日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
群馬・高崎にある進雄神社・・・「進雄」は「すさのお」と読みます
先日、群馬・高崎にある進雄神社に行ってきました
高崎の割に田園部に近いところに鎮座している神社のせいかとても神聖な感じです
この神社名の読み方わかりますか!?
「すさのお」神社と読みますが、ちょっと読めませんでした
祀ってある主祭神は、祇園祭で有名な京都八坂神社と同じ「須佐之男命(すさのおのみこと)」で、その他に稲田姫命様ほか二十四神が合祀されています
進雄神社の由緒書によると、『貞勧11年(869年)諸国に疫病蔓延、地震・津波で国内困窮の時、清和天皇の勅諚により、尾州津島神社を勧請して当地に創祇され、牛頭天王を祭る神社として江戸時代までは「天王宮」を社号として千百数十年にわたり広く崇敬されてきました』
明治維新後神仏分離令なるもので改称され、現在の名前になったのだそうで、名づけはご祭神に因み「雄大に進むを祈誓」してだそうです
尚合祀された二十四神は明治の中頃に、近郷三町内でおまつりされた合祀の神々で、進雄神社になっての後のようです
現掲額の社頭額は明治天皇の外祖父中山忠能公が染筆したものだそうです
総檜、権現造の御社殿です 合祀されていた お稲荷さんです 左奥に本殿が見えます
平成になって、新築改造された折、建てられた記念碑です 拝殿から振り返った参道景観です
寺社の存続は、時の権力者の意向によって大きく左右される時代がありました
戦国の群雄が割拠した時代、とくに上州においては、北方から上杉氏、西方から武田氏、南方から北条氏がなだれ込み、権力者はめまぐるしく変わり、更に神仏混交から分離等々幾多の変遷で
寺社の存続は今に至ってきています
そんな重みをわからず帰ってきてしまい、千年以上の歴史探索にその内またたずねてみようかなとおもっています