学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学の中間領域を研究。

「「一味神水」はパフォーマンス」(by 呉座勇一氏)

2022-11-07 | 唯善と後深草院二条

ネットで大河ドラマへの反応を見ていると、歴史にそれなりに詳しそうな人でも中世が「神仏の時代」であったという認識の人が多そうですね。
黒田俊雄氏の「権門体制論」という言葉を知っている人の大半はそうかもしれません。
中には呉座勇一氏の「一揆の場における一味神水とは、わきあいあいとした宴会的な共同飲食ではなく、恐怖と緊張に満ちた一種の試練だったのである」(『一揆の原理』、p115)という文章を引用した上で中世における宗教の重圧を語っている人もいましたが、当該表現が登場する第五章のタイトルは「「一味神水」はパフォーマンス」というもので、呉座氏は中世の宗教について非常に醒めた見方をしている研究者ですね。
学説史の紹介を兼ねて、上記文章に続く部分を引用してみると、

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一味神水は神秘体験か

 以上で述べたように、一味神水は、人々の神への恐れを利用することで、裏切りを防止し結束を固める効果を一揆にもたらした。しかしながら、一味神水の全てを人々の信仰心の問題として片づけてしまうのは、いささか安直で感心しない。
 一九八〇年代以降、日本史、特に日本中世史研究の分野では「社会史ブーム」が起こり、中世人の宗教的な観念に注目が集まるようになった。これは、生産様式や所有関係など経済的・物質的な問題を重視する一方で、中世人の行動様式や思考様式など精神的な問題に無関心であった従来のマルクス主義歴史学(唯物史観)へのアンチ・テーゼとして生まれたものだった。
 社会史研究の功績は多大であるが、しばしば批判されるように、中世人の非合理性をやたらと強調する傾向があることは否めない。現代には見られない、一風変わった中世の習俗を目にすると、社会史研究者は「中世人は現代人とは異なる価値観、世界観を持っており……」と考えがちだが、そこには無意識のうちに「中世人は呪術や迷信に惑わされていた」という先入観が作用してはいないだろうか。
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とあります。
呉座氏が批判の対象としている研究者は、具体的には勝俣鎮夫氏(東大名誉教授、1934生)・黒田日出男氏(東大名誉教授、1943生)・千々和到氏(国学院大名誉教授、1947生)などですね。
呉座氏はまた、先に紹介した、

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 この土佐房襲撃事件は軍記物『平家物語』などに見える逸話で、どうやらフィクションらしいが、起請文の利用法という点に関しては、当時のあり方を反映していると考えられる。なぜ七通も作成するのかはよく分からないが、これだけ多数の起請文を作成しているのだから、焼いて飲んだり神社に納めたりするだけでなく、当の義経にも手渡されたはずである。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/47ac26f7bebefdc4ac7d4be8edfd474d

の後、次のように書かれています。(p122以下)

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神に捧げ人に渡す

 これらは果たして例外であろうか。私たちが目にすることができる起請文の実物は、もちろん焼かれなかった起請文だけであるが、「正文(写しや控えに対して、もとになる文書原本)は神前において麗水で呑んだ」といった断り書きのある起請文が現存していることを踏まえると、「焼く起請文」と「残す起請文」をセットで作成することが一般的なあり方だったと考えられる。【中略】
 千々和氏は、起請文を焼き、煙が天に届くことを視覚的に確認できれば神に誓約を伝えるという起請文の目的は十分に達せられるのであり、正文はもちろん、その写しすら論理的には保管しておく必要はない、と説く。【中略】
 しかし焼くためだけに、わざわざ起請文を作成するというのは、不自然ではなかろうか。【中略】
 起請文は中世に誕生した文書である。そして中世社会は決して未開社会ではない。なにしろ裁判で証拠文書の筆跡鑑定が行われる社会であるから、立派な文明社会である。だから起請文を呪術観念とストレートに結びつけるべきではない。中世前期には起請文は神に捧げるものだったが、"脱呪術"によって中世後期、特に戦国時代になると人に渡すものに変わった(未開から文明へ)という説明は、耳に心地よいが、中世人を侮っているように感じる。成立当初から、起請文は神に捧げると同時に人に渡すものであったと私は考える。
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そして「荘家の一揆の交渉術」として「一味神水を行ったことを、わざわざ荘園領主に報告した」(p124以下)東寺領矢野荘の事例を紹介した上で、

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 鎌倉幕府の法廷では、民事裁判の一方当事者が、主張の正しさを証明するために自ら起請文を提出することがあった。佐藤雄基氏はこれについて、起請文を提出するという行為自体に、自分はウソを言っていないので神罰を恐れる必要がないと幕府にアピールする意味合いがこめられていたと推理している。
 荘家の一揆の連署起請文も、同じ機能を果たしていたと考えられる。代官が違法行為で百姓たちを苦しめているという我々の主張は(ウソではなく)事実であり、代官を解任すべしとう我々の要求は正当なものだから、東寺がこれを認めるまで我々は断固ストライキを続ける、ということをアピールするために、起請文を荘園領主に提出するのである。
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と書かれています。(p127)
ここで言及されている佐藤雄基氏の論文は「日本中世前期における起請文の機能論的研究─神仏と理非─」(『史学雑誌』120編11号、2011)です。
「社会史ブーム」に乗った神秘的・呪術的な起請文研究に批判的な研究者たちのキーワードは「機能的」ですね。
「身の八万四千の毛穴毎に」といった起請文のおどろおどろしい文言をそのまま受け止めるのではなく、起請文が一定の社会関係の中で実際にどのような「機能」を果たしたのかを冷静に分析する立場です。

『起請文の精神史』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/90dbd4d5b3b86a9902c3934f5a587e24
『難太平記』の足利尊氏「降参」考(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/be18e0b821a943d858475427b61f1f64

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