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佐藤雄基氏「起請文と誓約─社会史と史料論に関する覚書」(その2)

2022-11-15 | 唯善と後深草院二条

佐藤雄基氏は「日本中世前期における起請文の機能論的研究─神仏と理非─」(『史学雑誌』120編11号、2011)の「はじめに」において、

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 起請文とは、神仏に誓いを立て、その誓いが嘘であった場合、あるいはそれを破棄した場合、神仏の罰を受ける旨を記した文書である。平安末期に発生し、戦国期には様式的完成を遂げるものの、江戸期には衰退する。起請文は神仏への信仰に特徴づけられた日本中世を象徴する文書である。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/74a3bde8f0c9f243428607a97b91100b

と書かれていて、オーソドックスな古文書学的関心から起請文の研究を始められたようですが、私が起請文を調べるようになったきっかけは、『とはずがたり』に「有明の月」が後深草院二条に送ってきた奇妙な起請文が登場することです。
十数年前、私は知人と国学院大学の千々和研究室を訪問して少しお話を伺ったことがありますが、千々和先生も「有明の月」の起請文はなかなか個性的で面白い、と言われていましたね。
その起請文は後で少し検討するとして、佐藤露文で前回投稿で引用した部分の続きです。(p36)

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 このように中近世の断絶を強調する議論の前提には、中世は「神仏の時代」であり、起請文に記された神仏の罰が信じられていた「未開」の時代というイメージがあるように思われる。だが、果たしてそのような時代像を前提としてしまってよいのであろうか。黒田日出男氏は、「身の八万四千の毛穴毎に」といた起請文の罰文(誓いを破ったときに被る罰を記した文言)の定型的表現から、中世民衆が神仏の罰の恐怖を身近に感じていたと論じた。だが、千々和氏は、黒田氏の見解を肯定的に引用する一方で、戦国期に起請文に勧請される神仏の数が増えることをもって、信仰心の深化ではなく、前述のように起請文の形骸化を読み取っている。起請文の定型的な文言をどこまで実態的に捉えてよいのかどうか、疑問がない訳ではないのである。
 起請文の様式についていえば、勧請される神仏の変化や牛玉宝印の利用などの大きな変化が鎌倉後期にもみられる。黒川直則氏は、起請文のもつ精神的呪縛が重みを失うから様式が整備されて荘厳さを加えさせようとするという説明をしている。このような論じ方は、人々の信仰心は時代が下るにしたがって弱まり、起請文の様式が整備されていくという、一種の発展史観ではなかろうか。
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黒田日出男氏の陰気な論文は「中世民衆の皮膚感覚と恐怖」(『境界の中世 象徴の中世』所収、東京大学出版会、1986、初出は1982)ですね。
「身の八万四千の毛穴毎に」云々の「起請文の定型的な文言」は、最初に考えた人はそれなりに作文に苦労したかもしれませんが、後続の人はコピー&ペーストで、鼻歌を歌いながらでも適当に書けたはずです。
また、『太平記』などの諸史料には、「神仏の罰の恐怖を身近に感じていた」とはとても思えない、起請文破りなど何とも思わない人も大勢登場しており、その代表は足利尊氏・直義兄弟ですね。

『難太平記』の足利尊氏「降参」考(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/be18e0b821a943d858475427b61f1f64
起請文破りなど何とも思わない人たち(その1)~(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f499d617f18376f321811a045398e40c
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/47ac26f7bebefdc4ac7d4be8edfd474d
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2b6097f05d7892cfcbd989826c21d114

さて、「起請文の死」に関する千々和氏の見解も微妙なところがあるので、佐藤論文の続きをもう少し見て行きます。

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 もちろん信仰心の有無について、残された史料から「実証的」に問うのは困難である。千々和氏も結局、本当に中世人は神仏の罰を信じていたのかという問いには答えず、「純粋に個人的な問題について罰とか呪縛を考えること、それを信ずること、これは現代にもありうることだろう」とした上で、「歴史学が扱うことのできるのは、社会的集団の行動あるいは集団の一員としての個人が、社会的・政治的行動をするときに、どの程度、罰あるいは呪縛というものが行動の基準となるか、ということ」とし、個人の信仰よりも「場」が中世を特徴づけるのだから「一味神水の場での盟約」の実態の解明が重要であると論ずる。
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千々和氏の論文は「中世民衆の意識と思想」(青木美智男他編『一揆4 生活・文化・思想』所収、東京大学出版会、1981)ですね。

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