日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
今日はブログ創刊丸9年経ちました ・・・ 群馬・榛名山「沼の原」の錦秋報告です
よくまあ続いたと我ながら感心してます
とは言え、最近は休むことが多くなりました
ここまで来たら、毎日の書き込みは無理でもなんとか10年継続を目標にもう少し頑張らねば・・・
昨日に続いて・・・群馬・榛名山の錦秋を紹介します
榛名山一帯は県立榛名公園となっています
公園区域は、榛名山頂の榛名湖を含む395ヘクタールで、おおむね榛名山外輪山の内側・カルデラ部分です
即ち榛名公園は、榛名カルデラ公園と云えそうです
「 カルデラ」とは、火山の活動によってできた大きな凹地のことをいい、「釜」、「鍋」という意味のスペイン語に由来しています
カルデラ中央はカルデラ形成後にできた中央火口丘の榛名富士ができ、足下に満々と水をたたえた火口原湖の榛名湖・その東には、火口原の「沼ノ原」が広がっています
「沼の原」はかっては「沼の原湿原」と呼ばれていたようですが、年々草原化が進み、現在は湿地帯の面影はなくなってきています
「沼の原」を散策してきました ・・・ 沼の原の散策路は、「ゆうすげの道」と名付けられ、人気の遊歩道です
「沼の原」遊歩道・「ゆうすげの道」 入口 ( 向かって正面 : 榛名富士 ・・・ 山頂にロープウェイが見えました )
散策した『沼の原』は、秋一杯でした
でも、湿原ではなく、草原化が進み、すっかりススキの原に変わってきていました
沼の原植物群としてみられた亜高山植物が、これから少なくなっていくのでしょうか!?
「沼の原」の秋風景 ・・・ ススキの穂波がたわわになびき、草紅葉の赤さも混じって秋の深まりを感じました
ススキの穂波の中、「ゆうすげの道」 が続きます 「ゆうすげの道」から見た 「榛名富士」
草紅葉化したトウダイグサ 草ラッキョウの花
ワレモコウの紅葉 テンナンショウの実 ・・・ 黒く種子ができていました
「 沼の原」周囲の山々は、紅葉一杯です
沼の原から見た 榛名外輪山・「相馬山」 です ・・・ 褐色に紅葉した広葉樹の樹林が山肌を綺麗に包んでいました
今年は例年より秋の深まりが早いような気がします
地球規模の温暖化のせいなのでしょうか!?
年々の進行でない事を祈りたくなりました
群馬・榛名山で、榛名湖錦秋を楽しんできました
数日前(10月24日)、紅葉情報をテレビで見ました
今年は秋の深まりが例年より早いらしく、丁度群馬・榛名山が今紅葉が見ごろと報道がされていました
矢も楯もたまらず、早速車 を駆って、産直を買い物に廻りながら行ってきました
私と同様情報通の人が多いとみえ、関越道・伊香保・渋川ICは10時現在で渋滞が始まる騒ぎです
渋滞を避けて、高崎から県道を通って中之条をまわり榛名山頂を目指してきました
榛名山は群馬の中で赤城山、妙義山と並んで上毛三山の1つに数えられる名山です
山頂にはカルデラ湖である榛名湖とカルデラ内にできた榛名富士があります
毎年秋になると、カエデ、モミジ、ヤマウルシ、カラマツ、桜などが鮮やかに色づき、山全体が紅葉で装われます
湖畔周遊道路を走って、紅葉を堪能してきました
湖岸から「榛名富士」をみました
紅葉した「榛名富士」が湖面から浮き上がるように見えました
今、榛名湖では、錦秋開始です
湖岸から、見た「榛名湖畔温泉」 ( 向かって 右手前 : 『榛名富士』 、榛名富士の陰に、『烏帽子が岳』、その左手に、『鬢櫛山』があります
カルデラ湖・榛名湖を、紅葉した榛名山々がぐるりと取り巻いていました
湖岸の紅葉は、湖面に映えています
湖面には多くの釣り船が、糸を垂れ、秋たけなわを楽しんでいます
散った紅葉が波に打ち上げられています 向かって右は、湖岸に建つホテル、 正面 : 『天目山』 かな
榛名湖畔温泉ゆうすげの湯近くの紅葉越しにみた 「烏帽子ヶ岳」 ( 向かって右下奥 : ゆうすげの湯温泉 )
榛名湖畔温泉・ゆうすげの湯 近くの紅葉です
多色に色づいた紅葉(モミジ) 『 山の日に 染め上げられし 赤とんぼ 』 の碑がありました
榛名湖畔温泉・ゆうすげの湯前からみた対岸の 『 鬢櫛山 』 紅葉 ( 向かって右 : 湖岸レストラン )
湖面に浮かぶ白鳥号 向かって正面 奥 : 『 掃部ヶ岳 』
パンジーが温室で沢山咲き出していました
秋が深まるにつれ、温室の中が整備され、色々な花苗の出荷が始まってきます
先日眼医者さんに視力測定に行って来ました
歳のせいか視力が落ちてメガネを変えなくてはいけないかもしれません
混んでおり、時間待ちをしながら退屈なので、隣接している温室を覗いてきました
広い温室の中一杯にびっしりとパンジーの花ポット苗が並んでいました
まもなく出荷になる花苗らしく、目まぐるしく手を動かして働く女性が生き生きして見えました
数えられそうもないほど沢山並んだパンジーの花苗
パンジーはスミレ科スミレ属の小型の園芸植物の一種で、スミレもしくはサンシキスミレから分化したものと考えられています
園芸上用いられる変種は1800年代より始まったと云われる膨大ともいえる交雑と交配の結果、今では世界中で著名となり、愛される花になったと云えそうです
パンジーという花名は、人の顔のような花がもの思いするように傾いて咲く様子から、「パンセ(思い・考え)」という意味のフランス語から名付けられたといわれています
日本には江戸時代末期にオランダから渡来し、花形が人の顔に似ていることから「人面草」、蝶が舞う姿にも似ていることから「遊蝶花」とよばれていました。
「パンジー」という名前は、これに似ている野生のスミレ属全体の花を指すときにも使われています
小型のパンジーをビオラということもあるが、学名の「ビオラ」からきた呼び名と云えるようで、区別の仕方は園芸種としては明確ではないようです
あえて言うと、花径5cm以上で華やかなものがパンジー、4cm以下で可愛いものがビオラと呼んでいるそうです
尚、パンジーとビオラの中間品種は、パノラというそうです
温室でのパンジー栽培は、ビクトリア時代に低コストな鉄が入手可能になったことから、温室が爆発的に普及し、その結果現在園芸家たちに知られている鮮やかな花栽培ができるようになったそうです ・・・ この理由は、ネットで書かれていたのですが、私には今一??でいます
ビクトリア朝時代は、1837~1901年・イギリスを統治していたビクトリア女王時代を指しており、イギリス史では産業革命による経済発展の絶頂期でした
鉄の産業が開花したと云えますが、温室に鉄材料をいかに使えたかというより、私には蒸気機関車が発展したように、石炭産業が伸び、温室ボイラーなどができたのではと思っています ・・・ どうでもいいか
現在の温室構造は、アルミサッシが主体です
温室内一杯に咲いた パンジーの花ポット
パンジーは交配が進み、黄金、オレンジ、赤、紫、青紫、白青、スミレ色、黒(濃青による)、複数色の混合など、多彩な色彩のものがあります
パンジーは非常に丈夫な植物で、降雪で株が雪に埋まっても、低温で凍結しても、株・茎・葉・花は損傷せず、雪や凍結が解けた後は植物の活動を再開します
パンジーは秋蒔きの一年草ですが、ライフサイクルの完結には足掛け2年を要します
1年目に青葉を茂らせて冬を越し、2年目に花実をつけた後に枯死します
開花期は10月~5月です
温室内で咲いていたパンジー各種をパチリしましたので見てください
パンジーには伝説が2話あるとネットで見つけました
伝説の1 : 天使のキス
ある日、天使が春の野に降り立ち、美しいスミレの花を見つけました。
そして、花にそっとささやきます。
「人々に、真の愛の心を伝えておくれ。私たちの面影をお前たちに移してあげるから」。
天使はそういったあと、花に三回キスをし、天国に戻っていきました。
それ以来、スミレの花が三色になったそうです。
伝説の2 : 香りが消えた
ドイツの言い伝えでは、遠い昔、パンジーにもニオイスミレと同じようにすばらしい香りがあったそうです。
しかし、その香りのためにあまりにも多くの人が花を摘みに来るので、パンジーは「私の香りをなくしてください」と神に祈ります。
そして、その香りが消えたといわれます
この他に、パンジーに関する話として・・・
ローマ神話の恋愛の神・キューピッドは、ビーナスの子です
男の子の姿をし、裸で背に小さな翼があり、手に弓を持っています
そのキューピッドが放った矢がはずれて、純白のスミレに当たってしまった時、スミレはその傷で三色のスミレになったそうです
シェークスピアの「真夏の夜の夢」の中に、この花の汁を目にたらすと、寝覚めて最初に見た男性を好きになるという話があります
これから、パンジーの花を身につけていると、異性の愛情が得られるといわれています
パンジーの花言葉は 『 もの思い 』、『 私を思って 』 です
色が多様なので色別に花言葉があります
紫色 は、 『 思慮深い 』
黄色 は、 『 つつましい幸せ 』、 『 田舎の喜び 』
白色 は、 『 温順 』
アプリコットは、『 天真爛漫 』
遺跡の横で、ジュウガツサクラが咲いていました
先日群馬・藤岡の病院に行って来ました
半年ごとに検査を受ける妻を待つうち、病院裏の庭を散策してきました
ジュウガツサクラの咲いているのを見つけて、パチリ!!しました
秋から冬にかけて咲くサクラは総称して、「冬桜」と呼ばれますが、ジュウガツサクラと冬桜は若干品種が違うようです
ジュウガツサクラは、バラ科サクラ属で、開花時期は10月~1月初旬と3月中旬~4月初旬の二度咲きです ・・・ 全体ツボミの3分の1は10月から咲き出し、残りの3分の2は春に咲きます
病院裏で見たジュウガツサクラ
このジュウガツサクラは、病院のリハビリテーション棟の裏庭で咲いていました
秋の日差しの中で咲くその姿はとても、やさしく見えました
ジュウガツサクラの咲く裏庭を懸命に歩いて、リハビリしている患者さんはこの桜をどう眺めているのでしょう
花は八重咲で、花径25~35mm、花びらは5~18枚・花色は、白~薄いピンク色です ・・・ 冬桜は、一重咲きで、花びらは5枚で、春は咲きません
萼筒は太い壷型をして、雌しべが長く突き出ています
ジュウガツサクラの花 アップしました
ジュウガツサクラの 花言葉は、「 純潔 」、 「 精神美 」、「 優れた美人 」、「 独立 」 です
縄文の遺跡は遥かな歴史です
そうすれば、歴史を共有できる空間が出きると説いている記事を見ましたが、納得です
「谷地C遺跡」 の 配置機構 説明看板
説明文によると、「谷地C遺跡」は、子孫繁栄、豊穣を祈る「祈りの場」だったようです
縄文時代は村ができ始めた時代で、共同で命をつなぐようになったのだなと考えられます
シュウメイギク= 漢字では、「秋明菊」と書きます
ご近所の庭や、出先のお寺の境内などで、シュウメイギクが今を盛りに咲いているのを見かけます
シュウメイギクは、秋に、細長い茎先に菊花に似た、白または、桃色、淡紅紫色の花のような萼片をつけるキンポウゲ科イチリンソウ属シュウメイギク種の耐寒性多年草です
漢字で書くと、「秋明菊}と書きますが、この名の由来は、中国の寺院に渡航した修行僧がお土産として持ち帰ったところ、まるで黄泉の国に咲いている菊のようにきれいだということで、「秋冥菊」と呼ばれ、その後「冥」が暗いイメージだということで「明」に変わったと云われます
英名では、「Japanese anemone(ジャパニーズアネモネ) 」といいます
シュウメイギクは中国からの帰化植物で、草丈:50cm~1mです
日本のシュウメイギクは中国母種の変種とされており、室町時代に渡来したとされています
農家の庭先で咲いていたシュウメイギク ・・・ 白花とピンクの一重花です
シュウメイギクは茎を立てて上部に小さな葉を数枚輪生させ、その中心から数本の花茎をほぼ直立させて茎頂に径3~5cmほどのやや大きな花を1輪つけます
葉が根元に集中しており、花の周りには比較的小さな葉だけがつくだけなので邪魔にならず、草姿がすっきりしています
シュウメイギクは花だけを見ているとコスモスと見間違うような花を咲かせますが、コスモスの和名である秋桜ともイメージが重なるように思えます
古くから多くの園芸品種が作出されていて、花被片(ガク片で花弁はない)は5枚のものから30枚近くなるものまで様々あるそうです
花色も、白色から紅紫色まで変異に富んでいます
根生葉(地際の葉)は数枚で、長さ6cm前後、幅も6cm前後の三角形状で、3小葉からなり3浅裂するものから3中裂するものまでいろいろあるそうです
キンポウゲ科の植物の多くは花弁を持たないそうで、花弁のように見えるのはガク片です
花の中央には多数の雌しべが集まり球状になっています
雄しべは多数雌しべの周囲を取り巻いています
八重咲で花弁状のガクが30枚ほどもある赤花のシュウメイギクは原種のようで、これは花が咲いても種子は稔らず地下茎で増殖するそうです
花は8~11月が盛りです
ピンク色一重のシュウメイギク アップ 赤紅色の八重シュウメイギク
シュウメイギクは、半日陰で水を好みます
野生ではアルカリ質の土壌で多く育っているのが見られます
萼片が散った後に球状の花芯が残り熟して割れると真っ白な綿毛が現れ、この綿毛の中には胡麻粒のような種子が多数あり風に乗って散布されます
尚、参考までに、このように萼片はあっても花冠が無い花のことを、単花被花(monochlamydeous flower)と言うそうです
お寺の裏境内で見かけた 八重花シュウメイギク ・・・ 野生のシュウメイギクを彷彿させていました
シュウメイギクの 花言葉は、「 忍耐 」、「 淡い思い」、「 薄れゆく愛 」、「 耐え忍ぶ恋 」、「 多感な時 」 です
カツラの樹が黄葉始まりました ➝ カツラの別名はコウノキといいます
先だって(➝一週間ほど前です)、囲碁の(腕試し)大会があり前橋に行って来ました
受付の始まる30分前、会場周りを散策していましたら、カツラ(桂)の樹の黄葉が始まっていました
カツラは、カツラ科カツラ属の落葉高木で、日本各地に分布しています
谷沿いや水湿のある雑木林に多く見られ、樹高は30m、樹幹の直径は2mほどにもなります
雌雄異株で、成長すると主幹が折れ、株立ちしているものが多く見られます
葉はハート型に似た円形が特徴的で、秋には黄色く紅葉します
落葉は甘い香り(➝醤油の良いにおいに似ている?、キャラメル臭とも)を呈します
会場横の広場に植えられていた カツラの樹 ・・・ 黄葉が始まっていました
カツラ(桂)は日本~中国だけで見られる特徴木です
中国の伝説では、「桂」は「月の中にあるという高い理想」を表す樹木であり、「カツラ(桂)を折る」とか、「桂林の一枝」などの言葉に使われています
しかし中国では「桂」はモクセイの事だとも云われています
用途は公園樹や街路樹として最近多く植えられるようになりました
材は香りがよく耐久性があるので、建築、家具、鉛筆などの材料に使われています
碁盤、将棋盤にも使われて、カヤに次いで人気の高い材料です ・・・ 私の碁盤も、カツラの5寸盤です
カツラは4月頃、葉が出る前に、葉腋に小さな花を開きます
花弁も萼もなく、基部は苞に包まれています
雌花は3~5個の雌しべがあり、柱頭は糸状で淡紅色・雄花には、多数の雄しべがあり、葯はやはり淡紅色しています
カツラの 葉は年2回に分けて展開します
春出る葉を「春葉」といい、長枝に2枚(対生)の葉、短枝に1枚の葉が開葉します
葉形は木では珍しいハート型をしており、その後に開葉する葉はハートの凹みがないおむすびのような形をしています
この葉は、「夏葉」といい、葉を順次展開していくため、開葉期間は長いです
カツラは長枝と短枝を持っています
短枝は短い枝に葉を着生させるため樹冠の中にも葉を多く持つことができ、長枝は長い枝に葉を着生させるため、樹冠を拡張させるのに有利となります
したがって、長枝と短枝をうまく配置させることによって、効率的に光合成ができるようで、黄葉はとても綺麗です
カツラの幹肌を眺めてみました
樹皮は暗灰褐色です
若木では平滑で、横長の皮目が目立ちます
老木になると、縦に裂け、薄片状に剥離します
足元をみると、紅葉した落ち葉が落ちていました
カツラの落ち葉 ・・・ 黄葉と紅葉入り混じっていましたが、他の樹の落ち葉もあるのかな!?
葉身は広卵形で、基部は心形・・・?
葉脈は5~7の掌状脈です
縁には鈍鋸歯がありました
カツラの落葉には芳香がある筈なのですが、この時はあまり匂いませんでした
後で聞いたのですが、黄葉し、さらに茶色に落葉して重なると独特の甘い香りが森中に香るそうです
カツラの別名はコウノキとも呼ばれるそうです
初冬のカツラは、歩いていても、匂いで分かるほどだそうですが、何故、落葉が香るのか、よく分からないようです
最近ではこの芳香成分は、「マルトール maltol 」によるものであるとされ、キャラメルの匂いと同じ香りだそうです
「マルトール」は食品産業では甘みや風味を増強する効果を有する添加物(エンハンサー)として広く利用されていて、かつては意外やカラマツの樹皮やモミの葉から分離され、現在では発酵法をベースにした工業的製法が確立されているといわれています
秋の香りといえるかもしれません
群馬・安中にある「安中教会」を見てきました
先だって群馬・安中に所用があって行って来ました
その折、安中教会近くを通ったので、車を停めパチリ!!してきました
今、NHK大河ドラマ・『花燃ゆ』で、群馬が話題になっています
『花燃ゆ』は、主人公・文(後、美和と改名)が、幕末の思想家長州藩士・吉田松陰の妹で、松陰の友・「楫取素彦(かとりもとひこ)」と再婚し、夫を支える生涯を描いたドラマです
『楫取 素彦』は、維新後、中央政府に請われ、明治5年(1872年)に足柄県参事、明治7年(1874年)に熊谷県権令、明治9年(1876年)の熊谷県改変に伴って新設された群馬県令となりました
尚、改変前の熊谷県とは 明治六年に入間県(埼玉県)と群馬県を合わせて誕生した大県でした
『素彦』は前橋に県庁を正式移転し、県内の農産業発展に大きく貢献しました
特に日本の産業維新の中心ともなったと云われる絹産業に力を入れ、日本外貨獲得に大きく寄与しました
楫取素彦が群馬・前橋に現れた頃、群馬・安中には、アメリカからキリスト教主義の学校設立のために新島襄が帰国、伝道を始めています
因みに、新島襄は1864年函館から海外脱出、1874年帰国、安中で3週間ほど滞在し、藩校・造士館と龍昌寺を会場にキリスト教を講義した結果、30人の求道者がでて、以降研究会が続いて、1878年安中教会設立の運びとなりました
安中教会は日本人の手によって造られた群馬県最初の伝道拠点です
安中教会正面 ( なんとなく教会に似つかわしくない和風看板でした )
教会内には予約をしてないと入れないので、教会周囲から建物をパチリ!!してきました
安中教会は旧中山道の古い町並みの中に、木々の緑に囲まれた閑静な佇まいを見せていました
石造りの重厚な礼拝堂は、周囲の景観にやわらかく寄り添い合うかのように建ち続けて、歴史を経ても、今も新島襄を初めとする「開拓者の精神」が息づいているようです
安中教会の礎は、有田屋当主湯浅治郎の私設図書館「便覧舎」において礼拝がとり行われていました
1919年新島襄召天30周年を記念して、現在の安中教会教会堂(新島襄記念堂)が建設されました
以来100年近く安中教会の礼拝は守られています
安中教会・新島襄記念会堂 (東正面) ・・・ 塀越しに見たので、碑や樹木の障害がありました
中に入ってのシャッターではないので、どれがどれかは分かりませんが、説明を見ますと・・・
大谷石造の建造は、F・L・ ライト設計の帝国ホテル(大正12年竣工)の5年前で、設計者古橋柳太郎と安中教会礼拝堂の建築史上の意義が高く評価できるとされています
礼拝堂のデザインは、基本的には外観をゴシック様式とし、石造の壁体に控壁(バワトレス) を入れて分節を行い、正面玄関左に鐘塔を配置しています
尚、内部は天井をロマネスク風に円筒ヴォールトとし、身廊と側廊の間には列柱を設けず、会堂を広く見せる工夫がされているそうです
身廊と祭壇部との境にも大アーチをつくらず、祭壇までヴォールトを延長して一体化し、ヴォールト端部を2本の石柱(茨城産の大理石)で受けて祭壇に変化をつけるなど見事な手法がみられ(東海大学建築学科の調査による)といわれています
なお現在の屋根は銅板葺に改められているようです
新島襄記念会堂(登録上は「安中教会教会堂」)、及びその関連施設である温古亭、義円亭、牧師館は、その建築上の歴史的な意義が認められて、2004年に登録有形文化財になりました
教会南方から塀越しに見た礼拝堂 ( 向かって右手 : 鐘楼です )
明治以降の時代激変が様々な形で、何気ない群馬で見る事が出きました
大河ドラマを歴史的に見ると、身近なせいか面白いなと感じています
群馬・「鼻高展望花の丘」は花一杯 その2
昨日に続いて・・・
「鼻高展望花の丘」で見つけた花の群落は、千日紅と、ラベンダーセージです
一体何本植えられているのでしょう
丘一面とはいかない広さですが、びっしりと色々の花が重なり合って咲いていました
その中で、千日紅の花はなかなか見ごたえありました
「展望花の丘」一面に咲く花々 ( 向かって正面 手前 :千日紅 、向こう :マリーゴールド 、奥 : ラベンダーセージ 、右奥 :キバナコスモス )
千日紅は、 熱帯アメリカ原産のヒユ科 センニチコウ属の一年草です
初夏から晩秋(=7~11月)まで、次々と枝分かれする細い茎先に、紅紫やピンク、赤、白などの苞(ほう)が球状に集まり、小さな苞に包まれて小花が咲きます
草丈は40~50cm・花持ちが長いことから仏花として好まれ、その永さは「百日紅」の別名をもつサルスベリ(猿滑)よりも、さらに永く花の色を失わないといわれたことから千日紅と名付けられたそうです
江戸時代の中期には既にドライフラワーとして利用されたという記録もあるといいます ・・・ ドライフラワーとしても、色あせ少なく、千日(➝3年以上)以上は大丈夫という訳です
咲く期間が長く季節感がはっきりしませんが、俳句の季語では夏です
誕生花としては、9月15日です
千日紅の群落 ( 茎のてっぺんにポンポン玉の様に花咲いています )
千日紅の葉は互生し、葉の形は楕円で先が尖り、縁にぎざぎざ(鋸歯)はありません(=全縁)
前述しましたが、花は、茎先にボンボンのような丸い花(頭花)をつけます
花のように見え丸い部分は苞(花のつけ根につく葉の変形したものが発達したものです
アップしてパチリ!!しました ・・・ 何とも変わった花形と云えますが、とても優しい花形に感じます
千日紅の 花言葉は、「 不朽不死 」、「 不滅 」、「 変わらぬ愛 」、「 永遠の恋 」、「 永遠に安全 」、「 情の豊かさを無くさない 」 です
花言葉は花期が長く、風通しのよい日陰で逆さにしてつるしておくと、簡単にドライフラワーになり、乾燥しても美しい花色を保つことからつけられています
カサカサした紅色の花弁(苞)は色あせずに長く残ることからもうなづけます
千日紅の向こうに、ラベンダーセージの群落がありました
ラベンダーセージは、シソ科サルビア属で、耐寒性多年草です
ブルーセージ(サルビア・ファリナケア)とサルビア・ロンギスピカタとの人工交雑種だそうで、花穂の様子がラベンダーに似ていることから名づけられました ・・・ 即ちブルーサルビアの園芸品種です
草丈は、1.2mほどになり、4~11月ごろまで鮮やかな青紫色の花を咲かせます
長い花穂が伸びて、空に向かって濃紫色の花が咲く様子は、私には悠々性が感じられ心が豊かになります
ラベンダーセージの 群落
ラベンダーセージ の花言葉は、 「 家庭的 」 です
「鼻高展望花の丘」の花達を見に行ってきました ・・・ コスモスが盛りでした
先だって、群馬・高崎にある「鼻高展望花の丘」を覗いてきました
立ち寄り見物だったのが残念!!
「展望花の丘」は、高崎市街地西部、鼻高町の丘陵地につくられた展望公園で、特に展望台はありませんが、眺望はとても優れています
公園では一年を通して色とりどりの花が咲き、上毛三山を見渡す素晴らしい景観と合わせて楽しむことができる地となっています
「鼻高展望花の丘」には、車では関越自動車道前橋IC、高崎ICより約30分、電車では、JR高崎線高崎駅下車・バスで約30分、タクシー約25分、JR信越線群馬八幡駅下車ではバス約30分、タクシー約15分で行けます
訪れた時は秋の花の代表コスモスが咲き乱れていました ・・・ 「鼻高展望花の丘」のコスモスの見頃時期は毎年だいたい9月中旬~10月中旬頃となっています
コスモスは、メキシコを原産地とするキク科コスモス属の総称で、日本には明治20年頃に渡来し、秋の季語として親しまれるようになりました
「展望花の丘」でさく コスモス ( 向かって正面 赤城山系 ・・・ あいにくのくもり空で霞んでいたのが残念 )
コスモス(Cosmos、Kosmos)とは、ラテン語で宇宙や秩序を意味する言葉です
コスモスの規則正しい花びらの並びや、野原に群生する色とりどりに咲くコスモスから、宇宙の星座のような秩序さを感じ取ったのかもしれません
風の流れる中、ゆったりした素振りで揺れる様はとても優美です
色さまざまに咲く コスモス 色さまざまに咲く コスモス
コスモスの綺麗さ可憐さから、花言葉は優雅な言葉が生まれています
コスモスの一般的な花言葉は、「乙女の純潔」、「乙女の真心」、「美麗」、「調和」、「謙虚」です
更に、花の色によって花言葉が変わります
因みに、色別に花言葉を分けますと・・・ (ネットから探した花言葉説明で、受け売りです)
・ピンク・白色のコスモスの花言葉 : 「 純潔 」、「 愛情 」、「 優美 」
最もコスモスらしい色合いのピンク、白は清らかさを感じさせ、愛する女性へのプレゼントをはじめ、娘から母へ、あるいは母から娘へ贈る花としても良いのではとされています
・赤・紫色のコスモスの花言葉 : 「 愛情 」、「 調和 」
赤や紫色のコスモスはピンクや白よりも強い愛情を表す感じであり、男性から女性へ贈る花としては、こちらの方がストレートな気持ちが出ているのでは
・オレンジ色のコスモス(キバナコスモス)の花言葉 : 「 野生的な美しさ 」
オレンジ色は、野性的で、自然な美しさを感じますから、ピンクや白の可憐さに比べると、活発なイメージでしょう ・・・ 但し黄色は品種改良で生まれた人工コスモスだそうです
・茶褐色のコスモス(チョコレートコスモス)の花言葉 : 「 恋の終わり 」、「 恋の思い出 」
コスモスの原種は絶滅したそうですが、色は濃い茶褐色だったそうで、ほのかな香りもするそうです
そんなところから悲しさ、寂しさを感じさせる色合いと云えるようです
この色のコスモスは、恋人が何も知らずに相手に贈ると勘違いされてしまうかもしれません
孔雀草は、別名・クジャクアスターといいます
上信越道藤岡ICの道の駅ラランにある花の売り場で、孔雀草の名札が挿した花が売られていました
どことなく紫苑の花に似ています
孔雀草は別名・クジャクアスターといい、北アメリカ原産のキク科シオン属の多年草(1~2年草)です
昭和30年代に入ってきて、最近では花壇や切り花によく使われるようになっています
宿根アスターの園芸種だと思えます
分枝がよく株立ちし、草丈は40cm~1.2mになります
葉は披針形~倒披針形で互生しています
花期は7月~11月頃までで、花色は白、紅、紫、青、ピンクと各種です
色が色々なので、別名も幾つかあり、シロクジャクとか、木立ノコンギクと呼ばれます
「アスター」という名は、ギリシャ語の「aster(星)」という意味で、草姿を現し、一つ一つの花を星に見立てたものと考えられます
路上花売り場に並べられた 孔雀草の鉢花
孔雀草は草丈が大きくなるので、6月頃切り戻しをしておくと、茎の木化を防ぎ、丈も低く楽しむことができるそうです
株立ちし、長く伸びた茎は弓状に曲がり、数年経つと茎の下部は木質化します
葉は細く長線形で、花の時期には2cm位の小ぶりの野菊に似た優雅な花が咲きます
道の駅で咲いていたアスターのように、八重咲の花もあります
花数が多く独特の華やぎのある花で、水揚げもいいので切り花で喜ばれるようです
八重の孔雀草花 アップ !!です
孔雀草の 花言葉は、「 可憐 」、「 ひとめぼれ 」、「 いつも愉快(白) 」、「 飾り気のない人 」、「 思いで 」 です
何かあったか味のある花だなと思いました
朝鮮朝顔の花が盛りです
先日用事ができて、市役所の保険センターに行きました
玄関横で、朝鮮アサガオの花が沢山咲いていました
別名をダツラとかダチュラといいます
ダチュラの花は上向きに咲くのと、下向きに咲くエンジェルトランペットがあります
ダチュラといえば、エンジェルトランペットの方がよく知られているかもしれません
朝鮮アサガオはナス科チョウセンアサガオ属・学名で「ダチュラ」です
熱帯アジア原産の大形一年草で、草丈は1mほど、初夏から秋に、よく枝わかれした茎の葉のわきに、長い筒状のつぼみをつけて、白く長い漏斗状の花が次々と咲きます
花の名は、江戸時代に薬用として渡来したので、「朝鮮」となり、花が「アサガオ(朝顔)」に似ているとして名づけられたそうです
「朝鮮(チョウセン)」という和名は特定の地域を表すものではなく、外国から入ってきたという意味合いのようです
別名でマンダラゲ(曼陀羅華)の呼び名があり、これは漢名で、「曼陀羅華」とは梵語(ぼんご)で、「仏様が出現・説法したりする際に、天下って、見る人の心を楽しませる美しい花」の意味だそうです
役所玄関横で大きく花開いていた 朝鮮アサガオ
朝鮮アサガオの葉は長い柄があり互生して、大きな広卵形・先は尖って、全縁で波打っています
茎葉には軟毛はありませんが、見た目は毛があるように見えます
葉腋から大型漏斗状の白花が5~11月にかけて咲きます
花冠の長さは10~15cmくらいあり、筒部が長くて先が浅く5つに裂けています
朝鮮アサガオの花姿 花のアップ (「ツマグロキンバエ」?が花粉をなめていました)
朝鮮アサガオの 花言葉は、『偽りの魅力』、『愛敬』、『変装』、『夢の中』、『あなたを酔わせる』、『陶酔』 です
これらの花言葉は、朝鮮アサガオが葉や種子に、「アルカロイド」という麻酔性の有毒成分があることから作られたと思われます
江戸時代には、葉と種子を薬用として、葉を「曼陀羅葉」と呼び、喘息治療に用いられていました
更に江戸時代の外科医『華岡青洲』は、朝鮮アサガオの種子部分を主成分として「通仙散」という麻酔薬をつくり、世界で初めて全身麻酔に成功したといわれています
間違えて摂取をしますと、精神の平衡を失い、狂躁状態になることがわかっているそうですから注意が必要です
虫が花粉をなめに集まっていましたが、虫には「アルカロイド」は有毒ではないのですね
「アサギマダラ」が眼の前にひらひら・・・
先月終わりごろ、秋探しに 榛名山麓を走っていました
林の縁にアザミの花が咲いているのを見つけ、パチリ !!していましたら、眼の前になんと「アサギマダラ」がひらひら飛んできました
「アサギマダラ」は「旅する蝶」として有名で、春から夏にかけて南から北へ移動し、秋になると南下するようだと聞いていましたから今頃見かけてびっくりです
「 アサギマダラ(➝漢字では、「浅葱斑」)」は、タテハチョウ科のマダラチョウ亜科に分類される蝶の1種です
成虫の前翅長は5~6cmほど、翅の内側が白っぽく(➝厳密には半透明の水色)、黒い翅脈が走っています
翅の外側は、前翅は黒、後翅は褐色で、ここにも半透明水色の斑点が並んでいます
半透明の水色部は、鱗粉が少なく、和名にある「浅葱(薄い藍色の意)」とは、青緑色の古称で、この部分の色に由来しているそうです
アザミの花に留まって吸蜜する 「アサギマダラ」
「アサギマダラ」はあまり人を恐れず、羽ばたかないでひらひら・・・フワフワ・・・と飛翔します
翅の鮮やかな模様が特徴的な大型蝶で、飛ぶ姿は優雅です
そんなチョウが、なんと2,000キロもの旅をすると云うのですからびっくりです ・・・ 2日間で740キロもの海上移動することがあるそうです
「アサギマダラ」は春の北上、秋の南下を繰り返す「渡り」をするチョウとしても知られています
「渡りチョウ」と云われる理由は、2000年に台湾から日本へ、翌年には日本から台湾への移動例が見つかったことが初めです
2002年には、本州から沖縄県の南大東島へ移動した4例の報告があったそうです
台湾との間には島々が連なっていますが、南大東島へは1000キロもの海を渡るほかありません
2005~2006年、小笠原諸島の父島での再捕獲や、長野県から台東沖の島までの2000キロを超す移動が確認されているそうです
「アサギマダラ」は、他の蝶に比べて生態の解明されていない部分が多い謎に包まれた蝶でもあるそうで、近年個体にマーキングをしてようやく少しづつ解明されてきました
渡りに関してもいつ、どの方向に、どれくらいの距離を移動するかということがマーキング調査で分かってきましたが、何がきっかけで渡りをはじめるのか、渡りをしない個体もあるのか、春に北上する個体と秋に南下する個体はどうやって方向が分かるのかなど今後の調査課題だそうです
但し、「アサギマダラ」は、時期、空間、植物の状況に柔軟に対応し、台風を活用して移動したり、雨が降る前に一気に移動したりと気象を読む能力に優れている蝶のようです
アサギマダラの群れは、秋口(9月~10月)になると、南西方向に向かって「渡り」を始めます
現在分かっている生態は、1.決まった越冬態がない 2.成虫の寿命が長い 3.体内に毒のある成分を持っている 4.羽化してもすぐには交尾しない などです
通常のチョウは越冬態が決まっています
因みに、「アゲハ」や「モンシロチョウ」は蛹で、「キチョウ」や「アカタテハ」は成虫で、国蝶である「オオムラサキ」などは幼虫で、「ミドリシジミ」は卵で越冬します
「アサギマダラ」の場合、四国などでは主に2~3齢幼虫で越冬することが多いようですが、南西諸島では卵、幼虫、蛹、成虫とどれも見られると云われます
「アサギマダラ」の寿命は、四季を通じて長い期間成虫で過ごすようで、マーキング調査では4~5ヶ月充分生きているようです
「アサギマダラ」の体内にはアルカロイド成分が蓄えられており、これが渡りをする際、鳥などの捕食から防いでいるようです ・・・ 「アサギマダラ」の幼虫時ガガイモが主食だったことがアルカロイドの蓄積になっているようです
「アサギマダラ」の交尾には雄がフェルモンを出してメスを誘いますが、羽化した直後は雄はフェルモンがありません
フェルモン生成に必要な吸蜜を充分してから交尾行動に入ります
夏から秋にかけて、「アサギマダラ」の吸蜜する植物は、フジバカマ、ヒヨドリバナ、アザミなどのキク科植物です
これらでひたすら栄養補給をして脂肪を腹部に蓄え、渡りに備えます
オスとメスの区別は見分けにくいのですが、オスは腹部先端にフェルモンを分泌するヘアペンシルという器官を持っています
また翅を閉じたときに、尾に当たる部分に濃い褐色斑がある場合があるが、これは性票で雌にはなく、これで雌雄の同定が可能だそうです
「アサギマダラ」の アップ ・・・ 雄か雌か判別できませんでした
アザミを飛び回って、吸蜜していました
このあと、この「アサギマダラ」はどうしたのかな
秋の深まる中、山辺でヤマジノホトトギス、産直では、高隅ホトトギスの花見っけ!!
陽射しがいつの間にか緩んで秋になってきたなと感じられる昨今です
ホトトギスの花があっちこっちで咲いているのが見られるようになってます
山辺の草むらで、一輪だけ咲いているのを見つけました
ホトトギスは東アジアを中心におよそ20種(➝その内10種日本で自生)が分布しており、毎年花を咲かせる多年草で、ユリ科ホトトギス属です
名前の由来は、もちろん鳥のホトトギスからで、斑点のある花びらが、「ホトトギス(鳥)」のおなかにある模様と似ている事からつけられたそうです
しかし鳥の「ホトトギス」の模様は横縞だけですが、野草のホトトギスは大小の斑紋から横縞模様まで様々な品種で違いが見られます
どのホトトギスも茎が湾曲や下垂して花を咲かせる姿はとても風情があります
尚、若葉に油染みのような斑点があるので、ユテンソウ(油点草)の別名があります ・・・ どの品種にもあるかは未確認です
ところでホトトギスは漢字表記するといろいろあります
因みに、「時鳥」・「子規」・「杜鵑」・「不如帰」・「郭公」、等々沢山ありますが、これらはみんな鳥の「ホトトギス」の呼び名表記です
どの表記字も、これで「ホトトギス」と読めるのかという感じですが、どれもちゃんとした当て字理由があるようです
野草のホトトギスを漢字表記する場合は、鳥の「ホトトギス」に草をつけて、呼び名の漢字表記としているようです
逆はどうなのでしょう!?
油点草の「油点」を「ほととぎす」と読ませるのはちょっと苦しいのでは・・・
「ホトトギス」の当て字理由をちょっと調べてみました
「時鳥(じちょう)」とは、本来は「その時節柄になると鳴く鳥」、「不如帰(ふじょき)」とは、本来はホトトギスの鳴き声を音(おん)にして漢字表記したもの、「杜鵑(とけん)」とは、「三国志」に出てくる、「杜の鳥(とのとり)杜鵑(とけん)」が、「ホトトギス」であることに由来していると知りました
ともあれ変わった当て字です
ホトトギスの開花期は夏~秋で通常花びらは6枚あり、杯状で上向きに咲くタイプと、釣鐘状で下向きに咲くタイプがあります
林縁の草むらで見かけたホトトギスはヤマジノホトトギス(山路の杜鵑草)といい、北海道から九州までに分布しています
ヤマジノホトトギスの草丈は30~60cm、葉は長い楕円形で、互生し、 葉の先は鋭く尖り、つけ根は茎を抱くようになっています
開花は7~10月・茎先と葉腋に花柄がでて、白くて紫色の斑点のある花が1輪か2輪咲きます
花被片は6枚、上部で水平に開き、反りかえリはありません
花の真ん中には花粉をつけた雄しべが6本、雌しべは深く3つに裂け、それが更に2つに裂けています
雄しべと雌しべが合わさって柱のようになった部分には斑点はありません
草むらで咲いていた1輪のヤマジノホトトギス ・・・ 横に這うように咲いていました
買い物に寄った産直の花売り場で、変わった色合いのホトトギスを見つけました
挿してあった名札には、タカクマホトトギス(高隅杜鵑)とありました
タカクマホトトギスは鹿児島県大隅半島に自生している日本固有種で、岩場に生育し、キバナノホトトギスに似た黄色い花をつけます
生育環境破壊により絶滅が危惧されて、2012年環境省レッドリストにより準絶滅危惧(NT)に指定されているそうです
いつも思うのですが、見れたことはうれしいけど、産直辺りで売られているのはどう云う訳なのでしょう!?
売り場土間に鉢売りされていたタカクマホトトギス
タカクマホトトギスは大隅半島の高隈山で最初に発見されたことからつけられたそうです
全草殆ど無毛で、葉は楕円形で互生し、 葉のつけ根の部分は茎を抱いています
葉色は淡緑色、キバナノホトトギスより丸みを帯びています
花の形はキバナノホトトギスに似ていますが、色はやや薄めで、清楚な感じです
花期は9月中旬から10月上旬と他のホトトギスより短めです
茎先や葉脇から淡い黄色の花が上向きに咲きます
花被片には赤褐色の斑点が疎らについています
タカクマホトトギスの花 タカクマホトトギスの花 アップ
ホトトギスの 花言葉は、 「 永遠にあなたのもの 」、「 秘めた意志 」、「 秘めた恋 」、「 恥ずかしがりや 」、「 永遠の若さ 」 です
秋の山野草は情緒深い花言葉が多いようです