目の病気もありますし、遺伝の関係の眼差しもあり、少々辛い話になりますが、生き甲斐の心理学での重要課題である「邪眼と慈眼」の思索は大事ですので書く必要があります。私自身の反省をこめて書いていきますのでお許し下さい。生き甲斐の心理学で言う「邪眼」とは相手を拒否する心の人の眼差しを言います。相手の存在に好意的な眼差しを「慈眼」と言います。面とむかって軽蔑、侮蔑の言葉をなげかけられた経験を私も持っていますが、こんな時の「わたしとあなた」は両者とも多分、邪眼になっていることでしょう。周囲の人々も切なくなり席を立ち、そそくさと、その現場を去るような雰囲気です。軽蔑と侮蔑の言葉や雰囲気、行動をされて、それでも慈眼をする人と遭遇したことがありますが、その神父さんは本物だなあ、と以来、尊敬し、生涯の恩師となりました。私が洗礼を受けた頃の神父様です。私の激しい言葉に本気で対応してくださり涙を流して私を大事に取り扱ってくださった、その場面は生涯の宝物です。暫くこの邪眼と慈眼について思索していきます。私は邪眼、その神父様の眼差しは慈眼でした。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:213>
自分の生き甲斐を探究されている方々へ:
テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。是非、併読いただければ勉強になります。
いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:213>
自分の生き甲斐を探究されている方々へ:
テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。是非、併読いただければ勉強になります。
いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング