学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

0157 『太平記』をめぐる国文学界と歴史学界の交流(その5)

2024-09-05 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第157回配信です。


一、前回配信の補足

「牛頭馬頭」の読み方
https://x.com/uizhackiinmuufb/status/1831476137312309648

23:30あたり「ぎゅうとうばとう」と読んでいるが、正しくは勿論「ごずめず」。
https://www.youtube.com/watch?v=phCk0S0caxE

兵藤裕己・呉座勇一氏「歴史と物語の交点─『太平記』の射程」(その13)〔2020-10-21〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7928e07a520ead1400b0094a5b3d5d21

結城宗広(1266‐1338)

兵藤裕己校注『太平記(三)』p396以下
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結城入道堕地獄の事
 中にも、結城上野入道が乗つたりける船は、悪風に放たれて、渺々たる海上にゆられ漂ふ事、七日七夜なり。すでに海底に沈むか、羅刹国に堕つるかと覚えしが、風少し静まりて、これも伊勢の安濃津へぞ吹き着けける。
 ここにて十余日を経て、なほ奥州へ下らんと、渡海の順風を待ちける処に、道忠、俄かに病を出だして、起居も叶はず、定業極まりぬと見えてければ、知識の聖、枕に寄つて、「この程まではさりともとこそ存じ候ひつるに、御労り日々に随つて重らせ給ひ候へば、今は御臨終の日遠からずと覚へて候ふ。相構へて往生極楽の御望み惰〔おこた〕る事なくして、称名の声の中に、三尊の来迎を御待ち候ふべし。さても、この世には何事をか思し召し置かれ候ふ。御心に思し召されん事候をば、仰せ置かれ候へ。御子息の御方へも申し候はん」と申しければ、この入道、すでに目を塞〔ふさ〕がんとしけるが、かつぱと起きて、からからと打ち笑ひ、わななきたる声にて申しけるは、「われすでに七旬に及んで、栄花身に余りぬれば、今生に於ては一事も思ひ残す事候はず。但し、今度罷〔まか〕り上つて、つひに朝敵を滅ぼし得ずして、空しく黄泉の旅に赴き候ひぬる事、多生広劫の妄念ともなりぬと覚え候ふ。されば、愚息にて候ふ権少輔〔ごんのしょう〕にも、わが後生を弔はんと思はば、供仏施僧の作善を致すべからず。称名読経の追費をもなす事なかれ。ただ朝敵の首を取り、わが墓の前に懸けて見すべしと申し置きける由を、伝へて給はり候へ」と、これを最後の言〔ことば〕にて、刀を抜いて逆手〔さかて〕に持つて、歯喰〔はがみ〕をしてぞ死にける。罪障深重の人多しと云へども、終焉の刻〔きざみ〕、これ程の悪相を現ずる事は、未だ聞かざる所なり。
 げにもこの入道が平生の振る舞ひを聞くに、十悪五逆の大悪人なり。鹿を狩り、鷹を使ふ事は、せめて世俗のする所なれば、いかがせん。咎なき者を打ち縛り、僧尼を害する事、勝計すべからず。常に死人の生頸〔なまくび〕を見ねば、心地の蒙気するにとて、僧俗男女を云はず、日ごとに二三人が頸を切つて、わざと目の前にぞ懸けさせける。されば、かれが暫くも居たるあたりは、死肉満ちて屠所の如く、尸骸〔しがい〕積んで九原の如し。
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二、中国故事の引用

亀田俊和氏「『太平記』に見る中国故事の引用」(『古典の未来学』所収)
https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-909658-39-5.html

p711以下
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一、はじめに

 『太平記』には多数の中国故事が引用され、それに関する研究も豊富である。それらの研究は、中国故事の原典に注目する傾向がある。すなわち、原典と『太平記』の引用との異動や異本・伝承の混入を解明するものや、あるいは作者の中国の歴史や漢籍に関する教養を考察する論考が主流である。
 中でも一九八〇年代後半に黒田彰が、『太平記』の中国故事に幼学書の影響が強く見られ、特に中世日本で独自の和様化を遂げた『史記』理解(「中世史記」)に依拠していることを指摘したことが注目される。これは同記作者の漢籍に関する知識や教養が、従来考えられていたよりも通俗的であったことを明らかにした点で画期的であったと筆者は理解している。
 その後、邱璐が黒田の研究視角を継承し、作者が中国故事のストーリーを同記の世界観に合わせて自由に改変する場合があったことを指摘し、同記を「百科全書」と評価する見解を批判した。邱はまた、『太平記』作者の中国古典受容に限界面もあることを指摘した。このように近年は、作者の教養や学力を限定的に見る見解が有力となっているように見受けられる。最近では、森田貴之も『太平記』作者の宋学理解が実際の宋学とはかなり異なっていたことを指摘している。
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三、兵藤・呉座対談の続き

兵藤裕己・呉座勇一氏「歴史と物語の交点─『太平記』の射程」(その16)(その17)〔2020-10-24〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/103e93a6e450f73e5693a88e8226c963
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0c6970ab230a337886d62cb29cb1729b
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