神仏に嫉妬する、という言葉に触れますと、変な人、と思われるかもしれません。具体的に日々、どんな自問自答が人間社会でなされているかといいますと、こういう言葉です。「こんなに真面目に生きているのになぜ、神様は私に、こんな病気、不幸を与えるのですか?」「あの貪欲な人があんな幸せなのに、何故、私は、こんなに惨めなのですか?」と、天に向かって色々文句を言う時、人は神仏に恨みつらみをつぶやき、嫉妬していると定義しています。人生、運命、自然災害、数々の矛盾した悲劇の遭遇した時、人々は天を呪います。この複雑な心境はここから、ここまでが呪い、これが嫉妬、等と明確に分類できません。まずは、この領域の問題として思索していきます。聖書、仏典を読みますと、逆に天が人間に対して、嫉妬している話が出てきます。愛そのものの神様が人間をこれほど愛しているのに、ちっとも自分を振り返ってくれない、と嫉妬している愛の神が登場してきます。あれ、神様が人間を嫉妬している、と不思議に思いますが、神話の世界では当たり前です。このように嫉妬心は人間に必要なもの。程度の問題だ、とわかります。健全な嫉妬は安心、平安感、友情、幸福感、統御感を生みだし、人々を幸福曲線に導きます。「あ、この人は自分に嫉妬している」と分かると、そこに感謝が生まれます。相手の嫉妬を巧みに利用する人は悪人ですが、まずは、さらりと感謝して、さりげなく微笑むスタンスが重要なようです。距離を取るセルフコントロールをしつつ、相手を傷つけないように距離を取るのも美しい人生場面です。天を呪う、天に向かい文句を言うのは、生身の人間の当然の言動ですが、最終的には天の摂理を信じると、そこに大きく深い意味があり、この現象の必然性を悟ると、また、生き抜く勇気が出てきます。身辺に生起する森羅万象には天の愛が存在している哲学を信じて、その解釈に一喜一憂する生き方は非常に刺激的で、生き甲斐を感じさせてくれます。悲劇、哀しみの瞬間は神の愛を疑いますが、時間をかけて、思索を深めると、そこの大きな長期的な神の愛を垣間見ます。「神様、どうかこの願いを聞きいれて下さい」と真剣に願っても聞き入れられず、天に文句をいいます、しかし、5-6年経過して、あの祈りが聞き入れられていたら、大変だった、聞き入れられずに助かったと今の幸福に感謝する事例が私の場合、無数にあります。そんな解釈をしながら、人生が終わるのでしょう。希望を失う、意思を失う、この諦める人生だけはしたくありません。意思ある所に道あり、求めよさらば与えられん、と信じて生き抜いていきましょう。
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