日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
書かなくては、書かなくては・・・
ブログ書き、止めちゃったのですか!? ・・・ 何で!!
最近はいかがされてますか!? ・・・ うぅ~ん。 相変わらずです。
写真撮りは行ってますか!? ・・・ 撮っても整理ができなくなり、段々貯まちゃって・・・
旅には・・・!? ・・・ 苦でなかった長距離運転が、疲れるようになって・・・
囲碁の方はいかがです!? ・・・ 一向にうまくならないけど、頑張ってます
お百姓さんはされてますか!? ・・・ 相変わらずスコップ農法続けています
健康はいかがですか!? ・・・ ずっと健康だったのだけど、先月(9月)癌の手術をし、目下は治療中です
等々、久しぶりにあった方たちから、質問を受けては答えに窮しています
下手なブログを結構見て下さっていたのだなと、今更ながらびっくり!!
今月は11年前ブログをはじめた月です
色々積もってきたから、また書き始めて見たい気もしてきました
肩肘は張らず、また書きだそうかな
ブログ開設丸十年
ブログ開設してから丸10年経ちました
毎日書き綴っていたブログが、とつ然今年の初めごろからすっかり書けなくなりました
きっかけも理由もないのですが、ちょっと休むつもりが、そのまま時が経ってしまったのです
気が付くと、写真撮りもしなくなり、歩きも休んだりと、生活習慣がすっかり変わっていました
ブログつくりから一旦離れると次に書き出すのはなかなかできないものですね
あまり肩ひじ張らずまた始めていくようにしなくては・・・
ところで、先だってメタボ対策の指導を受けました
お金をかけずにできる対策指導内容は食事改善ととにかく歩く事でした
ブログを始めた頃は張り切って毎日あっちこっち写真を撮りに行ってましたし、毎朝1時間のウォーキングをしていましたからメタボには無縁だったなと思いいたりました
目標を立て半年後またチェックがあるそうです
いい機会に頑張ってみようと思っています
目標は30分ウォーキング+30分体操継続です
まずは3日達成、1週間達成を目指します
ブログをまた始めれば、元の生活習慣が戻るかな
チャレンジ開始ですね!!
群馬高崎・新町にある「正一位於菊稲荷大明神」に寄って来ました
ひな祭りも過ぎて閑散とした群馬高崎市の新町・橋場町にある「行在所公園」の奥には、朱塗りの少しはで目な神社が建てられています
神社の名は、「 於菊稲荷神社(おきくいなりじんじゃ)」といって、ちょっと変わった名前がつけられています
「於菊稲荷神社」の由緒書によると、
「古くより鎮座いたします稲荷神社は、天正十年(1582)八月小田原城主北条氏政と厩橋城主滝川一益と神流川原に於いて、天下分け目の決戦を行いたる時、北条氏は、先祖以来の守護神稲荷の社頭に戦勝祈願をいたしました
その甲斐有りて大勝利を得た北条氏政は、御神徳の偉大さに感激し小祠を立派な社に再建して報賽の誠を捧げ当社の起源となりました」 とありました
「正一位於菊稲荷大明神」 参道入口 ・・・ 朱塗りの鳥居が幾つも続いていました
更に由緒書きは続きます
「その後、時移り太平の徳川の御代となりて、新町宿にも幾多の妓楼が立ち並ぶようになりました。
宝暦年間(1751~)大黒屋の娼妓於菊は、新潟の貧農の娘であったが、美貌で気だてもよく、新町随一の売れ妓ともてはやされていた。
稲荷神社に日参りする多くの娼妓達のなかでも、於菊は特に熱心なる信者でした。
また子供好きで、境内で遊ぶ子供達にいつも、あめ菓子を買い与えたり一緒に遊んであげたりと子供達親達にとても慕われておりました。
しかし、ふと風邪をこじらせた於菊は、ついに足腰たたぬ病となってしまいました。
これをとても心配した子供達の親は日頃から於菊が信仰していた稲荷神社に小屋を建て看病を三年間続けました。
彼女の信心、親達、子供達の願い遂に神に通じてか、ある夜半枕辺に稲荷の霊あらわれ不思議に病気も全快いたしました。
人々は喜び合って神の恵みと感謝し、彼女は一生涯神明奉仕と世の人々の為に尽すことを決意し稲荷社の巫女となりました。
巫女となった於菊は、日々の神明奉仕を続けるうちに神の霊移ってか神秘的な力を授かりました
彼女の言葉は、天候をはじめとして世上の事の予言また困っている人の手助けをしておりました。
そして人々は、口々に「困った事は稲荷の於菊に聞けばよい」「於菊に聞いて稲荷に参ればよい」と言われておりました。
於菊の稲荷、稲荷の於菊と誰言うとなく於菊稲荷神社と呼ばれる様になりました」
これが、「於菊稲荷大明神社」の謂れだそうです
その後、益々神社は弥栄えて文化文政から、嘉永初旬まで最も隆盛を極め、遠くは江戸、横浜、長崎からも参拝する者多く、中には吉原の遊女、歌舞伎の名優、両国の力士、詩人、名僧等と参詣に来た人たちの枚挙にいとまもなかったそうです
社には数々の文化財は昔時を語る宝物として残っているそうです
朱塗りの鳥居の足元に、祀られた双体道祖神 依願者たちの寄進した鳥居群・・・境内を抜け社まで続いていました
「正一位於菊稲荷大明神」 ・・・ 朱塗り鳥居奥: 拝殿社 、 向かって左: 手洗舎
鳥居をくぐると、すぐに狛狐像があり、左側の狛狐の裏側には手水舎があります
この水屋は文政六年(1823)、町人の浄財で作られたもので、大久保詩仏「冰香」の筆跡がある水盤や、狛犬の彫刻がある珍しい水屋になっています ・・・ 高崎市指定文化財
鳥居を潜っていくと、左側に授与所があり、最奥に拝殿前に出ます
手水舎内の様子・・・正面下:水盤、 上部:彫刻が見えます 暗くて分かりにくかったのですが、欄間彫刻
拝殿
拝殿前には狛犬のすぐ裏側に狛狐がありました
狛狐の背中に子狐が乗っていたのが、珍しく、かわいらしかったです
「ひな祭り」の時期になってます
先だって、群馬・高崎の新町にある行在所公園に行って来ました
新町では、毎年春の風物詩となった「新町ひなまつり」が開催させています ・・・ 今年は第10回で、期間は 平成28年2月7日(日)~3月3日(木) です
期間中、新町にある商店や飲食店などおよそ60か所に、個性豊かなひな人形が飾られます ・・・
メイン会場は、新町行在所公園ですが、展示場所を掲載した「雛めぐりマップ」が新町商工会・新町支所、ひな人形展示場所などで配布されています
沢山の雛人形が、行在所公園内の「行在所施設」に飾られていました
「行在所公園」とは、明治天皇が明治11年8月から11月にかけ、北陸、東海地域の巡幸を行った際、途中の9月2日に新町に宿泊した時利用した木造瓦葺き平屋が現存して、公園化されたものです
「行在所公園」 木造施設 ・・・ 回廊式縁側に、雛人形が一杯飾られていました
昭和8年(1933年)11月2日に文部省史跡指定されました
明治天皇の全国巡幸は西南ノ役平定後、国内全土の安定を願ってされたと思われます
行在所由来を記した看板 壁にはめ込まれた新町宿の浮世絵
新町は、中山道が開かれた当初は寒村でした
街道が発展するにつれて、町並みができ始め、慶安4年(1651年)に落合新町、承応2年(1653年)に笛木新町が伝馬役を命ぜられたとされ、次いで享保9年(1724年)に両方合わせて「新町宿」とされました
「新町宿」は中山道の中で最も遅く成立した宿場で、本陣2・脇本陣1・旅籠43があったとされています
「行在所」庭先から 雛飾りを見ました ・・・ 足元の石畳の縁には霜柱がありました
「行在所」に飾られていた お雛様
日本において、「ひな祭り」は、「ひいなあそび」ともいい、女子のすこやかな成長を祈る節句のの年中行事です
太陰太陽暦(和暦)の3月の節句(上己、桃の節句)である3月3日(現在の4月頃)に行われていました
明治6年(1873年)1月1日の改暦以後は一般的にグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なう事になりました ・・・ 桃の花の時期には少々早いけど、和暦の名残で「桃の節句」の所以でしょうか!?
お祭りでは「男雛」と「女雛」を中心とするひな人形を飾り、桃の花を飾って、白酒やお寿司などの飲食を楽しんだようです
「ひいなあそび」の歴史は、平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた現存記録によるそうです
江戸時代になって、女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、雛人形が飾られるようになりました
江戸時代初期は形代の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていましたたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物でありました
その後時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られました
これらは豪勢な金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた立派なもので、あまりに華美過ぎると云う事から、享保年間から、人々の消費を当時の幕府によって規制されました
しかし、この規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形(わずか数センチの大きさ)が流行することになります
時代の変遷に併せ、これらの人形創作は色々変わってきています
18世紀終わり頃、囃子人形が現れ、幕末までには官女・随身・仕丁などの添え人形が考案されました
雛飾りは嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や壇飾りなど急速にセットが増え、スケールが大きくなってきています
栃木にある「足利織姫神社」に行って来ました
先月末頃、栃木・足利にあるフラワーパークを訪ねた道すがら、「織姫神社」という看板を見て立ち寄って来ました
「織姫神社」は、栃木・足利市にある織姫山の中腹に建つ朱塗りの美しい神殿をもつ足利名勝のひとつです
神殿の綺麗さは、『 足利来るなら織姫様の /赤いお宮を目じるしに /カラリコトントン カラリコトン /足利絵の街 機の街 』と、足利音頭にも歌われ、産業振興と縁結びの神様として地元の人達に広く親しまれているようです
縁起によると、「織姫神社」の祭神は、太古の昔より機織を司る天御鉾命(あめのみほこのみこと)、天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)の二柱の神様です
この二柱の神様は、もともとは皇太神宮御料の織物を織って奉納したという、伊勢国渡会郡出井の郷、御織殿の祭神で、1200年余の歴史と伝統を誇る足利全産業の守護神として、この二柱の神を勧請、その分霊をお祭りしたものだそうです
1705年(宝永2年)に土地住民により社は創建され、のちに現在の通4丁目の八雲神社の境内社としてまつられました
「織姫神社」は、明治12年(1879年)に八雲神社から織姫山中腹に経糸・緯糸の縁結びの神として遷座されましたが、その社を火災により焼失し、しばらく仮宮のままでありました
昭和9年織姫神社奉賛会が組織され社殿再建に着手し、3年の歳月をかけて当時では珍しいコンクリートの現有社殿の平等院鳳凰堂をモデルにしたと云われる威容の社が創建・完成されました
朱塗りのお宮は緑に映えて景観が美しく、また、境内からは関東平野を一望できます ・・・ 2016年隣接する織姫公園とともに日本夜景遺産の認定を受けているそうです
「織姫神社」 ニの鳥居 「織姫神社」 参道 ・・・ 石段は何段あるのでしょう
本殿は小高い丘の上にあります
一番下の一の鳥居から229段の階段をゆっくり上って行くと境内になり朱色の神殿が厳かに現れます
「 織姫神社 」 神殿
「織姫神社」 紹介看板 神殿正面 ・・・ 平等院鳳凰堂を模した!?
「織姫神社」は一時衰退し、平成期になってから再興されたとされています
平成16年(2004年)に社殿・神楽殿・社務所・手水舎が登録有形文化財に登録されました
また縁結びにご利益があるとされ、平成26年(2014年)に恋人の聖地に選定されました
群馬・高崎の植物園で春を見てきました
毎年この時期になると、フクジュソウの花の咲くのが見たくなって、高崎にある植物園に訪れます
今年も行って来ました
まだ寒気の残る中、斜面一杯に陽の光を浴びて咲き出していました
一人静かに、温かみを感じながら黄色味を堪能です
咲き出したフクジュソウの群落
茶色く苔の生えた下から噴き上がるように春がさき出したフクジュソウ
フクジュソウアップです
青空の下で、マンサクの花も咲き出していました
園内の端の方では、サンシュウのツボミが、もう少しで咲き出しそうなそぶりです サンシュウのつぼみ膨らむ
春が足音を立てて近づいています
カラフル「サボテン」にびっくり!!・・・マミラリア・クラシリス(和名:明日香姫)といいます
花屋さんには観葉植物と一緒に「サボテン」を売ってるコーナーがよくあります
最近観葉植物を見に近所の花屋さんを覗いたら、とてもカラフルな「サボテン」が沢山並んでいるのを見つけました
幾色も彩りがある小さなサボテンが、綺麗に並べてインテリアにどうぞとばかりに売られていました
このカラフルサボテンは、マミラリア・クラシリス(和名:明日香姫)という名前だそうです
見たのがバレンタインの時期でしたから、ハート形に並べてありました
カラフルサボテン ・明日香姫のハート作品です
マミラリアとは、「疣(イボ)がある」の意味で、刺が疣のてっぺんから生えており、「疣サボテン」とも呼ばれています
この種の「サボテン」は刺の色・形、花の色・形・大きさ、疣間の綿毛の有無、など色々違いがあり、400種類を越す種類があるそうです
それにしても何んともカラフルな色合いをした「サボテン」です
いくら種類があるからといって、こんなに色が違うのは自然の発色なのかなと疑問がおきました
ネットで調べてみたところ、私と同様彩りの違いに疑問を感じた人が多いようでした
手あたり次第並んでいたマミラリア(明日香姫)をパチリ!!しましたので、見てください
ブルー色のマミラリア 青紫色の マミラリア(明日香姫)
棘の先、根元まで株一杯に単一同色です
でも棘の出た奥の株は、「サボテン」本来の緑色も見えます
スプレー着色ではないかという説明が多く見られましたが、棘部だけ着色というのは難しいでしょうから、小さい内に着色し、その後育ったものかもしれません
着色の場合、着色後に増えた子株には色はついていないそうですから、大きく育てるうちには解明できる事なのかもしれません
素直に考えれば、複数の刺色がある自然の植物は考えられません
黄色の マミラリア(明日香姫) 赤橙色の マミラリア(明日香姫)
この他にも、グレイ、ブラック、ピンク等々のマミラリア(明日香姫)がありました
棘の色の自然色では、赤刺はあるそうです
赤色は「コチニール色素」によるもののようです
「コチニール色素」は、染料あるいは食品添加物(天然着色料)として使用される赤色の色素です
カメムシ目カイガラムシ科の昆虫、特にアジア産のラックカイガラムシ、南ヨーロッパのケルメスカイガラムシ、メキシコのコチニールカイガラムシなどのメスの体を乾燥させ、体内に蓄積されている色素化合物を水またはエタノールで抽出して色素としたものだそうで、本質はアントラキノン誘導体のカルミン酸であることから、「カルミン酸」とも呼ばれています
この昆虫は「サボテン」の表面に生息しています
「サボテン」はウチワサボテンに生息すると云われています
赤はともかく他の着色色は如何様にするのか凄い技術と云えそうです
ヒナ草は名前も含めて、今の時期の花です
温かくなって、スーパーの花木コーナーは色々なガーデニング用の草花苗が沢山売られ始めています
花棚の端の方で、可愛い小さな花が咲いたポット鉢が並んで売られていました
挿してあった名札には、ヒナ草とありました
ヒナ草は北米大陸東部の砂質の土地にある、森林の開けた場所や湿った草原、岩の傾斜地に生えていた アカネ科の常緑多年草です
日本へは昭和時代の後期に園芸植物として渡来し、現在は逸脱し野生化しているそうです
花の名・ヒナ草は、花が小さくかわいらしいので、小さい、かわいいなどの意味の雛鳥の「ヒナ」を連想して名づけられたそうです
早春~6月頃まで、愛らしい花をたくさん咲かせます
花棚にびっしり並んで咲くヒナ草のポット苗
ポットの中でのヒナ草は、細い茎が密集して、全体が小さな塊のように見えます
地下茎のように地面を横に走る枝で広がり、クッション状に茂っていくのだそうです
草丈は15cm前後になり、葉は小さく、茎から1対ずつ出ています ・・・ 対生です
葉は1cmほどのへら状をしています
ヒナ草の咲いている様子をアップして見ました
ヒナ草の葉は冬でも緑なので、常磐薺(トキワナズナ)の別名があるそうです
花は花径1cm前後・こんもりした小さなへら状の葉の間から伸ばした花柄の先に、1個づつ上向きに株を覆うように咲きます
花色は白から青紫色で中央が黄色く、十字の形をしています
一見、花形はナズナの花に似ていますが、花弁がつながっており、細い筒状の花筒が下に続いています
ヒナ草の花の アップ !!です
まだ先ですが、空色の花弁と中心部の濃い黄色のコントラストが美しいヒナ草は、3月27日の誕生花です
名前からお雛様のイメージが重なってきます
ヒナ草の 花言葉は、「 寛大な愛 」 、「 会える幸せ 」 、「 甘い思い出 」 です
花弁は基部がつながって、細い筒状の花筒が4つに分かれたものです
「寛大な愛」は、十字架のように4枚の花弁に見えることからキリストの愛を連想したのでしょうか!?
小さな株はひ弱そうに見えても、雪も平気で冬を越し、暖かくなると、急速に分枝してどんどん花を咲かせます
花言葉・「会える幸せ」は春にまた咲きそろう花への喜びを感じさせてくれる花だと云うのでしょうか!?
エピデンドラムの花が咲き、青い色の胡蝶蘭にびっくり
毎年今頃になると、東京ドームで、洋蘭、東洋蘭、日本の蘭など世界各地のさまざまなジャンルの蘭を一堂に集めた「世界らん展」が開催されます
今年も始まっているとテレビで報道がありました ・・・
「世界らん展日本大賞2016」(主催・世界らん展日本大賞実行委員会) 2016年2月13日(土)~19日(金)までの7日間、 開催場所 ; 東京ドーム(東京都文京区)
今年はどんな花が見れるのでしょう!!
今月初め花屋さんで、エピデンドラムと青色した胡蝶蘭の鉢植えが売られているのを見かけました
エピデンドラムは、700種もあるかという南アメリカの熱帯を中心に広く分布する「らん」で、カトレアに近い仲間だそうです
日本で一般的に流通しているエピデンドラムは、そのなかでもリードステムエピデンドラムというタイプの交配種になります
属名のエピデンドラムは木の上に着生することから、「epi:上」、「dendron:木」から命名されたそうです
原種は環境に強く岩場、草原、海岸といたるところで見られるそうで、その野生種は1~数mにも伸びる細長い茎をもち、その頂部に半ボール状に綺麗な小輪花を多数つけます
葉は多肉植物の様に肉厚で、茎の両側に互生して伸び、茎の先端から花芽が出て複数の花を付けます
株が長く伸びすぎると商品価値がなくなるとして、現在の交配種は茎を短く改良し、鉢物としても楽しめる大きさにされたものだそうです
もともとの色彩はオレンジ色が主流だったようですが、品種改良が進むにつれ、赤、黄色、ピンク、白などの色彩もふえ、現在では色とりどりのボール状に咲く花を楽しむことができます
育て方で、花は季節ではなく、環境によって好きな時に咲かせます
エピデンドラムの鉢植え ・・・ 花色がとてもやさしくほっとした気持ちになりました
エピデンドラムの花は一輪目の開花から、ボール状になるまでに約1ヶ月かかって咲きます
通常、1輪の花保ちは2週間程度ですが、花茎が伸長を続けながら輪数を増やし、3~4ヶ月以上も咲き続けることもあり大変見事です
育て方はやや乾燥気味に育て、水やりは乾いてからたっぷりやると云う具合にメリハリ付けるといいようです
テレビでの紹介では、1週間に一回の水やりでいいと云ってました
冬場の乾燥した時期は根だけではなく葉にも霧吹きしてあげるとよく、花が終わったら葉の上の部分で切り戻します
テレビでは、思い切って下から切って切り花に使用し、株の方は、新芽が出て次年度に備えさせるといいと説明していました
花棚で咲きそろったエピデンドラムの花をアップ! しました
オレンジ色のエピデンドラムの花アップ 紫ピンク色の エピデンドラムの花 アップ
エビデンドラム の 花言葉は、 「 清らかな幸福 」 です
花色のやさしさから、イメージがぴったりします
青色の胡蝶蘭が隣りの方で、咲いていました
青色の胡蝶蘭はとても珍しいなと思って、パチリ”!! しました ・・・ 青色胡蝶蘭は「ブルーエレガンス」と名づいているそうです
青い色って、とても高貴な感じです
青色胡蝶蘭鉢植え ・・・ 花色の青がやや白っぽくなりました ・・・ 花が終わりになってきているのかな!?
青い色花の胡蝶蘭は、世界4ヶ国で国際特許を取得した稀少な「蘭」だそうです
よくは分かりませんが、青色胡蝶蘭の青は、大部分が特殊な染色方法で青く染められた染め花だそうです
染め花とは、茎に染色液を注入するらしいのですが、青色は青い栄養分(アントシアニン系の色素?)を吸わせて着色しているようですが・・・?
その為花後、次に咲く花は多分白かピンクで、青にはならないようです
上記画像は、染色具合が薄かったのかもしれませんね
色素注入による「青色染色」って特許性的に見て、植物に対する青色色素利用と云う事でしょうか!?
希少ランのイメージから考えると、ちょっぴりしっくりいかないでいます
最近の話題として、千葉大の遺伝子組み替えの胡蝶蘭が話題に成ったそうで、これは遺伝子操作で青いファレノプシスの開花に成功したそうで、染色とは違っています
これならなるほど希少ランといえるかもしれません
因みに桃色の胡蝶蘭に、ツユクサの遺伝子の相性を併せたそうです
以前宇宙バラの名で、青色のバラ・「ブルーローズ」ができたと見たことがありますが、だんだん青色の植物は珍しくなくなってきたと云えそうです
ところで「ブルーローズ」は、英語で「あり得ない」という意味なのだそうで、希少の価値がよくわかります
青色胡蝶蘭 のアップ ・・・ 「ブルーエレガンス」の名の通り、上品で優美で涼しげな色合いが綺麗です
胡蝶蘭とツユクサの花言葉は、それぞれ「 あなたを愛す 」 、「 尊敬 」 だそうです
青色胡蝶蘭は、愛と尊敬が生んだ「青」ということになりそうです
フキタンポポが、咲き始めているのを見つけました
あっという間に1ヶ月が過ぎ、二月も1週間経ちそうです
時の経つのは実に早いと、歳をとるにしたがって思うようになりました
何事もなく過ごせるのが、幸せの証拠だと思いながら、何とも無為に過ごしているようで、考えてしまいます
何かするにしても、手の進みが遅くなりました
遅くなった分時間は十分あるのだから、何事もあせらず、じっくりいこうかなと最近考えています
先だってスーパーの花棚を覗いたら、芽を出しはじめたフキタンポポのポット苗が沢山並んで売られていました
フキタンポポ(蕗蒲公英)は、キク科フキタンポポ属の多年草で、中国~ヨーロッパが原産です
日本へは明治時代に渡来し、野生化しているようです
フキタンポポの名前は、花が蒲公英(タンポポ)に似ており、葉が蕗(フキ)に似ているというところからついたそうで、古くはカントウ(款冬)と呼ばれていたそうです
カントウは、冬に氷を叩き割って生えるという意味があるそうです
生えた感じが福寿草(フクジュソウ)に似ているので正月用に利用されているようです
葉は生薬で、「款冬花(かんとうか)」といい、鎮咳去痰作用があるそうです
フキタンポポのポット ・・・ 沢山咲いた名札が目立っています
冬季、フキタンポポは葉が枯れる頃に蕾の塊が見えてきます
根際から生える葉は蕗に似た腎臓形をし、茎にも数枚の葉が互い違いに生えます(互生)
芽出してきた葉裏には毛が生えて、春の柔らかさを教えてくれているようです
フキタンポポの芽出し ( ツボミが大きく膨らんできています )
フキタンポポの花期は1~3月 ・・・ 室内では12月頃には咲き出すようです
花棚のポットでは、幾つか咲き出しているものがあり、パチリ!!しました 下画像
花径3cmくらいで、蒲公英(タンポポ)よりも少し小さめです
花丈は5~10cmになります ・・・ 葉株丈は30cm内外になります
フキタンポポの花は、ちょいと見はタンポポそっくりですが、個性的な花姿をしているとも思えます
フキタンポポのつぼみの付きかたなどの芽出し状態は、フクジュソウ(福寿草)にもよく似ていると思えます
お正月の寄せ植えに人気のフクジュソウは価格が高めですので、近頃では育てやすいフキタンポポが、代役をつとめるようになってきたようです
但しフキタンポポは花の咲きだし後、葉が割りに早く出るので、正月用のフクジュソウに似せるために、葉っぱを切り取ってしまうので、多年草にかかわらず一シーズンで枯れる事が多いようです
フキタンポポの 花言葉は、 「 公平な裁き 」 です
野生の洋種フキタンポポは、フクジュソウと間違えてくれるなと主張しています
タコノキの気根
昨年の暮れですが、群馬フラワーパークの温室で、タコノキを見ました
以前も見たから吃驚しないけど、なんともすごい根っ子です
タコノキ(蛸の木)は、小笠原諸島の固有種で、タコノキ科の常緑高木で雌雄異株です
よく知られるタコノキは小笠原諸島の海の近くに自生し、高さ10mほどになります
タコノキ科植物全般に見られる特徴として、気根が支柱のように幹を取り巻き「蛸(たこ)」のように見えることからタコノキ目の基準種となっています
葉は先端が尖って細長く、長さは80cm~1.5mでらせん状にたくさんつきます
葉のフチや葉裏の主脈の上には、大きく鋭い鋸歯が上向きについています
葉の付き方から「スクリュー・パイン」とも呼ばれます
初夏につく花序は肉穂花序(花軸が多肉化して花が表面に密生したもの)で、雄花は黄白色で、雌花は淡緑色をしています
夏には数十個の果実が固まったパイナップル状の集合果になります
果実は秋にオレンジ色に熟し、茹でて食用としたり、食用油を採取する原料になります ・・・ 食べた事ないけど油がとれるのだから、脂っこいのかな
群馬フラワーパーク・温室内のタコノキ ・・・ 見事な気根です
気根は、幹の下の方から根が幹を囲むような感じでタコ足状に伸びています
海岸沿いなどに自生することが多いそうですが、この気根が不安定な砂質土壌にしっかり食い込んでアンカーの役割をして幹を支えているのが想像できます
亜熱帯~熱帯地域では防風や防潮目的で植栽されるようですが、納得です
「名は体を表す」で、タコノキ名前の由来が容易にわかる姿です
気根とはどういうものか少し調べてみました
本来「根(ね)」とは、植物の器官の1つで、地中・水中に伸び、水分や養分を吸収したり、呼吸したり、植物体を支える機能を持つものです
根の構造は、維管束構造です
茎から出て地中に棒状に伸びて、放射相称形になり植物体を支えます
群馬・高崎植物園でみた タコノキ ・・・ これは雌木のようで、以前果実のなっているのを見た覚えがあります
植物の根は本来地中に伸長する器官ですが、茎や幹から空中に出る場合があり、これを「気根」と呼んでいます
「気根」には、空中にいながら地上の茎を支持し、大気中で呼吸を助け、根につく養分、水分を取り込んだりの働きを持っています
新しい「気根」が伸びているのが分かります 新「気根」の成長先端部のアップです
茎本体から新しく「気根」が出てくるなんて、何とも面白い・・・、しかも根の成長点の表情がとても興味深く感じます
根の成長は下に向かって正の屈地性と負の屈光性があるようです
「気根」の表面の棘は、どんな目的があるのでしょう!?
栃木にある「足利フラワーパーク」に、冬牡丹を見にいってきました
一度は行ってみたいと思っていた「足利フラワーパーク」に行って来ました
「足利フラワーパーク」は、600畳敷の大藤棚3面と世界でも珍しい八重の大藤棚がメインに、園内いたるところに庭木仕立ての藤があり、80mにも渡って続く藤の花のトンネル(白藤、きばな藤)がある藤の名所としてよく知られています
藤の花の時期には、我も我も見たいと大勢押しかけて、近隣の交通網は大分混雑するようで、あまり運転技術には自信もないし、人込みは苦手でもあって、今まで見にきたことがありませんでした
先だって、友人から、『混雑が苦手なら、冬の「足利フラワーパーク」もなかなかいいから行ってみるといいよ』 と、教えてもらいました
冬のイルミネーションは、日本夜景遺産「関東三大イルミネーション」にも認定登録となったし、日中も雪囲いした冬牡丹は花の少ない今の時期に一見だよというのです
アクセスは、東北自動車道・佐野藤岡ICより、国道50号前橋・足利方面進行(約18分)、北関東自動車道からは、太田桐生ICより、国道122号経由、国道50号足利・小山方面進行(約20分)です
駐車場は結構広くあるのですが、道路が狭いからやはり藤の花満開の頃は、相当混雑しそうです
花のファンタジックワールードと称する「足利フラワーパーク」・「光の花の庭」は、300万球使用ともいわれるイルミネーションが飾り付けられています
日本一といわれる大藤に藤色の花房をイメージした電飾が付き、春を想像させ風に揺らめく様は、まるで大藤が満開になったような見ごたえになるそうです
池の水面に映り込むように造られた幻想的な光のピラミッドや、クリスマスシーンを演出する為のクリスマスタワー、園内南側の山際に登場する「スノーワールド」等と、イルミネーションが色々セットされています
「足利フラワーパーク・「光の花の庭」」は、全国13位( ➝ もちろん栃木県内で1位 )の人気の高いイルミネーションスポットで、今年(2016年)のイルミネーションは2月4日まで開園だそうです
日中だから、イルミネーションの綺麗さは駄目でしたが、静かな風景は楽しめました
玄関口のフラワーショップを通り抜けて、パーク内に入ると、沢山の雪囲いした冬牡丹が見られました
牡丹は本来春から夏の花です
冬牡丹とは、花は「牡丹」と同じで、特別管理をすることで冬の間に咲かせる牡丹を指します ・・・ 冬牡丹の見ごろは、1月上旬~2月下旬です
別名として、「寒牡丹(かんぼたん)」とも呼ばれますが、正確には、若干品種が違うようです
即ち、「冬牡丹」は春咲き牡丹と同じ品種を1~2月に開花するよう、特に手間をかけて調整したもので、「寒牡丹」は、春と秋に花をつける二季咲きの変種です
通常、春にできる蕾は摘み取り、秋にできる蕾のみを残し10月下旬から1月に開花させたものが、「寒牡丹」です
こんな句を見つけました
『 一つ散りて 後に花なし 冬牡丹 』 ( 正岡子規 )
『 そのあたり ほのとぬくしや 寒ぼたん 』 ( 高浜虚子 )
雪囲いされた冬牡丹が幾つもありました
夜になるとこれらの冬牡丹が雪囲いの中でライトアップされるのだそうです
雪囲いされた冬牡丹です
園内には幾つかの園池があり、水上に浮かぶ冬牡丹が楽しめます
傍には鉄柱で組んだ、イルミネーションツリーが造られ、夜間演出ができていました
園内一隅で、寒紅梅が咲いていました ・・・ 寒紅梅の見ごろは、1月中旬~2月下旬 です
寒紅梅 ( 向かって奥はハクモクレンです ・・・ 花芽が沢山ついていました )
園内には栃木県の指定天然記念物になっている幾本かの大藤が植えられていました
藤の花の時期ではありませんが、 スクリーン仕立て、池に映る水鏡効果の夜の藤達は、この世のものとは思えない程の息をのむ美しさだそうです
移送の上、植栽した10年前72㎡の藤棚も今では10倍以上の1,000㎡にも拡がり、世界一美しい藤と言われるほどになっているそうです
群馬フラワーパークの温室で見つけたバナナの花
昨年末、群馬・赤城山麓にある「群馬フラワーパーク」に行って来ましたが、その折温室でバナナが花開き、上の方では果実が生っているのを見つけました
花を見てから、1ヶ月近く経ちましたが、あのバナナの花はどうなっているかな!?
とにかく、いくら暖冬とはいえ、バナナは熱帯、亜熱帯地域で栽培されるバショウ科の多年草ですし、年明け後大雪が降るほどの寒波襲来ですから・・・
今頃はどうなっているのでしょう ・・・ 尚、俳句の季語は夏です
ふと思い出して、あの時撮った画像を紹介したくなりました
バナナとは、( ➝ 和名では「甘蕉」、「実芭蕉」です )は、バショウ科バショウ属のうち、果実を食用とする品種群の総称をいいます
簡略すると、果実をバナナと呼びます
バナナは、食用果実として広く知られています
栽培の歴史は古く、紀元前5000年以上まで遡るといわれ、その後、熱帯、亜熱帯地域の各地に伝播していったようです
ちょっと古い資料になりましたが、2009年の全世界年間生産量は、生食用バナナが9581万トン、料理用バナナが3581万トンで、総計では1億3262万トンにのぼっています
主食として栽培が行われている地域や、花を料理に使う地域もあったり、葉は皿代わりにしたり、包んで蒸すための材料にしたりするほか、屋根の材料などとしても利用されたりと生活に密着利用されています
日本へは明治時代の中期に台湾から渡来したそうです
フラワーパーク温室内で見かけたバナナの木 ・・・ 見上げたら、果実がたわわに見えました
「バナナの木」と言われるように、高さ数mになりますが、バナナは果樹ではなく草本で、その実も果物でなく野菜(果菜)に分類されています
高く伸びた茎のような部分は偽茎(仮茎)と呼ばれ、実際には、葉鞘( ➝ 茎を鞘状に包むような形になった葉のつけ根 )が幾重にも重なりあっているものです
茎は地下にあって短く横に這っています
茎のような先端からは、長楕円形の葉(葉身)が大きく伸びています
葉は偽茎の先に8~10枚つけ、長めの楕円形(➝長さは2~3メートル)で艶があります
偽茎から長く伸びた花序(花穂)です ( 花がびっしり咲いています )
バナナの花(花序)は偽茎の先端から出て、下に向かってぶら下がっています
葉の間から、大きな苞(花のつけ根につく葉の変形したもの)をつけた花穂です
大きな花弁に見えるのは苞葉で、果指の部分が本当のバナナの花です
果指一つ一つが一本のバナナに成長し、果房がバナナの房となります
1本の果軸に複数の果房(果段)がつき、各果房には10本から20本程度の果指から成っています
雌花は花穂のつけ根の部分に、雄花は先につき、その間に中性花がつきます
果実は最初は下へ向けて成長しますが、後に上へ向けて成長することから湾曲した形となります
果皮の色は品種によって異なり、一般的に知られるものは緑色から黄色ですが、桃色から紫色まで多様です
収穫後時間が経過するにつれて皮の表面に、「スウィートスポット (Sweet spot)」または「シュガースポット (Sugar spot)」と呼ばれる黒い斑点状のものが出ます
これが熟成のバロメーターになっています
成熟したバナナの皮には、クロロフィルの分解物が含まれ紫外線を照射すると青色の蛍光を発します
花の咲いているのを覗いて見ました
バナナの 花言葉は、 『 風格 』、 『 燃える思い 』 です
群馬・保渡田八幡塚古墳群の一つ「八幡塚古墳」に行って来ました
喪中であった為、のんびりしたお正月を迎えました
三が日の一日、通年だとどこぞの社に初詣に行くのですが、今年は初詣見物に行って来ました
どこもかしこも人、人・・・です
こんなに大勢の人が初詣で、テンデンに色々お願いをするわけだから、神様、仏様も大変だなと思いながら走ってきました
こういうと願い事は達観してるように聞こえますが、実は幾つになっても願い事は一杯あり、喪中はそれができないとは、心中穏やかならずです
不幸があったのだから余計に色々お願いしたいのにな~と、思う訳です
神様、仏様も喪中の人がいるから、一呼吸できるのかもしれません
来年はその分優先的に聴いてあげるよと云って下さっていると期待して、今年も頑張ります
「土屋文明記念文学館」の裏手には、保渡田古墳群の一つ・「八幡塚古墳」があります
「保渡田古墳群」は、群馬・榛名山山麓の保渡田・井出に分布している古墳群(➝ 二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の3基の大型前方後円墳) です
1985年(昭和60年)に国の史跡に指定されました
築造年代は、5世紀代後半も終わりに近い頃から6世紀前半代にかけてであり、二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の順に造営されたと推定されています
お天気よく、風もほとんど無風の穏やかな日でした
のんびり「八幡塚古墳の周囲を歩いてきました
八幡塚古墳眺望 ( 「土屋文明記念文学館」裏手からみました ・・・ ウォーキングをされている人もいました )
後円部から見た墳墓( 正面向こう 「土屋文明記念文学館」) 八幡塚古墳 説明碑
「八幡塚古墳」は、後円部に舟形石棺と砂利層が露出しており、石槨が存在したと推測されているが、詳細は明らかでないそうです
副葬品は鉄地金銅張F字形鏡板の轡と同剣菱形杏葉、小石槨から鉄刀片、甲冑片が出土した伝承があるそうです
墳丘東側くびれ部の中島から高杯の土師器が出土しているが、初期須恵器高杯を模造したもので、古墳時代後期の初期と推測されています
前方部前面の中堤上に円筒埴輪列で方形に区画された部分から人物類や、馬・ニワトリなどの家畜、イノシシ・水鳥など狩猟鳥獣をモチーフとした形象埴輪が出土しています
これらの動物埴輪は、埴輪祭祀の一つの表現様式として注目されます
特に「八幡塚古墳」からは鵜形埴輪が出土しており、首を高く上げ口に魚をくわえ、首に鈴のついた首紐が付けられた「鵜(う)」の姿が表現されています
これは鵜形埴輪が古墳時代から儀礼・行事としての鵜飼が行われていた可能性を示していると考えられます ・・・ 鵜飼は、古代中国の歴史書『隋書』や『古事記』、『日本書紀』に見られます
往時埴輪は6000本ほど設置されていたと考えられており、復元に当たっても出来る限り配置したようです
墓は後円部に2箇所設置されており、1つが古墳を造らせた豪族本人、もう1つがその近親者であると考えられています
形象埴輪墓越しから「八幡塚古墳」を見ました ( 向かって右奥 : 「土屋文明記念文学館」 )
古墳の奥には、榛名山系が広がっていました
豪族たちは、この山並みをどんな想いで眺めていたのでしょう
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