日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
温かくなって、ミツマタがそろそろ咲き出しそう・・・ウォーキング始めよう
この頃、早朝ウォーキングを怠けがちです
昨年の夏頃から早朝ウォーキングに代って、早朝畑作業をしていたのですが、秋になるにしたがって昼に戻しました
勿論早朝ウォーキングは再開したのですが、切り替えがうまくいかず休みがちになりました
暮れ辺りからひどく(・・・こんな日本語はないですね)休みました
お正月はお餅を一杯食べ、お酒を飲んで過ごしたから、体重はあっという間に数年前ウォーキングを始めた頃に戻りました
自己責任ですが、こうもあっさり元に戻るのかとガックリしています
春になったし、芽吹きも始まろうとしています
気持ち新たにまたウォーキング開始します
ウォーキングコースで見かけた ミツマタ です ( 下画像 )
温かくなってきたこのごろ、つぼみは少し色づき始めていました
まもなく咲き出しそうです
ミツマタは万葉植物です
古来からサキクサと呼ばれ、幾つか万葉集にも詠われています
詠み人知らず(山上憶良ともいわれます)ですが、長歌を見つけました
<・・・白玉の 我が子古日は・・・父母も うへはなさかり さきくさの 中にを寝むと うつくしく しが語らへば・・・>
歌の意を単に訳すと、「白玉のようなかわいらしい我が子(古日という名)は、父も母も自分を離れないで欲しい。自分は父母の間に寝ましょうとかわいらしく言ったので・・・」となりますが、分かりにくいなぁ~
単純に、『お父さんもお母さんも私のそばを離れないで。 私は、二人の真ん中で寝るんだ』 と云う事なのでしょうかね!?
綻び準備の ミツマタアップです ・・・表情がとっても優しく見えました
蓄え過ぎた体を動かして、行動開始しなくちゃ!!
ミツマタの 花言葉は、「 心の美 」、「 淡泊 」 です
春近し!! ・・・ スイセンの花が咲く近く、「双体道祖神」 が温かく見えました
早朝ウォーキングをしてたら、スイセンが咲き、石組みされた道路端で、「双体道祖神」に出合いました
道祖神は民間信仰でもっとも庶民に親しまれた路傍の神様です
厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として、主に道の辻や三叉路などに石碑や石像の形態で祀られています
道祖神の形態は様々ですが、子孫繁栄からか古来から「双体道祖神」が多く見られます
出会った道祖神には古色は全くありませんが、古き信仰を平成の代で見つけてなんか新鮮です
石像と云うより、コンクリート像の様に見えます・・・触っても見ませんでしたが、とにかく最近造られたものの様にみえます
双体道祖神 と 庚申塚
「双体道祖神は長野、山梨、静岡、神奈川、群馬の 5 県に限定されているといわれていますが何故なのでしょう!?
その信仰系体には興味が湧きます
「双体道祖神」とは男女カップル像として、縁結び、夫婦和合、子宝授けの神さまとして性神的要素を多分に含んで信仰されてきたと考えられています
頬杖してしゃがんでいる男像に寄り添うように両手をかけた女像の微笑ましさはどんな想いが秘められているのでしょうか!?
駄句一句 『 水温む 双体神の 笑み優し 』
やっと開け始めた朝、「双体道祖神」の近くで、ニホンスイセン(日本水仙)が、数輪白い花をつけ咲き出していました
花は控えめで可愛らしく、上品な香りが春を呼んでいるようでした
スイセン(水仙)は地中海沿岸地方の原産で、室町時代から安土桃山時代の間(平安時代末期などの説もあり)に日本に渡来してきた史前帰化植物ですが、中でも二ホンスイセンは、中国から南宋の頃に修行僧が持ち帰ったものとされ、鎌倉時代に中国名の「水仙」をそのまま「スイセン(水仙)」と音読みして、名が付いたとされています
古代中国では、水辺を好んで繁茂する清らかな植物を「水の仙人」と呼んだといわれ、この植物が繁殖することによって、「水の仙人」から「スイセン(水仙)」と呼ばれたそうです
中国の古典では、『 仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙という 』とあるそうです
ギリシャ神話では、『 自分の姿に恋いこがれ、憔悴しきってしまい命を失ってしまったナルキッソス(Narcissus)の亡くなった跡にひっそりと咲いた花がスイセン(水仙)であった 』という伝説があり、スイセンの下に向いて花首をかしげて花を咲かせる様子が水面をのぞきこむようにも見える事から名がついたといわれています
石組みされたところに植えられたスイセン(水仙)花
二ホンスイセンの開花期は、12月~3月です
草丈は30~50cm、葉は20~40cmの細長い線形で平たく白い粉をふいたようになります
葉の間から花茎が伸びてきて、数個の花を横向きに咲かせます
花の直径は2.5~4cmほど・白く花びらのように見える部分は「花被片」といい、6個に分かれているように見えますが、もとの部分では合着していて筒状になっています
黄色で杯形のカップは「副花冠」といい、中には雄しべが6本、雌しべは1本あります
二ホンスイセン の 花アップです
スイセンの 花言葉は、 「 エゴイズム 」、「 うぬぼれ 」、「 自己愛(ニホンスイセン) 」 です
スイセン(水仙)を詠んだ芭蕉の句を見つけました
「 其のにほひ 桃より白し 水仙花 」 松尾 芭蕉
「 初雪や 水仙の葉の たはむまで 」 松尾 芭蕉
「 水仙や 白き障子の とも映り 」 松尾 芭蕉
群馬・「伊香保温泉」をちょっと覗いてきました
昨日に続いて・・・
群馬・「渋川市総合運動公園」に立ち寄った後、ここまで来たなら「伊香保温泉」を覗いてみたくなりハンドルを切ってきました
冨岡製糸群が世界文化資産に登録されて以来、群馬は観光立県としてすっかり有名になっています
それに応えるように各観光地はお客さんに来てもらおうと一所懸命の努力をしているようですが、特に富岡に近い伊香保は力を入れているようです
温泉街入口は随分整備され、この日は観光客が大勢訪ねてきており、駐車場は一杯の様相でした
伊香保温泉名物の石段から温泉ホテル街をパチリしました ・・・アングルが良くなく不本意構図です
伊香保温泉はもともと長篠の戦い(1575年)で敗れた武田勝頼が、傷ついた兵士を癒すために真田氏に命じて造らせたものといわれています
当時、共同浴場や旅籠は山中の源泉近くにあったそうですが、武田方戦傷者をより多く収容するため湯宿を広い場所に移転させたものが、現在の石段街の原型となったようです
山上から湧き出す源泉を木製の導管で引き、たくさんの浴場に分湯する伊香保独自のシステムは「小間口制度」と呼ばれ、代々土豪たちに引き継がれてきたのだそうです
木製の導管を利用しての分湯技術は、山国甲州から持ち込まれたものかもしれません
鉱山などの近代選鉱技術につい最近まで使われていましたから、伊香保の温泉街を貫く石段には歴史の重さが偲ばれます
戦国時代に創業した宿もあり、今なお健在だそうですが、街は度々火災に遭っており、建物自体は近代的なものが多くなっているようです ・・・ 安全がないと世界のお客様は迎えられませんよね
角度を変えてみた石段ホテル街です ( 向かって右 手前: 関所跡、 その上は、石段の湯共同浴場 )
伊香保温泉はハワイと姉妹都市になっています
かつてハワイが独立国だった頃の駐日代理公使ロバート・W・アルウィンの別邸があります
これは日本に残るハワイ王国唯一の建物で明治初期に建てられた純和風の木造建築です ・・・ 老朽化の為昨年手を加えられ現建物に作り替えられました
作り替えられたハワイ公使 別邸 伊香保温泉チンチン電車記念展会場
ハワイ公使別邸裏に造られた庭園からは近隣の山々が絶景でした ・・・ 絶景の様子は下の碑に詠われています
庭園の様子をパチリしました
小さな回遊式庭園です ・・・ 全面結氷でした 「 秋風や いかな動かぬ 秋の大 」 松根東洋城作
伊香保の関所跡 (右上:石段の湯) 石段街に懐かしい遊び場ができてました
伊香保の関所は、寛永8年(1631)幕府の命によって設けられた三国街道裏往還の関所を復元したものです
当時の関所は間口5間のかやぶき屋根の建物で、現在併設された資料館では当時の通行手形や古文書、武具などが見られます・・・この日は入りませんでした
石段は伊香保温泉街のメインストリートです
石段の両脇に温泉旅館やお土産屋、射的の店などが並び、温泉情緒たっぷりで、明治の文豪・徳冨蘆花の小説「不如帰」の舞台にもなりました
石段の途中には与謝野晶子の「伊香保の街」の詩が刻まれています
観光客で賑わう石段街 (向かって中央左の石段に、晶子の詩が刻まれているのですが・・・)
早春の伊香保を彩る風物詩として恒例行事になっているイベントが近くあります
それは美しい衣装をまとい、ほんのり薄化粧をした子ども雛が石段街に二日間勢揃いするイベントです
今年の予定は、 第25回 伊香保温泉『石段ひなまつり』 平成27年3月7日(土曜日)、8日(日曜日) だと案内に出てました
ちょっと宣伝しちゃいました ・・・ 無報酬ですよ
群馬・榛名山麓の「渋川市総合公園」に行って来ました
先日、榛名山麓にある「渋川市総合運動公園」に行って来ました
総合公園へのアクセスは、JR渋川駅→車15分ほど、関越道渋川伊香保ICから国道17号経由して、10 kmほどのところです
「渋川市総合公園」は、群馬県渋川市が設置した総合公園で、標高600m、約57.2haの敷地内に陸上競技場、野球場、体育館、運動広場などやテニスコート、キャンプ場、バーベキュー場、遊具のあるこども広場など沢山点在しています
1976年4月に陸上競技場が設置され、以降施設が順次拡大されてきました
総合公園の陸上競技場を、俯瞰しました
陸上競技場のトラックは400m*6レーンです
観客席は7,000人収容だそうです
サッカー用ゴールケージがありますが、Jリーグの「ザスパ草津」の練習場の一つにもなっているそうです
陸上競技場越しに、遠くの雪山をアップです ・・・ 中央奥の雪山は、谷川連峰でしょうか!? 右手前は子持ち山
陸上競技場を俯瞰する場所は松林が広がって、秋に訪れるとキノコ狩りが楽しめます
松ぼっくりの散らばった松林は冬の風情です ・・・ 松葉が積もって今年もたくさんキノコが出るかなと期待です
松林の松越しから、榛名山系の一つ水沢山が見えています
温かな冬陽射しが、緑の松葉にあたり、照り輝いていました
冬はあまり見るべきものはないですが、私には静かさと温かがとてもうれしく思えました
フクジュソウが咲き始めました
四節季の雨水が過ぎ、草木の芽生えが本格的に生ろうとしています
まもなく畑にもジャガイモを植えなくては・・・と考える時期になりました
昨年は我ながら大分うまくできたので、今年も何とかうまく作りたいものです
昨日畑に行って来ました・・・天地返しの為です
私の畑作業はスコップ農法です・・・体を使い汗をかく事です
畑に行くとき、近所の荒れ地の隅で、フクジュソウの花が咲いているのを見つけました・・・パチリ!!です
まだ咲き始めたばかりです
ごろ土の中から咲き出した フクジュソウ
フクジュソウは日本原産の毎年花を咲かせるキンポウゲ科の多年草で、山野の落葉樹の下などに自生します
開花時期は、 2月初め ~3月中旬頃です
黄色い綺麗な花色をしています
花屋さんではハウス栽培されたものを鉢植えし、寒さに併せ室内でお正月頃咲かせます
光や温度に非常に敏感で、昼間でも日がさえぎられると1~2分で花がしぼみ、再び日があたると いつの間にか花を開かせます
寒い時期に咲くので、花びらを開閉することで 花の中の温度を下げないようにしていると云われています・・・花形がお椀型になっており、パラボラアンテナの様に陽の光を集光されるようです
花が終わる頃、人参(にんじん)の葉のような羽状のこまかい葉が出てきて一面に広がります
夏前には枯れて休眠に入ります
羽状の葉を襟元に巻いて、気取っているように見えるフクジュソウ花
フクジュソウの句を沢山見つけました
「 朝日さす 老師が家や 福寿草 」 ( 与謝蕪村 )
「 日のあたる 窓の硝子や 福寿草 」 ( 永井荷風 )
「 水入りの 水をやりけり 福寿草 」 ( 正岡子規 )
「 光琳の 屏風に咲くや 福寿草 」 ( 夏目漱石 )
「 何もなき 床に置きけり 福寿草 」 ( 高浜虚子 )
「 帳箱の 上に咲きけり 福寿草 」 ( 小林一茶 )
パラボラアンテナのように一杯の光を集めるフクジュソウ
フクジュソウ全般の花言葉 「 幸せを招く 」、 「 永久の幸福 」、 「 悲しき思い出 」 です
ボケ(木瓜)の花が咲く
先日買い物に出かけた産直で、花木コーナーを覗いたら、ボケ(木瓜)の鉢植えが売られていました
小さな鉢植えですが、つぼみが一杯つき、中には花が沢山咲き出した鉢もありました
ボケ(木瓜)は、バラ科ボケ属の落葉低木です
果実が瓜に似ており、「木になる瓜」で、「木瓜(もけ)」と呼ばれたものが「ボケ」に、「木瓜(ぼっくわ)」から「ボケ」に転訛したとも云われています
原産は中国大陸で、日本には平安時代に入ってきたと云われています
ボケの樹高は1~2m、若枝は褐色の毛があり、古くは灰黒色となり、樹皮は縦に浅く裂けて、小枝には棘があります
開花時期は11月末~翌4月初めまでです
11月末頃から咲き出す花は、春(3~4月)に開花するものと区別して「寒ボケ」と呼ばれています
葉は花後芽吹き、形は楕円形で、長さ5~9cmで、基部はくさび形で、縁には鋸歯があります
花は短枝の脇に数個つき、5弁花で、花径は2.5~3.5cmあります・・・花色は基本的には淡紅、緋紅、白、白赤の絞りなどがあります
学名の speciosa は、「美しい」、「華やか」、Chaenomeles は「chaino(開ける)+ melon(リンゴ)」が語源
ボケ の花
“ボケの花 ボケの花( 真紅の花びらが・・・)
ボケの花 ( 紅いボケ )
ボケ(木瓜)は、2月19日の誕生花です
ボケ(木瓜)の花言葉は、 「 指導者 」、 「 先駆者 」 です
ボケは、晩春の季語です
季語として、花ボケ、ボケの花、緋ボケ、等々あります
ボケの句を幾つか見つけました
初旅や 木瓜もうれしき 物の数 正岡子規
花よりも 水くれなゐに 井手の木瓜 飯田蛇笏
浮雲の 影あまた過ぎ 木瓜ひらく 水原秋櫻子
アマリリス&ヒヤシンスの花
花の少ない冬、花がないのかなと探していたら、花屋さんの花棚には花を持ち始めたアマリリスやヒヤシンスがいくつも見かけられました
アマリリスは、ヒガンバナ科ヒッペアストルム属植物の総称、原種は中南米・西インド諸島に約90種があり、数百種類の園芸品種が出され、現在もその数は増え続けているそうです
でもそんなに品種が豊富だと云っても、花屋さんには2種類でした・・・ちょっと拍子抜けかな
アマリリスは、地中に鱗茎を形成する多年草で、初夏にユリに似た六弁の大きい花を2~4個つけます・・・八重咲もあるようですが、見た事はありません
花の色は白・赤・薄紅・淡黄など、花は横向きに通常咲くが、上を向いて咲く受け咲き種もあるようです・・・香りのあるものも作られています
球根の根際から生える葉は、披針形(笹の葉のような形)をしていますが、葉の前に茎がのび、茎先に花径が20cmもある大輪をつけて咲きます
一般的開花は5月から6月頃にかけてです・・・アマリリスは夏の季語です
絞り色のアマリリスです ・・・ 蕊の根元の黄緑色がとても綺麗です
こんな句を、見つけました
「 温室ぬくし 女王の如き アマリリス 」 ( 杉田久女 )
「 アマリリス 月のなき夜を ふかねむり 」 ( 柴田白葉女 )
真紅色の アマリリス ・・・ 蕊の茎の紅さと蕊先端の花粉色のコントラストがとても鮮やかでした
アマリリスは、1月20日、 2月12日の誕生花です
アマリリスの花言葉は、 「 誇り 」、 「 内気 」、「 すばらしく美しい 」 です
アマリリスの咲く花棚の横には、ヒヤシンスが寄せ植えされていました
ヒアシンス(➝和名で「風信子」、「飛信子」)は、ツルボ亜科ヒヤシンス属の球根性多年草です
耐寒性秋植え球根として扱われ、鉢植えや水栽培などでよく鑑賞されます
ヒヤシンスの生まれは地中海沿岸からイラン、ギリシャ、シリアと云った中東です
オスマン帝国時代に栽培始まり園芸化されたようです・・・日本には1863年に渡来したそうです
根元から4~8枚から出る葉は厚く、先端が細く鋭い形です
水栽培出来るので、球根を鉢に寄せ植えしたヒヤシンス
2~3月、先が6つにさけた鐘形の小花が集まって咲きます
花色は紅色、黄色、ピンク、白、薄い青紫色などが見られます
ヒヤシンスの句を見つけました
一筋の 縄引きてあり ヒヤシンス 高浜虚子
目を伏せて ほくろが媚びる ヒヤシンス 日野草城
花名のヒヤシンスは、ギリシア神話の美青年ヒュアキントスに由来します。
ヒヤシンス全般の花言葉は、 「 スポーツ 」、「 ゲーム 」、「 遊び 」、「 悲しみを超えた愛 」
群馬・高崎にある「山名古墳群」を見てきました
先日、群馬・高崎市山名にある山名古墳群を見てきました
週一の産直めぐりをしている途中の立ち寄りです
今から20年ほど前の平成3~6年時、高崎市指定史跡になった古墳群で、 今のところあまり整備もされず、説明看板がやっと一つあるだけでした
看板には、『 指定種別:高崎市指定史跡 ・ 名称:山名古墳群(やまなこふんぐん) ・ 指定年月日:平成4年3月2日 平成6年3月22日(追加指定) 』 とありました
「山名古墳群」 を眺める ( 向かって奥 : はるか向こうに見える山並みは、榛名山系です )
10基をこすと思える中小の平べったい円墳が横に並んで散在しているのが見られます ・・・小さな小さな古墳です・・・近くには大きな古墳があるので、これらの古墳は小豪族のものなのでしょうか!?
古墳群に春が近づいています
陽射しの中で梅がほころび始めていました
梅の木越しに古墳群を眺めました 古墳群全景は写しきれません
ここには前方後円墳1基、帆立貝型古墳1基、円墳17基の大小古墳が存在しています
最近ようやく立てられた説明看板にはそれらの経過が書かれていました
ほころび始めた梅 山名古墳群説明看板
「山名古墳群」の概容を調べてみると、以下の事が分かりました
「山名古墳群は6世紀中頃~7世紀前半(古墳時代後期から終末期)につくられた古墳群です
平成13~18年度にかけて古墳群の発掘調査が実施され、史跡地内に前方後円墳である「山名伊勢塚古墳」のほか、帆立貝形古墳1基、円墳14基、形態不明1基の合計17基の古墳があることがわかりました
「山名伊勢塚古墳」は2段築成の前方後円墳で、墳丘全長が65m(➝高さが低いせいかそんなに大きいとはおもえませんでしたが・・・)あることが確認され、その出土遺物等から、6世紀後半に造られたと考えられているそうです
石室は近隣の岩野谷丘陵(観音山丘陵)から産出する凝灰岩を使用した削石積横穴式石室であることもわかっているそうです
「山名原口2-2号墳」の横穴式石室は、模様積みと呼ばれる石の積み方をしており、発掘調査の際には鉄鏃・馬具・玉類など多くの副葬品が出土したそうです
この石室は、現在史跡地内に保存されており見学することができたようですが、急いでいた為見ずに帰ってきました
草原の様になっている中に点在する円墳群です
古墳法尻の草むらにも、春が見えました
白花タンポポの花 タンポポが咲いていました・・・苞の短さから在来タンポポかも
タンポポは、漢名では、「蒲公英」・万葉仮名で、「多年保保」と書かれます
古墳時代からもしかしたら生えていたのかもしれません
古代人もタンポポを愛でていたのかな
群馬・館林~邑楽にある「多々良沼」に、ハクチョウ達を見てきました・・・色んな水鳥がいるのに吃驚!!
数日前、白鳥が飛来してると聞いて、「多々良沼に行って来ました
「多々良沼」は、群馬県の東南部、館林市の西部~邑楽町にまたがり、北は渡良瀬川、南は利根川に挟まれた低地部に位置しています
沼面積は約80ha、周囲約6kmの広大な沼です
水田や小高い丘の赤松林に囲まれた緑豊かな景観の「多々良沼」には、魚介類や水生植物、野鳥、昆虫などが生育する豊かな自然に恵まれた湖沼です
かつては貴重な生物の宝庫として注目され、近年は白鳥の飛来地として広く知られてきています
白鳥は昭和53年(1978年)の冬、「多々良沼」に初めてシベリアから飛来し、年々その数が増えてきているそうです
飛来するのは主にコハクチョウ(➝オオハクチョウも来ることがあるようです)で、例年、11月初めにやって来て、翌年3月中旬から下旬に帰っていきます・・・もっとも多くなるのは、1月下旬から2月上旬だそうで今が一番多いのかもしれません
「多々良沼」野鳥観察地(➝館林側)から沼を眺める・・・給餌の時間で、水鳥が集まってきています ( 正面向かいの森は弁財天方面 )
邑楽側からみた「がバ沼」 浮島弁財天神社
「浮島弁財天神社」は邑楽町の東の端、多々良沼公園から多々良沼へ突き出た荒間崎と呼ばれる半島部に鎮座しています・・・「多々良沼」は館林市の行政区画という境界地なのです
水鳥たちは、邑楽と館林を行ったり来たりという訳で、両自治体で飛来数を捕まえているそうですが、数は合うのでしょうか
「浮島弁財天」は、由来によると、鎌倉幕府が滅亡した1333年創建と伝わっています
記述によると、『北条高時が新田義貞らに滅ぼされたとき、その弟四郎慧性の夢枕に立った江ノ島弁財天から、「上毛の郷に霊地あり、その地で北条家の再興を図るべし」と告げられ、弟の荒間五郎友春ら主従5名で辿りついたこの地に、江ノ島弁財天を勧請し、鎮守として建立したものである』と、あるそうです
「浮島弁財天」側から見た「多々良沼」・・・ハクチョウ達は給餌で、まったく見えません・・・夜はこちらの方に来て眠るようです
白鳥の越冬は、1月~3月だそうです
短いこの期間中、白鳥を見に観光客が賑わうようですが、マナーの悪い人もおり環境悪化につながってはと、最近は環境保護が地元住民の課題となっているようです
この日丁度おとづれた時地元の人が水鳥たちの給餌をしていました
『クォ~クォ~・・・』、『グェ~グェ~・・・』、色々な声が入り混じって聞こえました
コハクチョウが沢山泳いでいました ・・・オオハクチョウらしい白鳥も見えます
コハクチョウの体長は約1.2mで、翼を広げた長さは約1.8mです
色は成鳥が純白、幼鳥は灰色で、いつも家族一緒に行動しているらしいのですが、パチリした時は皆成鳥のように見えます
白鳥の好物はマコモなどの水生植物ですが、給餌では麦、パンなどを好んで食べているようです ・・・ 古米やたまには青菜も食べるそうです
「多々良沼」の水鳥達 集合です ( 右手前は、色々なカモたちの給餌の様子です )
手前の水鳥達をアップしました 下 画像
中央で羽ばたきしているのが、真鴨のオス、周りには、尾長鴨のオスとメス、緋鳥鴨(ヒドリガモ)のオス、大鷭(オオバン)が見えます
オオバンは黒鳥です
奥の半身はコハクチョウ(?)かな
多々良沼の水鳥達はほとんどが渡り鳥です
3月中旬頃になると、シベリア方面に旅立ちますから、今の時期はしっかり食べて体力作りなのでしょうか!?
来年またきてほしいですね
それにつけても地元の餌やりしている人たちの努力に感謝です
金の生る木の花が今盛りです
近くの花屋さんで、カネノナルキがビッシリ花を咲かせているのを見つけました
カネノナルキ(金のなる木)はベンケイソウ科クラッスラ属の多肉植物で、葉が硬貨に似ているのが名前の由来になっています・・・英語でも「dollar plant」 といいます
日本には昭和の初めに入ってきた南アフリカ生まれの多肉多年草植物で、栽培業者が五円硬貨の穴を頂芽に通し、若枝が穴を通ったまま成長するようにして、硬貨がなったように見せかけるような販売方法をとったため、「金のなる木」や「成金草」の園芸名で呼ばれるようになっています
和名は「フチベンケイ」・園芸名で「花月(かげつ)」の呼び名があります
多肉植物の中では、クラッスラというグループ(属)に入れられていますが、春から秋に生長して冬は休眠するので「夏(生長)型クラッスラ」と分けているようです
日本に入ってきている「花月」は、割りに耐寒性があり、関東では戸外でも冬を越し花を咲かせるのを見たことがあります・・・でも霜には弱いようで、以前鉢を外で出し放しして枯らしたことがあります
葉は丸っこいヘラ形で長さ3cm~4cm、表面にはワックスを掛けたようなツヤがあり、フチは紅色っぽくになります
秋が深まり葉は低温にあうと紅葉して、全体がワインレッドになります
樹高は30cm~1mほどに大きく育って、茎も太くなり大株になると巨木のように立派に見えます
カネノナルキ(花月)は、寒さが増す時期になると、小さな星形の花を枝いっぱいに咲かせます
花棚で、一杯の花咲いた「花月」 です
和名の「フチベニベンケイ(縁紅弁慶)」とは、葉の縁に赤みがかることに由来していますが、画像を見ると納得でしょう
カネノナルキの開花期は11月~3月で、今が盛りと云えます
花は小さな星形で、茎の頂点にまとめて咲いています
花色は品種によって異なりますが、花びらの先がほんのりピンクに染まった白花や淡いピンクです
星形のくっきりした花が紅い花茎から咲く様子はちょっと幻想的です
金のなる木の 花言葉は、「 一攫千金 」、 「 不老長寿 」 です
今日は「建国記念日」です・・・昔は「紀元節」と云いました
朝起きてふと、今日は「建国記念日」なのだなと思いました
「建国記念日」とは、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨で、設けられた国民の祝日です
何故2月11日なのかと云うと、この日が明治時代の初期(=明治5年)に定められた「紀元節」だからです
「紀元節」と云うのは、『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日に由来しています・・・神武天皇の実在も含め史実としては不明の部分もあるようです
休日が増えるからいいことだと子供たちは思っているかもしれないけど、建国記念日を設けた意味を、学校ではどういうふうに教えているのだろうかとふと思ってしまいました
「国を愛する」と云うと、すぐ軍国主義に結びつくように思えますが、素直に国の自然を大事にする・日本人としての誇りを矜持する事と考えれば、私にはスぅ~と入ってきます
各国それぞれ自国を愛する気持ちがあるでしょう
それが郷土愛です
お互い愛する気持ちを認め合って、競い合えば人類は発展すると思います
キンズの実物盆栽を眺め季節を感じました
実物盆栽を昨年暮れから撮っておきながら載せませんでした
名前を忘れちゃったのです
呆けの始まりのようです
二、三日前、歩き をしていて、実の付いたキンカンの木を見た途端、そうだキンズと云うのだと思いだしました
なんかとてもうれしくなって、画像を引っ張り出して載せちゃいました・・・ボケが治ったわけではないでしょうけど、そんな感じです
キンズは、別名マメキンカンとか姫キンカンといい、ミカン科キンカン属の常緑低木 です
原産地は中国で、中国南東部や香港、台湾に分布しています
日本へはキンカンが江戸時代以降に薬用として伝わったとされますが、マルキンカン(キンズ)と呼ばれるものは、鎌倉時代から室町時代の間で渡来しているとされています
実物盆栽で売られていたキンズです ( 実が美味しそうに熟している感じでした)
キンズは5~7月頃小さな白い5弁花を咲かせます・・・樹高は1~3mほどになります
枝は細くて鋭い棘があり、葉は楕円形ないし披針形で小さく、互い違いに生えます・・・(➝互生です)
果実は直径1cmほどの小球形で、橙色に熟します・・・キンカンは2~3cmの楕円形になります
果実の中身は大きな種子が入っていて、果肉はほとんどないので、食用としては向かず、もっぱら観賞用とされています
その為当然ながら果実観賞期は秋~冬で、盆栽にして楽しむ訳です・・・ご納得していただけましたか!?
花屋さんの花棚で売られていた小盆栽です
こんな歌をネットで見つけました
秋の陽を 浴びて黄金に 輝いて たわわに実る 豆金柑は
小盆栽で、自然を感じました
ルクリア ココ(別名をアッサムニオイサクラと云います)が、真っ盛り!?
上信越道・藤岡ICにある道の駅・ラランの花の交流館を覗いてきました
春の花のポット苗が沢山並んで売られていました
そんな中で、ルクリア・ココの花が目立っていました
ルクリアは、アカネ科のヒマラヤや中国・雲南省・標高1300m-2500mの高原に自生する常緑低木~小高木です・・・別名は産地からアッサムニオイサクラの名があります
COCO(ココ)は品種名で、従来のニオイサクラよりも花が大きく、色もピンク色が濃く、優しい香りもして人気だそうです
ルクリア ココの咲き姿 (鉢植えで、木全体が小ぶりなため花一杯に見えます)
ルクリア ココは上品な甘い芳香と、 その淡いピンク色の色合いが人気の鉢花だそうです
ルクリアは、日が短くなると花芽をつける短日植物で、花芽ができる9月ごろからは、夜間、電灯のない場所に置かないと花が咲きません
花期は12月~2月です
日本へは1975年頃に導入され、鉢花として親しまれています
花色は白やピンク、5枚の花びらを持つ径3cm前後の花を枝の先に20~30輪、球状に付け芳香を放ちます
葉はだ円形でやや厚みがあり、長さは20cm前後で裏面に綿毛が生えています
花色の濃いものや比較的暑さに強い園芸品種も知られています
乾燥には強く、むしろ水を与えすぎないように注意が必要な植物ですが、花芽が大きくなり開花期間中は、水切れさせると花が傷んだり、蕾が咲かずに枯れ落ちてしまうので気をつけましょう
ルクリア ココの花アップ (花びらが二重に重なり、とても優美な感じです)
ルクリア(アッサムニオイサクラ)の 花言葉は、「 優美な人 」、「 しとやかに 」 です
この花言葉花の印象からピッタリでした
キバナセツブンソウが鉢植えポットで咲いていました
先日行った産直の花棚で、キバナセツブンソウのポット苗が売られていました
幾つかが花開いていました
キバナセツブンソウは、キンポウゲ目キンポウゲ科セツブンソウ属の耐寒性多年草 節分草(セツブンソウ) の黄色い花を咲かせる品種 です
キバナセツブンソウの顔 ・・・ ポットの中で一輪咲いていました
通常のセツブンソウは、関東以西の本州に分布し、照葉樹林の林床、特に石灰岩質の礫地を好む傾向があり、乾燥を嫌います
他の草木が芽をださない早春に花を咲かせ、他の草が大きく伸びる初夏には、地上部は枯れてしまうので、スプリング・エフェメラル と呼ばれる春植物のひとつとして、可憐さから人気があります
毎年1月末近くに、根塊から茎を伸ばし、茎頂に複雑に裂けた総苞葉をつけ、総苞葉には柄がなく、茎を囲んだ状態で、花茎は総苞葉を抜けでるようにつきます
2月初めから3月にかけて、総苞葉が開き、花径 2cm程度の花を1個咲かせます
白い花弁のように見えるものはガクで、普通、5枚あり、花弁(の名残)は10個程度、ガクの内側にあって先が2~4裂し、裂片の先は黄色くなり蜜腺化しています
おしべは多数あって、葯は青色、めしべは数本あり、ややくすんだ桜色をしています
キバナセツブンソウは芽生えのときに 2枚の子葉をだします・・・セツブンソウの子葉は1枚です
総苞葉は柄がなく、大きく3裂し、さらに裂片が2~3裂します
葉はやや厚く表面には光沢があり、茎もセツブンソウより太く、全体にシッカリとした印象があります
花は茎頂に咲き、花弁のように見えるのは、萼が花弁状に発達したもので、草丈7~10cmです
名前の通り、黄色いガクが花弁状になり、普通6枚あって、花は上向きに咲きます・・・因みにセツブンソウはガク片5枚・横向きに花が咲きます
本来の花弁は黄色く小さな筒状になって蜜腺化しています
袋果には果柄があり、セツブンソウが2~3個の結実であるのに対し、10個ほどが実ります
地下茎は年毎に伸びて、新しい地下茎をつくり成長します・・・セツブンソウは同じ根塊が成長し、少しずつ大きくなります
キバナセツブンソウの別名は西洋セツブンソウといいます
全体にセツブンソウよりやや大形で、葉も厚く光沢もあり、根茎はセツブンソウのように球形ではなく細長いものです
陽射しに輝くキバナセツブンソウ
キバナセツブンソウの 花言葉は、「 光輝 」、「 純粋 」、「 人間嫌い 」 です
光輝、純粋は分かる気がしますが、何で人間嫌いなんでしょう
花言葉とは難しい世界です
群馬・前橋の「群馬フラワーパーク」にある熱帯温室の今
ようやく冬も一息・段々温かになってきました
でも、「群馬フラワーパーク」のある赤城山麓はまだ朝晩は霜も降りるし、赤城山には雪化粧がまだまだ消える気配はありません
先だって、「フラワーパーク」に訪れた折、熱帯温室はこの寒さをどうしているのだろうと思い覗いてきました
熱帯温室は、フィリピンゾーンとして各種の植物が植えられています
外の褐色色の世界から、室内は生き生きした緑の世界になっていました・・・まるで別天地です
室内天井を、「バナナの木」の葉が一杯に覆って、ジャングルの様相でした
バナナ(甘蕉)は、バショウ科バショウ属のうち果実を食用とする品種群の総称で、果実をバナナと呼びます
「バナナの木」と言われるように、高さ数mになりますが、実際には草本です・・・このため正確には果物ではなく野菜(果菜)に分類するのがいいようです・・・メロン、スイカの類と考えればいいのかもしれません
高く伸びた茎のような部分は、偽茎(仮茎)と呼ばれます・・・これは、葉鞘が幾重にも重なりあっているもので、いわばタマネギの球根を引き延ばしたようなものとみられます
茎は地下にあって短く横に這っています
茎のような先端からは、長楕円形の葉(葉身)が大きく伸びます
頭上にバナナの花が目に入り、バナナの実がぶら下がっているのが見えました
バナナの花(花序)は偽茎の先端から出て、下に向かってぶら下がります
花序は1本の果軸に複数の果房(果段)がつき、各果房には10本から20本程度の果指から成っています
大きな花弁に見えるのは苞葉で、果指の部分が本当のバナナの花です
果指一つ一つが一本のバナナに成長し果房がバナナの房となります
なお、開花は一本の偽茎につき一回のみで開花後は株元から吸芽を出して枯れてしまいます
何段にも重なった果房 (果指は20本はありそうです)
何本もある「バナナの木」と並んで、トックリヤシ が数本植えられていました
色んな徳利があるけど、とっくりヤシの形も色々あるんですね
この太い幹の中には何が入っているのかな
キレバテーブルヤシの花(?)が咲いているのを見つけました
キレバテーブルヤシは、ホンジュラス、グァテマラ産でヤシ科カマエドレア属の観葉植物です
株立ち性で、高さ3m程度になり、細長い葉っぱが鳥の羽のようにたくさん並ぶ羽状複葉で、雄と雌の株がある雌雄異株です
単幹性で芯から葉っぱを出しながら上に伸びていき、枝分かれはしません
キレバテーブルヤシの花(?)が咲いた!?
熱帯育ちですが、かなり寒さには強く、霜や強い北風に当たらない場所では戸外にて越冬が可能です
キレバテーブルヤシの花(?)アップ
葉腋から紅い枝のような花穂(?)が伸び、点々と丸い粒をつけています
それにしても不思議な形です
テーブルヤシの花はこの丸い粒が花のようです
テーブルヤシの花穂(➝色は緑です)は冬に伸び、半年かかって、花(➝色は黄色いつぼみです)が咲く状態になります
キレバテーブルヤシの橙色は、花穂枝だと思います・・・まるで橙色のリボンのように見えます
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