日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
桜開花情報・・・群馬・西上州の今・・・ソメイヨシノが咲き始めました
今朝は小雨ですが、とっても暖かで、いつも着込んでいた防寒着を一枚脱ぎました
傘を差しながら、高速道路方面まで「早朝歩き」です
一昨日(3月28日)、埼玉・熊谷で桜開花宣言がされました
昨日買い物がてら、群馬・高崎の榛名山麓近くを廻ってみました
車を走らせながら、桜を探しました
あっちこっちで、遠目で樹の枝全体が赤みを帯びてきて、近づくと枝先に幾つかの花が見えます
どうやら群馬・高崎は、3月29日が開花宣言です
高速道の法尻に植えられた桜は、1~2分咲きになってきています
早朝目覚めたばかりの桜です (奥の塀は、高速道防護壁です)
場所によって、桜の品種によって開花状況は異なるようです
桜はバラ科サクラ属サクラ亜属サクラ節に分類され、ヤマザクラやオオシマザクラ、エドヒガンなどの11種の野生種があり、これらの組み合わせで、現在400以上の品種があるのだそうです
そんな中で、ソメイヨシノは本州から北海道の南部(道南)まで広く分布し、オオシマザクラとエドヒガンの雑種(交配種)だそうですが、今では全国の桜の名所のうち約8割がソメイヨシノを植えていると言われているほどポピュラーです
という訳で、高速道法尻に植えられた桜は、ソメイヨシノと思われます・・・ちょっと安直断定かな!?
同じソメイヨシノですが、介護老人ホームの柵周りに植えられたソメイヨシノは陽当たりがいいせいか大分開いている花が多く感じました
覗き込むようにして、下からアップしました
ソメイヨシノの花弁は5枚で、葉が出る前に花が開き、満開となります
花色は蕾では萼等も含めて濃い赤に見えますが、咲き始めは淡紅色、満開になると白色に近づきます
萼筒は紅色でつぼのような形をし、満開時には花だけが密生して樹体全体を覆うように咲きます
樹高はおおよそ10~15mほどになり、日本の春を飾ります
来週は満開の桜が見れそうです
コブシの花も咲き出して・・・ヒメコブシらしい花も見かけました
昨日ハクモクレンの花が咲いたなと思っていたら、コブシ(=辛夷)も負けずに咲いていました
コブシはモクレン科モクレン属の落葉広葉樹の高木で、モクレンと同様早春に展葉する前に他の木々に先駆けて白い花を梢いっぱいに咲かせます
早朝のせいかちょっと薄暗い感じの中で、薄ピンク色の花が咲いているのがなかなかチャアーミングです
コブシは本来白花で、ハクモクレンと似た感じで間違えられるくらいですから、このピンク色の花は、ヒメコブシかもしれません…別名シデコブシともいうようです
ヒメコブシの花は両性花で、花期は3~4月頃です
そもそもハクモクレンとコブシはどこが違うのでしょう
一般的に知られているのはハクモクレンは花弁が厚く大きく、花は上向きに密に華麗に咲き「白鳥」のイメージですが、コブシは花の向きは上下左右自在に流麗に楚々と咲くので、乱舞する「シラサギ」の趣です…この例えはどなたかの言葉です…私も全く同感です
ハクモクレンの花は、花びら9枚(うち3枚はガクですが見分けにくい)ですが、コブシは6枚で基部がちょっと赤味をおびてはっきりガクが分かります
ヒメコブシは、花被片は9~30個くらいと多数つけています
雄しべと雌しべは約30-50個もありますが、雌しべが雄しべよりも早く機能するため、自家受粉しない自家不和合性なのだそうです
コブシには、花のすぐ下に葉が1枚生えているのも特徴のようです…でもこれってヒメコブシにははっきり分かりませんでした
モクレンは、花が終わってから葉が芽生えるのだそうです
ヒメコブシの 花言葉は、「 歓迎 」、「 友情 」 です
ハクモクレンが、今あっちこっちで咲き出しました
春がやってきた感じです
早朝ウォーキングで、さっさっさっと…歩いていて、ふっと上を見上げたらどっかで見たような風景に出合いました
いつも持ち歩いているデジカメで、パチリ!! しました
直立したように立ったハクモクレンが枝に一杯の花をつけて咲いていました
高圧線鉄塔と、水道の用水タンクと負けじとばかりにそそり立つように生えていました
ハクモクレンの樹の周りは、先だっての大雪で建っていた古い物置が壊れ、今はすっかり片付けられて広々しています
何となく3年前の東日本大震災の津波で生き残った一本松の雰囲気に感じました
ハクモクレンは、春近づき、新葉が出る前に枝先に白い 卵形の花を多数咲かせる「春告げ花」です
モクレン目モクレン科モクレン属の落葉高木で、 前年から銀色の毛に包まれていた蕾が春の陽射しと共に開花します
幹は直立し15mほどになり、枝を多く分けて、展葉を前に、白い大きな花が、枝一杯につきます
白い花は上向きで天に向かって咲き、大きく、上品で、優雅で、孤高的な感じさえします
ウォーキングのコースの中で、お寺の境内に咲くハクモクレンがありました
朝早いせいかまだやや暗めのため花があまり開いておりませんが、真っ白い姿は浮き上がって見えました
日の出が間もなく始まるので、枝先向こうの明るさが花の温かさを伝えてくれる感じです
ハクモクレンは、雌雄同株の両性花です
花は芳香があり、花の咲く向きは上向きに全開せずに咲く様子は本当に優雅です
花色は、花弁の内側、外側とも白く、花弁は6枚、萼片は3枚ですが、いずれも白くて区別がなかなかつきません
道路傍で幹横に出た枝先に花をつけたハクモクレンです
何気なく覗いた花の中で、ちぃちゃな蜘蛛の姿を見つけました
啓蟄もとっくに過ぎたのだから虫を見ても不思議ではありませんが、寒さがまだまだの時、蜜でも吸いに来たのでしょうか!?
ハクモクレンの 花言葉は、「 恩恵 」、「 自然への愛 」 です
蜘蛛の姿に春を感じ、更に日々の自然愛を感じました
" ブラシノキはキンポウジュともカリステモンともいいます
先だって産直に行った折、鉢植えになったビンなどを洗うブラシに見える木を見つけました
名札にはその通りブラシノキとありました
ブラシノキは、フトモモ科ブラシノキ(又はカリステモン)属の常緑小高木で、幾つかの呼び名がありますが、この呼び名が一番知られているようです
因みに、別名では、カリステモン(本来は属名のラテン名)、ハナマキ(花槙)、キンポウジュ(金宝樹)と呼ばれています
ブラシノキはオーストラリアが原産で、約30種類ほどあるそうです
カリステモン(Callistemon )という名前は、ギリシャ語のkallos(美しい)とstemon(雄しべ)が語源だそうです
名前のように枝先に穂状の花序を咲かせます
花序の先から枝が伸びるという珍しい特徴があるそうです
花は通常5月頃から開花し、花弁は緑で小さく目立ちませんが、赤(時に白)の長い花糸が目立ちます
通常ブラシノキの花色は、赤色が多く、白は珍しいといえます
このため白花品種のものを、マキバブラシ(=槇葉ブラシノキ)と呼び、赤花と区別しているようです
ブラシノキの葉は互生し、葉身は3~15cmの線形から披針形をして固い革質で、レモンの香りがします
枝先に5~15cm位のブラシ状をした穂状花序をつけますが、ブラシの毛に見えるのは細長い雄しべで、小さながくと花弁は開花後に落ちてしまいます
多数の雄しべの先の葯は、金粉がついているように金色に輝いて見えます
果実は朔果状になり、見た目には枝全体を取り巻く昆虫の卵のように見えるそうです
ブラシノキの 花言葉は、「 はかない恋 」、「 素直な気持ち 」 です
神社の境内で、彼岸桜咲く ( ^^) _U~~
昨日、早朝ウォーキングをしていながら、彼岸桜が満開(?)に咲いているのを見つけました
彼岸桜はバラ科の落葉高木で山地に自生し、庭木にもよく植えられています
春の彼岸のころ、葉より先に淡紅色の花を開き、花が終わる頃狭い楕円形の葉が出てきます
お寺の境内で咲く桜 (向かって右奥 お寺堂宇、右奥手前の桜はソメイヨシノかな…まだ蕾です)
「暑さ寒さも彼岸まで」といわれ、少し寒さが和らぐ頃(=3月中旬ごろだが)に大御所ソメイヨシノなどの桜がまだ蕾の固い時期に咲き出します
彼岸桜(ひがんさくら)の名は、そんなところからついたのでしょう…別名では、小彼岸桜とも呼ばれます
名前のよく似た桜で、緋寒桜(ひかんさくら)というのがあります
咲く時期も含め呼び名も酷似していますが、原産地の違いで、花も色や花形など若干ちがっているようです
因みに彼岸桜は日本産で、緋寒桜は台湾原産の桜で、一月頃から沖縄などで非常に赤みの強い緋色の花を下向きに咲かせます
尚、「ひがん」と「ひかん」では間違いやすいと、「ひかんさくら」ではなく「かんひさくら(寒緋桜)」と呼ぶ人もいるようです
朝日が当たり、色濃く見えました
どうやら満開近しで、8~9分咲きといったところでしょう
彼岸桜は、3月14日の誕生花です
彼岸桜の花言葉は、「 心の平安 」、「 精神美 」 です
オオイヌフグリの群落がありました
先だって、オオイヌフグリ が咲き出したとお知らせしましたが…
散策に近くの野良にでてきました
土手に、一面のオオイヌフグリが咲いているのを見つけました
こんなに沢山・・・びっしり咲いて・・・感激!!!
小さな花なので屈みこんで、パチリ!! していたら、私同様散策のおじさんが、わざわざ近づいてきて、『何かいましたか!?』 だって
花が可愛いいものだからと云ったら、『ふぅん~』って顔してました
あまり野辺の花には、興味がないようです
イヌフグリの歌があるって聞いて探してみました
「いぬふぐりの歌」とは、1950年朝鮮戦争勃発時に千葉県の造り酒屋の娘・すずきみちこさんが、作詞作曲したもので反戦歌として全国に広がり、昭和30年代の歌声喫茶で盛んに唄われた歌だったそうです
一番だけを紹介すると、
『 丘はいまも柴山 いぬふぐりも咲いている 息をはずませてのぼった くにさんと一緒にのぼった 』
歌詞の中の「くにさん」とは、恋人だったのだろうか!?
この後の歌詞では、「くにさん」は戦争に行って死んだ・・戦争の悲しみは忘れない・・戦争を起こしてはいけないと歌っています
突如起こったウクライナ・クリミア紛争は、またまた大きな戦争にならないか不安だし、知恵を出して平和解決を望みます
イヌフグリの花は、平和な願いと重なります
曲芸・・・猿回しが来ていました
昨日に続いて…
藤岡IC・道の駅ラランの花の交流館で、洋ラン展を見た折、ラランの広場ではお猿さんの曲芸が開かれていました
お猿さんによる大道芸は、「猿回し(さるまわし)」といわれ古来から見られたようです
調べてみると、
「猿回し(さるまわし)」とは、猿使いの口上や太鼓の音に合わせて猿が踊りや寸劇などを見せる大道芸の一種ですが、もともとは猿芸として奈良時代中国から伝わり、当初は猿は馬の守護神と考えられ、武家での厩舎の悪魔払いや厄病除けの祈祷の際に重宝され、初春の祝福芸を司るものとして、御所や高家への出入りし重用されていたそうです
それが室町時代以降から徐々に宗教性を失い、猿の芸だけが独立して、季節に関係なく大道芸として普及していき、江戸時代には「猿飼」、「猿屋」などの呼び名の「猿まわし師」の集団ができ、地方や都市への巡業を行うようになったのだそうです
「猿回し」本来の職掌は、牛馬舎とくに厩(うまや)の祈祷すことだったようです
猿は馬や牛の病気を祓い、健康を守る力をもつとする信仰・思想があり、そのために猿まわしは猿を連れあるき、牛馬舎の前で舞わせ生業としていましたが、次第に大道や広場、各家の軒先で猿に芸をさせ、見物料を取ることになり、芸能がそこから派生したと思われます
明治以降は、多くの猿まわし師が転業を余儀なくされ、昭和の初期になると、職業としては次第に厳しくなり、更に「大道芸である猿まわしは道路交通法に違反している」ことによる警察の厳しい取締り、テキ屋の圧迫などから、昭和30年代には猿まわしはいったん絶滅したとさえいわれました
しかし昭和30年代後半(1980年頃)から再び復活傾向になり、日光猿軍団など観光芸としても人気が出て、再び人気芸能として近年に至ってきたようです
この日の道の駅・ラランでは、二人の猿使いが、二匹とコンビになって、身体能力を生かしての簡単芸を見せていました
大勢の人たちが広場に集まって見物している様子です
垂直4段とびです
子供たちが目を皿のようにして見ていました
まずはご挨拶・・・これから両手に持った竹馬に乗ろうとしています
竹馬に見事乗り回しているところです
子供の頃私も竹馬に乗った覚えがありましたが、身の丈以上の高い竹馬にはどうしても乗れませんでした
台の上に載ってやっと乗っても歩き出しができません
びっくりしたのは、一人で竹馬を操作し上りながら上まであがるのです
バランス感覚は凄いですね
拍手喝采でした
「らん展」を見てきました ・・・「らん」について
毎年今頃になると、各地でらん展が開かれます
先だって、群馬の「らん展」が、藤岡IC・道の駅ラランの「花の交流館」で開かれていました
買い物がてらちょっと覗いてみたのですが、今年は何となく寂しい「らん展」に感じました
「らん展」を毎年覗くたびに必ず珍しい「らん」を見る事が出来たのですが、今年は『あれ!!」と思う物が見れなかったせいで、ちょっと寂しいなと感じちゃったのかもしれません
ラン(蘭)はラン科の総称です
単子葉植物のひとつで、その多くが美しく独特の形の花を咲かせ、世界に700属以上15000種、日本に75属230種があるといわれるほど多様ですから、「らん展」を覗くのはちょっぴり楽しみにしていました・・・尚ランの仲間は15000種~25000種あるとも言われて、正確な数字はつかめないとも言われています
しかしこの多様さは、観賞価値の高いものにすべく栽培や品種改良によっても進められてきているようです
加えて珍しい品種のものは高値で取引できると云う事から、ランハンターが出現し、採取のために絶滅に瀕している種も少なくない状況になってもいるようですから何事もほどほどだと思えちょっと複雑な気分です
花の交流館入口には、一杯の各種「らん」が、装い華やかに飾り付けられていました
今年のらん展入賞作品です
品種に分かれて入賞作品がありました
「らん」はその生活様式から「着生ラン」と「地生ラン」に大きく分けられます
「着生ラン」は木の幹や枝、岩の上などに根を張り付かせて自生する種で、「地生ラン」はうす暗い樹林内の地中に根を下ろして生活する種です
「着生ラン」の葉や茎が肥大して水分や養分を蓄えることができ、根の本体がスポンジのような層で覆われています
多くの種は夜間に気孔を開いてCO2を吸収して貯蔵し、昼間は気孔を閉じて水分の蒸発を抑えています
「着生ラン」には、カトレア、バンダ、コチョウラン、デンドロビウム、オンシジウムなどがあります
「地生ラン」は土に根を下ろして生活し、雨期に生長して水分や栄養を蓄えて乾期に休眠するものが多いです
休眠は水分や栄養は根や茎を肥大させて蓄えられますが、地中にある球根でするものもあります
葉は幅が広くて厚みの薄いものが多いです
「地生ラン」の代表的なものは、パフィオペディラムやエビネ、シュンラン、クマガイソウ、サギソウ、シンビジウム(半地生ラン)などがあります
「らん」の事を知る第一歩は、着生か地生どちらかを知る事だそうです
「着生ラン」と「地生ラン」は性質や形態が大きく異なっており、これは栽培の基本も自ずと異なっている事になります・・・通常「洋ラン」といわれるものは、「着生ラン」がほとんどのようです
名札がついているのですが、横文字名で品種は分かりません
茎の長いのや短いのが特徴分けになってます
勿論花形もです
「らん」は英語では「Orchid(オーキッド)」といい、ギリシア語の睾丸を意味しているそうで、これは「らん」の塊茎(バルブ)が睾丸に似ていることに由来しているのだそうです
このバルブは偽鱗茎、偽球茎ともいわれ、茎の一部が肥大したもので、水分や栄養を蓄えたいわば貯蔵タンクの役割を持っています
バルブが長く伸びた形のデンドロニュームで、初めて見る花がありました
デンドロニュームは、熱帯アジアを中心に、西はスリランカ、ネパールあたりから、東はサモアの方まで広がり、北は日本、南はニュージーランドまで自生しています
デンドロニューム属は、洋らん原種の中では大きな属で約900種有ると言われています
展示されていた初めてみたデンドロニュームの名前を調べてみました
タイ原産のセクンダム バーアルバムトーキョーといいます
草丈は約30cmになり、花径は約1cmほど・バルブの先端から花穂が伸びびっしり集まって咲きます
赤紫の花を咲かせているのもありましたが、これも同じ品種なのかな・・・??
デンドロニュームの 花言葉は、「 わがままな美人 」、「 天性の華を持つ 」 です
群馬・箕郷梅林に行ってみました・・・群馬・梅情報
群馬県は古くから梅の産地として全国的に有名です
中でも西上州・榛名山麓には、「ぐんま三大梅林」と言われる安中市の「秋間」、高崎市の「榛名」「箕郷」の3つの梅林が広がっています
二、三日前買い物がてら、「箕郷梅林」に寄って来ました
「箕郷梅林」は、榛名山の南麗、標高140mから390mの近隣を一望できる丘陵に広がり、その規模は300ha・10万本の梅の樹が植えられて、東関東随一の規模だといわれています
箕郷梅林に行くには、関越道前橋I.Cで下り、「高崎・長野」方面出口→国道17号線約4km ➝「並榎町」の信号を右折→市立箕輪小学校を目指して直進→県道126号線で榛名湖を目指して約2kmで左折した一帯です…約30分(11km)
渋川・伊香保I.Cからだと、30分(16km)です
この日はちょっと肌寒かったですが、遠方からバスが何台も観梅に訪れ、昼時近いせいもあり宴を催している風景が見られました
樹下でお弁当を拡げる団体さん 向こうのテントでは、屋台が組まれカラオケがされていました
梅林の梅は樹齢10年から30年の梅の実生産に最適なものが多いようですが、中には樹齢100年以上の古木もあり見事な枝振りを見せて、梅栽培の歴史の古さを物語っています
梅林展望台 手前 樹齢100年以上といわれる箕郷梅の生みの原木のようです
梅の生産だけではなく、観光客に向けて観梅用にと、大分「花梅」が沢山植えられて、色とりどりの風景がつくりだされています
花梅とロウバイが香りを競っていました 枝垂れ梅の笑顔です
枝垂れ梅の梅林がありました 正面奥に、榛名の山(?)が見えます・・・子持ち山かもしれません
今年は寒さが遅くまで続いたせいか、花の盛りはまだまだこれからです
品種によって花の時期が異なりますが、箕郷の梅の代表選手である「白加賀」はこれからが盛りです
ツボミが大分膨らんできていました
来週あたりが最高かもしれません
国指定史跡・八幡塚古墳を見てきました
先だって、榛名山麓の「土屋文明記念文学館」に行きましたが、この辺り・榛名山東南麓一帯にはたくさんの古墳が見つかっています
文学館裏手は、国指定史跡保渡田古墳群の一つ「八幡塚古墳」が復元されております
文学館を見学した後、「八幡塚古墳」をぐるり散策してきました
古墳の周囲は外堀・外周構が復元され、円筒埴輪を並べ散策路が造られ、全周眺められるようになっています
向かって正面は、土屋文明記念文学館です ・・・右の土塁は、「八幡塚古墳」です
「八幡塚古墳」は、国指定史跡保渡田古墳群(二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳)の一つで、1500年前(5世紀後半)に築かれた前方後円墳です
墳丘は全長96mで、周囲には二重の堀(内掘・外堀)と墓域の境を示す溝(外周溝)が巡り、墓域の長さは約190mに及んでいますから、周囲をめぐるのに格好の散策コースになっていました
本古墳は、史跡公園計画のもと5カ年にわたる発掘調査を行い、その成果を基に大きく破壊された古墳上に保存用の土を厚く盛って、造られた時の姿に復元されたものだそうです
「八幡塚古墳」の復元景 ・・・ 円筒埴輪群は復元にあたって作られたもので、発掘されたものではないようです
保渡田古墳群は約1500年前(5世紀後半)の豪族が眠る古墳で、上毛野一帯の盟主的な存在がいたと考えられています・・・ちなみに付近では、豪族の居館(三ツ寺I遺跡)も発見されているそうです
「八幡塚古墳」は、平成8年度から平成11年度までの4ヶ年をかけて築造時の姿に本格的に保存復元が行われ、全国の中でも数少ない葺石に覆われた姿を見ることが出来ます
古墳形状は上記しましたが、前方後円墳で、墳丘は全長96m・3段に造られ、内堀、外堀、外周溝がめぐり、それらの間には内堤、外堤があり、墓域自体はなんと190m・内堀の中には4つの島(中島)があるのが特徴になっています
埴輪は6000本ほど設置されていたと考えられており、復元に当たっても出来る限り配置したようです
この古墳には2ヶ所、人物・動物埴輪を置く場所「形象埴輪配列区」があり、各々約50体づついます
円筒埴輪を並べた向こうに古墳を見る 「形象埴輪配列区」に並んだ人・動物埴輪 正面ずっと向こうに「二子山古墳」
八幡塚古墳の向かい側には二子山(愛宕山)古墳があります
こちらは葺石の復元まではされていませんが、生い茂った樹木は伐採されており、昔ながらの形状を見ることが出来るようですが、この時は眺めるだけで帰ってきました
二子山古墳は八幡塚古墳よりも前に造られ、形も前方後円墳であり、墳丘長も約100mある巨大なもののようです・・・八幡塚古墳よりも大きいようです
「保渡田八幡塚古墳」の三段築成状況です・・・古墳向こうは榛名山系です
郡馬県立・土屋文明記念文学館にも春が来てました
先日、買い物がてら、榛名山麓方面に春さがしをしに出かけてきました
新聞の紹介で、ノーベル文学賞作家「ヘルマンヘッセ」の昆虫展をやっているというのを思いだし、「群馬県立・土屋文明記念文学館」に立ち寄ってきました
「土屋文明記念文学館」は、高崎市街から国道17号線を約2.3kmほど南西に直進したところにあります
「土屋文明」は、榛名山の麓に位置する上郊村保渡田(現・高崎市保渡田町)の出身で、伊藤佐千夫に師事すべく上京して、様々な若き文豪との交流しながら歌人として日本文壇に影響を及ぼしました
日本人の心の発露ともいうべき短歌を生涯詠みつづけ、その源である『万葉集』の研究でも大きな足跡を残した事が知られています
記念文学館入口は、散策できるように庭園が造られており、土屋文明の記念碑が建てられていました
梅の花がちょうど咲き始め、春がはじまったばかりです
榛名をこよなく愛した「土屋文明」の歌です
文明歌碑の前に、郡馬出身の詩人・山村暮鳥の「風景」歌碑がありました
「いちめんのなのはな」と詠った詩に榛名山麓の風景が目に浮かんできませんか
先だっての大雪の残り雪がほんの少し日陰に残っていましたが、暖かな陽射しで春満喫できました
この日の特別展示は「ヘルマン・ヘッセ」の昆虫展でした
館内写真は撮影禁止ですので、昆虫展の内容はお見せできませんが、「ヘルマンヘッセ」の短編小説「少年の日の思い出」を中心としたヘッセ作品に登場するチョウの貴重標本が展示され、とてもいいものを見た思いがしました
「ヘルマン・ヘッセ」は、ドイツの作家で、主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者で、風景や蝶々などの水彩画もよくし、南ドイツの風物のなかでの穏やかな人間の生き方を画いた作品群の他に、ヘッセの絵を添えた詩文集は、今でも人気があります…ウィキペディア百科辞典より
「少年の日の思い出」は1947(昭和22)年から60年以上も中学校の国語の教科書で取り上げられている作品で、2012年からはすべての検定教科書に載っているそうです
さらに2009年4月、この作品を「昆虫標本」により具現化しようと、ヘッセと同じく昆虫採集を趣味とするファン2人が人文科学的昆虫展示会を行ったのが、この昆虫展につながっているのだそうです
この展示会は日光市・大阪市・徳島市・鹿児島市・下野市・軽井沢町・川口市・福山市など全国10都市の公立博物館等にて巡回展示され、2010~2013年、ドイツ・スイスのヘッセ博物館でも開催され、ドイツ・日本両大使館の後援が付いたもので、とにかく一見の価値ありでした
メジロ君の好物はミカンです・・・メジロとウグイスの違い
ぐっと暖かくなって、小鳥たちのエサも豊富になってきたようです
このところよく来ていたメジロが、ヒヨドリ“に追いまくられてこなくなりました
メジロは花の蜜が大好きで、特に梅は好物だそうです
梅の花が大分開いてきたせいもあるのかもしれません
庭のあっちこっちから植えてあった球根が芽を出し始めてぐっと伸び始めています
枯れ葉の蔭に、ミカンを切っておいた置いたら、ヒヨドリに隠れてメジロがやってきました
ミカンに留まったメジロ 正面手前の芽は、ヒヤシンス、左の葉は、オモト(万年青)です
メジロ(目白)はスズメ目メジロ科メジロ属の鳥の一種ですが、よくウグイスと間違えられます
両種とも春告げ鳥として親しまれており、出てくる時期・場所も同じなので古くから混同され勝ちだったようです
ウグイスは梅の花が咲くころ、よく通る声でさえずり始めますが、警戒心がとても強く、声は聞こえても姿はなかなか見せません
しかもウグイスの食べ物は、主に虫や木の実で、花の蜜はほとんど吸わないようです
これに反して、メジロは花蜜が好きで、香りの強い梅には蜜を求めて集まってきます
しかも警戒心はゆるく、姿を観察しやすいので、梅林などでウグイスの声がすると、メジロをウグイスと混同したものと思われます
「ウグイス色」というと、どんな色を想像しますか!?
ウグイスの灰褐色(オリーブ色に近い)を想像する人もいれば、メジロの緑色に近い色を想像する人もいるくらいです
古来より春を告げるのに「梅に鶯」という言葉があり、これは梅の花に鶯の声を添えた風情を意味しているとおもわれますが、日本画で梅の枝にメジロを描いたものが多く見られるのは混同がよく行き渡っているのですね
体の色も違っていますが、目の周りが白く丸いのがメジロです
ウグイスは眼のまわりの白さはありません
梅の花から呼び寄せようと、蜜柑を買ってきて、窓下に置きました
ヒヨドリは割に用心深いので人の影が見えると、近づいてきませんが、メジロは結構近くに来てくれました
メジロのスナップです 二羽で、きているのですが、中々二羽同時には撮れませんでした
ナズナの花が盛りになっています
畑仕事をしていると、雑草の多いマイ菜園では野草がいろいろ芽をだし花を咲かせているのを見る事が出来ます
昨日紹介したオオイヌフグリよりも更に沢山の花を咲かせているのが、ナズナです
ナズナはアブラナ科ナズナ属の越年草で、別名ペンペングサとか、シャミセングサ(三味線草)とも呼ばれます
田畑や荒れ地、道端など至るところに生え、その歴史はムギ栽培の伝来(今からおよそ2000年前)と共に、日本に渡来した史前帰化植物だそうです
ナズナの名前の由来は、夏になると枯れること、つまり「夏無(なつな)」からとか、撫でたいほど可愛い花の意味から「撫菜(なでな)」としたなど諸説あるようです
アップしたナズナの花は、実にチャーミングです
小さな花なのでこんなにかわいいと知っていましたか!?
百人一首にある歌
「 君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ 」 光孝天皇(15番) 『古今集』春・21
にでてくる若菜とは、春に生えてきた食用や薬用になる草のことで、「春の七草」のセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)などが代表的です
とは言え、最も簡単に摘める野の草と云えば、ナズナのように思えますから、古今集の若菜はナズナなのかもしれません
昔から、春に若菜を食べると邪気を払って病気が退散すると考えられており、これら野草は薬草の役割もあったように思えます
ナズナは全草を利尿・解熱・止血などに用いられます
ナズナを詠った句がありました
「 妹(いも)が垣根 三味線草の 花咲きぬ 」 ( 与謝蕪村 )
「 よく見れば なづな花咲く 垣根かな 」 ( 松尾芭蕉 )
蕪村の句も、芭蕉の句も、ナズナの花の可憐さがよく感じます
ナズナの 花言葉は、「 すべてを捧げます 」、「 君を忘れない 」 です
ナズナの花が、こんなに情熱的な言葉で語られるとはとても信じられません
花言葉とは…??? ですね
オオイヌフグリの花が咲き出しました
畑に出て、ジャガイモの種をまこうと耕しを始めました
先だっての大雪がやっと消え、春が足元に来ています
畑の縁で、春を知らせる野草・オオイヌフグリの花が咲いているのを見つけました
腰をかがめ、膝をついて、覗き込むようにパチリ!! してきました
オオイヌノフグリ(=大犬の陰嚢)とは、オオバコ科クワガタソウ属の越年草で、別名、瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳とも呼ばれます
路傍や畑の畦道などに見られる雑草でヨーロッパ原産の帰化植物です
日本には明治の初めに渡来し全国に広がりました
茎は多く枝わかれし、這うようにひろがっていきます
早春から5月頃までコバルトブルーの小さな花を咲かせます・・・稀に白い花もあるようです
イヌフグリの名は、結実が犬の睾丸(=フグリ)に似ていることからつけられました
イヌフグリとオオイヌフグリは近縁種で、オオイヌフグリはイヌフグリの大型種の意味らしいのですが、果実はフグリにはそれほど似ていないといわれています…まっ! いいっか!!
日本で同じ仲間のクワガタソウ は山地から高山に分布し、イヌノフグリを大きくしたような美しい花の野草だそうですが、見てみたいな!
オオイヌフグリの花はやや青みがかった紫色または青色の直径10ミリにも満たない花です
4枚の花弁には縦方向に濃い筋が入っています
花弁の大きさはそれぞれ大きさが少し異なりますが、左右対称です
太い雄しべは2本、花の寿命は1~2日・天候によって花が開いたり閉じたりするようです
イヌフグリの句を見つけました
「 いぬふぐり 星の瞬く 如くなり 」 高浜虚子
「 陽は一つだに 数へあまさず 犬ふぐり 」 中村草田男
「 午過の花 閉じかかる 犬フグリ 」 松本たかし
オオイヌフグリの花言葉は、「 信頼 」、「 神聖 」、「 清らか 」、「 忠実 」 です
イヌフグリの名はともかく、花のイメージは花言葉に現れています
春のあたたかさを感じました
ケマンソウ= 別名タイツリソウは、「こころ花」というそうです
先だって産直に買い物に行きました
このところ寒い日が続いていたのが、この日は久しぶりに暖かな日になり、ちょっぴり遠くの隣県の産直まで足を延ばしました
買い物しながら、売り場の隅に並んだ花の鉢物を幾つかパチリ!! したのですが、とてもチャーミングな花が混じっていました
名札が挿さっており、「こころ花・タイツリソウ」と書かれていました
タイツリソウはケマンソウの別名で、ケマンソウ科コマクサ(ディケントラ)属の多年草です
ケマンソウの名前は、花を寺院のお堂を飾る装飾品「華鬘(けまん)」に見立てて付けられたものだそうです
別名のタイツリソウは、長くしなるような花茎を釣り竿に、ぶら下がるように付く花を鯛に見立てたらしいのですが、「華鬘」というより、「鯛釣り」の方が納得です
タイツリソウは中国や朝鮮半島に分布する、毎年花を咲かせる多年草で、日本には15世紀の初め頃(室町時代)に入ってきたと言われています
タイツリソウの花期は5~6月で、今の時期に花を見られるのはとても珍しいといえます
温室育ちなのでしょうか!?
それにしてもアップして見た花は何とも不思議な雰囲気です
長い茎を伸ばして淡紅色のハート形の花が行儀正しく一列に並んでぶら下がって、優美さと可愛らしさを備えてみえます
花弁は4枚で、外側の2枚はピンクのハート形、内側の2枚は白く先が突き出る独特の姿です
花色は淡い紅色、白やピンクがあり、ハート形をしたつぼみを割り開いて咲きます
葉は3出複葉(1枚の葉が3つの小さな葉に分かれた形)で羽状に3つに深く裂け、互い違いに生えています
ちなみに、英語名は「bleeding heart」というそうですが、訳すると、「出血している心臓」…これってイメージできないこともないけど、優美さ、可憐さとはかけ離れていますが、イギリス人の見る目と随分違っているものです
こころ花・タイツリソウの 花言葉は、「 あなたに従います 」、「 失恋 」、「 従順 」、「 優越 」 です
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