生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

心をみつめる視点:人生での愛する人との関係の仕方は?:その1:幸福な日々の為の自問自答集の第4章

2014年03月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
愛し合っているのに「親密な関係は危険」と解釈する場合、その「危険」と言う意識、知覚、思考について、どう考えたらいいのでしょう?例えば、婚約関係者の場合の関係については、その生育史の常識で決めればいいだけの話です。ここで考えたいのは何故、臨床心理学の世界で、危険と解釈する或場合を底辺に置いたか、という問題です。具体的な事例ですが、お見合いをします。そのお嬢さんは相手を誠実な青年だ、と感動していますが、デートの最中、愛情が高まり、手を握ろうとします。するとそのお嬢さんは危険を感じていつも逃げ出します。こうして何回もお見合いをしますが、いつも逃げ出すので、自分はどこか変だと気付きます。つまり幸福になりそうな雰囲気を感じると、その幸福感の次にくる最大の不幸、恐怖感があるのですが、その生育史の理由に気付いていない場合の悲劇です。幼少時、素晴らしい愛の豊かな両親に育てられていましたが、数時間の用事で両親が車を運転して外出し、交通事故で死亡されました。幼いそのお嬢さんはこの事故で「幸せ」だったのに突然、両親が居なくなり、急に両親の愛を喪失し、死という意味も分からずに育ちます。つまり「幸福感の後には恐ろしい不幸、恐怖、悲劇が突然くる」と子供心に思ったのでしょう。幸福感を恐れるようになっていたわけです(無意識の中で)。この原因が意識化された後、そのお嬢さんは自分の病理に気づきます。何故、自分が「親密な幸福感」を恐れたのかを。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:206>

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