生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その12:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は天に向かってつばを吐きながら生きているような所があります。自己責任が人生の原則ですが、生身の人間には、この哀しみ、悩みは社会のせいだ、あの人のせいだ、と自分に言い聞かせながら、そのストレスを軽減しようと無意識に考えていく傾向があるようです。全部、自己責任にしてしますと、生きるのが大変、辛くなります。生身の人間ですから、蓄積したストレスを親友に愚痴という形で言葉にして発散するのは、とても良い事。愚痴を聞いてくれる友達は宝物。さて、人間誰でも「as if person:あたかも、なになにかのように>と思いながら生きていく傾向がありますが、その理由は理想と現実のギャップが耐えがたい場合、あたかも、なになにかのようになることで、その欲求不満を解消していく特技を人間はもっています。極端になると病理になりますが、軽い程度は健全です。例えば少年少女時代、おとぎ話を父母から読んでもらいますと、王子様、お姫様になつたような幸せな気分になり、夢か、うつつか、その狭間で時を過ごす少年少女時代の例です。大人になりましても、音楽、文学、絵画、芸能の世界をそのようにして楽しみます。芸術家気取り、女優気取り、実業家気取り、大物気取り、となると社会から侮蔑されますが、本人は馬鹿にされた、汚された、と感じだしますと、少々心理療法の対象となってきます。ケガレと禊とはいいますが、身辺の森羅万象の解釈を健全にしておかないと、自分から自分をケガレに追い込み、不幸な生活を招く傾向が出てきます。自己愛パースナリテイ障害という心の病気になりますと、益々、汚れた自分を感じだしますので、健全な自己愛とは何かを勉強する必要がでてきます。自己愛とケガレと禊は以上のように深い関連がありますので、テキスト第1章と日本人のアイデンティティの関連を意識化しておいてくださると良い勉強になります。以上でケガレと禊のさわりは完了します。自己愛はテキストのように8つの視点から勉強していきますが、この8つの視点とケガレと禊の関係を細かく解説していくのは退屈ですので、ここで止めておきます。次は「恥の文化」についての思索展開方法を考えてみましょう。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:361>

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「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

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