goo

群馬・草津温泉の秋を堪能しながら碁打ちしてきました

先日、群馬・草津温泉で、2泊3泊で囲碁を打とうと誘われ、紅葉の時期だし、温泉に入って囲碁三昧もいいなと、ルンルン気分でハンドル握って出かけてきました  

朝晩、温泉に入り一杯飲みながら友人達と碁を打つなんて、碁好きの私には至福でした

とは言え、折角の紅葉  の時期に碁ばかり打っていては体が固まっちゃうと、宿の周りを散歩  したりして、パチリ!!   してきました 

このところ気温がぐっと低くなり、周囲の山では初冠雪情報が聞かれるようになってきています

そんな時の草津・紅葉はちょっと盛りを過ぎようとしていましたが、 でも十分楽しめました

 夕方の散策で、草津国際・天狗山スキー場付近を歩いてきました

         草津国際スキー場・天狗山レストハウス ・・・ まもなく暮れようとしています ・・・ 草津白根方面に垂れこめ湧き上がるような雲が出て寒そうです

 

 夕暮れが少し近づいているうえ、雲が陽をさえぎって暗くなっていましたが、まもなくスキー場が開場されるようすが見えました

  草津温泉場周囲の山の紅葉 ・・・ 天狗山スキー場前です       草津温泉賽の河原公園 : 鬼の相撲場碑

 

      西の河原公園 天狗山通り周辺の紅葉   ( 天狗山通り横にあった公園沼はアシの黄葉でした ) 

 紅葉の染まる中で、源泉の蒸気が立ち上る様は、雲が沸き上がるようで幻想的に見えました   (  画像 向かって中央部 )

        奥草津に向かって入る県道R55から草津温泉を見ました 

 早朝、朝食前に宿周囲の雑木林を散策しました

林間は草紅葉状に、紅葉が始まっていました   (  向かって左画像 )

 宿泊宿の周りはカラマツ林が多く見られました

 カラマツは大分葉が散りはじめて、踏みしめる土はカラマツの葉のじゅうたんです

黄褐色のじゅうたんを踏みながら、林間から奥草津の黄葉した山並が見えました (   向かって右画像 )

 

    奥草津のカラマツの黄葉

       奥草津・大沢川の砂防ダム黄葉

 

大沢川は吾妻川の二次支流で草津温泉などの強い酸性水が流れ込んでいます ・・・ 大沢川の酸性度(pH)は 2.3~3.2 

このため川の水は、白濁して流れています

周囲の紅葉は、黄色、赤が入り混じって、まさに錦秋でした

   砂防ダム下の橋から見た大沢川下流 ( 向かって右: 自家発電でpH測定していました )

   

肝腎の囲碁は、あまりいい碁が打てませんでした

これは綺麗な紅葉と、美味しいお酒に酔い過ぎたようです

また頑張って納得碁が打てるように頑張ります

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「日時計」が時を刻んでいました

10日ほど前、群馬・前橋に囲碁の大会がありました

今年初めての大会で、久しぶりに参加しました

試合当日の朝、早めに会場入りしたので、気持ちを落ち着けようと会場隣の公園を散策しましたら、公園の一画・芝生の中に、「日時計」が造られているのを見つけました

誰もいない早朝の公園は、これから始まる対局の高ぶりを静めてくれそうです

    陽射しが当たりはじめていました  ( 向かって正面構造物 : 日時計 )

「日時計」は、影を利用して視太陽時を計測する装置です

その起源は、古代バビロニアにさかのぼっており、以後紀元前3000年~紀元前300年まで栄えた古代エジプトでよく使われていたとされています

「日時計」の改良は、古代ギリシア及び古代ローマで改良され完全なものになっていったとされています

「日時計」は古代から誰でも見たり使う事が出来ましたが、昼間だけしか使えませんし、晴天時しか使えませんから、後に機械時計の工夫につながっていきました

 現在は主に庭園や建造物の装飾の一部として設置されています

時計回りと云う言葉は、右回りの代名詞です

即ち右回りで数が増える機能の仕様は、時計の動きと同じな事を現わしていますが、北回帰線以北において、「日時計」の針はこの向きで時を刻んだことも示しています

     陽の当たる方向から「日時計」を覗いてみました  

 「日時計」は緯度によって、指針を傾ける角度を変更しなければいけませんから、設置場所に合わせて角度を変更する必要があります

画像の様な「日時計」の指針の角度が固定されていて変更できない場合は、文字盤そのものを傾けて設置して補正するのだそうです

因みにイギリスでは指針の角度は45°のものが普通だと云われています

完全に正確に動作させるには、「日時計」の指針は正確に天の北極(ほぼ北極星の方向)または天の南極を向かせる必要があります

「日時計」の示す時刻は、設置場所の時刻ですから、日本国内ではこれを日本標準時(明石時刻)に調整する必要があります

勿論その他の国でも、必要であれば、それぞれの国や地方の標準時刻に調整します

この「日時計」はよく出来ており、きっと正確なのでしょう

「日時計」は、およそ8時35分を指していました

大会は9時受付です

ぼちぼち行って、受け付けないと・・・

この日の結果は、時計に追われることなく、なんと信じられないほど冷静に打て、勝てました

全勝で優勝です

「時は金なり」、いや「勝ちなり」なんちゃって

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「老化」を考える・・・囲碁で老化防止をしてるのですが

最近囲碁対局をしながら、集中力が大分落ちているなと感じます

その為か、何となく上達が止まり、どうも弱くなったと感じる始末です

これって老化現象なのでしょうか !?

「老化」…あまり響きのいい言葉ではないな

でも生き物にとって避けられない現象ですから、上手に付き合うしかないのでしょうね

それにしてもなんとか囲碁の腕前が上がる方法はないかなと、ちょっぴり老化対策を考えてみました

私達は、「誕生→発育(成長)→成熟→衰退(退行)➝死」という経過をたどり一生を送りますが、成熟期以降におこる心身の変化過程を、特に「老化」とか、「老衰」とか、「老年」と呼んでいます…尚、成長は「加齢」によって進みますから、加齢そのものを「老化」とも考えることもできるかもしれません

とにかく、これら人生における「老化」は、生きる上で避けられないものですが、人によって「老化」の形は色々違っているようです

「老化」は、生理的老化と病的老化とに分けられ、生活習慣なども関連し、その症状は様々といえそうです

因みに、病的老化とは、成熟期以降におこる心身の変化のうち、だれにでも必ずおこるとはかぎらないものをいい、血管の変化、つまり糖尿病や高血圧による動脈硬化などがその代表とされています

これに対し、生理的老化は、成熟期以降になると、遅かれ早かれ、だれにでも必ずおこるであろう心身の変化をいい、「必ずおこる普遍性のもの」、「発現が、遺伝的に決定されている(内在性)もの」、「必ず進行し、後もどりはしない(進行性)もの」、「必ずからだに不利をもたらす(有害性)もの」という特徴があるとされ、老眼、白内障、難聴、女性の閉経、骨・関節の変形等々がその代表とされます

「老化」の原因はまだわかっていないようですが、寿命と考えれば何となく納得してしまいます…プログラム説とエラー蓄積説という2つの原因説が提唱されているそうですが、それは後日にしましょう

これらの事は遺伝も含めすべて、体の中の変化ですが、心の「老化」はどうなっているのでしょう

私には「老化」というと、サムエル・ウルマンの詩文を思いだします・・・『青春とは』から

    歳を重ねただけで

     人は老いない

     夢を失ったとき

     初めて老いる  “

心の「老化」は、「知的機能の低下」、「性格の変化」、「感情の変化」が起こるのが特徴なのだそうです

囲碁はボケ即ち老化防止の妙手だそうです

ボケとは老人性認知症の事で、左脳(記憶、計算、言語、論理などを司る)と右脳(創作、工夫、機転、感性などを司る)のバランスを欠くことにより起きるといわれています

即ち「知的機能の低下」がボケです

囲碁は序盤、中盤では右脳を使い、終盤のヨセになると左脳を多く使うといわれており、これが対局によって、対人刺激され複雑に脳を働かせる事で、「老化」を防ぐと云われています

現に碁仲間においても、不幸にも脳梗塞等で倒れて知能障害になった人が居りますが、リハビリがてら碁会所にやってきて今では元の棋力に戻ってきた方がいるのを見ています

囲碁の勝負には、性格も大いに関係します

更に勝つ為には、感情の変化を抑え、冷静に集中力を高める事です

形勢の悪い時こそ、じっくり挽回を狙う、方策を立て直す、等々で、形勢の良い時は、油断せずしっかり打つ事です

心の老化防止には囲碁はいいのだと分かっているけど、強くならないのは何故なんだ

要は右脳の使い方が悪いのだ、寄せ下手なのは、左脳が根気がなくなり働かせていないのだ、もともと短気が更に短気になったみたいだし、囲碁の精神をもっと思いだして頑張ればせめて心の「老化」は防げるかな

最後に「老化」の年齢になったからとがっかりするなかれと、こんな記事を見かけたので紹介します

聖路加国際病院・日野原名誉院長(92歳)の時の記念日に寄せた記事だそうです

『 人は、寿命をその人がこの世に存在する客観的な時間の長さだと考えます。  しかし、フランス の心理学者ピエール・ジャネは、年齢によって時の経つ速さが違うように感じることに着目し、「人生 のある時期の時間評価は、その人の暦年齢に反比例して感じられる。」という説を唱えた。 10歳の 子供が感じる1年は、60歳の人にとっては1/6の2ヶ月に過ぎない、というものです。  

日本の貝原益軒も人が感じる「時」に注目し、「養生訓」にこう書いています。 「老後は若き日より 月日の速きこと 10倍なれば、1日を10日とし、10日を100日とし、1ヶ月を1年とし、喜楽して、あだ に日を暮らすべからず。」  

そうすれば、老後は凋落の季節ではなく、実りの季節になると言うのです。  時の刻みは単なる物理的な長さを指すだけではなく、人それぞれの年齢や暮らし方によって意味が 違ってくる。  この「時の刻み」を「寿命」に置き換えても同じで、寿命というのいは単に生きながらえて いる時間を指すのではなく、その人が創る充実した時間こそが、寿命だと考えられる。  還暦を迎えた今こそ、何か熱中できることを見つけ、あだに暮らすことのないようにしたいものです。 』

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

昨日はマイ碁の仕事納めでした

昨日27日(金曜日)は、「仕事納め(しごとおさめ)」の日でした

「仕事納め」とは、年末となる12月の下旬ににその年の全ての仕事、業務を終える事を指して使われる言葉です・・・「御用納め」とも言います

日本の官公庁では行政機関の休日に関する法律(昭和63年12月13日、法律第91号)により、12月29日から1月3日までを休日として定められ、通常12月28日を「御用納め」として、その年の最後の業務日となっています

しかし12月28日が土曜日、日曜日に当たるときは、それぞれ12月27日、12月26日が御用納めとなります

「囲碁」は私の仕事ではありませんが、ライフワーク的になってきています

スローライフに入ってから、稼がねばならぬ仕事から離れ、楽しみながら自分を磨く仕事の一つに「囲碁」を位置づけました

昨日は、いつも楽しむ市営の囲碁道場を掃除し、囲碁仲間と使う石や盤を綺麗に洗って、碁笥に収めて新年を迎える準備をしてきました

今年のマイ囲碁はあまり上達したとは思えませんが、楽しめ、加齢による心身の後退がなかった事を思えば来年に向けて心新たです


今年は色々特徴のあった年のように思えます

特に地球温暖化による、天変地異が各地で起こってきています

フィリピンではかってなかったと思えるほどの最強の台風がありました

これからは毎年日本でも同様規模の台風が心配されます

温暖化防止をどうすればいいのか世界中が考えねば、・・・です

オゾン層復活をさせるには、科学的にできないのだろうか!?

アベノミクスによって経済の上向き傾向が見られますが、消費税は上がるし、社会保障対策はまだよく見えません

弱者を踏みつける事のないようなアベノミクスであって欲しいな

正しい事をしてるつもりでも、時に思いやりと優しい心を忘れたりすると、心無い政治と云う事になってしまいます

碁において、緒戦で石をとりすぎた時は、最大限に注意をしなけば勝ちきれません

世界遺産に富士山が選ばれ、7年後のオリンピック開催は「お・も・て・な・し」を売りにした東京に決まったのは日本株上昇と喜ばしい限りです

手をたたいて喜んでいたら、開催に最大尽力した知事さんが、「御・気・の・ど・く」になりました

知事さんは、知事になるための詰めを誤ったようです

まだまだいっぱいあった一年です・ゆっくり考えてみようと思っています

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

今年の私の囲碁が始まりました

今週初めから、あっちこっちの囲碁仲間と打ち初めをはじめました

今年こそは少しは強くなりたいものだと、思っているのですが、一向に腕前は上がりません

最近は歳のせいか集中力が欠けポカばかりが多くなって、上達どころか棋力が落ちちゃったのかなと思うことすらあります

でもヘタなんだけど、何故か好きな囲碁で、悩むんなら止めたらと思うけど止められません

第二の人生・スローライフをスタートする時、何をしようかと色々考えた末、ボケ防止と地域社会とのつながりにと選んだもののひとつが囲碁でした

始めてみて、よき友人達と多く出会え、しかも子供達への囲碁普及にも少し携われ、ほんの少し囲碁を選んだ事に良かったなと思えています

囲碁で生活している訳でなく、自分の心の充実が目当てなんですから、気持ちさえ萎えさせず頑張ればやりがいが出てくるかなと思っています

そんな事を年初に思っていたら、「NHK映像ファイル あの人に会いたい「坂田栄男(囲碁棋士)」(2013.01.05)が放送されたのを偶然見ました

坂田栄男の名前は、囲碁好きの人は知らない人はいないくらい有名ですが、私は一人詰め碁で覚えた囲碁知識でしたから、その人となりはこの映像を見てなるほどそんなに凄かったのかと改めて尊敬を覚えた次第です

私の様にあまり囲碁を知らない人の為に、NHKを見ての知識で、「坂田栄男(=“ひでお”ではありません。“えいお”です)」棋士について少々・・・

昭和を代表する囲碁棋士・「坂田栄男」は囲碁界のビッグタイトル本因坊7連覇をはじめ名人王座そしてNHK杯優勝11回など64のタイトルを獲得し囲碁界の頂点に立ち続け、その棋風は切れ味鋭いしのぎが信条で、「カミソリ坂田」の異名とったそうです

「坂田栄男」の囲碁の座右の銘は、「傲骨虚心(ゴウコツキョシン)」 即ち、“常に気概を持って生き同時に謙虚な心を持つ”だそうです

己を信じ、無念無想の境地で勝負に挑み続けた坂田の勝負師人生が放送で語られていました

その境地の言葉をピックアップしますと、

『 勝負と言うものは攻めてばかりでもいかんし、しのいでばっかりいてもジリ貧で負けてしまう
  攻めりゃあいいってもんじゃないんですね
  攻めて勇み足と言うことがあるわけです
  だから両方持っているのが一番いいんですね 』

『 ”無欲無心 無念無想”というのが最善。 一番悪いのは勝とう勝とうという大欲ですね
  勝とう勝とうと思ったとたんに 勝負は勝ちから遠ざかる
  勝とう勝とうと思わないで ただ 「いい碁を打ちたい」 と念じて打てば打てることがある 』

『 勝負師は 勝っておごらず 負けて落胆せず 』

『 技だけではダメ。  ビッグタイトルはとれない。 勝って兜の緒を締めよ という気持ち
  全人格的な闘い

『 才能の無いということは、常識的な手しか浮かばない
  常識を突き破らないと本当のいい手なんて生まれない
 』

こんな坂田語録であったけど、今年のチャレンジ目標が出来ました

囲碁はやってみて分ったけど、深さがありますね

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

将棋の道を究めた「羽生善治」棋士に学ぶ

最近囲碁の腕前がちっとも上がりません                                                                                                         好きこそ物の上手なれのはずですが、一歩が踏み出せません                                                  そんな事を思っていましたら、将棋の「羽生善治」棋士の勝負中の取り組みを書いた記事を見かけました                                                                                天才と鈍才の差はどうしようもないのですが、それ以上に不足するものがあるかもと、考えてみました

羽生天才棋士は25歳で将棋界始まって以来の「七冠」を達成して以降、タイトル奪取を積み重ね、41歳の今年5月には棋聖位のタイトル防衛によって、前人未到とも言われた大山康晴15世名人のタイトル獲得80を抜いて、30年ぶりに通算81のタイトル記録を更新しました

将棋と囲碁はルールこそ違え、古来から楽しまれてきたゲームで、ゲームの面白さからいつしか芸道ともいえる境地の世界が作られています

即ち誰からも認められる一芸といえる世界に、囲碁・将棋はある訳で、「羽生」棋士はまさに将棋という道を究めた人といえるようです

道を究めた人の言葉には、一言一言に味わい深いものがあると思えます                                                       (素人は誠に困ったものだとわらわないでくださいね!!)

私のような素人が知りたいのは、単純に、「どうしたら強くなれるのですか?」とか、「どうやって強くなったのですか?」、そしてついには、「天才プロ棋士は何手先まで読むのか?」とか、「勝負をしている時はどんな風に考えるのか?」…と、聞く事は大体決まってきます

そしてそれを聞いて出来ないなのだけど、ちょっとでもまねてみたいと思って、羽生棋士が話したという自分の将棋感を書いた記事を見つけたので、以下脈絡無く書いてみます

  ● 「(読む手数は)直線で30~40手。枝葉に分かれて300~400手。」

  ● 「わからないからこそ勝負どころ。僕(羽生棋士)の場合、読みより勘で決める。」

  ● 「将棋と人生は別物。『遊びは芸の肥やし』は遊ぶための口実に過ぎない。『将棋は技術』と割り切っている。」

  ● 「今の情報化社会では知識や計算は簡単に手に入る、出来る物。だからもうあまりそれらに意味はない。これからの時代の人間にとって大事なのは決断する事だと思います。」

  ● 「勝つのは、1目差でいい。5目も10目も大差をつけて勝つ必要はない。常にギリギリの勝ちを目指す方がむしろ確実性が高くなる。」・・・碁に喩えました(本当は「目」でなく「点」と書かれていました)

色々羽生発言があるようですが、私流にまとめると羽生棋士の勝負に際して考えるのは、まずは『直感』、そしてその先を『読む』、そして生じた選択肢を『大局感』で選ぶという事のようです

即ち「羽生」棋士が運ぶ手筋には、一手一手それまで集積されてきた知恵と経験を与えられた時間の中で、決断するという事のようです

勝負の時は、遊ぶ気持ちはあるはずが無く、真剣にそして集中しかないのですね

能力も無いのに、集積した知恵も経験もないのに、『読み』もしないで、ただ何となく打つのではつよくなりようがないですね

今日は、これから県の囲碁大会に参加 です

今更ですが、せめて手拍子だけは避けて、盤面に集中し、少ない勘を極力働かせ、大局感を考えるよう打って見よう

悔いなく打てるよう頑張ってきます

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

日本女子サッカーが世界一になりました:勝負は最後まで分らない

今朝は早朝3時からドイツで行われている世界女子サッカーで日本の優勝シーンを見ることが出来ました

世界女子サッカーNo1のアメリカに何度も何度も、シュートされ、ついに後半24分1点もぎとられた時は、今までの対アメリカ戦からみてこれまでと思わせるものがありましたが、その後36分攻められ続けた隙間を縫って同点に追いついた時は・・・うぅ~んやれそうと思わせました

ここまで闘えば満足だなと思えましたし、反面もしかしたら勝負に希望が出たかなとも思いました

しかし延長に入って、監督の檄でもあったのでしょうか!?・アメリカの攻撃は更に勢いを増し、耐えに耐えてきた日本の守備もちょっとの隙で破られ、前半終了間際14分ついに1点を入れられた時は勝負もここまでの感でした

でもドラマは続いていました

延長後半12分、キャプテン澤の職人芸的コーナーからの合わせシュートで再度同点に追いついた時はスタジオの観客は一瞬静まった感じがしました                                                                        相手方のアメリカ選手も、「又追いつかれた」・更には「信じられない!」の気持ちが、彼女達の表情に見られました

そして入ったペナルティ合戦                                                                           合戦前の日本側選手の笑顔、アメリカ側選手の緊張感と自失の表情がそのままに結果に現れました              PK3対1で、日本の勝利です

圧倒的に勝負は勝っていたアメリカは、日本のネバリに屈しました                                                  このような勝ち方になるとは予想した人は少なかったでしょう

勝因は幾つも有るかも知れませんが、私はただ一つ「勝負はあきらめず、最後まで全力をつくす」、そして「心に楽しむ精神を常に持つ」だなと思いました

アメリカ選手達は勝負は勝っていましたが、試合に負けました                                                  彼女たちは勝ちをあせったのでしょう                                                     後半延長前半で入れた1点で、今度こそ勝ったと思ったでしょう                                                            そして延長後半で追いつかれた瞬間、「そんなはずはない」、「負けてはいけない」の思いが体全体にのしかかって来たように思えます

勝負は先に勝ちを見てはいけないのですね                                                         最後まで全力を尽くすですね・・・負けたとしても、反省はあっても悔いを残さないですね

昨日私は県の囲碁大会に参加しました・・・大会前秘かに気合を入れていました

結果は残念ながら負けこみました

対局しながら、冷静に冷静にと思いながら打っていたのですが、中盤までのあまりのよさに、欲張りミスがでて、それを取り戻そうとして、局面を悪くし、さらにあせりになって負けました

昨夜は反省反省でしたが、ちょっとしばらく打ってもかてないだろうなと思うくらいショックでした

でもこの「ナデシコジャパン」の快挙は、又やる気に成らしてくれました                                                                           

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

私のヘボ囲碁が強くなるには

年明けて、早くも8日が経ちます

4日から囲碁を始めました

なかなか強くならない囲碁ですが、何故か囲碁の魅力を弱いなりに感じています

とは言え戦いですから、勝てたらうれしいし、負ければ悔しいが道理です

今年も弱いなりに闘志を画きたてています

どうしたら強くなれるか分りませんが、ただ打っても駄目だと思い、我流を棄て、先人の言葉を参考にしてみようと思って、今更なんですが、囲碁の格言をネットで紐解いて見ました

いやぁ~いい言葉が見つかりました

これが身に付いたら、これで1子は上達するかも  ・・・そんなに甘くはないか!?  テヘ!! 

どんな良い言葉かと言うと、(強い人には当たり前で、知らないで打ってたのと言われちゃいますが、・・・)「囲碁十訣(いごじゅけつ)」というものです

「囲碁十訣」は唐の玄宗皇帝時代、高級官僚の“王積薪”が、守るべき碁の戦法を簡潔な十箇条にまとめたものだそうです

因みに私の碁は攻め中心なんです  ・・・『いけ~!・いけ~!』の猪戦法なので、これじゃ強い人には勝てませんよね   

感激の言葉をそのまま載せちゃいます

貪不得勝 (むさぼれば勝ちを得ず)     →  欲深はかえって損を招く

入界宜緩 (界に入りてはよろしく緩なるべし) → 相手の勢力圏内では緩やかに打つ

攻彼顧我 (彼を攻めるには我を顧みよ)  → 相手の石を攻めるには、まず足場を固めてから

棄子争先 (子を棄てて先を争え)       → つまらない石は捨てて先手を取れ

捨小就大 (小を捨てて大につけ)      → 小さな利益より大きな利益

逢危須棄 危うきに逢えばすべからく棄つべし→逃げても将来見込みのない石は軽く捨てて打つべし

慎勿軽速 (慎んで軽速なるなかれ)    → 軽く速く大場を稼げば、かならず薄くなる

動須相応 (動かば、すべからく相応ずべし)→ 相手の動きに応じてこちらも動く。着手は敵味方相対的なもの

彼強自保 (彼強ければ自ら保て)      → 相手が強いところでは保身を専一に。「厚みに近寄るな」

勢孤取和 (勢い孤なれば和を取れ)    →孤立した石は欲張らないで、いい加減の相場で治まるのがよい

 この言葉は人生の戦いにも通じるものかもしれません

でも私には潔よしとしない言葉もあり、やはり強くなれないかも・・・ 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「囲碁」は「スポーツ」なのだ!?

中国・広州でアジア大会が開かれていました
アジア大会はご存知の通り、4年ごとに開かれるアジアにおけるスポーツ最大の祭典です
今回の大会では様々なスポーツ競技に混じって、初めて「囲碁」が「スポーツ」として大会種目となったと知りびっくりです
日頃「囲碁」大会等に参加し気合をいれて打つとき、結構打ち終わると疲れを覚えます
「囲碁」位で疲れるなんて歳のせいかと思っていましたが、成る程「スポーツ」かと思うと納得です ・・・ちょっと単純かな   

初めてアジア大会の正式種目になった「囲碁」は、男女団体、混合ペアの3種目が行われ、善戦むなしく現在の国際囲碁界の勢力図をそのまま表す結果となり、▽韓国=金3、銅1、▽中国=銀3、▽日本=銅1、▽台湾=銅1のメタルの数でした

「囲碁」は古代中国が発祥の地と言われ、朝鮮半島を経て日本に伝わってきました
当初は貴族文化の中で育ってきた「囲碁」ですが、武家文化が育つに当り、「囲碁」の地取り戦略と国獲り戦略がマッチし、武家嗜みの文化として発展して来たものとおもわれます
江戸時代・幕府の手厚い保護により、勝負事であるとともに伝統文化として発展し、家元などのプロ制度も生まれ、一般庶民にも飛躍的に広まりました
この結果、日本は戦前・戦後を通じ、常に世界の囲碁界をリードしてきましたが、トップを維持していたのは十数年前までで、急激に発祥地の中国、韓国が台頭し、現在は、残念ながら日本は3番手争い(台湾も強いですよね)の位置にあります
日本は文化・精神的な面から、昔から結果よりも礼を含め内容を重視する風潮にあった様に思います
これに対し中国は「囲碁」を「頭脳スポーツ」としてとらえ、英才教育を展開し、韓国も数年前から「スポーツ」に位置づけ、集団教育に力を注ぎ、腕をあげてきたと言われています
即ち両国とも、良くも悪くも、勝負最優先の傾向にあると見られます
 
『広州アジア大会・ 囲碁 ・韓国ペアが反則負け ・スポーツか、伝統文化か!?』
こんなニュースがながれました
このニュースは、勝負最優先でおこった「事件」として取り上げられていました

「事件」の内容は、中国・韓国のペア碁対決で、激戦が続きながらも終盤に入って、内容的にほぼ中国の勝ちが確定したと思える頃から、韓国ペアがまったく無意味な地点への着手を始め、明らかに「時間切れ」を狙った行動をとりはじめた事であったそうです
勝負は審判団が協議して、規定(?)により、韓国の反則負けとしたそうで、韓国側は「ルールの中で行った」と弁明し、中国側は「勝ちたいとはいえ、世界を代表する棋士がそんなことをするなんて・・・」と憤ったそうです

私達日本人にも「囲碁はスポーツなのか、伝統文化なのか」という議論に一石を投じた出来事だったといえます
勝負に徹すると、勝ちたい一心で、色々の事を考える訳ですが、ズルをしてはいけません
そう云う事が起こらないように、いろいろなルールが生まれる訳です
従ってそのルールの範囲の行動は攻められるものではないのですが、日本人の美意識からはどうも「時間切れ狙い」などは何となく潔し良しとしないものがあります
これって柔道の時間切れを狙っての「技の掛け捨て」と同じですね
しかし国際的に勝つ為にはこれらの(あえて)甘さは棄てるべきなのかもしれません

アジア大会の持ち時間は各45~60分の早碁であり、中国、韓国の国内棋戦や国際棋戦は最長でも3時間で行うそうだし、大会によって短い場合では初手から1分以内に打たねばならないそうです
普段からこんな闘い方をしている各国に対し、長考スタイルの日本囲碁は、世界の流れに対応できていなくなっているのかもしれないですね

「囲碁」は「これまでは芸術・伝統文化という認識でやってきた」という大会で日本キャプテンを務めた山下敬吾本因坊の言葉は、世界で活躍する為には「頭脳スポーツ」の側面が大きくなった事に対する対応の仕方を教えているように思えます
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

最近私の囲碁は「岡目八目」に悩まされています (>_<) (^O^)

囲碁を引退後の「悠友ライフ」として始めましたが、なかなか強くなりません
「好きこそ物の上手」とばかりに、懸命に打ってますが、このごろちっとも上達してない様に思え、なんでかな~と考えています 
まあそんなに簡単に強くなれれば、返ってつまらなくなるかもしれませんね
碁友たちに苦労して勝つ事を楽しみに励むのが、いいのかもしれません

ところでそんな勝負の楽しみを阻害すると思える事に、「岡目八目」という言葉があります
折角好敵手相手に対戦中、周りの野次馬の声での批評は最近とても気になるようになりました
以前は然程に気にしていなかったのですが、齢を取る割りに強くならず、焦りが出て来た為なのでしょうか!?
人間修養がたりないなぁ~と反省しきりです

とはいえ「岡目八目」というのは、あまり好きな行為には思えません 
「岡目八目」とは「端から見ればよくわかる」という意味のことわざで、囲碁の対戦者同士でなく脇で冷静に見る事で八手先まで読めるように、「事柄の善し悪しがよくわかる」と言うところから出ています
即ち強い人の碁を眺め、見る事で、勉強できるのですから…、「岡目八目」は大いに行っていいのですが、対戦者にそれを聞こえるように言ってはならない筈です
でも云いたくなるのが、ヘボ碁仲間なんでしょうね 
という事で、それらの行為も強くなる為の試練と考え頑張らなくちゃ!
泰然自若、惑う事なく自分の考えを着手できるように、努力すれば強くなれますよね  

ともかくしばらくは野次馬の「岡目八目」に耐える方法は、どうすればいいのでしょう!!
「そういう手もある」、でも「この手もあるのでは」と冷静に考えられるようにひたすら訓練でしょうね
何故なら私の反発心の強い性格がどうも耐えられない原因のようですから…、
というのも、下手な考えながら自分で搾り出した手と「岡目八目」の手が当っていると、急にその手は打ちたくなくなり、もう一度別手をわざわざ考えたりしてしまう事が多いのです
それで勝てればいいが、大抵はそこの部分が敗着になる場合が多く、悔いる事のなんと多いことか・・・
どうして素直に打てないのだろう・俺ってへそ曲がりなのか、それとも見栄っ張りなのかなぁ~と反省です
囲碁は人間形成に随分役立つゲームですね  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『囲碁』は心の戦いと知りました !!

先日、すごい人をテレビ で見ました
眼が見えないのに「囲碁」を打っているのです
その方は幼児の頃、「囲碁」を覚えたようですが、眼が見えなくなっても、あきらめず続けてきたそうです
今では諸大会に参加し、眼の見える人と打っても入賞したりと、眼の見える相手が驚くほどの強さで、その実力は6~7段クラスだといいます 

盤面全体を見えない中で、記憶し、手筋を読み、戦いを打ち進めることが出来る事に、驚きです 
どういう思考の構造になっているのか、私には想像すら出来ません
眼が見えなくとも囲碁ができるのですねぇ 

思うに、私は盤面を見つめ、眼からの思考する習慣で打っていますが、彼は眼以外の五感全てを働かせ打っているようです
眼の見えぬ分があるのに、五感というのはおかしいですかね

第六感というのが人にはあるといわれています
これは五感以外の、一般常識としては存在しないと信じられている超能力的感覚を指すのですが、私には彼が視覚の代わりに、知覚をフルに働かせているのだと思えます
盤面に向うと共に、手で石に触れ、石の意図を探り探りして、右脳左脳を回転させ、心で闘っているのでしょう 
彼がもし眼が見えるならば、今でも凄いですが、もの凄い碁打ちになっていたかもしれませんね

私は眼が見えるのですから、もう少し盤状の気持ちを深く読むように努力すれば、もちょっと強くなれるかな 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

師走になって、時の早さに驚いています

今日からもう師走なんですね 
なんと一年の経つことの早い事かとびっくりです 
子供の頃は早く大人になりたいと、誰しも思っていたのではないでしょうか!?
しかし世の中の荒波に揉まれながら、成長する内に、いつの頃からか時の経つ早さに畏怖さえ感じるようになりました
そしてスローライフ を歩みだしている現在、日々の生活リズムに対し相対的になんと時の経つ事の早い事か  
ところで時の速い遅いの感じは、楽しい事の多い少ないという気持ちの振れ巾だなと思い至りました
そういえば子供の頃嫌いな勉強はなかなか終わらず、遊ぶ時間はあっという間に過ぎた事が思い出されます

あまり好きでなかった勉強がもう少し頑張っていれば、もう少し囲碁も強くなったのではないかなと最近考えています  
囲碁がこのところ迷いが多く、滅茶苦茶・戦いの最中に構想が二転三転しまとまりません
勿論相手有っての囲碁ですから、構想どうりにはいかないのは当然ですが、それにしても方向がまったくわからなくなってしまいがっくりです
物事を順序だてて考えると云う事が、できなくなったということなんだなと、気がつきました
「勉強する」ということは、「考える」ということの基礎を作ります
実際の生活面で使わない事でも、物事を順序だてて考える土台つくりになり、生きていくうえでの教養・糧になります
今からでも遅くないと、囲碁の勉強始めようかな  
好きな勉強ならあっという間に強くなれるるかも 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

囲碁的発想で、政策に望んで欲しい~

昨日「囲碁」の強くなるヒントを見つけたような話をしましたが、更に関連の心強い記事を見つけました
古新聞を整理していたら、私と同じような気持ちが書かれていました

どんな記事かというと・・・
「将棋」と「囲碁」は発想法という点で、違いがあるようです

どんな違いかというと、「将棋」は相手の王を詰めるという目標への一点突破力が求められ、「囲碁」は最終的に陣地の多い方が勝ちになる為、常に盤全体に目を配るバランス力が大事だといいます
勿論「囲碁」も「将棋」も両方の能力が必要でどちらが欠けても、とてもプロとして通用するものでは無いでしょう
こんな視点で、現在行われている鳩山政権の経済政策にライトを浴びせてみると、現政策は「将棋的発想」に偏りすぎているとの印象があり、マクロ政策の方向性が見えにくいので、盤面即ち経済全般を見渡して、最適政策の組み合わせを探る「囲碁的発想」を活用してもらいたいと断じていました

ところでマニュフェスト至上主義で個々の政策実現をなんとしてもやるという姿はいかにも勇ましく、頼もしい感じですが、完璧なマニュフェストとは皆が思って投票したのでは決してありません
部分的突破のみを試みず、ぐっと盤面を睨み、足元の人気とりのみならず行く末も加味し、本当の国力を挙げる為の構想を練り直して、頑張ってもらいたいものです

平成維新がなされたところです
難局面ですが、布石し直しもできるところです
新構想を今一度練り直す柔軟さを望みたい感じがしませんか
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

囲碁とは・・・無限を自由に発想するゲームと見つけたり!!

この所囲碁界では、井山裕太プロの名人位獲得が最大級のニュースですね 
20歳4ヶ月の史上最年少で、張栩(ちょう・う)5冠(十段、天元、王座、棋聖、名人)を破っての快挙ですから、これからの日本囲碁界を背負ってくれると期待大です

あっちこっちの報道インタビューで井山新名人が語っている記事を読み、碁人としての人となりを、ちょこっと知った感じです
インタビュー記事から・・・

「囲碁」の魅力は「自由な発想でどこに打ってもよく、感じたままに打て、その感覚的なところを楽しむ」ところだといいます
そして趣味としての「囲碁」については、「囲碁は、無限に打つ手がある答えの出ないゲームで、一局として同じ内容の碁は無いはずで、芸術に近い」
更に、「絵を描くのも、自由な発想による答えの無い世界だが、それに似ている」と語っていました

勝負にこだわらず、芸にこだわり楽しむ・自己を研鑽するのが、「囲碁」の趣味としての真髄かもしれませんね
弱いと、すぐそう云って負け惜しみを言って、ごまかすと云われそうですね  
とは言え、勝負はやはり勝ちたいから、日頃の訓練・勉強が必要なんですね
どんな勉強が必要なんでしょう・・・う~ん!!強くなりたい 

 最近は韓国・中国の若手棋士がとても強くなり、日本の棋士は置かれていっている感じがしています
世界の「囲碁」はどんな訓練をしているかというと、対局の持ち時間が減っている事からして、より早く正確に打つ事が必要となり、その為の方法を工夫しているそうです
そうそう井山新名人は本来右利きのようですが、左手で石を打っています
これは「囲碁」を覚えたての頃、父上が左手で打つ事により、右脳をも使うようにさせたといわれています
要は、「囲碁」は脳全体ですばやく考える「バランスのゲーム」なんでしょうか
この秘密 を知ったから、心掛けてみよう・・・きっと強くなれますね  
でも具体的にどうするかな~・ライバルさん教えて~
一緒に強くなりましょう
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『イチロー』・記録達成 →「才」+「継続の努力」+「天運」

私は巨人・大鵬・卵焼き世代です
イチロー選手がメジャーで、年間200本以上のヒットを9年間連続で続けたというニュースが報道され、心から拍手です
野球を少しでも知る人ならば、イチロー選手を知らない人(そんな人は日本ではいないだろうが・・・)でも、この記録の凄さがよく分かるし、野球の宗主国アメリカ・メジャーでなされた事に痛快さを覚えるのは私一人ではないでしょう 

そんな凄いイチローでも、北京オリンピックではなかなか打てず、一人悩みに悩んだ様子が思い出されます  
イチローは野球の天才なんでしょう
しかしその天才も、事を成すためには限りない「継続の努力」が必要であり、一歩一歩事の積み上げなのだと思います
「継続の努力」とは、野球技術だけでなく、健康面であり、精神面の強さ維持だと思います
更に加えて、最後はそんな努力に裏打ちされての、「運」だと思えます

イチローはきっと「もの凄く努力する人」なのでしょう
限りない努力に対し、神様が微笑んだに違いありません 
イチロー選手への賞賛の言葉の中に、ホームランの世界記録を持つ王貞治元世界選手権監督は、選手権参戦時でのイチローを見て、彼の凄さは「常に毎打席・自己全てをだす集中力にあった」とテレビのインタビューで答えていました

たいした努力なしに事はなせません
まして才能もなしに、何かを成就したいと望むのは厚かましいのかもしれませんね 
私は、囲碁の面白さに目覚め、今夢中で頑張っています
なかなか強くならないのは、才能がないせいと決め込んでいますが、それ以前に努力が足りないのだと気づかされました 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ