日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
今年の秋は、“ツリバナマユミ”が一杯です
今年は “ツリバナマユミ” の果実をよく見かけます
とは言え今まで見たのは花木店の鉢植え品ばかりだったのですが、4~5mほどに育った樹木を始めてみました
枝先についた沢山の赤い果実は、一斉に割れて、中から朱赤に染まった種が顔を出していました
秋風が吹くとともに、“ツリバナ”の実の揺れる姿は絵になりますね
ぶら下がった紅い実の下に立って、見上げると、とっても幸せ気分になりました
なんか「おとぎの世界」のような気分です
“ツリバナマユミ”の実は朱赤色の種子が露出しぶら下がるが、開くのは昼間のみで、夜には閉じるそうです 反り返るように皮が開くので、夜閉じるとは??です
仮種皮に今にも落ちそうに赤い種子が付いていますが、結構しっかりとついて小鳥達に食べてもらおうと頑張っています
実の付き方は先日紹介した “ゴンズイ” に似ていますが、“ゴンズイ”の種は真っ黒でした
忘れていました
“ツリバナマユミ”は、“マユミ”の“ツリバナ”になっているのとは違いますから、単に“ツリバナ”と呼んだ方がいいのかもしれません 違いをいうと、葉の形、樹形、幹肌が違うし、実をつけている柄の長さも違っているそうです
“ツリバナマユミ”の 花言葉は、「 片思い 」 、「 しなやか 」 です
私の創作ですが、“ツリバナマユミ”の 果実言葉は、「 踊り子の夢 」 、「 ファンタジー 」 です
“ムラサキシキブ(紫式部)”の紅葉
周囲の山々では、紅葉が始まってきたようで、囲碁打ち仲間が、出先の紅葉情報を聞かせてくれます
先日そんな紅葉談義の中で、囲碁打ちの友人に、“コムラサキ”と“紫式部”はどこが違うのかと訊ねられました どうやら庭に“コムラサキ”が紫の実を付けはじめたようなのです
最近私が行く身近な公園でも “コムラサキ” はよく見かけるのですが、 “紫式部” はなかなか見られません
あまり詳しくはないのですが、葉の形(=葉縁の鋸歯のつき方)が違うのと、実のつき方(=葡萄房の様にビッシリ付くのが“コムラサキ”)が違うと、知ったかぶりの返事をしてしまいました
こんな話をした後、榛名山麓で落葉松林に混じって、なんと色付いた実をたわわにつけた“ムラサキシキブ(紫式部)”を見つけました 葉も紅葉して、秋が大分進んでいるのを教えてくれていました
“ムラサキシキブ(紫式部)”はクマツヅラ科ムラサキシキブ属の落葉低木で、山野の林に自生し、樹高は3mほどになります 花は夏に対生した葉腋から集散花序をだし、小さな淡紫色の花を咲かせます
秋から冬にかけて果実が付き紫色に熟します
“ムラサキシキブ(紫式部)”は紫色の果実が群がるようにつくので、“タマムラサキ(玉紫)”と昔は呼ばれていたようですが、京都では紫色の実が重なるようになるので“ムラサキシキミ(紫重実)”と呼んだそうです
更にこの“ムラサキシキミ”の呼び名は、平安時代の女流作家「紫式部」を連想させる事から、“ムラサキシキブ”と呼ばれる様になったとききました
紅葉した“ムラサキシキブ”の木の実は、紫色に輝いていました
尚、“ムラサキシキブ”の別名は、“ミムラサキ(実紫)”とも云います
そこで駄句一句です
“ 聡明に ムラサキシキブ 輝けリ ” ( ダッペ )
“ ミムラサキ ふかみ増したる 夕暮れ時 ” ( ダッペ )
“センブリ(千振)”が咲いていました・“センブリ”の苦さは男の苦さだ
上州の山野はまだまだ本番ではありませんが、紅葉が始まってきています
先日群馬・榛名山麓の渋川公園に、紅葉の具合を見に行ってきました
公園近くに、小さな山野草園があり、榛名山麓で見られる山野草が植えられています 残念ながら今のシーズンはあまり手入れされていない事もあり、何の花も見られないなと思いながら、散策していましたら、枯葉をかき分けるように足許で咲いている小さな花を見つけました
星がきらめいているような花形の綺麗な花で、花の名は“センブリ”といいます
センブリ(千振)はリンドウ科センブリ属の二年草で、古来から薬草として知られています
日当たりの良い山野の草地に自生し、草丈は普通5~20cm、根元から数本に分かれて株立ちます 葉は1~3cmほどの細長い線形で対生します
花は9~11月・秋真最中に、5弁の白く縦に紫色の線のある花びらを拡げ咲きます そんな“センブリ”の花は、晩秋の季語になっています
“センブリ”は花の咲く時期・根ごと摘みとって乾燥し煎じて飲むと、胃痛によく効く健胃薬に利用されるのですが、千回煎じ(振り出し)ても尚健胃になる苦味が消えないことから、「センブリ」・「千振り」の名がついたといわれています また健胃効果も大変あるので「医者倒し」という方言があるそうです
“センブリ”の歌を一首見つけました
『 センブリの 小さい束が 軒下に 吊るされいたり 山里の家 』 鳥海 昭子
“センブリ”を薬にするために、束ねて軒下に 吊るして乾燥させていた 懐かしい時代・眼をつぶると思い起こさせる風景です
“センブリ”の花に名前不詳なんですが、“花バエ(?)”が、吸蜜にやってきました
蜜の味はどんなかな!?
“センブリ”の花言葉は、 「 はつらつとした美しさ 」 、 「 義侠の愛 」 です
ところで、「義侠の愛」って、どういうことなの??? そのまま訳せば、「男気の愛」とか、「男気のいとおしさ」なんてことなのかな!? “センブリ”の苦さは、『義侠の心』なんだな
マイブログ・満五歳になりました・・・信州で見た道祖神
寒さが日増しにまして、秋深まってきた感じになり、そろそろ年賀状の準備をする季節になってきました
マイブログ作り は石の上にも三年が過ぎ、一応目標の5年経ちました
毎年 年賀状 に、今年の目標という事で、ブログの継続を誓って諸兄・諸氏に出してきましたが、最近毎日のブログ作りがなかなか荷が重くなってきた感じがしています
でもこれをやめると、スローライフ目的の一つが失効してしまい、きっと「ボケ老人まっしぐら」になってしまうかもしれませんね
まあもう一年・もう一年と、頑張ってみようかな
先日信州をドライブした時、あっちこっちで道祖神を見かけました その都度車 を停めてパチリ! したかったのですが、し切れない数ほど沢山ありあきらめました
二、三枚紹介します
梓川SA(長野自動車道)でパチリです 安曇野・わさび田での道祖神
安曇野・犀川の畔の道祖神
道祖神は「路傍の神様」で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神様として信仰されています 古い時代のものは、男女一対を象徴するものになっているようです
道祖神をみると、古代のロマンを感じます
“ウド(独活)”の実が、黒くなりました
今朝はうんと寒さを感じました!! 天気予報のおねえさんも、今シーズン一番の寒さだと叫んでいます・・・東京渋谷では11度だったそうです いままで我慢してきたけど、ついに起きてから「オコタ」を入れました 今年は3・11の大震災で節電の大切さが見直され、我が家でも冷暖房器具は色々検討事項でしたから、「オコタ」をセットするのはちょっとしたニュースなんです
自然でも秋深まってきて、冬に向けて色々な表情を見せています 自然公園の林縁で、“ウド”の実が成熟して、まるで線香花火状に飛び散るように生っていました
“ウド”は夏に小さな白い花をビッシリ咲かせ、秋に直径3mmくらいの液果が生り、寒さ増すにつれ黒く熟します 果中には3~5個のゴマ状の種子を持っています
黒い液果のアップをよく眺めてみると、なんかなかなか味わいを感じます
“ウド”の木(=勿論草本ですが・・・)は、「ウドの大木」と慣用されるくらいに春先芽を出し、気温の上昇とともに、ぐんぐん大きくなり高さは約2~3mにも成長します そして液果が落ちるとともに、木全体も寒さにあわせ枯れて、来春また新しい芽を出します
ところで「ウドの大木」とは、成長早く大木のようになることだと思いがちですが、そうではなく大きくなって樹木の様になっても、食用にも木材にもならないから、転じて「図体はでかいが、中身が伴わない、役に立たないもの」のたとえです
そういえば、樹木では“ゴンズイ”が、役立たずの代表表現になっていました “ウド”は木ではないし、春の山菜としては芽および茎の部分、つぼみはたべると絶品ですから、「ウドの大木」の意味は少し考え直す必要ありでしょう・・・“ウド”に変わって、異議申し立てです
長野・『大王わさび農場』で、「安曇野風景」を満喫
信州・北アルプスの麓の旅で、最後に訪れたのは 「安曇野」に来たら、必ず寄るという『大王わさび農場』です ここに寄らないと、「安曇野」に行ったことにはならないといわれるくらいに、有名なスポットになってます 特に今年前半放映されたNHKの朝ドラ「おひさま」の舞台になって、行ってみたい観光地として有名さに拍車をかけたようで、私もミーちゃんハーちゃんの仲間入りという訳です
『大王わさび農場』の場所は、長野自動車道豊科ICから国道147号安曇野方面に約10分くらいの所にあります
信州の各地では、きれいな水の流れる川が多く流れています その内安曇野の地では、上高地から流れ出す梓川と、白馬の方向から流れくる高瀬川が合流して犀川となって、最終的には千曲川に流れ着く川があり、この地で生活する人たちの抒情を養っています
『大王わさび農場』のわさび畑は約15万 ㎡もあり、北アルプスの湧水を利用して栽培されていると、知識として知ってはいたのですが、訪ねてみてその広さにびっくりでした
朝まだ早い時間だったせいか、「もや」が少しかかって、畑の先が見えないほどに拡がっています
山の渓流傍、山中の湿地帯で、自然に生える“わさび”は最近ではほとんど見られなくなりました 十数年前ですが、春先ウド採りに山の中にもぐりこんでいたとき、野生の“わさび”を数株見つけたことがあり、新芽と花を摘んで新春のわさび味を楽しんだ事がありました
“わさび”を大きく育てるには、豊富で綺麗な水温9~16℃ の水と、強い日光のあたりにくい環境に砂地などの透水性が良い土壌が必要です
わさび農場の傍らには、満々と「犀川」がながれ、“わさび”の命をたくましく育てる糧を与えていました
「犀川」の流れる様子は、これぞ「安曇野風景」の感でした
水車小屋の残る「犀川」の流れ 向って右の流れは「万水(よろずい)川(?)」
「犀川」の流れです 手間の緑は水草ですが、水底まで見えるような透明度です
この風景は「ひまわり」場面で見たように撮りながら思ったのですが、どうでしょう!?
信州安曇野の『碌山美術館』に行ってきました
このところすっかり信州の虜で、毎日信州の観光案内みたいですね でも見聞きしてきたちょっと見の信州・安曇野ですが、なかなか奥深くいいところだなと思っています
安曇野・穂高の自然環境は文化人にとっても心のよりどころの地となっているようです
「安曇野」を走っていて、なんとミュージアムの多いこと・・・
そんな多くのミュージアムがある中、日本近代彫刻の扉を開いた「荻原守衛(号:碌山)」(1879‐1910)の作品と資料を 保存、公開している『碌山館』に立ち寄ってきました
『碌山館』とは、1958年4月、約30万余人の力によって、『碌山』の生地・北アルプスの麓・安曇野に創設された「碌山美術館」の本館名称です
『碌山館』は尖塔に不死鳥(:画像では入りきれませんでした)をいただき、外壁に焼きレンガを積み上げた西欧教会風の建物で、安曇野のシンボルとして多くの人々に愛されていると聴きました
入口には、荻原守衛の言葉・「LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY」 (― 愛は芸術なり、沮相克は美なり ―) と、刻まれていました
館内は、「荻原守衛(碌山)」の重要文化財にも指定されている最後の作品「女」をはじめ、彼の力作が揃い、親交のあった芸術家達(高村光太郎、他等)の作品も展示されていました
撮影禁止なので、撮る訳にいきませんが、木像等と違って、ブロンズで造られた彫刻でもやはり撮ってはいけないのですね・・・もっともそういう問題ではないのかな
上の画像は、『碌山館』の横のたたずまいです (向って左の樹は桜で、紅葉始まっていました)
「荻原守衛」なる人物の世界を、「高村光太郎」 が謳った詩文がありました 彼人の人となりを知るのは、余ほどの親交があったのでしょうね!!
どの芸術も、それを理解してくれる人あって、意味がでてくるのですから・・・
「碌山美術館」は教会建築風の本館の他にも幾つかの建築物があり、それらが色付いたいろいろな広葉樹の木立に囲まれていました 静かです 所々に置かれたベンチに座り、紅葉している木々を眺めると、時間の過ぎるのを忘れそうでした
安曇野の神社といえば、“穂高神社”です
昨日に続いて・・・長野のお社の中でも大社として有名な「穂高神社」を訪ねてきました
東京、名古屋方面から…中央自動車道、長野自動車道を利用 ・ 豊科ICで下りて、10分ほどのところです
“穂高神社”は里宮と奥宮があり、里宮は安曇野市穂高に、奥宮は北アルプスの穂高連峰のふもとの上高地・明神池に祀られ、更に主峰奥穂高岳(標高3190m)の山頂には嶺宮が祀られています ちなみに、穂高連峰とは奥穂高岳・北穂高岳・涸沢岳・前穂高岳・西穂高岳・明神岳の総称をいうそうです
“穂高神社・里宮”は、日本アルプスの総鎮守として信仰を集めています
“穂高神社”の由来は、里宮の境内にある「穂高神社略記」によると・・・北九州に起こった安曇族は、海人族で、海運を司ることで文化の高い氏族として栄えていたそうですが、更に豊かな土地を求めいつしか海のないこの地に移住し、海神を祀る“穂高神社”を創建したと伝えられています
海のない信濃の国に、海神を祀った神社があるのはとても面白く感じませんか!? 海人族の穂高見神と綿津見神は、安住を山深い地で求めたのでしょうか!?
ところで、観光名所として知られる「かみこうち」(上高地、神垣内とも表記)の名称は、穂高見神を祀る“穂高神社・奥宮”と明神池があることに由来するとされています
奥宮は、安曇上高地の景勝地・明神池の入口に鎮守され、毎年10月8日奥宮の御船神事として神域である明神池に舟を浮かべて行なわれているそうです
尚嶺宮は、穂高見神が降臨したとされる奥穂高岳頂上に白い石造りの小さな祠で鎮座しているそうです
各神社には古木が多く見られます 穂高神社にも境内の片隅に、ケヤキの巨木を見かけました 樹齢500年・幹の周囲4.2m、高さ18mもあるそうで、なかなか見事なのでパチリ! してきました
その見事さは私のみ感じたのではなく、井上靖、東山魁夷、川端康成の三巨匠がかって“穂高神社”を参拝した際に、この欅の素晴らしさに絶賛したということがたて看板に書かれてました
中でも井上靖氏は、自作小説・『欅の木』中にまで登場させているそうです
信州・安曇野の“大宮熱田神社” ; 長野のお社
先だって行った長野ドライブ記です
信州・安曇野を車 で走りながら、この地の歴史を少し垣間見ました
“大宮熱田神社(おおみやあつたじんじゃ)”は、長野県松本市(旧梓川村)にある神社です 松本ICから、国道158号(野麦街道)を上高地方面へ走り、途中で梓川を渡って、梓川村役場を目指して、役場から約2km程北西の方向にありました
本神社は、旧県社で「梓川」の水の守護神として、「松本平ら」が一望できる「本神山(別名・男体山:標高1283m)」の山頂に、“梓川大神”を祭神として奉斎されたのが起源になっています
向って左・鳥居横に見える巨木は、長野県の指定天然記念物にされている“モミ”の樹です
根元に立って見上げると、あまりの高さに首が痛くなりました 説明によると、この“モミ”は樹齢600年・幹周り6.3m、樹高は43mあるそうです (下左)
“大宮熱田神社”に祀られた「梓川大神」は、約1000年前の歴史書である三代実録に、清和天皇の貞観9年に神徳の高きにより、従5位下が贈られたと記載されている霊験あらたかな神で、広く崇敬されてきた神様だそうです そして、祭事や参拝者の便のために、現安曇野の地へ移って後に、「熱田大神」・「天照大神」・「八幡大神」の神々が合祀され、現在の神社になりました
鳥居をくぐり、深閑とした参道を進むと、大社拝殿があり、入り口には以前「出雲大社」で見たような大きなしめ縄が眼を引きました (上右画像)
本殿は拝殿より奥の四方壁に囲まれた中心に、国の指定重要文化財になっている室町時代後期に建てられた建物があったのだそうですが、事前知識もなかったため、見ることが出来ませんでした
神社の境内は古色蒼然として、巨木が多く、しかも松と杉が一本樹になっている巨木もあり、長寿を祈願する御札が沢山見られました
信州の人たちの自然に対する敬慕、畏敬が脈々と流れていると感じられました
”リンドウ”の花は昆虫達のよりどころです
長野・蓼科高原を訪れて、早くも一週間が経ってしまいました ここ数日、朝夕の気温は随分下がっているように感じ、秋が深まってきてるのかなと思われます 蓼科高原・女神湖の湿地原を歩いていて、足許に“リンドウ”の花が咲いているのを見つけました
“リンドウ(竜胆)”は、リンドウ科リンドウ属の多年生植物で、日本各地の湿った野山に自生しています
“リンドウ”の花は晴天の時に開き、青紫色のラッパ型で、先が5裂しています 草丈は50cmほどになり、細長い葉を対生につけて、茎先には上向きに幾つもの花を咲かせる姿はとても野趣に富んできれいです
花が少なくなってきたであろうこの時期は、虫達も吸蜜さがしに大変でしょうね 周りの枯れ草色の中で目立つように咲いている“リンドウ”をパチリ していたら、レンズの前に“ホソヒラアブ”がホバリングしながら吸蜜にやってきました
“ホソヒラタアブ”の特徴は細身の体をして、お腹の黄橙色と黒色の縞模様で、それぞれの節に(太い帯と細い帯の)各2本ずつの黒帯があることです 結構都市郊外や人家近くでも見られる普通の「アブ」で、マイ菜園でもみられますから、“女神湖”で見たらなんか友人を見かけた思いでした
下の画像は、“女神湖”に来る一週間ほど前、群馬・榛名山麓の渋川公園で見かけた“リンドウ”です 薄い青紫色をして、草叢で横たわるように咲いていました 撮り終わって、画像整理していて気づいたのですが、筒型の花底に小さな“カナブン”が寄り集まって吸蜜をしていました
“リンドウ”は古くから漢方薬に利用されていますが、虫たちにとっても、貴重な栄養源に生っているのかもしれません
“リンドウ”は、明日10月23日の誕生花です そしてその花言葉は、群生せず一本ずつ咲く姿と薄青紫色のイメージから、 「 悲しんでいるあなたを愛する 」 といわれています
紅い蕎麦の花が咲いていました → “アカバナ蕎麦(?)”
先だってまで、NHKで、“ヒマワリ”の題名で、長野「安曇野」を舞台にしての‘朝ドラ’が放映されていましたが、見てましたか!?
放送画像の中で、しばしば見られた 蕎麦畑に咲いた真っ白い花 はとても印象深く眼に焼きついています
先日長野・乗鞍高原に行きましたが、その折「安曇野」にも廻ってきました
今の時期は蕎麦の花は見れないだろうなと思っていながら車 を走らせていたところ、道路横に咲く、一面の紅い蕎麦の花を見つけ・・・いやぁ~!ラッキ~!!でした
蕎麦はタデ科蕎麦属・東アジア原産の一年草で、茎先に総状花序を出して6mmほどの花をたくさんつけて咲きます
今まで見たことなかったのですが、花色は白の他淡紅、赤色があり、茎の色も緑、淡紅、濃紅色と種類があるようです
見かけた紅い蕎麦の花は、差し詰め花色から、“アカバナ蕎麦”といったところです
赤い花を咲かせる“蕎麦”は、ネパールの高原の原産で、茎も花も赤い“高嶺(たかね)ルビー”という品種のようですが、これがそうなんでしょうか!?
“高嶺ルビー”の花期は秋(9~10月)で、花の咲き始めは薄い赤から、徐々に赤が濃くなっていくのだそうです
5弁の赤い色の蕎麦の花は、どんな実が生るのかな
長野・蓼科高原の“女神湖”愁景
昨日に続いての蓼科高原の秋近況です・・・ “白樺湖”から蓼科牧場方面にハンドルを切り、道沿いの紅葉 を眺めながら、約10分程車 を走らせると、 “女神湖” に到着します
“女神湖”は、蓼科山(標高2,530m)の北西麓にある周囲約2kmの人造湖です 昭和41年蓼科山の麓、赤沼平と呼ばれた沼地を農業用水池として整備し、「女性の神の山」と呼ばれる蓼科山の水を湛えるところから、“女神湖”と名づけられたそうです
“女神湖”は、まさに秋たけなわの風景でした・・・あまりの静けさに、すっかり心洗われる思いでした
向って奥の山は、「蓼科山」です 尚、「蓼科山」は、八ヶ岳連峰の最北端に位置している弧峰で、コニーデ・トロイデの二つの火山形が重なった二重式火山で、その円錐型の山容から「諏訪富士」と呼ばれているそうです
この日は、“女神湖”の湖面は少しさざ波だっていましたので、水面に映るはずの「蓼科山」の姿見は見ることが出来ず、ちょっと残念でしたが、この静けさを味わえてまぁ良しですね
元は沼地であったので、葦が茂っているのがみられますが、朝もやに覆われる頃この湖面を眺めたら、さぞ神秘な風景に見えるでしょうね 夕陽を映す黄昏時もいいでしょうね・・・うぅ~ん!・想像するとその変化がとてもわくわくしたものに想えます
“ナナカマド”の紅葉です
“女神湖”は周回遊歩道が完備され、いろいろに植えられた街路樹の紅葉が秋一杯の彩りを見せてくれました
湖面奥の建物は、“女神湖センター”です 向って左手は、“落葉松”で、少し紅葉が始まってきました
長野・蓼科高原 “白樺湖” 秋景です
「乗鞍高原」に秋を訪ねた帰り、「白樺湖」方面にハンドルを切ってきました
「白樺湖(旧名:蓼科大池)」は、八ヶ岳中信高原国定公園に属する蓼科高原・「池の平ら」にある周囲約3.8 Km、面積約36haの人造湖で、湖面標高は1,416mだそうです
「和田村」から「姫木平」を抜けるR152を通って、一気に「大門峠」に駆け上がり、眼の前に開けた白樺湖リゾートの眺望です 向って正面に見える「蓼科山」は、てっ辺がちょっと曇ってました・・・が、峠足元の白樺湖は紅葉ですっかり包まれていました
「白樺湖」をぐるり周回・紅葉 の具合を見てください
白樺湖から蓼科山を望む
白樺湖から、大門峠方向の展望です
白樺湖畔の木道の遊歩道は、赤黄の彩りで飾られていました (遊歩道向うは湖面です)
訪れたこの日は、休日前のせいなのかとても静かな湖でした
“ナナカマド”が教える秋です
すっかり秋めいてきました 出先の山野は、次第に彩りが鮮やかになってきています 色々に紅葉する樹の中で、“ナナカマド”は秋を飾る樹木でも一際目立っています
“ナナカマド(七竈)”は、バラ科の落葉高木です 赤く染まる紅葉や果実が美しいので、街路樹としてもよく植えられていますが、秋の山野の中で見かける“ナナカマド”は高原の秋を演出する代表樹だと思えます
乗鞍高原・一の瀬園地で見かけた“ナナカマド”です ( 10月13日 撮影)
“ナナカマド”は、5月頃白い花をつけ、7月頃から緑色の実が出来ます 8月には黄色に色付き、秋・10月には真っ赤に色付きます 色付き始めた山の紅葉、そして空の青さ、“ナナカマド”がとても引き立って見えました
白樺湖・大門峠で見た街路樹の“ナナカマド”です (10月14日 撮影 )
女神湖周辺遊歩道に植えられた“ナナカマド”です (10月14日 撮影 )
10月も終わりになり、葉が散った後はこれ等の木々には赤い実が残り、晩秋の面影をさらに演出します その頃又来てみたいなぁ~
乗鞍高原の秋紹介・・・赤いナナカマド、銀色のウルシの実、白穂のススキ
昨日に続いて・・・ “乗鞍高原”の秋を紹介します “乗鞍高原”・「一の瀬園地」の遊歩道入り口!!・ “ナナカマド”の真っ赤な実が、秋を告げていました
高原のあっちこっちで、秋が満載に見られます
紅葉と言えば、赤い色は目立ちますが、乗鞍高原の紅葉でも、“ウルシ”の赤さが目立ってました
“ウルシ”は樹高3~10m程にもなる雌雄異株の落葉高木で、樹皮は灰白色、葉は3~9対で、卵形か楕円形の小葉を持った奇数羽状複葉をして紅葉します
広葉樹林の林縁に、真っ赤に染まった“ウルシ”の葉を見つけ、パチリ!! しました
葉軸も真っ赤な色をして、どうすればこんな赤色に生るのかとても不思議な感じです
果実は生っていないので、雄木なのでしょうか !?
紅葉するのは雄木で、しないのは、雌木だなんて、まさかねぇ~
「一の瀬園地」の草原の草紅葉に混じって、総状に葡萄の房の様に葉腋から花茎をのばして、実を生らしている “ウルシ”の木がありました
葉は霜にでもやられたのか、赤さを失いすっかり枯れ色になっています・・・「雌木は紅葉しない」が、真実めいてきたりして・・・
幾本かの花茎についた果実は、ゆがんだ扁平の核果で、黄褐色に成熟しています
“一の瀬園地”の 『まいめの池』 では、“ススキ”が綿毛をとばそうと、ゆっくり揺れていました
駄句一句
“ 秋の陽が 乗鞍の野辺 注し渡る ” ( ダッペ )
“ 熟れ残る 漆の果実生る 実りかな ” ( ダッペ )
“ ナナカマド 紅さ眼に染む 遊歩道 ” ( ダッペ )
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