日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
早朝ウォーキングでみる風景・山並み
今日で11月も終わり・・・
ぐっと寒くなってきて、ニ三日前北海道には異常寒気が襲来し大雪が降りました
このため送電用高圧架線鉄塔が壊れ、停電が今日も続いているようです
現代の生活において、電気のない生活が出来るとは到底考えられません
今脱原発が大きくクローズアップされています
経済は随分疲弊してきています
早く立て直し、生活安心をさせるにはどうすればいいのでしょう
そもそも異常気象が発生しやすいのは温暖化の影響が大きいのを忘れてはいないだろうか
世界を挙げて、CO2削減をしようとしたのはどうなっているのだろう
野田内閣は倒れ、来月は総選挙です
日本国民の良識に期待し、現状把握し、眼の前の立て直しと、地球の安全回復を計れたらいいですね
早朝ウォーキングもすっかり習慣になりつつあります
でもそう本当にいえるのはもう少し先なのかもしれません
まずはこの冬をしっかり乗り切れなくては・・・
早朝の送電鉄塔群です
早朝、私のウォーキングコースから赤城山系を望みました
陽が上がり明るくなってきました 向かいには榛名山系です (手前高架は高速道です)
遠くに真っ白になった浅間山が見えました
今関東は晩秋盛んです
冬はそこまで来ています
しっかり寒さを乗り越えて、日本にもはやく春がこないかな
深秋の“フジバカマ”・・・紅葉姿です
早朝ウォーキング で見つけたのですが、
霜が降り始めた麦畑のあぜ道で、“フジバカマ”が紅葉していました
“フジバカマ”は万葉の時代から薬草や香水(中国)としても使用されほど好まれていた秋の七草の一つです
開花の時期は、10月初めから11月一杯・散房状に薄い藤紫色の花がびっしり咲きます
フジバカマの紅葉姿です (後ろは出たばかりのムギの芽です)
茎頂に咲いた花はもう終わりですが、茎や葉は赤く色付き、まるで別な草本に見えます
フジバカマの花は散房状の蕾が開くと、繊細な糸の様な少し縮れた花弁が現れます
頼りなげな淡い花の色は秋の感傷を誘うものがありますよね
「 藤袴 きて脱ぎかけし 主や誰 問へどこたへず 野辺の秋風 」
これは 金槐和歌集の中で詠われた「源実朝」の歌ですが、なんともシャイな歌だなと感じます
霜にあたって、花は綿毛になって、飛び出しそうです
見送る茎、葉は赤く色付き装っています
源氏物語三十帖「藤袴」・・・の巻の中で、「夕霧」が藤袴の花にことよせて「玉鬘(たまぐし)」に想いを伝えんと歌を詠んでいます
「 おなじの野の 露にやつるる 藤袴 あはれはかけよ かごとばかりも 」
この歌の背景として、「夕霧」と「玉鬘」はいとこ同士、同じ祖母である大宮の葬儀の折に出会った恋人に贈ったとされています
意味は 「夕霧」が、その死に悲しむ自分の姿を、「同じ野の露にやつるる藤袴」と、野露に濡れてしおれている藤袴にたとえて、「玉鬘」に気持ちを訴えたとされています
野の露を霜に置き換えて、しかも喪の姿も赤紫の紅葉した藤袴と見立てたら、いかがでしょう
“フジバカマ”の花言葉は、「 ためらい 」、「 優しい思い出 」 です
今“ホトケノザ”の花が咲いています
数日前からぐっと冷え込むようになりました
早朝ウォーキングで畑中を歩いていたら、畑の端にビッシリ生えた“ホトケノザ”に霜が降りて、真っ白になりそうになっているのに気がつきました
“ホトケノザ(仏の座)”とは、シソ科オドリコソウ属の一年草あるいは越年草です
“ホトケノザ”とは半円形の葉が茎を取り囲んでつくようすを「蓮華座(れんげざ)」に見立てたところから付けられた名前です
別名で“サンガイグサ(三階草)”とも呼ばれますが、これは茎が段々につくことから付けられたと言われます
“ホトケノザ”は古来から「春の七草」の一つと言われていますが、これは本種のことではなく、標準和名を“コオニタビラコ”というキク科の草が「春の七草」で、食用となるのですが、今言う写真の“ホトケノザ”は七草ではなく微毒性があり食用にはなりませんから要注意です
尚、“ホトケノザ”の葉は対生で、縁に鈍い鋸歯があり、下部では葉枝を持つ円形、上部では葉枝はなく茎を抱く形をしています
これに対し本来の春の七草・“コオニタビラコ”は、花色は黄色で、ロゼット葉を広げて地面にはいつくばった姿で見られ、葉は羽状複葉をし丸っこい形ですから見ればすぐ分ります
“ホトケノザ”の本来の花期は3~6月で、上部の葉脇に長さ2cmほどの紫で唇形状の花がつきます
花びらをそっと抜き取り、それを吸って蜜を味わってみることができるので、小さな頃遊びの材料にされていたのを覚えています
“ホトケノザ”には第2の花と見られる「閉鎖花」と呼ばれる花があり、花を開かなくとも実がなるという不思議な花です
ちょうど“イチジク”の花のようなものだというのですが、つぼみのような状態のまま、花の中ではどんどん種子が作られる自稔性の花なのだそうです
それにしても、霜が降りる頃“ホトケノザ”の花が見られるなんてどういう事なんでしょう
花期は秋~初冬にかけても咲くのでしょうか!? 早春に咲く“ホトケノザ”ですから、今年の陽気は春咲きの気候と間違えているのでしょうか!?
“ホトケノザ”の 花言葉は、 「 調和 」 です
群馬・伊香保温泉の紅葉
昨日はお休みしちゃいました
囲碁仲間とまだまだ忘年には早いのですが、年中行事で伊香保温泉に一泊で忘年囲碁に出かけたためです
和気藹々・飲んで、お風呂に入って、ゆったり気分で、一局一局楽しんできました
一泊だと、時間を気にせず同好の士と盤を囲みじっくり打てるのがいいですね
残念ながら、結果は・・・・言わぬが花でした
この宿は最近はやりの一泊8000円・バイキングホテルですが、碁盤が沢山用意され、囲碁大会に重宝しています
急傾斜地に建てられたホテルからは辺りの眺望が実によく見えます
正面の山は赤城山系です ( 向って右端の建物は伊香保名物・温泉饅頭屋さん)
もっと天気がよければ上州穂高等も見えそうですが、この日はやや曇って残念でした
周囲の紅葉は今が見頃でした
ホテルの窓から裏手の山を見たものです ・・・ 随分たかくまで建てられています
パチリ!!したのは、早朝7時です
朝風呂上りの浴衣で撮ったのですが、窓を開けてパチリ!したせいか、冷気で思わずブルッとしちゃいました
小雨になった昼近く、名残惜しく帰途に着きました
ホテルを出て、途中 渋川総合運動公園の紅葉 を覗いてきました
そして錦秋を味わいました
小雨煙る中、まるで黄色の世界に入った感じです
こちらはまさに錦の世界です 踏みしめるとサク!サク!・・・と、柔らかでした
今、群馬・伊香保は最高の秋模様を魅せてくれています
早朝咲いてる“山茶花”の花
この所あまりスーパーや産直に行かないので、いや行っても目立つ花に会わないので紹介に苦労しています
今日も早朝ウォーキングで見かけた“山茶花”の花です
薄明かりの中で咲いていた真っ白な“山茶花”の花は、 なんか妙に艶かしいあで姿に見えました 花もやや終わり気味の八重咲きのせいでしょうか!?・・・丸みを帯びた形に色香があります
“サザンカ(山茶花)”はツバキ科の常緑広葉樹で、秋の終わりから、冬にかけての寒い時期に、花を咲かせます
山茶花という名の由来は、葉がお茶の様に飲料になるので山に生える茶の木の意味だそうです
本来野生樹だった山茶花の花の色は部分的に淡い桃色を交えた白色だそうです でも多分植栽されている八重花は、園芸品種でしょうね
“山茶花”の花は寒い時期に咲くので、花の色や花の形が色々を想わせてくれます
“山茶花(さざんか)”の花言葉は、「 困難に打ち勝つ 」、「 ひたむきさ 」 です
花色による“山茶花”の花言葉は、
(白):「 愛嬌 」、「 理想の恋 」 (桃・赤);「 理性 」、「 謙遜 」 です
八重咲きの真っ白な花を見て、ふと演歌歌手・大川栄作の歌った「さざんかの宿」(作詞:吉岡 治、作曲:市川昭介)を思い出しました・・・昨夜見たなつかしのメロディーが眼に浮かんじゃいました
♯ くもりガラスを 手で拭いて あなた明日が 見えますか
愛しても 愛しても あゝ他人の妻
赤く咲いても 冬の花 咲いてさびしい さざんかの宿 ♪
“山茶花”の花は、童謡「たきび」(作詞:巽聖歌、作曲:渡辺茂)の歌詞に登場しています
今の季節よりもう少し寒くなった頃、この花を見たらきっとこの歌が歌いたくなるかも・・・
♯ 垣根の垣根の曲がり角 たき火だたき火だ落ち葉焚き
あたろうか あたろうよ 北風ぴーぷー吹いている ♪
♯ 山茶花山茶花咲いた道 たき火だたき火だ落ち葉焚き
あたろうか あたろうよ しもやけお手てがもうかゆい ♪
♯ 木枯らし木枯らし寒い道 たき火だたき火だ落ち葉焚き
あたろうかあたろうよ 相談しながら歩いてる ♪
早朝ウォーキングの風景・今
ぐっと寒さを増して、秋も晩秋です
間もなく冬が来るでしょう
ここへ来て、ウォーキングにでる朝の時間は日増しに遅くなりました
9月頃はam5時に出ていたのですが、今は30分遅れの出発です
歩き出すのはまだ暗く、星が瞬く時ですが、歩くうちに明るくなってきて朝焼けの始まる頃はとても綺麗な田園風景になります
夜明けは今は6時近くでしょうか
ウォーキングコースは高速道や新幹線の通る田園地帯で、河あり鉄路ありで、デジカメ片手の結構楽しめるコースですよ
草紅葉みたいになった“ススキ”が、道端に長く列状に咲きのこっていました
画像右奥の黒々と見えるのは新幹線高架です
つい1.5ヶ月前は、まだ咲いたばかりの“ススキ”が風にそよいでいました
画像奥は住宅の生垣です
この“ススキ”を撮った時間は早朝5時半です
草紅葉状の“ススキ”のパチリ!!は6時です
季節は時々刻々と変わっているなと実感です
“初雪カズラ”の白い葉がくっきりです
寒くなってきましたが、毎朝早朝ウォーキングを続けています
飽きっぽいので、何か変化させないと折角はじめたウォーキングが続かないかなとはじめた工夫の一つで、毎日少しコースを変えて歩きながら、周囲の季節変化を感じています
夜明けの時間も段々遅くなり、あまり周囲を良く観察できなくなっていますが、住宅道路の片隅で、葉色の綺麗な“カズラ”が植わっているのを見つけました
これって確か“初雪カズラ”だと思って、パチリ!!してきました
先だって、“夏雪カズラ” を紹介していて知った同じ雪名を冠した“カズラ”の仲間だと記憶・印象深かったのです
明け方のやや薄暗がりに植わっていた“初雪カズラ”の白い葉はとても綺麗でした
実は上の画像を撮ったその日、スーパーの花木コーナーで“初雪カズラ”のポット苗が沢山売られているのを知りました
植える場所や環境で、印象が大分変って見えます
スーパーの説明を頼りに調べてみました “初雪カズラ”はキョウチクトウ科テイカズラ属の蔓性低木で、夏でも直射日光による葉焼けに注意すれば、暑くても大丈夫だし、冬場になっても耐寒性があり、よほどの寒さにも耐えられる丈夫な観葉植物のようです
“テイカズラ”の斑入り品種として最近よく出回るようになりました
葉はピンク色が白に次第に変化する事が特徴で、寄せ植え等で花が無くても色鮮やかなグランドカバーとして最近人気が出ているそうです
葉色が変わると言いましたが、実は環境で紅葉するのがそうです
一度見て見たいものです 早朝ウォーキングの楽しみが一つ増えました
でもこれはよそのお宅の植えたものですから、植えておられるお宅の方、どうぞ上手に育ててくださいね これって、ちょっと厚かましいですかね
“皇帝ダリア”が咲き始めています
昨日に続いて・・・
早朝ウォーキングコースにあるお宅の庭先で、“皇帝ダリア” が咲いているのを見つけました
“皇帝ダリア”は別名を“木立(コダチ)ダリア”と呼ばれる程、見上げるような大きさの“ダリア”です
その背丈は大きいのは4mにもなるそうですから、花と呼ぶより樹木ですね
“皇帝ダリア”は高原の森林地帯に自生し、園芸種のダリアの遠い親戚にあたり、夜が長くなり涼しくなると、花芽ができ、11月中旬頃から咲き出すので、晩秋の花ともいえるようです
高圧線の鉄塔を背に咲く様子は、聳え立つ感じでちょっと圧巻です
“皇帝ダリア”の花言葉は、「 乙女の真心 」、「 乙女の純潔 」 です
「乙女の真心」は、青空に映える澄んだピンク色の花姿につけられたと解説にありました
“コスモス” に似た花の印象があるのでしょうか、“コスモス”と同じ花言葉です 「乙女の純潔」の花言葉は、清潔感のあるピンク色の花姿からきているそうです
それにしてもこの大きさで、「乙女」と言うのは、何かそぐわなくないのかな
ところで一般的“ダリア”の花言葉は、「華麗」、「優雅」、「威厳」、「移り気」、「不安定」、「感謝」、「栄華」と沢山あります
ダリアの種類は豊富ですから、花言葉も沢山あっていいのかもしれません
「移り気」、「不安定」の花言葉は、“ダリア”の花がフランス革命後の不安定な情勢の中で流行したことに由来しているそうです
“皇帝ダリア”の花言葉にわざわざ「乙女」の言葉を入れたのは、何故でしょう!?
明けやらぬ時に咲く“エンジェルストランペット”の姿
早朝のウォーキングも段々起きるのが、冬時間になってきました
ついこの前までは、歩き始めるのは明るくなった時間だったのが、今は同じ時間は真っ暗
30分は遅くなってきています
ウォーキングコースにあるお宅の庭先に、 “エンジェルストランペット” が咲いているのを見つけました
朝の冷気の中で咲いていましたが、もう大分寒いのにまだまだ充分綺麗です
しかもまだ夜明けぬ薄暗がりで咲く様子はとても幻想的でした
思わずデジカメ取り出し、パチリ!!・アップしました
フラッシュをつけたので浮き上がり方が違っていますが、上下同じトランペットですがちょっと違って見えるでしょう!!
“エンジェルストランペット”は、キダチチョウセンアサガオ属でナス科の植物です
大きなラッパ状の花がぶら下がるように開花する熱帯花木ですが、熱帯植物の割りに寒さには比較的強く、関東地方のほとんどの地域では、地上部が枯れても地下部から芽が出てまた開花する宿根性植物です
花期は5~11月ですから、もう花は間もなく見られなくなるのでしょうか!?
明るくなってきて、陽射しが“トランペット”の花びらにあたり始めました 葉が幾分黄葉し始めた様子とクリーム色の花びらが、とてもシックに見えました
“エンジェルストランペット”の
花言葉は、「 愛敬 」、「 偽りの魅力 」、「 変装 」、「 愛嬌 」 です
どの言葉が早朝見る“トランペット”に合っているかな !?
榛名山麓錦秋・渋川公園の秋
昨日に続いて・・・群馬・「渋川運動公園」を散策して、秋を堪能です
群馬・「渋川運動公園」には色々な運動施設が作られていますが、施設の間は自然公園になっており、松などの針葉樹林や桜、もみじ、ケヤキなどの広葉樹林が沢山植えられています
「渋川運動公園」の展望道路からみた赤城山山並みの秋景です
頭に少し雪を被った赤城山が見えます
ここニ、三日ぐっと寒い日になりましたから、初冠雪があったのでしょうか!?
山裾は少し色付き、秋が深まってきたのが感じられます
画像左手前の樹は“から松”の樹です・・・まだ黄葉になるのはこれからです
園内の一角は「成人の森」と名づけられたところがあり、そこには巨大な石組みの造形物があります
この石組みは「空充秋(そらみつあき)」作品で、石の造形 “人・入(ひとはいる)” です
因みに、「空充秋」は、1933- 昭和後期-平成時代の広島県出身の彫刻家で、石組みによる抽象彫刻に独創的な世界を展開する作家として知られているそうです
まるで巨象の様に見えるこの巨石を、彫り組み上げるのは、なかなか大変でしょう
背中越しに見える紅葉が、巨石を包むように見えました
群馬・渋川運動公園の秋は今盛りです
つい数日前群馬・榛名山麓の紅葉を見に行ってきました
伊香保温泉周辺全体が色づきます。特に伊香保温泉湯元にある河鹿橋周辺は、モミジ・カエデ・クヌギ・ウルシ等素晴らしい紅葉を楽しむことができます
伊香保温泉の近くにある 「渋川運動公園」は今秋が真っ盛り でした
見事な紅葉です
陸上競技場のトラック周りの芝生縁に植えられた紅葉の色は素晴らしいでしょう
こんな紅葉の色彩はどうやって出るのでしょう
小学生かそれとも中学生になってだろうか理科の授業で、葉が緑色に見えるのは「クロロフィル」が含まれるからで、寒くなり日照時間が短くなるとこの「クロロフィル」が分解されて紅葉するのだと教えてもらいました
そして高校の生物の時間で、 葉柄の付け根に「離層」という特殊な水分を通しにくい組織ができ、葉で作られた水溶性のブドウ糖や蔗糖などの糖類やアミノ酸類が葉に蓄積し、その糖から光合成を利用して新たな色素が作られたりするのだと知りました・・・正直今はすっかり忘れちゃっていましたが
葉の色彩種は紅葉、黄葉、褐葉等々濃淡含め、色々変化します 変化の違いはそれぞれの色素を作り出すまでの葉の中の酵素系の違いと、気温、水湿、紫外線などの自然条件の作用による酵素作用発現の違いが、複雑にからみあって起こる現象とされています
紅葉の赤色は、色素「アントシアン」に由来し、「アントシアン」が秋になって葉に蓄積されたブドウ糖や蔗糖と、紫外線の影響で発生したものです
黄葉の黄色は、色素「カロテノイド」により、カロテノイド色素系のキサントフィル類が若葉の頃から葉に含まれ、秋に葉の葉緑素が分解することにより、目立って来るのだそうです
色具合は各葉によって微妙に異なる事から、実に深みのある色彩になっています 自然の妙味ですね
芝生一杯を紅葉葉で敷き詰められていました
この色はなんとも云えず味わいがありますよね
陸上競技場の紅葉樹から、水澤山を眺めました ・・・錦秋です
競技場の矩尻下でも紅葉、黄葉が見事でした・・・ため息のみでした
余計な事なのですが、そもそもなぜ紅葉がおこるのかと、ふと考えちゃいました
紅葉は、葉の老化に伴う非適応的な副作用であると単純に考えられます
この副作用を起こすのは、紅葉の原因となる「アントシアン」や「カロテノイド」がより多く合成するかどうかですが、紅葉する以前に害虫が多く発生するかどうかが影響しているようです 特にアブラムシの発生・寄生が大きく関係しているようです
紅葉色が鮮やかであるほどアブラムシの寄生が少ないことが発見されたそうですから、“アブラムシ”は「アントシアン」や「カロテノイド」の合生反応を抑制させる働きがあるのですね
“ネメシア”の花達
2週間ほど前になりますが、スーパーで見た“ネメシア”の鉢植えを紹介します
近年、日本の気候に比較的マッチしたゴマノハグサ科の植物が人気があるようです “ネメシア”もそのひとつで、彩り鮮やかなポット花がびっしり並んで売られていました
“ネメシア”は南アフリカを中心におよそ50種が分布し、その中でも園芸で利用されているのは2~3種です
大きく分けると毎年花を咲かせる多年草と一年で枯れてしまう一年草の2タイプがあります 一年草タイプは秋にタネをまいて春に花を楽しむ「秋まき一年草」として扱うのが一般的です
多年草タイプは「宿根ネメシア」とも呼ばれています
日本では一年草タイプのものが比較的普及していましたが、近年は“宿根ネメシア”も苗の形で出回るようになりました
主な開花期は春ですが、“宿根ネメシア”は花がやや小ぶりですが、強健で育てやすいものが多く、春(3~6月)と秋(9~11月)に花を咲かせるものがあります
花棚で並んだ“ネメシア”は“宿根ネメシア”の秋咲きもののようです
葉は小さめの緑で、株は茎の節目がやや長いものの、株元から枝分かれしてこんもり茂ります
花色は赤、白、桃色、橙色、黄色とあるようですが、花棚に並んだのは、赤と黄色(ちょっとクリームがかっています)の2色だけでした
“ネメシア”の花言葉は、「 包容力 」、「 正直 」、「 偽りのない心 」、「 恋の予感 」 です
ららん藤岡・花の交流館で、菊花展を覗いてきました
今年は暖かい日が永く続いたので、菊の花が咲き始めたのがつい最近の様に思えます でもここに来て、ぐっと朝晩が冷えてきました まだまだ暖かいので、霜が降りるほどではありませんが、気がつくと浅間山が真っ白の雪化粧です
いつもこの頃はあっちこっちで菊花展が催されるのを思い出し、関越道・藤岡ICにある「ららん藤岡・花の交流館」 を覗いてきました
今年の菊花展はちょっと華やかさには欠ける感じでしたが、幾つか変わった趣向が見られました
菊の展示会ですが、会場入り口に菊花小庭園が造られていました
小庭園には、様々な菊の花が咲き並んでいます 展示場全体が庭園造りされたら、きっと凄い菊花展になるかも・・・
“キク(菊)”はキク科キク属の植物です キク科の植物は被子植物のなかでは最も繁栄しているものの一つで、世界中に2万種以上が自生しているのだそうです
一般的な菊は、“イエギク(家菊)”と呼ばれ、野性種は存在せず、中国で1500年ほど前に“チョウセンノギク”と“ハイシマカンギク”を親に交配によって生まれたとされているのだそうです
菊は秋に咲く短日性植物で、電照などを用いた作型の分化により、周年供給されているまさに人工の植物といえるかもしれません
日本で観賞用多年草植物として発展した系統、品種群は「和菊」、西ヨーロッパに渡り育種されて生まれた系統、品種群は「洋菊」と呼ばれます
展示された菊は「和菊」がほとんどですが、盆栽菊 などは「洋菊」ですかね!?
菊花展といえば、大輪菊ですね
だまって、厚物、菅物の作品をパチリしてきましたが、こういう品種つくりは一体どういう風に作り出すのでしょう
いつも思うのですが、日本人の器用さは世界一ですよね
菅物の流れる綺麗さはいつも見とれます
緑の混じった花は珍しいでしょう!!
菊の花を詠った歌は、古今集あたりから盛んに詠まれるようになったようです
小倉百人一首で詠われている歌がありますが、ご存知でしょう
「 心あてに 折らばやをらむ 初霜の おき惑わせる 白菊の花 」 (凡河内躬恒作)
群馬県立公園・「群馬の森」の秋
紅葉が周囲の山から平野に下りてきています
久しぶりに県立自然公園・「群馬の森」 にウォーキング でもしようかと行ってきました
紅葉ではなく、黄葉が多く感じます
黄葉した芝生の上に、秋の陽射しが長く伸びています
ケヤキの樹の下に置かれたベンチには、先ほどまで読書するひとがいましたが、陽射しが去った今は人影は無く静かな秋の気配になりました
紅葉が始まった木陰の向うに見えるのは、県立近代美術館と歴史博物館です
手前の長く伸びた影は大きな樫の樹の影ですが、日陰を求めさがした夏の照りつけた陽射しに変わって、秋を強く感じさせてくれます
「群馬の森」園内の遊歩道の一角に、数本“ハナミズキ” が街路樹風に植えられて、今真っ赤に紅葉していました 紅い実もビッシリ生って小鳥達も集まって賑やかです
群馬の里の秋が、本格的に成ってきました
「上野国・国分寺跡」に行き、古代ロマンを味わいました
先日、歴史に明るい友人に教えてもらって、群馬にある「国分寺」を見に行ってきました
群馬県地域は古代以来「上野の国(こうずけのくに)」と呼ばれており、奈良時代の天平13年(741年)時の天皇・聖武天皇は国ごとに僧寺と尼寺を造ることを命じられた折、現群馬地区と前橋市との境近くに「国分寺」として創建されました
「国分寺」は、仏教の力によって災害や疫病や外敵防止、五穀豊穣を祈り、国家の安泰を計る鎮護国家の思想に基づく事業として全国68の国々で建てられたそうです
「国分寺」のあるこの地は榛名山、赤城山が北西から北東に間近にそそり立ち、西方は浅間山から妙義山、みかぼ山系が見渡せる「上野の国」のまさに中心地をうかがわせます
「国分寺」は歴史の波の中、次第に朽ちて遺構跡のみしか残っていなかったのですが、1926年(大正5年)史跡に指定されて以来、発掘調査・整備が進み、現在七重塔、金堂の基壇が復元され、更には往時の築垣の一部も古代工法で復元していました
訪れたこの日は暖かな陽射しの日で、辺りは広々とし、1300年前もかくばかりであったのかなと思わせました
読みにくいのですが、1926年史跡に指定された記念石碑です (右奥:七重塔基壇)
歴史書(=続日本紀)によると、旧碓氷郡や旧勢多郡の豪族の協力により、750年頃に建てられたようですが、ここの国分寺は全国でも最も早い時期に姿が整ったものと云われているそうです
上野国分僧寺の広さは、東西約220m、南北約235mの広さをもち、周囲は築垣(土塀)で囲まれていたようです
そして、その中央には本尊の釈迦像を祭る金堂と高さ60.5メートルもあったといわれる七重塔が建てられていたと考えられています
古代工法(版築(はんちく)工法)で造られた築垣
この築垣は、土を搗き固めたものですから、1㎡あたり4tもの重さがあり、又その費用も200万/枚もかかったといいますから、復元も大変な工事です
右手前は復元された七重塔の基壇 向う中央に見えるのは、復元された金堂の基壇 です
上野国分寺の発掘調査は現在でも進められ、新しい事実が分ってきているようですが、これらの発掘調査成果の紹介をするためガイダンス施設が作られていました
施設には調査したものに基づいて復元された模型が展示されていました
創建時の上野国分寺想像図
二十分の一で復元された七重塔模型
約60mはあったと言われる七重塔の高さは今でもとても立派な高層建築物です
重機も無かった1300年前、残った基壇の石から見ても巨木を立てて組み上げたであろうその建築技術は想像すらできません
本当に完成したのでしょうか 歴史に残った真実から割り出したものですから、そのまま信用すれば、人の知恵は今も昔も変わらず素晴らしい力を秘めていますね
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