生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
欧米を旅しますと有名な寺院にギリシャ神話やキリスト教の聖書の場面が描かれています。さて甘えと思われる事例の一つに不思議な場面がありますが、その一つにキリストが復活し、マグダラのマリアに出現する場面があります。マグダラのマリアが「この方が復活したキリストだ」と認識し、感激して、すがりつこうとしますが、それをキリストが軽く押しとどめる場面が私には不思議なのです。気になる方は「ヨハネによる福音書」の20章11-18を読んでみて下さい。この場面を知らずして欧米の寺院を訪問すると貴重な旅を無駄にしてしまいます。また、音楽や絵画、小説を解読する場合でも、この複雑な場面を思索している場合と、そうでない場合は人間の幸福論を論ずる場合でも大いなる損失となるでしょう。この場面の解釈は日本文化の視点から見ると「ケガレとミソギ」かもしれません。マグだらのマリアが深い愛情をもってすがろうとしたのに、何故キリストがそれを、させなかったのか、私は若い頃からこの場面を思索しているのですが、私の人生の折々に遭遇する深い愛情、深い友情、神仏への愛を考える時の「知恵」を刺激した場面でした。この場面は愛の甘えの構造についての品格と礼儀と愛の有り様について永遠に問い続ける名場面でしょう。その答えは、とここで求められても私は答えられませんし、それぞれの立場、神学者、政治学、人間工学、信仰者の立場、神学の違い、哲学の違いなどから、解釈が違います。これはこうだ、と自分に納得出来るように楽しんで下さい。自問自答の内容と、その展開で、それぞれの楽しい人生が形成されていきます。何故、あれだけの信仰熱いマグダラのマリアにむかい、あのような言葉をキリストがいったのでしょうか?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:367>

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「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

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