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起請文はいつ死んだのか?(その5)

2022-11-19 | 唯善と後深草院二条

千々和論文の続きです。(p38以下)

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 このような起請返しは、一見すれば起請文を決して軽視していないこと、そして、起請をたてた以上、神仏の冥罰を蒙ることが、いまだに信ぜられているように思える。しかし、起請返しというものが生まれてきた本質はそのようなことではあるまい。重要なことは名目のうえでは神仏に対する信仰の表現であり、祈禱が行なわれることが条件であるとはいえ、この起請返しの出現によって、これ以後起請文は、罰を与えられることなく、破ることが可能になったということなのである。
【中略】
 こうして、起請文に牛玉宝印が、それもある一定の霊社牛玉だけが用いられるようになり、また霊社上巻起請文という長々しい神文が書かれるようになるという、起請文の様式のうえでの完成は、まさに起請破りの横行と、それに対する神道家の側からの起請返しという作法の成立と、裏腹の関係にあった。このような事態の推移が、起請文の死へと進んでいくことに、我々は何の疑いももちえないであろう。
 かくして起請文はその生命を失う。江戸時代には、誰一人本当とは思わない、単なる儀式として、幕府・諸藩の役職者が差し出す誓詞の中に、わずかにその形式の名残りを見いだすばかりである。いやそれよりも、冒頭でふれた遊里の男女の間にとりかわされる起請文のほうが、より近世的と言えるのかもしれない。いわばこの世の地獄・苦界に生きる女たちが、あの世の地獄におちることをカタに鼻の下の長い男たちからいくばくかの金をまきあげるタネとして、もし起請文が多少でも役にたったのだとしたら、これを起請文という文書がもった最後の輝かしい働きといって、よいのかもしれない。
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ということで、第一節の冒頭で紹介された「三枚起請」と響き合うシニカルな表現で第四節は終わります。
少し気になるのは千々和氏の笑いへの理解が「社会派」風になっている点で、千々和氏は「途端落」の傑作落語をガハハと笑って済ませることはできず、「戦後歴史学」の正統的立場から「この世の地獄・苦界に生きる女たち」の側に立ち、「鼻の下の長い男たち」を糾弾されます。
しかし、少なくとも落語「三枚起請」の世界では、起請文を濫発する遊女自身も「あの世の地獄におちる」などとは全く思っておらず、男女ともに起請文など全く信じていないことは押さえておく必要があると私は考えます。
また、「おわりに」において、千々和氏は、

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 すでに私は、前節で起請文を死なせてしまった。そしてそれは、私の論旨にのっとれば、いわば呪縛のおわりであるはずである。とすれば、もうこれ以上、先を述べることは何もなくなったはずである。
 しかし、一方で、本当にそうだろうか、とも思いつづけざるをえない。そうであるのならなぜ、江戸時代にも起請文は書かれつづけたのであろうか、ということである。その答は、もちろん、江戸時代の起請文はなんら実効性のない形式的なものである、ということで足りるであろう。
 だが、ではなぜ宗教は今も生きつづけられるのか、と問い直せば、それほど答はたやすくはない。こうした設問を設定すると、今の私には答えるすべはない。であれば、現代は、本質的に中世とどこが違うのであろうか。
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と煩悶された上で若干の議論を追加されるのですが、その部分は既に佐藤雄基氏が「起請文と誓約─社会史と史料論に関する覚書」(『歴史評論』799号、2015)で次のように要約されています。

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 もちろん信仰心の有無について、残された史料から「実証的」に問うのは困難である。千々和氏も結局、本当に中世人は神仏の罰を信じていたのかという問いには答えず、「純粋に個人的な問題について罰とか呪縛を考えること、それを信ずること、これは現代にもありうることだろう」とした上で、「歴史学が扱うことのできるのは、社会的集団の行動あるいは集団の一員としての個人が、社会的・政治的行動をするときに、どの程度、罰あるいは呪縛というものが行動の基準となるか、ということ」とし、個人の信仰よりも「場」が中世を特徴づけるのだから「一味神水の場での盟約」の実態の解明が重要であると論ずる。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8b4b834c1e390fa1a234b5fe95331386

さて、1981年の千々和氏は「江戸時代の起請文はなんら実効性のない形式的なものである」とされていましたが、近世の起請文研究は相当に進んでいます。
その内容を詳しく検討するのは私の能力を超えますが、佐藤雄基氏の上記論文に簡潔な説明があるので、その部分だけ次の投稿で紹介したいと思います。

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