日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
埼玉・本庄にある東方山・龍清寺の“カヤ”の巨木
昨日紹介した「塙保己一旧宅」の近くに、とっても大きな“カヤ”の樹がありました
遠くから見ると、畑中にある寺の境内にでかい倒れ掛かった巨木が見えて物珍しくパチリ!! してきました
このお寺は児玉33霊場27番札所真言宗豊山派不動院「東方山龍清寺」となんともいかめしい名前がついたお寺です 龍清寺は600年前の開山と伝えられる古刹でした
そして、境内に斜めに生えている巨木は、カヤの樹で、「飛龍の榧(かや)」と名づけられ、市指定文化財でした
中央倒れかかって見えるのは、「飛龍の榧(かや)」、 右:「龍清寺」本堂
近寄って、カヤの樹を撮ったのですが、でかすぎてどうも上手く撮れませんでした ・・・幹周りは約3・5mだそうです
“カヤ”の樹の傍に、指定文化財の説明看板があり、実に良く書かれていますので、これで私の説明に変えさせてもらおうかな
『児玉町(今は本庄市児玉)指定文化財 飛龍の榧
児玉33霊場27番札所真言宗豊山派不動院東方山龍清寺はその歴史は古く約600年前の開山と伝えられ今尚応永年間の石碑が残存する。
宝永の年暴風雨で倒壊、正徳年間当時中興の祖袋算和尚が再建せるもその後災火に遇い寺史寺宝等ことごとく焼失し、今はその手掛かりは無い。 現在の伽藍は文政13年檀信徒の厚き護法尊崇の念により再建150有余年の星霜をへたり。
今から300年前上野国新田郡笠懸在に不動寺との寺があり、この寺の修業僧であった袋算はいつしか夢の中で龍神に乗り毎夜極楽世界を飛び交い楽しんでいたが、二十三夜を境に地獄世界の悪夢と変わり恐怖の毎夜となり修業も疎になった その袋算を見て師僧は、「夢は誠にあら寸真の誠は己の心、修業なくして聖人になれぬ。是より西南に向かい旅に出よ。己が住む聖地があるその地に留まりこの榧の実を余の形見と思い蒔けよ。霊木となりてその地を救わん」と訓され旅に出る。 羊甲の方向えと師僧の教えの通り悪い道をたどりながら7日目の夕刻、紫の霧の低くたれた山里のはずれにお堂らしきものが目に入る。
たどりついてみると荒れはてた不動堂。とりあえず一夜を明かす。 あくる日薬師様を清め御堂を掃除して村人に堂守を乞う 可して袋算はこの地を修業の地と定め苦業を重ねる事幾星霜。形見の“榧”も見る見るうちに大木になり大量の実をつけ灯油や薬種となり村人を潤し村も不思議と栄えて本堂も再建。学の道を教えたりして村人と仲良く暮らしたという。
年老いた袋算、亭々とそびえる“榧”にかつての己が夢見た龍神の姿を思いおこして「飛龍の榧」と名付けたと言う 』
説明に応永年間とありますから、1394~1427年の室町時代の開基という歴史を持つ寺院と知れますし、江戸時代に再建されたというのも記録にあるようです
歴史の変遷を、“カヤ”の巨木は倒れずに見てきたのですね
「塙保己一(はなわほきいち)」を知ってますか!?
先日埼玉・本庄児玉にある「塙保己一」の旧宅を訪ねてきました
R254から入った保土野というところに、国指定文化財として旧宅が残されています
「塙保己一」とは、日本の歴史を勉強する人にとって神様とも思える人で、「群書類従」などを書いた盲目の学者として有名です
とにかく寛政の改革を行った老中松平定信に、「塙は人にあらず、書物の精が生まれ変わった」と言わしめたほど、数万冊の古文献を頭で記憶した驚異の人として知られています
「塙保己一」旧宅は、入母屋造りの茅葺き二階建てで、現在一般住居として使われており、ちょっと無断で中に入るのは差し控えました
外からパチリ!!しましたので、見てください
旧宅前に書かれた旧宅説明看板を見てください (下画像 左)
『塙保己一旧宅
昭和19年11月13日 国指定史跡
塙保己一は、延享3年(1746年)5月5日武蔵国児玉郡保木野村(現在の児玉町大字保木野)に生まれる。
7歳にして失明し、15歳のときに江戸へ出て、雨富検校の弟子になり、先生の許しを得て学問の勉強をしました。生来の記憶力のよさと努力により、賀茂真淵らのよき学者に指導を受け、国学を研究し、寛政5年(1793)に幕府に申し出て、和学講談所を創立し、安永8年(1779)から40年間かけて群書類従を編さん刊行するなど、学問上多大な貢献をし、文政4年(1821)総検校となり、この年9月12日76歳で亡くなりました。この旧宅は、保己一が生誕し幼時を過ごしたもので、茅葺き二階建てで、向かって左側に田字形の部屋、右側に土間、厩(現物置)等があり、後世に若干の増築や補修の箇所があるもののよく当時の姿を残しています 』
入母屋造りの建物を撮りました (上画像 右 :母屋の説明看板です)
看板に書かれた母屋案内説明文を載せますので見てください
『国指定史跡 塙保己一旧宅 昭和19年11月13日指定
塙保己一旧宅(母屋)は、保己一の父卯兵衛の代に建てられたと伝えられるところから、その建築年代は保己一が生まれた延享3年(1746)より幾分遡るものと考えられる。この旧宅の古い形態は、桁行7間半、梁行4間の茅葺きの入母屋造りであり、三室広間型の平面形を持つ江戸中期の上層農家の形態を窺うことのできる建造物として貴重である。』
中には入れませんが、往時からの建物としては随分立派ですね
母屋の手前門塀寄りには「土蔵」があるので、それなりに財政的には豊かだったのでしょう
尚現在は土蔵跡が物置に変わっているようです
保存するのは大変ですね
旧宅近くに、塙保己一公園が作られており、中には保己一の墓所(?)がありました
ご存知だろうと思いますが、学生時代を思い出し「群書類従」について調べてみました
『群書類従』は、塙保己一が編纂した国文学・国史を主とする一大叢書です
「塙保己一」が古書の散逸を危惧し、1779年(安永8年)、尊敬する菅原道真を祀る北野天満宮に刊行を誓い、江戸幕府や諸大名・寺社・公家などの協力を得て、収集・編纂したとされています
中には古代から江戸時代初期までに成った史書や文学作品、計1273種を収められており、寛政5年(1793年)―文政2年(1819年)に木版で刊行されたそうです
尚『群書類従』の版木(現在重要文化財として、東京にある温故学会に所蔵保管)を製作させる際、「塙保己一」はなるべく20字×20行の400字詰に統一させました これが今日、原稿用紙の基本様式となっているそうで、出版にも影響与えていたのですね
「骨波田の藤」のある「長泉寺」って
昨日に続いて・・・
長泉寺がとっても気に入りました
勿論650年もの長寿の“藤”が凄いのですが、それ以外にも古刹・長泉寺は色々興味を持たしてくれました
「長泉寺」の正式寺院名は、「大用山・骨波田龍洞院 長泉寺」といい、曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来 十一面観世音菩薩です
入り口山門をくぐって、境内入り口に立派な仁王門があります
レンズに太陽光が入ってしまい、ピンボケですみませんが、感じだけでもと載せました
向って正面奥が、「仁王門」 手前の松は、「枝垂れ赤松」で珍しい~!!
仁王門欄間です → (ツルが沢山彫られていました 色彩され、なかなか見事でした)
仁王門には、勿論等身大の仁王様が飾られていました
6尺豊かな仁王尊です
迫力あります
あまりに力感豊かなので、誰の作か分りませんが、しばし眺めちゃいました
境内に植えられた“枝垂れ赤松”もはじめて見ました
この赤松は、和名を“天目松(てんもくしょう)”といい、“アカマツ”の栽培品種だそうです
原種に比べて、枝が細く、長く伸び下垂し、 庭木や盆栽として重用されているそうです
ところで、 「長泉寺」は、「東国花の寺」百ヶ寺の一つです
「東国花の寺」とは、関東1都6県の「花の寺」と称される寺院が集まり、平成13年3月に発会されたもので、宗派や宗旨の隔てなく、仏さまの教えを基に現代に生きる人々が、心に「花」を咲かせて欲しいとの願いで結成されたものだそうです
この精神はとってもいいですね
仏教内のみならず、イスラム、キリストなどの世界宗教とも手を結べれれば凄いですね
根っこは皆同じ事を願っているはずなんだけど…
「東国花の寺」には現在103寺が加盟し、各寺院に咲く花々を詣でて見てもらう事で、「安心(あんじん)の場」を提供する事を願っているのだそうです
「咲いた花みて喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ」という言葉があるそうです
即ち、花は自らの力では決して咲けません
土や水や光や空気……大自然の恵みを受けて、精一杯に咲く事ができるのです
咲いた花ばかりに気をとられ、見えない部分には、なかなか気がつかないものです
「東国花の寺」を巡り、花木をとおし、たくさんのことを気づかせてもらうのはいい事ですね
今度間を見て、各地の花の寺を訪ねてみたいものです
埼玉県指定天然記念物・「骨波田(こっぱた)の藤」・・・今
先日埼玉県内のR254を走っていて、『「骨波田の藤」はこちら!』の看板を見つけました
もう二十年は経つでしょうか!?
藤の花の名所があると訪ねた事がありました
藤の咲く場所は、埼玉・本庄市児玉・高柳にある「長泉寺(ちょうせんじ)」の境内で、藤棚の広さは約500㎡、花の見頃は5月上旬です 樹齢約650年といわれる県指定の天然記念物の藤は花房が1m以上もあり、見ごたえあったのを覚えています
花の時期は沢山の人が訪れ賑わっていたのを覚えていますが、寒い今の時季は誰も居らず、花は駄目でしたが、じっくり藤の樹と「長泉寺」の境内を散策できました
長泉寺正面入り口です (向って左:六地蔵様がお出迎えです・生垣はツツジです)
小さな山門をくぐると、正面に仁王門があり、本殿につながっています
仁王門に上り、境内一杯の藤棚を撮ってみました・・・京都・南禅寺山門に上って、云ったと言う石川五右衛門の名せりふが思い出されました・・・いやぁ~ 絶景・か・なぁ~
本殿前の藤棚です → 仁王門から撮ったものです
樹齢数百年の藤棚です 樹齢550年の根株の凄さを見てください
「骨波田の藤」の紹介看板がありました
看板によると、長泉寺は1466年開山だそうですが、その頃植えた“紫ナガフジ”が今でも花咲くということなのかな
1466年ごろは、日本歴史上では戦国時代突入です
様々な時代を経ながら、今でも咲き続けている藤の花にびっくりです
“ハーデンベルギア”の鉢植え花・・・この花言葉は?
昨日に続いて・・・「花の交流館」の“プリムラ”の花の隣で、“ハーデンベルギア”の鉢植えが置かれていました
“ハーデンベルギア”は、マメ科のハーデンベルグ属で、オーストラリア東部、タスマニアに3種が分布するつる性の常緑低木です
つるを他のものにからませながら伸びていき、長さ2~3mになります
葉は革質で厚く濃緑色、細長い二等辺三角形のようなかたちをしています
マメ科の植物はいくつかの小葉に分かれた「複葉」が多いのですが、“ハーデンベルギア”は小葉に分かれない「単葉」なので、“ヒトツバマメ(一つ葉豆)”の和名があります
12~翌1月ごろ葉の付け根から花茎を出し、2~5月数十輪の小さな花を藤のように垂れ下がった花穂に、次々と咲かせていきます
咲いた姿がフジに似ているので、“コマチフジ(小町藤)”の別名もあります
花は蝶のような形で、スイートピーやエンドウに似ていますし、花の大きさは小さいけど、胡蝶蘭の花にも似ているようにも見えます
基本種の花色は紫ですが、白やピンクもあります
“ハーデンベルギア”のつるが伸びすぎて樹形が乱れたら、開花後、新芽の出る4月中旬頃に、剪定し、切った枝は挿し穂にし増やす事ができるそうです
“ハーデンベルギア”の花言葉は、「 壮麗 」、「 広い心 」、「 思いやり 」、「過去の愛 」、「 奇跡的な再会 」、「 運命的な出会い 」
花言葉がいっぱいある“ハーデンベルギア”だけど、この言葉が生まれた意味は分りません
「壮麗」は、花径1cmほどの花が房になって、濃緑色の厚い葉がかくれるほどの美しい花の集まりにつけられたのかな
他の言葉は想像できません・・・そんな事はどうでもいいかぁ~
“プリムラ”の花って色々あるンですね
早春の花壇作りには、“プリムラ”の花が欠かせません
寒いとなかなか育ちませんが、花の少ない冬の時期・彩り鮮やかにビッシリ咲いている鉢植えの“プリムラ”はとても元気を与えてくれます
先日、関越道藤岡IC・道の駅ららんの「花の交流館」で、沢山の“プリムラ”の鉢植えが売られているのを見つけました
“プリムラ”というのは、ヨーロッパやアジアに自生するサクラソウ属 (Primula) の原種やその変種、品種、またそれらを交配して作られた品種群をいいます
即ち「Primula(プリムラ)」は、「primos(最初)」が語源で、早春、花が他に先駆けて咲くことから付けられたとされています
“プリムラ”は、サクラソウ科サクラソウ属の園芸植物で、主にヨーロッパで品種改良されたものが多いようです
“プリムラ・マラコイデス” といいます
“プリムラ”は北半球に200種以上の原種が分布し、“マラコイデス”は中国南部原産の一品種で、別名、“ケショウザクラ”、“オトメザクラ”ともいいます
1884年、フランスの宣教師によりヨーロッパにもたらされ、改良が始まりました
日本原産の“サクラソウ”もこの仲間です・・・“日本サクラソウ”に対し、“西洋サクラソウ”と呼ばれています
“西洋サクラソウ”の主な開花期は12~翌4月頃です
“プリムラ・マラコイデス”の花言葉は、「 運命を開く 」、「 素朴 」、「 気取らない愛 」 です
“プリムラ・シネンシス” といいます
“シネンシス”も、“マラコイデス”と同様、中国の中南部が原産です
標高900~1100mの茂みや林の中に生え、高さは10~30cmになります
掌状の葉がユニークで、葉の中から花茎を立ち上げ、2~3段に花径3~4cm位の花を咲かせます
花色は本来白色ですが、育種が進み、現在園芸品種としては、赤紫やピンク、紫系の花色も出まわっているようです
和名では、「かんざくら(寒桜)」と呼ばれるほど、冬から春の長期間美しい花を咲かせます
“プリムラ・シネンシス” の花言葉は、「 永遠の愛 」 です
“プリムラ・ポリアンサス” といいます
“ポリアンサス”は、ヨーロッパ原産で“クリンザクラ”ともいいます
イギリス産の野生植物から園芸化されたものとして、ほとんど唯一のもので、17世紀にはすでにいくつもの品種があったそうです
19世紀はじめには「ゴールドレースド・ポリアンサス」が生まれ、20世紀後半にはアメリカで巨大輪の「パシフィック系」が生まれ、そこから更に多くの花壇用営利種が生まれているそうです
“プリムラ・ポリアンサス”の花言葉は、「 運命をひらく 」、「 可憐 」、「 美の秘密 」 です
桃の花咲く時期になってきました
2月18日は雨水といい、旧暦正月の中気で、雨水が温み草木が芽生え始める時期を云います
春が近づいているのです
花屋さんの店頭で、生け花用になった桃の切り枝が投げ込んでありました
桃の花って春~って感じが一杯です
“桃”は薔薇(ばら)科で、中国原産の果樹で、開花の時期は、 3/10 ~ 4/末頃です
3月3日の「桃の節句(ひなまつり)」には、“桃”をひな人形のとなりに添える習わしですが、この“桃”は温室内で育てたもので、屋外の開花はもう少しあとになってからです
ひな祭りの童謡が思い出されます
♪ あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓 今日はたのしい ひなまつり ♪
“桃”は縄文時代から栽培され、桃の木は万葉の頃から、「霊力のある木」とされてきたそうです
万葉集に、大伴家持の詠った歌があります
「 春の苑 紅(くれない)匂ふ 桃の花 下照る道に 出(い)で立つ 少女(をとめ)」
歌の意味は、「春の庭園、紅色に咲き映えている桃の花が木陰を照らしている道に来て立っている少女よ」ということですが、言葉そのままですかね
もう少し夢持つ解釈をするならば、桃の花の咲く樹の下美しい人がいる・・・家持が息を呑み言葉なし
桃の花の花言葉は、「気立てのよさ」、 「恋のとりこ」、 「あなたに夢中」 です
群馬・中之条ダムに行ってきました
この間の日曜日・雪の降った後日ですが、久しぶりに車を走らせ、リンゴを買いに群馬・中之条の方に行ってきました
群馬・渋川方面から長野街道(R353)に入り、車 を走らせました
途中、「道の駅・おのこ」に立ち寄って一服し、小野上温泉の産直で、ちょっと今取れ品を眺めてきました
長野街道を走っていて、中之条の市街地に入る手前で見た前方の雪山が綺麗なので、パチリしました
山の名前は分りませんが、方向からして、左から草津白根、志賀高原連山かも知れません
市街地からはずれ、四万温泉側にハンドルを切って、目的のリンゴ園に行ったのですが、もう季節はとうに過ぎて、リンゴ販売の店はみんな閉まってました
あきらめてその足で、「中之条ダム」を見てきました
「中之条ダム」は、四万川ダムとの中間地点くらいにある小振りのアーチダムです
この先を北上すると雪は深まり、四万温泉地に入ります
ダム前のお土産やさんですが、周囲にはまだ雪は残ってました
中之条ダムは、利根川水系の四万川に造られた人工ダムで、ダム湖の名は四万湖です
湖水はコバルト色で透明度は高く、周囲の景観と併せてなかなかいいところです
四万川の上流にもダムがありますが、そのダム湖は奥四万湖ダムで、紛らわしいですね
「中之条ダム」は、コンパクトなアーチ式コンクリートダムです
写真に撮ると、きっちり造られた外観は大型ダムのイメージです
周りの山々には雪は見えず、春近しを思わせた
引っ付き虫・“コセンダングサ”が、雪帽子してます
この所寒さが続き、雪がチョクチョク降ってきます
先日も夜降りました
朝には止み、それも薄い積雪量なので、明るくなりだしたのを見て、いつもの早朝ウォーキングにでかけました
コースに当たる田んぼや畑は真っ白でした
陽が昇り、陽射しは赤く照り始め、積もった雪も輝いてきてます
道端に生えた “コセンダングサ” の種子が、真っ白な雪帽子をつけていました
“コセンダングサ”等の草の種は、通称「引っ付き虫」と呼ばれますが、「引っ付き虫」が帽子を被ったら引っ付けなくなっちゃうね
白い帽子を被った「引っ付き虫」もなかなかオシャレです
すっぽり被ると、ちょっと綿の実みたい
でもその中には鋭い刺を隠しているなんざ、ちょっと用心!!です
「引っ付き虫」の異名のある物は、“コセンダングサ”だけではないようです
“センダングサ”の仲間、“オナモミ”(オオオナモミなど)の仲間、“ヤブジラミ”の仲間、イネ科の「引っ付き虫」〈チカラシバなど)、等など色々な形の物の総称のようになっているようです
“アリッサム”の花は“ニオイナズナ”とも云います
先だって、上信越道・藤岡ICの道の駅・ららんにある「花の交流館」に行ってきました
寒さが続いています
花の交流館入り口で、ちょっと甘い香りがしてびっしり白い花を咲かせている大きなスタンド型の鉢がありました
寒さなんか全然関係ないみたいに元気です
“アリッサム”は“スイートアリッサム”ともいい、アブラナ科の1年草です
原産地は地中海沿岸で、生育時期は2~6月・本来は毎年花を咲かせる多年草のようですが、高温多湿に弱く夏に枯れてしまうことが多い為だそうです
園芸では秋にタネをまいて春に花を楽しむ「秋まき一年草」†として扱うのが一般的のようです
“アリッサム”は細かい花を密に付け、カーペット状に広がり、花の色は、紅紫、青紫、白とあるそうですが、白花ばっかりしか交流館ではありませんでした
アブラナ科らしい4弁の小花を数え切れないほど咲かせる姿は、愛らしさいっぱいです
別名に、“ニオイナズナ”の呼び名がありますが、“ナズナ”の花 にアップすると似ていますね
“アリッサム”の花言葉は、「 奥ゆかしい美しさ 」、 「 優美 」 です
寒い朝に見た小鳥・・・“シジュウカラ”、“カワセミ”
寒い朝、マイジャングル庭に、めずらしく“シジュウカラ”がやってきました
ちょこまかと動き回るので、なかなか撮れません
来たと思って、デジカメを用意してるうちにいなくなってしまいます
ヒヨドリやムクドリの中型鳥はよく来るのですが、小鳥はなかなか見えるところにはやってきません
たまに来ても長居はしてくれません
この日は割りに長めにいてくれ、アングル悪いけどどうにかパチリ!!できました
花壇の隅で、枯葉を掻き分けたりして、どうやら餌探しのようすです
手前の枝は、“柏葉アジサイ”です 緑の茎葉は“スイセン”です
端の方に有ったプランターの縁に飛び乗って何かを狙っています
なかなか後姿がすっきり撮れました
この“シジュウカラ”はメスのようですから、さしずめバックシャンです・・・尚雄雌の見分けは、おなかの方のネクタイのよに黒い縦じまがあるのですが、メスは細くて分りません
先日早朝ウォーキングで、“カワセミ”を見かけました
丁度デジカメを手に持っていましたので、水門で留まっている“カワセミ”を撮ることができました
すぐ飛んで行ってしまうので、慌ててシャッター押したので、ピントも何もあったものではありません
いいシャッターチャンスが又来る事を願っています
それにしても、“カワセミ”の背中の青色、胸と腹と眼の前後の橙色がとても綺麗な鳥です
なんとかばっちり撮りたいな!!
群馬・妙義山を眼の前にしてきました
先日群馬・下仁田の虻田に“福寿草”を見に行って来ましたが、まだちょっと開花には早く、咲いた花にはあまり会えませんでした
虻田からR18号沿いの松井田方面にハンドルを切りました
この辺に来るのは何年ぶりでしょうか!?
妙義山の山懐を走りながら、近づいている春の息吹を堪能しました
途中、道の駅・「妙義」に立ち寄り、妙義物産センターで、甘酒を一杯飲んで体を温めました・・・うまかったぁ~
道の駅・「妙義」は上毛三山の一つ妙義山の麓に位置し、妙義神社に近接しています
道の駅の駐車場から、正面に見える峨々と聳える妙義をパチリ!!です
妙義荒船佐久高原国定公園の中心的な山である妙義山は、日本三大奇勝の一つでもあり、独特の荒々しい岩肌が特徴です
正面の山は妙義山の主峰・白雲山(相馬岳)で、標高1,104mあり、奇岩が林立し迫力ある山容をしています
妙義山の標高は然程でないように思われますが、奇岩が多い中に作られた登山道は、最高難度の登山ルートとされているそうです
正面の白雲山から少し右に眼を向け、その麓には、国重要文化財の妙義神社がみえました
はい!! パチリ!!です
「妙義神社」はとても歴史があり、古代は波己曽(はこそ)神社と呼ばれ、創建は宣化天皇2年(537)といわれています
波己曽(はこそ)とは岩社(いわこそ)の意で、「妙義山」を神として祭ったのがはじまりだそうです
当初は社殿はなく、神の依代(よりしろ)となっていた岩に、三重の垣を廻らしていた程度だったようです
「妙義山」は上毛三山の一つですが、ちなみに、上毛三山とは、赤城山(赤城神社)、榛名山(榛名神社)、妙義山(妙義神社)といった具合に、古くから山岳信仰や自然崇拝的な信仰の対象とした山々といえます
道の駅・妙義から、みた松井田方面の展望です
向って遠くの山々はちょっと見難いですが、赤城山(向って右)、榛名山(向って左)です
お天気がもう少し良くて、私のデジカメ精度がよかったら、榛名の左横には草津白根、榛名・赤城の間には日光白根が見えるはずです
群馬・安中の“ロウバイ”の郷
この頃三寒四温では無いけど、暖かい日が続いたと思うと、雪がチョコチョコ降ってます
先日降った雪がまだ残っている時、群馬・安中松井田の 「ロウバイの郷」 に行ってきました
実は郷に行く前、テレビで“ロウバイ”の花が咲いたと紹介があったので、見たくなったのです
宣伝効果は大きいですね
ぞろぞろとお客さんが大勢訪れてました
手前駐車場に車を置き、「蝋梅園」に向ってます ( 向って左:ロウバイの花 )
左に見える山々は、碓氷峠の山並みです
この日は“ロウバイ”の郷入り口にある無料駐車場〈=約100台は置けそう)はほぼ満杯でした
昨年来たときはこんなに大勢お客さんはいなかったから、テレビ効果は絶大ですね
尚「ロウバイ園」は入場料300円ですが、ふと、こんなに大勢だと一日入園収入はすごいなとへんなことを考えちゃいました
段差の多い畑中に一体何本あるのでしょう
これぞ“ロウバイ”の林です
凄くいい匂いです
人影の見えないところでパチリ!!するのが難しいところでしたが、やっと探してパチリ!!です
樹林に入っていると、空の蒼さと黄色の世界が全身に感じられました
雪の朝・・・ウォーキングで見るもの
昨日の朝はウォーキング しようと表に出たら、一面の銀世界にびっくりでした
この所良く降ります
でもあまり積もらないから、丁度いいお湿りといえますかね
足許気をつけながら、早朝ウォーキングコースの雪風景をパチリ!! しました
新幹線高架をくぐると、いつも学校のグランド横を通ります (下画像:左)
陸上トラックなのですが、ベンチが二つだけ、ポツンと置かれています
ちょっと盛りだくさんですが、川辺の景色です (上画像:右)
土手向うの水路工事の重機が雪を被って真っ白でした(画像向って左はドウダンツツジの綿帽子です)
川面は氷は張っておらず、カモ君たちが餌取りしてました
陽が昇って、あかるくなって・・・周囲の山並みが少し見え始めましたので、パチリ!! しました
手前:麦畑です 正面奥は榛名連峰ですが、ちょっと分りにくいかな
上信越道の高架には、大型トラックが新潟方向に走っているのが見えます・・・気をつけて
陽が昇り始め、紅く辺りが染まり始めました
新幹線高架周りの高圧線鉄塔群です
なんともつまらない画像でしょうけど、私はこの風景が何か好きなんです
雪の降る数日前、この場所で朝日の上るのを撮りましたので見てください
向って右の光っているのは、高架を走る新幹線です
“バルボコジューム”→別名:“ペチコートスイセン”
今朝は起きて、いつもどおりウォーキングしようと表に出たら、銀世界 でびっくり!!
でも薄く積もっているだけのようだから、そのまま実行しました
先だって雪の後、群馬フラワーパークに行きましたが、フラワーパークの自然園で岩陰に咲いている形の変わった水仙を見つけました
水仙の名は、“バルボコジューム(別名:ペチコート水仙)” です
実は見つけたときは名前が分らず、載せませんでした
よく見た“ペチコートスイセン”は黄色が多かったので、白の花色もあるのですね
“バルボコジューム(ペチコートスイセン)”は、地中海沿岸地方原産・彼岸花科の原種系のスイセンです
草丈10~15cmで、葉は細く、地面に沿うように出ます
花は、茎が伸びて、その先に咲きます
“ペチコート”の意味は、(= Petticoat ) スカートの事です
とにかく花の形がとっても不思議な感じです
花の盛期は3~4月だそうですが、「フラワーパーク」ではまだほかの早春花が咲かないのに冬の陽射しの中で咲いていました
雪の降る数日前は、とても暖かい日がニ三日続いていたから間違えたのでしょうか
“ペチコートスイセン”の通常の育て方は、9~10月に球根を植え込みます
植え替えは数年に一度、日当たりの良い水はけのよい土に植え栽培するのがいいようです
通常スイセンなどの球根植物は、年々球根が増えて、数年たつと見事な株立ちとなって花がとても豪華に咲くようになりますが、そのまま方放っておくと分球が進んで、1球1球が小さくなり、開花球に達しなくなります
花を沢山咲かせるためには、花後に掘り起こして、新しい場所へ、分けた株を植え替えてやる必要があります
葉の緑がまだ残っているうちに植え替えする場合は、出来るだけ根を切らないように深く堀り上げ、根の乾燥を防ぐために手早く作業を行うのがコツのようです
植え付け先はあらかじめ穴を掘って、腐葉土などを混ぜて用意しておき、やや深めに植えて、水をたっぷり与え、根の間にしっかり土が入るようにするとバッチリだそうです
今度花屋さんで買ってチャレンジしてみよう
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