憧れの熊野三山、この現場に立った時、恩師の言葉をふと思い出しました。世界には霊地といわれている場所が沢山ありますが、その古代からの霊地に立った時は、どんな小さな感情や思いもノートに書くべし、という恩師の言葉でした。今回の熊野の旅は、親しい人々と旅をしていたのですが、密かにノートに記録しました。ヒマになりましたら、色々と研究材料にするつもりです。さて、イギリスの大学の研究室でも、霊地に旅をしまして、後日、こういった旅先での互いの記録を研究室で互いに笑い合いながら発表させられるのですが、この発表会は最初の頃は見栄もありプライドもあるので、正直には中々いえません。と言いますのは、自分の心の中での自問自答の内容の程度に、そんな自信がないものですから、発表出来ないのです。ですから一応、気取って、表の顔で語りますので、ちっとも面白くもなく、勉強になりませんでしたが、その内にアイルランド、南部イギリス等の古代遺跡に行く頃には、もう気取る事もなく、どんな小さな感情でも発表しあえるように信頼関係がうまれてきていましたので、何でも気取りの無い言葉として飛び出してきました。その会があまりにも楽しいので、他の研究室の教授も録音機持参で参加するようになりました。アフリカの青年、モンゴロイドの代表の私、南米、インドの青年、それぞれが語るさりげない言葉に感動する教授もいました。比較文化論、比較宗教学の世界的な大家である先生方(当時の私は、そんなに有名な教授とはしりませんでした)が涙をだして感動しているのですが、その理由を私は理解することが出来ませんでした。例えば私は20代前半でしたが、あまり経験が無かったので、ストーンサークルに立ち、冬至の太陽が沈む風景について「高校時代に母が40代で死にました。この沈む太陽を見たら、日本書紀のイザナミが黄泉の国で腐敗している姿をイザナキに見られて哀しむ」話をして私の母もひょっとしてイザナミと同じ姿をしているのではないか、と話をしたのです。沈黙の後、隣の研究室の教授が涙を流して「いや、そんな事はない、お母さんは天国で今、とても幸せに生きているよ」と言うのですが、インドの青年、アフリカの青年は反論し、それぞれの国での死後の世界の話をするので、益々、会が盛り上がり、その会話の内容を盛んに色々の教授が録音している姿がとても印象的でした。この会話の意味について明日語ります。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:150>
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