学問空間

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0162 『難太平記』をどこまで信頼できるか。(その3)

2024-09-09 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第162回配信です。


一、前回配信の補足

「宗教的空白」に関心を抱いている私にとって起請文破りは興味深い事象。
2022年に佐藤雄基氏(立教大学教授)の論文を参照しつつ、集中的に検討してみた。

起請文破りなど何とも思わない人たち(その1)~(その3)〔2022-11-04〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f499d617f18376f321811a045398e40c
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/47ac26f7bebefdc4ac7d4be8edfd474d
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2b6097f05d7892cfcbd989826c21d114
「「一味神水」はパフォーマンス」(by 呉座勇一氏)〔2022-11-07〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/06d418c0ad9b0525f05e64a076305192
佐藤雄基氏「日本中世前期における起請文の機能論的研究─神仏と理非─」(その1)~(その4)〔2022-11-08〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4098ae9be11cbdecadb8c3b406031d3d
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/74b46a5caf7b996119210da2f3833163
「御成敗式目」の宗教的色彩〔2022-11-13〕
佐藤雄基氏「起請文と誓約─社会史と史料論に関する覚書─」(その1)(その2)〔2022-11-14〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/fd1243b7b503b7f627ec0f7897990354
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8b4b834c1e390fa1a234b5fe95331386
起請文はいつ死んだのか?(その1)~(その5)〔2022-11-16〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f7938aa9ea8f3781394c60d992eec835
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/da6a72a689f2a17cc228309d0b1fc3a7
佐藤雄基氏「起請文と誓約─社会史と史料論に関する覚書」(その3)(その4)〔2022-11-20〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/20a5c43c7272e72985b0a9ca43a7e59c
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/60b80a6df77d65b209e255c4391522f9


二、「『難太平記』の足利尊氏「降参」考」の復習(続き)

『難太平記』の足利尊氏「降参」考(その3)~(その11)〔2020-10-31〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1288bebe2cfd662d9be837f75a8a5bb1
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/415a9f71066ce2245de4749fd995e5ae
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e87381cb1d9254070905e3a1d3e5fe82
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e3d211b9ad0dff14e28d8486f5c62866
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d431b73290254e3e146776bbfd35042e
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/da6bf07d6b30f3f011d455d929651d20
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/25747ea4cf8c55f09a64bafe1b6d6044
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4dbdce2e2857d750af5d75bfdecb668c
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/13d2c7d1d9e4c7c5733b2666510a0273
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2 コメント

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Unknown (筆綾丸)
2024-09-10 00:04:14
起請文を要求された側(高氏)が、誓約を信じていないとすれば、起請文を要求した側(高時)も、誓約を信じていない、とパラレルに考えるべきではないか。では、なぜ、そんな空疎な起請文が成り立つのかといえば、それが戦の前の儀式(ritual、ceremony)だったからではないか。

それはそれとして、『太平記』の起請文の話は創作で、実際はなかったのではないか。千寿王(と登子)を監視下におけば必要充分で、紙切れなど不要だからである。
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起請文 (鈴木小太郎)
2024-09-11 11:31:01
>筆綾丸さん
佐藤雄基氏によれば、起請文は未開の習俗のように見えるけれど、運用の実態を見るとそうでもないようで、それは既に鎌倉前期からのようですね。
ただ、「鎌倉後期以降は証人・使節の請文に起請之詞を求めるシステマティックな運用がなされていた」とのことなので、尊氏が形式的に起請文の提出を求められたとしても不思議ではない感じはします。
別に尊氏だけでなく、名越高家などを含め、幕府側は形式的に大将クラスの武士に起請文を要求し、要求された側も形式的に提出した、ということかもしれません。
いずれにせよ、起請文破りに対する罪の意識は概ね極めて希薄だったようですね。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/74b46a5caf7b996119210da2f3833163
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