日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
アルテルナンテラの葉の真紅がとってもきれいでした
先だって近くの花屋さんを覗いたら、真紅にも見える葉色のポット苗がびっしり並んで売られていました
挿された名札には、アルテルナンテラとありました
アルテルナンテラには、色々な品種があり、水草にもこの名の植物があるようです
ポットの植物は、正式名アルテルナンテラ・フィコイデア、流通名・アキランサス(この名は誤用らしいです)、学名ではテランセラといい、ブラジル原産のヒユ科多年草です
和名ではモヨウビユの名があるようですが、名の通り秋に赤や黄色に美しく葉が色づきます
やや寒さに弱いようでそのまま屋外での冬越しは寒地では難しいようです
彩りの綺麗さは樹木の紅葉とは違って、「草紅葉」として秋を彩る花壇として人気が出ているそうです
利用の仕方は、花壇の縁取りに用いたり、草丈が低く葉が密に茂る性質を利用して苗を密に広く植えて、花の絨毯(正確には葉ですが)を演出したりされるようです
背丈は10~20cm程度に収まり、寄せ植えにも用いやすいともされています
深紅色の葉色のアルテルナンテラ ・・・ 陽射しに映えて何とも綺麗でした
アルテルナンテラの名前は、「アルテルノ(交互につく)」と「アンテラ(葯-やく-)」からなり、「交互につく葯」という意味です
これは雄しべの付き方に由来しているそうです
花の開花期は9~10月だそうですが、ポット苗なので売り場では分かりませんでした
アルテルナンテラの 花言葉は、「 変身 」 、「 燃え上がった情熱 」 、「 熱するとさめる恋 」 だそうです
紅く色づいた葉の形が燃え上がるように見えたり、秋には燃え上がるような葉の鮮明さが、霜の降り出す頃は葉色がすっかり黒ずむことから言われた言葉のようです
今年もジョウビタキがやってきました・・・でも彼から彼女に変わってました
庭をふと見たら、ジョウビタキが飛び回って餌さがしをしているのを見かけました
ジャングルのようなわが庭には、野鳥にとって餌場に適しているのか色々の鳥たちが季節に応じてやってきます
今の時期は、真っ赤に生っていたハナミズキの実が、「ムクドリ」と「ヒヨドリ」によってすっかり食べ終わりました
次は熟れてきた柿の実です
渋柿なので沢山生ったままにしていたせいか数日前「ムクドリ」が大量に押しかけ食い散らして去っていきました
そんなうるさかった日が過ぎて、静かさが戻った庭にちょっと変わった小鳥がやってきました
コガラとジョウビタキです
コガラはあっという間に飛び去ってしまいパチリ!!できませんでしたが、ジョウビタキはじっくり木に留まって、様子見していました
ジョウビタキはスズメ目、ツグミ科に分類される小鳥で、日本では冬によくみられる渡り鳥です
チベットから中国東北部、沿海州、バイカル湖周辺で繁殖し、非繁殖期は日本、中国南部、インドシナ半島北部へ渡りを行い越冬します
日本では身近な冬鳥として全国に渡来します
韓国では留鳥です
柿の樹枝に留った「ジョウビタキ」 ・・・ メス ( 手前の青枝は、バラ
「ジョウビタキ」の名は、「ジョウ」は「尉」で銀髪のこと、「ヒタキ」は「火焚」で、火打石をたたく音に似た音を出すことを合わせた名前です
因みに、地鳴きは自転車のブレーキ音を短くしたような声で、「ヒッ」や「キッ」と聞こえる甲高い声と軽い打撃音のような「カッ」という声を組み合わせた特徴的なものです
とはいえ、マイ庭ではあまり聞いた事がありません
「ヒッ」の声はかなり遠くまで届き、早朝にも鳴くことが多く、2度「キッ、キッ」、続いて打撃音の「カッ、カッ」がくるというのですが ・・・
別名では「モンツキドリ」とよばれています
この呼び名は、翼にある白い斑点をキモノの紋に見たてたもので、ときどきぴょこんとおじぎをして尾をふるわせる姿は、かわいく見えます
「ジョウビタキ」は全長15cmほど、オスは頭が銀白色、顔は黒色、腹は赤茶色をしており、メスは体が灰色味のある茶色で、翼に白斑があります
マイ庭に訪れた「ジョウビタキ」は雌鳥のようです
実は去年まで来ていたのは、雄の「ジョウビタキ」 でした
あの雄の「ジョウビタキ」はどうしたのでしょうか!?
鳥の寿命は調べた事がないのでよく分かりませんが、同様の野鳥が毎年来ると、結構長生きなのかなと思っていました
あっちをむいたり、こっちをむいたり、下におりて何かをついばんだり・・・
今年から君が、いやあなたがここの住人ですか!?
「ジョウビタキ」 ・・・ 留まっているのは、ハナミズキの枝
「ジョウビタキ」は通常平地からの低山の明るく開けた林の中に生息しますが、冬は人里や都市部の公園などでもよく見られ、とても身近な冬鳥です
非繁殖期はオスメスともに単独生活を行い、それぞれ縄張りを作って同種を排斥する習性があるそうです
人に対する警戒心は割に薄いようですが、異性個体に対しては激しく攻撃を加えるといいます
食性は昆虫類や蜘蛛を捕食だけでなく、ピラカンサなどの木の実も食べます
今の時期はマイ庭には柿の実が多くなっていますが、柿を食べている姿はまだ見ていません
繁殖地では4~5月頃、樹洞、崖のくぼみなどに枯葉や苔を使って皿状の巣を作ります
5~7個の卵を産み、主に雌が抱卵し、雛は、雌雄して育てます
今まで来ていた雄の「ジョウビタキ」と君はどうやって交代したのかな
それとも彼はまだ元気で、繁殖地に戻った時また出会うのかな
初冬を迎えた多胡の古碑 ・・・ 大河ドラマ「花燃ゆ」で話題の楫取素彦の業績です
秋も深まり、立冬も過ぎて最早冬に入ったようです
先日車を走らせ、高崎・吉井いしぶみの里公園にある「多胡の古碑」を見に行ってきました
何度か見に来たことのある「多胡の古碑」ですが、何となく足が向きました
今、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台は群馬の明治時代・絹糸産業が日本の産業を担うところを描いています
ドラマ「花燃ゆ」は幕末から明治維新にかけての激動の時代・吉田松陰の末妹で後に久坂玄瑞の妻になった主人公・杉文(後の楫取美和子)を中心に、松下村塾の弟子たちの人間模様を織り交ぜながら描いたもののようです
楫取美和子の後夫・楫取素彦は、吉田松陰の盟友で、松陰の跡松下村塾の塾長となり、幕末維新を藩士として奔走しました
維新後、新政府の地方官、熊谷県令(知事)を経て、明治9年群馬初代県令になり、絹産業を筆頭に教育・文化財保護などに先駆的な事業をなし、近代群馬の基礎を築いたと云われています
特に、楫取素彦の先見性は卓抜していたとみられ、県民の教育、文化振興に力を入れる事によって、群馬は先進的教育環境が実現され、全国屈指の教育県として発展、多くの人材を輩出していくことになりました
よく知られる人物として、昭和天皇の侍従長・後に終戦時の内閣総理大臣となった鈴木貫太郎は、父親が教育県となった群馬に学問を覚えさせるために千葉県野田から移り住んだそうであります
近年に至っても群馬は、中曽根康弘、福田武雄、小渕恵三といった総理大臣を輩出して次代を担ってきていますが、そんな素地も楫取素彦の功績かもしれません
楫取県令の行った業績の中で、文化財の保存行政があります
楫取県令は群馬県が古代に「毛野国(けのくに)」として栄えていたことを示す史跡である古墳の保存、さらに「上野三碑 」(多胡碑・金井澤の 碑・山上の碑)の保護にも努めました
「多胡碑」については、碑の拓本を中国人書家・楊守敬に与え、碑文がその著 『楷法遡源』に登載されて、(「多胡碑」は)書道的名声を博するに至りました
これらの事は教育振興と同様、群馬県人に誇りと郷土愛を持たせるためであったとみられます
吉井いしぶみの里公園内の「 多胡碑覆屋 」 ・・・ ケヤキの落ち葉で一杯でした ( 右奥の廟内に、多胡碑があります)
「多胡碑は、和銅4(711)年に多胡郡(現在の吉井町と山名町を中心とする地域)が設置されたことを記念して建てられた石碑です
栃木県大田原市にある「那須国造碑」と宮城県多賀城市にある「多賀城碑」とともに日本三古碑と呼ばれています
因みに、上野三碑の内の他の二碑の設置年次は、山上碑(681年)、金井沢碑(726年)です
「多胡碑」は、吉井町南部で採れる牛伏砂岩を加工してつくられており、笠石・碑身・台石から構成されています
碑文は6行にわたって80文字が楷書体で刻まれ、その内容は、『和銅4年3月9日に片岡郡・緑野郡・甘良郡から300戸を分割して、新たに多胡郡を設置した』ことが記されています
同様の記述は『続日本紀』にもみられるそうです
多胡郡の設置の背景については、当時の律令国家がすすめていた蝦夷政策との関わりや地域の勢力バランスの是正などが指摘されていると考えられています
多胡碑覆屋 外観 ・・・ 正面のイチョウの黄葉がきれいです
「多胡碑」の保護の面では、明治15(1882)年県令・楫取素彦が内務省にかけあって木柵等の修理をおこない、さらに地元の有志に、寄付を募って多胡碑のある稲荷明神社周辺の土地を買収して整備するよう助言し、自らも寄付をおこないました
こうした人々の努力によって、多胡碑は保護され、現在もその姿をみることができています
訪ねたこの日も、ボランテアの人なのか、落ち葉の整理をしている人たちが来ていました
黄葉したイチョウの樹の下に、楫取素彦の詠んだ歌碑がありました 向かって左画像; 歌碑 、右画像; 歌碑説明
歌碑に刻まれていた歌は
『 浮草の うちに埋もれし 石文の 世にめづらるゝ 時は来にけり 』 ( 楫取素彦 )
吉井いしぶみの里公園芝生広場にある古墳 ( 向かって右: 南高原1号古墳(墳径17mの円墳 、左手前端: 粘土槨古墳(5世紀始) )
古墳周囲の紅葉の色どりはとても綺麗です
今年は温かいせいか今が平野部では紅葉の旬なのでしょうか!?
ベニシタンに真っ赤な実がつきました
先週ですが、買い物ドライブで産直周りをした折、途中花木センターを見かけて立ち寄って来ました
庭木や盆栽が花木棚に沢山並んでいましたが、私の目を引いたのは、「ベニシタン」の果樹盆栽です
「ベニシタン」はバラ科シャリントウ属・ 中国原産で、昭和初期に渡来した小低木です
暖地では常緑ですが、寒地では落葉樹です
庭木や盆栽などとして栽培され、背丈が1m程しかなりません
枝は水平に地上を這うように伸びます
真っ赤な実をつけた「ベニシタン」の果樹盆栽
「ベニシタン」は、「紅紫檀(ベニシタン)」と漢字では書きます
中国名では、「平枝枸子」という漢字があてられるようです
「ベニシタン」の名の由来は、材の色素サンタリンが、羊毛を紅く染める染剤であり、さらに材が「紫檀(したん)」に見たてられたことからつけられたと云われています
「ベニシタン」の増やし方は容易で、実生や挿し木で増やすことができ、庭木、盆栽、鉢植え、茶花などに利用されています
枝は横に這うように長く伸長し、よく分岐し、濃緑の小葉は光沢があります
葉は革質で艶があり、幅の広い卵形をして、2列に互生しています
枝に沿って淡い紅色の花をつけますが、花は全開はしません
花は5~6月咲き、葉腋から咲く花は、淡紅色~白色の直径約6mmの5弁花です
花後にできる果実は球形で直径約5mm、秋に鮮紅色に熟して小枝に鈴なりにつき、中に淡褐色で扁平の種子が2個入っています
「 ベニシタン 」 の実物盆栽
「ベニシタン」は実物盆栽の中では、割りに造りやすい盆栽のようです
仕立て方は、自然樹形で単幹仕立て、多幹仕立てにするのがおおいようです
植える時期は、開花前の2~3月が適期ですが、晩秋の11月頃にもできるそうです
植え替え地は、水はけがよく、しかも保水性のある肥沃地が適地です
もし植える場所の土質が適していない場合は、砂質土に腐葉土を2割くらい混ぜ排水をよくしておけば大丈夫だそうです
耐寒性、耐暑性、耐潮性があるので、全国どこでも植栽することができると聞きました
剪定は、休眠期(2月)に枝をかなり切り詰めてもよく開花します
隔年結実の習性があり、今年に開花、結実の多かった枝からは、翌年ほとんど新梢の発生は見られなくなるそうです
ベニシタンの 花言葉は、「 統一 」、 「 安定 」 です
群馬・藤岡の「道の駅ララン」で、菊花展を見てきました
ちょっと時期遅しの感が否めませんが、 先だって「道の駅・ララン」を訪ねた時、ラランの花の交流館で菊花展が開かれているのが分かり覗いてきました
毎年見ているので、やや新鮮味に欠けるのですが、なぜか開かれていると覗いてみたくなります
菊の花の季節は、一般的には10月中旬から12月中旬まで・各地で、菊の名所などでこの時期(=10月後半~11月にかけて)菊花展や、菊人形の展示、品評会など様々な催し物などが開催されます
「道の駅ララン」の花の交流館内で、菊花展 をみてきました
菊花展で展示された 管もの達
見事な菊鉢です ・・・ 幾つ花があるかわからないけど、見事な仕上げです
菊の花は綺麗で格高い感じがします
なのに仏花として別扱いされており、縁起が悪いとあまり賑々しい時には使われていません
菊の花は古来から桜と並ぶ国花として愛用され現在に至っていますから縁起悪い花だなんて思えません
死者を尊ぶに最も適した花と云えるだけの事なのが、気持ちの上でそうなってきたのかもしれません
菊の花の種類には、和菊と洋菊があり、その名の様に洋菊はヨーロッパで誕生しました
西洋では、「菊=墓前の花」とされ、死者の霊を慰めるために多く使われているそうで、この風習が、日本や中国といったアジア諸国に広がり、現在、葬祭時に菊を使用する様になったのが仏花の所以のようです
それ故、お見舞いに菊の花を贈る事は、縁起が悪いとされてタブーとなったとみられます
現在では様々な品種改良がなされ、ピンポンマムなどはその愛らしさから結婚式のブーケや髪飾りに使われたりする事も多くなりました
縁起が悪い花のイメージは払拭されてきているようです
菊盆栽です
菊全体の 花言葉は、「 高尚 」、「 私を信じて下さい 」、「 女性的な愛情 」、「 清浄 」、「 破れた恋 」、「 真の愛 」 です
花色で言葉がちがうようです
紅色菊は 、: 「 あなたを愛しています 」
白色菊は : 「 真実 」
黄色菊は : 「 破れた恋 」
群馬の道の駅で、「イルミネーション祭り」がされていました
先日、上信越道・藤岡ICにある「道の駅ララン」で、イルミネーション祭りがされていたので見てきました
一足早いクリスマスといったところのようです
「イルミネーション」とは、訳して「電飾」といい、電球、発光ダイオード、光ケーブルなどにより淡い光の光源を集め、風景・人物などをかたどり、夜間における風景などを作り出す装飾の事だそうです
日本ではクリスマスツリーなどの形でイルミネーションし観光名所などで広く見られるようになりました
最近では、観光名所だけでなく個人の民家においてもクリスマスシーズンに向けて、家の周りをきれいな電飾で飾ることが増えてきています
「道の駅ララン」には、中央にふれあい広場があり、年間通じて様々なイベントや催事が開催されています
冬の始まりで広場にある小川、噴水は止められ、代ってイルミネーションで、クリスマスを飾って眼を楽しませていました
ふれあい広場に飾られたクリスマスイルミネーション
イルミネーションの起源は16世紀にさかのぼり、宗教改革で知られるドイツのマルティン・ルターが考えたと言われます
ルターは夜、森の中でチカチカと煌く星を見て感動し、木の枝に多くのロウソクを飾ることでその景色を再現しようとしたのだそうです
夜空に光る星光はロマンの塊ですね
日本におけるイルミネーションは、1900年(明治33年)神戸沖において行われた観艦式で、夜間、各艦船が発光して海面を照らし、一大偉観を見せたことに始まるとされています
クリスマスイルミネーションの歴史を調べてみました
世界初のクリスマスイルミネーションはあの発明王エジソンが行ったという説があるそうです
1880年、エジソンは白熱球を発明したのですが、皆にその発明を知らせるため、自分の研究所の周囲に白熱球を飾り付けたのだそうです
当時の光源はロウソクの時代でしたから、見た人たちは相当に驚いたでしょうね
これが世界初のクリスマスイルミネーションと呼ばれ、現在も恒例行事として続いて来ていると云われています
光源には豆電球やムギ球が用いられてきましたが、球切れが多いことや、消費電力が多いことで、コストが高く、しかも飾り付けた樹木に、発熱によって悪影響を及ぼすことなどから普及が抑えられてきていました
近年、高出力の発光ダイオードが安価になり、耐久性や発熱面、ランニングコストが格段に改善されるようになりました
更には青色発光ダイオードや白色発光ダイオードの台頭により、色も鮮やかで多様となってイルミネーションの綺麗さは倍加されてきています
広場中央に近づいて、アップして見ました ・・・ イルミネーションのデザイン技師がいるのだそうですが、なるほどですね
こんなにも綺麗なイルミネーションですが、その光は夜空に輝く本物の星明りを弱めてしまいます
しかも過剰なイルミネーションはエネルギーの浪費にも繋がりますし、ヒートアイランド現象や地球温暖化の進行を一層促しているとも言われています
ささやかな楽しみ方としてクリスマス時期だけで我慢しよう
加えて技術的に「エコ」を重視したイルミネーションを考えていけたらいいですね
デザイン技師さんお願いしま~す
道の駅ラランには、観覧車やメリーゴーラウンド、コイン遊具があるミニ遊園地・子供広場があります
ここにある観覧車は日本一、いやもしかしたら東洋一(世界一と云いたいところですが・・・)小さいかもしれません
でも何とも恰好いい観覧車で、ラランの人気施設になっています
夜間は赤く電照されとても綺麗です
浮き上がるように見えた観覧車をみてください ・・・ 夜間は勿論止まっています
ちょっと薀蓄(うんちく)!!
夜空を飾るものに「ネオンサイン」があります
「ネオンサイン」とは単にネオンともいい、ネオン管などを使用した看板や広告などを呼びます
主に、都市部の人通りや交通量の多い大規模駅周辺や幹線道路沿いのビルの屋上や外壁に設置されて、若かりし頃夜の街の象徴でした
ところで、「ネオン」は原子番号10、原子量20.180の元素のことです ・・・ 元素記号はNeです
単体は常温常圧で、無色無臭の気体で希ガスとして2番目に軽く、ネオン管の封入気体として利用されています ・・・ 「ヘリウム」が最も軽い
封入気体にはアルゴンや水銀などの添加物をいれて、色々な色を出しています
ネオンのプラズマは電圧・電流を流すことで希ガス中で激しい光を出します
眼には赤・オレンジに見えます
観覧車の赤は気付かなかったけど、どうやって出していたのかな
群馬・榛名山麓の紅葉を見てきました ・・・ まだまだ見頃です
群馬の秋はまだまだ見ごろです
榛名山の山々は大分秋が深まってか全山錦を飾ってきています
榛名山麓にある「県立伊香保森林公園」~渋川市「上の山公園」に行って来ました
「伊香保森林公園」は、伊香保町の南西にそびえる二ツ岳(雄岳・雌岳)を中心とした東西約2.9km、南北約1.9kmに及ぶ史跡や景勝に富んだ自然植生に恵まれた緑豊かな県立森林公園です
そして森林公園の端部にあたるところに、伊香保温泉街から伸びるロープウェイ山頂「見晴らし駅」周辺に、周囲の山並みを見渡せる展望台が造られています
ここは渋川市の「上の山公園」と呼ばれています
「上の山公園」入口 の紅葉 ( カラマツが黄葉始まっていました )
「上の山公園」に分け入ると、びっしりと敷き詰められた紅葉落ち葉のじゅうたんです
ふかふかとした山路を踏みしめて上がると、見晴らし展望台へと続いていました
展望台には「輝望の鐘」と呼ばれる鐘がありました
恋人たちが来ては鐘を鳴らして、幸せを祈るのだというのですが、一人できた人は鳴らしてだめなのかなとひょっぴりひがみかな!?
「輝望の鐘」 越しに見える二つ岳 (向かって右: 雌岳 、左: 雄岳 )
展望台からの眺めは絶景でした
残念ながら前日まで雨だったので、ガスがかかったようで遠くまでは見通しがききませんでした
榛名山麓一帯景 (向かって右奥は、お天気ならば日光白根が見えるようなんですが・・・ 向かって左: 赤城山系 )
展望台からみた正面: 「子持ち山」 渋川公園からモミジ越しにみた 「 子持ち山 」
展望台で眼をめぐらせると、子持ち山の向かって左手には、「小野子山」の山容が見えます
奥には水上の山々が連なり、お天気良ければその奥には、谷川の冠雪姿が見られるはずです
「上の山公園」・見晴展望台「ときめきデッキ」から望んだ周辺の山々、眼下に広がる温泉街から市街地の眺めは絶景でした
惜しむらくは谷川、穂高、日光白根といった名山が見えなかった点です
帰り、渋川市総合運動公園を廻ってきました
運動場の紅葉は見事でした
運動場から紅葉越しに見た 「 水沢山 」
運動場の法尻にみた錦秋 総合運動公園の野球場に向かう舗道もモミジバフウで一杯でした
渋川総合運動公園、陸上競技場周囲の紅葉 ・・・ 今が盛りです
ウメモドキを漢字では、「梅擬」と書きます
昨日に続いて・・・産直の苗木売り場には、ウメモドキの植え木も売られていました
結構太くなった鉢植え用にもなる木で、紅い実が沢山ついていました
ウメモドキ(梅擬)とは、モチノキ科モチノキ属の落葉低木で、中国と日本の本州、四国、九州の広葉樹林内に分布しています
産直で売られていたウメモドキ ・・・ 鉢植えでもいいみたいな枝ぶりでした
ウメモドキの木の高さは2~3mになります
雌雄異株で、葉は互生し、長さ3~8cm、幅1.5~3cmの楕円形で、先端が尖り葉の縁は細かい鋸歯形状をし葉の裏に毛があるのが特徴の一つです
花は淡紫色で、5~7月ころが花期です
ウメモドキ”の花は、葉腋に雄花は多数、雌花は2~4個咲きます
花弁は4枚で、雄花には4本のおしべがあり、雌花にはめしべと一緒に小さなおしべが4本あります
果実は9月頃から赤く熟し、12月頃に落葉して、枝には実だけが残っています
庭木、鉢植、盆栽、活け花に使われ、鑑賞の対象は果実の鮮やかさが見事で花より果実と云えます
ウメモドキの 紅い実をアップしました
葉や枝ぶりが 梅に似ており、実のつき方も小さな梅の実のように見えることから、和名の「梅もどき」になったと云われています
晩秋から初冬にかけて赤い実がつきます
この実は発芽抑制物質を含んでおり、小鳥のおなかを通過して 発芽するしくみになっています
花の後にできる実は球形の核果(水分を多く含み中に種が1つある)で、秋には真っ赤に熟します
実色で品種が異なり、黄色や白のウメモドキもあります
ウメモドキの 鉢植え盆栽 ・・・ 見事な枝ぶりです
ウメモドキは11月8日の誕生花です ・・・ 花期からすると11月は似合いませんから、誕生果ですね
ウメモドキの 花言葉は、「 知恵 」、「 深い愛情 」、「 明朗 」 です
ニシキギは「錦木」と書くほど、紅葉の代表樹です
先だって産直の苗木売り場を覗きに行って来ました
並んだ苗木もすっかり秋の景色です
中でも真っ赤に紅葉したニシキギがとっても見事でした
ニシキギ(=錦木)とは、ニシキギ科ニシキギ属で日本、中国に自生しています
主に丘陵や山地の林内や林縁に生え、高さは1~3mになる落葉低木で、その紅葉の見事さは、モミジ、スズランノキと共に世界三大紅葉樹に数えられています
ニシキギの名前の由来は、紅葉を錦に例え、紅葉の代表樹の意味を表したと思われます
産直花木コーナーで植え付けされたニシキギ
ニシキギの葉は対生で細かい鋸歯があり、枝葉は密に茂ります
若い枝では、表皮を突き破ってコルク質の2~4枚の翼(ヨク)が伸長します
初夏に、葉腋からはより短い柄の集散花序を出し、緑色で小さな4弁花が多数つきますが、あまり目立ちません
西日を避けた日当たりの良い場所に植えると、紅葉はより美しく映えます
栽培は容易で、生け垣にもよく植えられています
剪定は落葉中に行うのがよく、芽をよくつけ、強剪定にも耐えられるようです
コルク質の翼の枝にはあまり果実はつかないみたい びっしりと真っ赤な実をつけたニシキギ
ニシキギの果実は楕円形で、熟すと果皮が割れて、中から橙赤色の仮種皮に覆われた小さい種子1個が露出します
種子は3~4mmほどの大きさで、この果実を鳥が食べて、仮種皮を消化吸収したあと、種子を糞として排泄することで、種子散布が行われます
見た目はとても綺麗だけど、はたして美味しいのかな!?
鳥たちにとっては、綺麗さよりも美味しいのかもね
ニシキギの実 アップ ・・・ 自然の色とは言え、実に鮮やかな色合いです
ニシキギの花言葉は、「 深い愛情 」、「 あなたの定め 」、「 あなたの魅力を心に刻む 」、「 危険な遊び 」 です
ニシキギの木は、昔奥州では恋を申し込むのに使ったという伝説があります
伝説では、男が恋する女に逢おうとする場合、女性の家の戸口に夜ごとニシキギの花枝を1本ずつ立てて、女性の同意を待つのだそうです
同意は、ニシキギの枝を中に取り入れる事で分かるのだそうですが、取り入れてもらえないと、男は更に加え立てていきます
しかし加え立てる数は1000本が限りとされています
ニシキギの花の季節は限られた数か月、毎夜立てるとしても1000本立てるのは何年かかるのでしょう!?
何人もの男たちがもし立てるとしたら、貰った女性も誰のものかどうしてわかるのでしょう
群馬・草津温泉の秋を堪能しながら碁打ちしてきました
先日、群馬・草津温泉で、2泊3泊で囲碁を打とうと誘われ、紅葉の時期だし、温泉に入って囲碁三昧もいいなと、ルンルン気分でハンドル握って出かけてきました
朝晩、温泉に入り一杯飲みながら友人達と碁を打つなんて、碁好きの私には至福でした
とは言え、折角の紅葉 の時期に碁ばかり打っていては体が固まっちゃうと、宿の周りを散歩 したりして、パチリ!! してきました
このところ気温がぐっと低くなり、周囲の山では初冠雪情報が聞かれるようになってきています
そんな時の草津・紅葉はちょっと盛りを過ぎようとしていましたが、 でも十分楽しめました
夕方の散策で、草津国際・天狗山スキー場付近を歩いてきました
草津国際スキー場・天狗山レストハウス ・・・ まもなく暮れようとしています ・・・ 草津白根方面に垂れこめ湧き上がるような雲が出て寒そうです
夕暮れが少し近づいているうえ、雲が陽をさえぎって暗くなっていましたが、まもなくスキー場が開場されるようすが見えました
草津温泉場周囲の山の紅葉 ・・・ 天狗山スキー場前です 草津温泉賽の河原公園 : 鬼の相撲場碑
西の河原公園 天狗山通り周辺の紅葉 ( 天狗山通り横にあった公園沼はアシの黄葉でした )
紅葉の染まる中で、源泉の蒸気が立ち上る様は、雲が沸き上がるようで幻想的に見えました ( 画像 向かって中央部 )
奥草津に向かって入る県道R55から草津温泉を見ました
早朝、朝食前に宿周囲の雑木林を散策しました
林間は草紅葉状に、紅葉が始まっていました ( 向かって左画像 )
宿泊宿の周りはカラマツ林が多く見られました
カラマツは大分葉が散りはじめて、踏みしめる土はカラマツの葉のじゅうたんです
黄褐色のじゅうたんを踏みながら、林間から奥草津の黄葉した山並が見えました ( 向かって右画像 )
奥草津のカラマツの黄葉
奥草津・大沢川の砂防ダム黄葉
大沢川は吾妻川の二次支流で草津温泉などの強い酸性水が流れ込んでいます ・・・ 大沢川の酸性度(pH)は 2.3~3.2
このため川の水は、白濁して流れています
周囲の紅葉は、黄色、赤が入り混じって、まさに錦秋でした
砂防ダム下の橋から見た大沢川下流 ( 向かって右: 自家発電でpH測定していました )
肝腎の囲碁は、あまりいい碁が打てませんでした
これは綺麗な紅葉と、美味しいお酒に酔い過ぎたようです
また頑張って納得碁が打てるように頑張ります
ゴボウとカミキリムシ
マイ菜園にはこぼれて落ちた種から、牛蒡(ゴボウ)が大きく葉を拡げて育っています
ゴボウは、ユーラシア大陸原産のキク科の多年草です
日本原産ではないけど、縄文時代の遺跡から植物遺存体として確認されており、縄文時代には渡来していた可能性があると見られます・・・史前帰化植物の代表例と云えるようです
もともとは薬用であり、食用とされるようになったのは江戸時代から明治にかけてですが、根菜として食用とするのは日本と朝鮮半島くらいだそうです
茎の高さは1mほど、主根の長さは品種にもよりますが、50cm~1mほどあります
花期は6~7月で、紫色のアザミに似た総苞に棘のある花を咲かせます
ゴボウには、大別すると長根種と短根種があり、関東は長根種( ➝ 栽培の主流は「滝野川ゴボウ」とその改良種 ) が多く見られ、収穫時の主根は直径3cm、長さは1m前後です
マイ菜園のゴボウも「滝野川」です
ゴボウは連作を嫌うため、同じ畑では2~3年後でないと作れないそうですが、マイ畑は植え放しで、まるで木の根状にゴツゴツ育っています
初冬を迎えつつある今、花はすっかり種子を作っていました
食用とする根は、キンピラやてんぷらのかき揚げ、煮物が絶品です
こんなに美味しいゴボウですが、世界的にはあまり知られていない食材の為、太平洋戦争中に英米人捕虜がゴボウを「木の根」だと思い、木の根を食べることを強要し虐待されたとして、戦後、日本人将兵が戦犯として裁かれたこともあったそうです
本来なら食料難の時、栄養価高く調理したゴボウを捕虜に与えたのは、感謝されてもいい行動なのに、死刑や終身刑の人まで出たそうだから気の毒過ぎて言葉もありません
ゴボウにはポリフェノールであるクロロゲン酸が豊富に含まれています
クロロゲン酸とは、ゴボウを水にさらしたときに出てくる茶褐色の成分であり、抗酸化作用があります
水に溶けるので、ゴボウの調理には、「皮はむかない」、「水にさらさず、すぐ調理する」、「大きめにゴロンと切る」ことがゴボウ調理の三大新常識となっているのだそうです
ゴボウは漢字では、「牛蒡」または「牛旁」、「悪実」 と書きます
ゴボウの実は、「ひっつき虫」の仲間です
実には棘が無数にあり、棘の先は釣り針の様に曲がっています
動物の体や人の衣服にくっつくなかなか取れません ・・・ 「悪実」のいわれのようです
スイス人の発明家、ジョルジュ・ド・メストラルは、愛犬を連れて山奥の狩猟に出かけていた折、自分の服や犬の毛に沢山の野生ゴボウの実がくっついているのに気づき、その実を持ち帰り、顕微鏡で覗いてみました
そして「ゴボウが付着する原理をヒントに、2枚の布を密着させれば、ワンタッチで取り外しができる!」と気づき、試行錯誤の末、特殊ナイロン糸を使用して、無数の鉤と輪で構成された「面ファスナー」を完成させました
バリバリっとはがすテープ、現在の「マジックテープ」の原型の誕生という訳です
日本で開通した新幹線のヘッドレスカバーに使われたことを契機に、飛躍的に市場が拡大することとなりました
今では、“マジックテープ”の名前で有名になり、カバンや靴、洋服など、私たちの身の回りによく利用されてきています
ゴボウの実 ・・・ 棘はとても鋭いです
ゴボウの 花言葉は、 「 私に触れないで 」、「 人格者 」、「 いじめないで 」、「 しつこくせがむ 」 です
大きなゴボウの葉の上に、「カミキリムシ」が一匹乗っていました
寒くもなってきたので、動作はゆっくりです
それにしてもゴボウの葉の上とは・・・・
カミキリムシ(髪切虫、天牛)は、コウチュウ目(鞘翅目)・カミキリムシ科に分類される甲虫の総称で、全世界の熱帯から亜寒帯まで、陸上性の多年性植物がある所にはたいてい分布しています
名前がついているものだけで約2万種、日本だけでも800種ほどが知られているそうです
食性はごく一部の種を除き草食で、成虫の体は前後に細長く、触角、脚、大顎が目立ちます
卵→幼虫→蛹→成虫という一生を送る完全変態の昆虫です
幼虫の食草・食樹は種類によってだいたい決まっており、卵もそれらの植物に産卵されます
幼虫は細長いイモムシ状で、体色はたいてい半透明の白色をしており、日本では俗に「テッポウムシ(鉄砲虫)」などと呼ばれます
一般には円筒形の体をし、前胸だけが大きく、腹背にやや平たい
胸部の歩脚も腹部の疣足も外見上はなく、草の茎や木の幹など、植物の組織内に喰いこんで大顎で食べながら成長します
生きた植物に食いこむものと、枯れた植物に食いこむものとがいるが、大型の種類は生木に入りこみ、数年かけて成長することが多いのだそうです
充分に成長した幼虫は自分が作ったトンネル内で蛹になります
蛹はほぼ成虫の形をしており、触角が渦巻き状に畳まれ、羽化した成虫は植物の外へ姿を現すか羽化した段階で越冬するものもいるそうです
このカミキリムシの名前は分かりません
葉の上にいたカミキリムシは
触角はとても長く、体長の2~3倍はありそうです
この角を牛になぞらえて、漢字では「天牛」と書きます
触角の長さは種類、雄、雌で異なるそうです
成虫は植物の花、花粉、葉や茎、木の皮、樹液などを食べます
植物の丈夫な繊維や木部組織をかじりとるため、大顎もそれを動かす筋肉もよく発達しています
「カミキリムシ」という呼び名も、髪の毛を切断するほど大顎の力が強いことに由来しています(➝ 「噛み切り虫」からという説もある)
「カミキリムシ」を手でつかむと、ほとんどの種類が「キイキイ」という威嚇音を出します
この音は多くは前胸と中胸をこすり合わせて発音しますが、ノコギリカミキリ類など前翅の縁と後脚をこすり合わせて発音するものもいるそうです
真正面からみたカミキリムシの顔 カミキリムシの横顔
ところでなんでこのカミキリムシは、牛蒡の葉にいるのでしょう
それに寒くなってくるのに今頃のそのそいるなんて大丈夫なのかな
越冬場所を探しているのでしょうか