佐藤論文に戻って、起請文研究の最新動向をもう少し見ることにします。
(その3)で引用した部分、
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これらの近世史の新しい研究動向は、アーカイブズの視点をもって儀礼的な文書を含む史料群を捉える点に特徴をもつ。その意味では史料論の隆盛という研究潮流上にある。ここで明らかにされた誓約儀礼のもつ機能自体は、中世においても見出させるものであろう。深谷氏は「法か神かではなく、「法威と抱き合わせにされた神威」としての政治的効果」を指摘するが、以前拙稿で論じたように、鎌倉幕府の裁判は、評定衆や奉行人たちが「無私」の審理を誓って起請文を立てた「御成敗式目」に象徴的にみられるように、神仏への起請を媒介にして理非判断を根拠づけようとしていた。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/20a5c43c7272e72985b0a9ca43a7e59c
は段落の途中で切ってしまいましたが、その続きです。(p40以下)
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瀬田勝哉氏は中世後期の「鬮取」を素材にして、「神仏の時代といわれながら神仏に主体性を預けきってしまうのではなく、沙汰を尽くす、そこに人間の主体的姿勢があ」ると論じている。また、深谷氏は「誓詞を取って申し付ける事柄と誓詞は取らない事柄の違いがあり、誓詞を出させる事柄のほうが重要度が高いということになり、この使い分けもまた近世政治の特徴であった」とも述べる。だが、中世においても必ずしも起請文を用いるとは限らず、敢えて起請文という形式を用いて上申文書を作成することが重要性をもった。貸借関係など「経済」的な局面には起請文を用いないなど、起請文の利用をめぐっては中世人なりの「政治」感覚があった。宗教史・思想史的観点からいえば、近世における「神威」が中世の神仏に比べてより抽象的な存在であるとしても、その機能について共通性がみえるということは、近年の中近世史の研究を通して初めて明確になった論点であろう。
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ここまでが近世との比較で、次に古代との関係でもいくつかの重要な論点が出てきます。
そして、それらを踏まえた上で、今後の課題が提示されます。
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「御成敗式目」から近世までみられる、公平さを要求される役職者の起請文は、神仏への誓いという形式にこだわらなければ、平安期国家の官僚制にまで遡る。古文書学的にいえば、中世の起請文は、上位権力の許可を請う古代の「起請」と神を祭る「祭文」との二つが合わさって発生したものといわれているが、摂関期の古記録からは役職遵守の「起請」が徴収されていたことが確認される。「御成敗式目」のような集団的な誓約という点でも、平安期における殿上起請の存在が知られている。このように近年の研究では機能的な共通面が多く見出されており、相違点を探ろうとすれば、神仏への誓約の有無が決定的となる。
今後課題となるのは、神仏への誓約という儀式の意味について、神仏への信仰心という説明を一旦留保して、追究することであろう。また、神仏への誓約という形式そのものについても、前述のように律令法においてそれを忌避する発想があったことを踏まえれば、荘園制的支配という観点から先行研究においても注目されてきたように、寺社勢力の関わりが無視しえないであろう。大師勧請起請文の広がりについては、比叡山の山僧の活動との関係が注目されており、荘園と公領における神文にみえる神仏の異同という論点も近年提示されている。文書作成のリテラシーという観点からも、今後の研究では、起請文を作成し、広めたアクターの存在形態を具体的に検討する必要があるのではなかろうか。
知識体系という観点からいえば、近世には故実の世界が形成されており、同じような儀礼であっても中世とはバックボーンが異なる。このことを正確に理解した上で、政治的な正当性を保証する形式がどのように変化していくのかを追跡する必要があろう。
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今後の課題におけるポイントは「神仏への信仰心という説明を一旦留保」ですね。
ところで、「古文書学的にいえば、中世の起請文は、上位権力の許可を請う古代の「起請」と神を祭る「祭文」との二つが合わさって発生したものといわれている」に付された注記を見ると、これは佐藤進一『新版 古文書学入門』(法政大学出版曲、1997)です。
同書には「自己呪詛文言ともいうべきもの」(p221)、「起請文の構成要件を確言(もしくは確約)プラス自己呪詛文言の二点に求めるとするならば」(同)、「おそらく天判祭文や「解申請天判事」という形式の文書の影響を受けて、起請は第三者呪詛文書という性格のものに発展進化したものであり」(p227)といった表現があるので、深谷克己氏が「起請文の基本的概念規定である「自己呪詛」という言葉は、いかにも過激な印象を与える」(『近世起請文の研究』書評、『国史学』217号、p109)と若干の違和感を抱かれた「自己呪詛」という表現は佐藤進一氏が使い始めたようですね。
さて、私が起請文に興味を抱くきっかけとなった『とはずがたり』における「有明の月」の起請文には、「自己呪詛文言」といえるか若干曖昧な表現があり、また明確な「第三者呪詛」の表現はないものの、結果的にはこの起請文が、四条隆親・隆顕父子の対立と後深草院二条の御所からの追放という重大事件の原因となったように描かれています。
そこで、古文書学の素養が全くない私ではありますが、この起請文の特徴について若干の検討をした後、「神仏への信仰心という説明を一旦留保」した上で、『とはずがたり』の中で当該起請文がどのような「機能」を果たしているのかを見ることにしたいと思います。
ま、起請文の研究史に貢献できるような「機能論的」研究ではなく、あくまで私の個人的興味に対応したプチ「機能論的」研究ですが。
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