生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

平安感とは?:熊野三山で感じた平安感:その2:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
霊地と呼ばれている場所は世界各地に散在し、いづれも不思議な事に石が、そこに存在しています。石の形状は民族により違いますが、その理由はどんな形状に神秘性を感じるか、その民族により相当違いますが、共通は「石」です。何故、石に興味があるのか、その理由は学者が研究していますが、やはり比較宗教学の方程式:A=B(X+Y) を知らないと中々、結論が出ないようです。Aは、生きている人間である自分のこと、Bは臨終とともに身体から離脱していく知的生命体である魂のこと、Xはその人の生育史、つまり赤ちゃんから今日までの人生の記録(セルフイメージ)のこと,Yは生物学的医学的身体のこと、この方程式のBが神秘性を大脳に与えているというのが私の採用している解釈です。神秘性を感じるものの、その表現方法はXとYが決めていきます。アフリカの青年、インドの青年、モンゴロイドの私、その表現方法は民族が決めていきます。インド神話、アフリカの神話、ケルトの神話、日本の神話、それぞれの民族の意識の領域で表現が違います。さて魂とは何か、つまり上の方程式でいうBとは何か、という問題は、皆様がお好きなように勉強して下さい。但し、死ぬまで結論が出ないのが普通なので、それよりも比較宗教学の視点、つまり、「信じて見えてくるもの、信じた為に見えなくなるもの」という宗教心理学を勉強すると思わぬ物が短期間の努力で、見えてきますし、実際に生きていく上での「平安感」が簡単に手に入ります。疑う心は学問の大前提で、この疑いの心が無ければ学問は成立しません。しかし、自分の日常生活では疑いの心は捨てて、赤ちゃんのような単純な心で生きていかないと、死ぬまで不安感に苛まれます。仕事上の疑いの心と私生活の疑いの心を使い分けられない人は生涯、不幸です。さてこの方程式を意識して、世界の聖地に立つ場合と、そうでない場合、見えてくるもの、感じるものの、解釈が違ってきます。折角、お金と時間をかけて旅をしているので、聖地に立ち、見えてきたものが明日の自分を幸福にしていかないと意味がありません。旅をして不幸になるくらいなら、旅をしないほうがいいのです。人は幸福を求めて旅をします。お伊勢参り、富士講、熊野古道、近くの神社仏閣への参拝、出雲、高野山、比叡山、世界遺産登録の際はその認可条件としての古代信仰の形状が大きな必要条件になつているのも、この方程式が深く関係しています。明日ももう少し深く思索していきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:151>

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