日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
「ひな祭り」の時期になってます
先だって、群馬・高崎の新町にある行在所公園に行って来ました
新町では、毎年春の風物詩となった「新町ひなまつり」が開催させています ・・・ 今年は第10回で、期間は 平成28年2月7日(日)~3月3日(木) です
期間中、新町にある商店や飲食店などおよそ60か所に、個性豊かなひな人形が飾られます ・・・
メイン会場は、新町行在所公園ですが、展示場所を掲載した「雛めぐりマップ」が新町商工会・新町支所、ひな人形展示場所などで配布されています
沢山の雛人形が、行在所公園内の「行在所施設」に飾られていました
「行在所公園」とは、明治天皇が明治11年8月から11月にかけ、北陸、東海地域の巡幸を行った際、途中の9月2日に新町に宿泊した時利用した木造瓦葺き平屋が現存して、公園化されたものです
「行在所公園」 木造施設 ・・・ 回廊式縁側に、雛人形が一杯飾られていました
昭和8年(1933年)11月2日に文部省史跡指定されました
明治天皇の全国巡幸は西南ノ役平定後、国内全土の安定を願ってされたと思われます
行在所由来を記した看板
壁にはめ込まれた新町宿の浮世絵
新町は、中山道が開かれた当初は寒村でした
街道が発展するにつれて、町並みができ始め、慶安4年(1651年)に落合新町、承応2年(1653年)に笛木新町が伝馬役を命ぜられたとされ、次いで享保9年(1724年)に両方合わせて「新町宿」とされました
「新町宿」は中山道の中で最も遅く成立した宿場で、本陣2・脇本陣1・旅籠43があったとされています
「行在所」庭先から 雛飾りを見ました ・・・ 足元の石畳の縁には霜柱がありました
「行在所」に飾られていた お雛様
日本において、「ひな祭り」は、「ひいなあそび」ともいい、女子のすこやかな成長を祈る節句のの年中行事です
太陰太陽暦(和暦)の3月の節句(上己、桃の節句)である3月3日(現在の4月頃)に行われていました
明治6年(1873年)1月1日の改暦以後は一般的にグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なう事になりました ・・・ 桃の花の時期には少々早いけど、和暦の名残で「桃の節句」の所以でしょうか!?
お祭りでは「男雛」と「女雛」を中心とするひな人形を飾り、桃の花を飾って、白酒やお寿司などの飲食を楽しんだようです
「ひいなあそび」の歴史は、平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた現存記録によるそうです
江戸時代になって、女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、雛人形が飾られるようになりました
江戸時代初期は形代の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていましたたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物でありました
その後時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られました
これらは豪勢な金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた立派なもので、あまりに華美過ぎると云う事から、享保年間から、人々の消費を当時の幕府によって規制されました
しかし、この規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形(わずか数センチの大きさ)が流行することになります
時代の変遷に併せ、これらの人形創作は色々変わってきています
18世紀終わり頃、囃子人形が現れ、幕末までには官女・随身・仕丁などの添え人形が考案されました
雛飾りは嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や壇飾りなど急速にセットが増え、スケールが大きくなってきています
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