生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:幽玄美:その4:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
琵琶湖の北、菅浦の里に戻りますが、そこに隠棲された淳仁天皇の話は、政治的、倫理的話はさておいて、何とも気の毒な壮年でした。33才で人生を終わる宿命もさることながら、明治まで、ひょっとすると現代の政財界までもその影響のある藤原氏の話の一つでもあります。道鏡と称徳天皇の話題はことかきませんが、あわれなのは恵美押勝こと藤原仲麻呂の最後です。反乱をおこし琵琶湖のほとりで一家もろとも惨殺されましたが、淳仁天皇の妃はこの藤原仲麻呂が元気で活躍していた頃、その息子の一人の未亡人をお妃にしました。死んだ息子の嫁さんを、淳仁天皇が妃にした経過を想うと何となく複雑で、もののあわれを私は感じます。あれこれと翻弄され、遂には淡路に流され廃帝にされ、明治3年に明治天皇が再び天皇の称号を与えるまで、歴史上、廃帝のままでした。どんな性格だったのか分かりませんが、何とも哀れな人生です。菅浦の須賀神社は明治42年まで保良神社でしたし、今でも淳仁天皇舟型御稜が大切に村人に守られています。今年は大変暑い日々ですが、その暑い8月2日に訪問したのですが、長命寺の808段の階段、その他の坂道で疲れ果てていましたので、ここ須賀神社の階段を登る気もなく、時間も迫っていましたので、須賀神社資料館で藤原氏の子孫の方々の説明を受けたり、その関係者と会話をしたのですが、或種の感動を覚えました。琵琶湖、近江は中臣鎌足(藤原氏の祖)が何とか古族を追いだし、藤原の土地にしたい話は有名ですが、藤原一族の念願だそうですが、現代を旅しても、あちこちに、その支族の名前を見るたびに、藤原一族の執念を感じました。逞しい一族です。凄まじい歴史に想いをはせ、旅をして、夜空を見上げたり、仏像に接したりしていきますと、私の心は自然と色々の歴史に生きた人々の怨念を感じだします。それぞれの時代を真剣に生きた人々の愛は万葉集を読めば、肌で感じます。愛と幽玄と幸福感は、これからも益々、日本の文化の中で美しく咲くことでしょう。日本人の心の故郷を大いに楽しみながら生きていきたいものです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:378>

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「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

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