを感じさせ、愛する女性へのプレゼントをはじめ、娘から母へ、あるいは母から娘へ贈る花としても良いのではとされています

・赤・紫色のコスモスの花言葉 : 「 愛情 」、「 調和 」

 赤や紫色のコスモスはピンクや白よりも強い愛情を表す感じであり、男性から女性へ贈る花としては、こちらの方がストレートな気持ちが出ているのでは

・オレンジ色のコスモス(キバナコスモス)の花言葉 : 「 野生的な美しさ 」

オレンジ色は、野性的で、自然な美しさを感じますから、ピンクや白の可憐さに比べると、活発なイメージでしょう ・・・ 但し黄色は品種改良で生まれた人工コスモスだそうです

・茶褐色のコスモス(チョコレートコスモス)の花言葉 : 「 恋の終わり 」、「 恋の思い出 」

 コスモスの原種は絶滅したそうですが、色は濃い茶褐色だったそうで、ほのかな香りもするそうです

 そんなところから悲しさ、寂しさを感じさせる色合いと云えるようです

 この色のコスモスは、恋人が何も知らずに相手に贈ると勘違いされてしまうかもしれません

  

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