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風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ベルナルト・ハイティンク Bernard Haitink | 4 March 1929 - 21 October 2021

2021-10-22 22:55:42 | クラシック音楽


©BERNARD HAITINK IN 2018 (PHOTO: MILAGRO ELSTAK)


たったいまtwitterで、ハイティンクが21日にロンドンのご自宅で亡くなったことを知りました。

私が今のようにクラシック音楽を聴くようになったきっかけは、2008年のロンドンのプロムスでハイティンク指揮のシカゴ交響楽団の演奏に出会ったからでした。
あの夜あれほど感動していなかったら、クラシック音楽を聴き続けることもなく、その美しさも楽しさも知ることはなく、クラシック音楽から人生の励ましをもらえることもなかったと断言できます。
あれから川崎と東京でロンドン交響楽団との来日公演、アムステルダムでコンセルトヘボウ管弦楽団との公演も聴くことができたことは本当に幸せでした。ハイティンクが生み出す音楽が大好きでした。それらの音は、今も消えることなく私の耳に残っています。
他に代わりのいない、私にとって特別な指揮者でした。
今はまだ言葉がありませんが、ご冥福をお祈りします。


【追記】

※ハイティンクは今月もウィグモアホールで行われたコンセルトヘボウの奏者達が演奏する演奏会を訪れて、奏者達を驚かせていたそうです(slipped disc)。これが事実なら、最後の最後までお元気で演奏会に通うことができていたことは、よかったなと思います。また引退後の生活についてハイティンクはセミョーン・ビシュコフに宛ててこんな風に書いていたそうです。'My own empty days since I stopped conducting seem to fill up surprisingly easily, there is always something to read or hear. I am indulging my passion for Beethoven quartets at the moment, the scores of late ones seem as complicated as Mahler 7 to me sometimes.The more I look at these things, the more I realise that I don't know anything.' (slipped discハイティンクはスコアを読むことが大好きだと昔から仰っていましたものね。

こちらはロンドン響による追悼文です。ラトルが心のこもった長いコメントを寄せています。ラトルは最初はピアニストとしてハイティンクと出会っていたんですね。1975年というとラトルは20歳前後。二人は仲が良かったから、寂しいだろうな…。"I found him warm and encouraging from the first moment on, and although I tried not to bother him, if I needed advice or was in a crisis, he was always there, generous with time, wisdom and empathy. I owe him more than I can put into words: he was a famously difficult man to thank or congratulate, the lack of fuss once more. But I think, however unwillingly, he must have sensed the love and gratitude around him."。ラトルはベルリンフィルで苦しんでいた時もハイティンクに相談にのってもらっていたのだろうと想像する。ロンドン響に移るときもそうだったと言っていた。ハイティンクが騒々しい感謝や祝福を受けるのが苦手な人だったというのは、数々のインタビューからわかります。ウィーンフィルとの長い付き合いにも関わらずニューイヤーコンサートを一度も指揮しなかったのも、似た理由だったのではないかなと私は想像しています(指揮者が主役のようになる場が嫌だったのだろうと)。ラトルは"a giant full of humility"と表現していますが、常に音楽の下に自分を置くハイティンクのこの美質をラトルがこよなく愛していたことがわかる(そしてラトルもそういう音楽家だとツィメルマンがインタビューで言っていました)。
コメントではハイティンクの音楽作りの素晴らしさについても話されています(これもラトルは昔から繰り返し話してくれていました)。"Without fuss, and utterly without drawing attention to himself, he created a place where everyone could give their best, and normal problems of ensemble or balance simply vanished. "。第二ヴァイオリンのDavid Albermanさんは"The result was apparently effortless but powerfully moving music, and a strong feeling that he enjoyed making us into the best musicians we could be. We enjoyed it too!"と仰っています。
”the world seems a smaller and less generous place this morning.”。ラトルが感じている喪失感とは比べ物にならないと思いますが、私も同じ気持ちです…。

こちらは、ベルリンフィルからの追悼文です。
“For us as the Berliner Philharmoniker, Bernard Haitink was more than a highly esteemed conductor – he was a friend and companion through many decades of making music together,” recall Knut Weber and Stefan Dohr, orchestra board members of the Berliner Philharmoniker. “When he made his Philharmoniker debut in March 1964, he was just 35 years old and at the beginning of a global career. In the decades that followed, Bernard Haitink was a constant in our lives. He always impressed and inspired us with his qualities – his great craftsmanship, his perfect knowledge of the score, his warm, noble bearing. In his approach to music-making, the free flow of the music was always his ideal. We are very grateful that we were able to perform Anton Bruckner’s Seventh Symphony with him one last time in May 2019. We are deeply saddened by the loss of a great conductor and close friend.”
「ベルリンフィルにとってハイティンクは、高く評価されている指揮者という以上の存在でした。彼は数十年の間共に音楽を作ってきた友であり、仲間でした」と。そして"The mutual admiration between orchestra and conductor was obvious."と。ベルリンフィルとの結びつきは強く、ハイティンクもこの楽団を愛し、奏者達からも深く愛された指揮者でした。
ベルリンフィルを最後に指揮したのは2019年5月のブルックナーの7番。ウィーンフィルとの最後のコンサートも、オランダ放送フィルとの最後のアムステルダムでのコンサートもブルックナー7番でした。私もロンドン響との同曲の演奏を川崎で聴きましたが、忘れられない演奏です。
ベルリンフィルはハイティンクを"Specialist in Brahms, Bruckner and Mahler"だったと。あの最後の日本ツアーはその3人の曲をもってきてくださったのだな…(ご本人も最後のおつもりだったことは当時のインタビューからわかります)。

※コンセルトヘボウ管からの追悼映像。
Bernard Haitink | 4 March 1929 - 21 October 2021

2018年12月16日のブルックナー6番の演奏。コンセルトヘボウ管を最後に指揮したのは、2019年1月だったとのこと。
こちらはコンセルトヘボウ管からの追悼文です。

※コンセルトヘボウホールというか管理部門?からの追悼映像。
In memoriam Bernard Haitink (1929-2021)

手から指揮棒が落ちる最後の映像は、1987年12月のクリスマスマチネのマーラー9番のときのものですね。大好きな演奏ですが、このときには既にコンセルトヘボウとハイティンクの間の溝は決定的なものになっていたと聞く…。その後もハイティンクとコンセルトヘボウは愛憎入り混じる関係が続いたけれど、ハイティンクが指揮するコンセルトヘボウ管が生み出す音は比類ない唯一無二の音だったと思います。ガッティ騒動のときにウィーンフィルの指揮をキャンセルしてまでこの楽団を助けてあげていたのは本当に面倒見のいい人なのだなあと感じたし、彼にとってやはり特別な楽団だったのだろうと思う(そもそも奏者達とではなく経営陣との間の溝だったようですが…)。

こちらは、シカゴ響からの追悼文です。
CSOとのショスタコーヴィチ4番が2008年のグラミー賞を受賞していたことは知りませんでした。私が2008年のプロムスで聴いたときのメインプロがこの曲でした(前半はペライアとのモーツァルトP協24番)。あれから13年か…。

※カヴァコスのinstagramより。ルツェルンでのウィーンフィルとの最後の演奏会、カヴァコスも客席に?いたんですね。愛情溢れる追悼文です…。



ネットで拾ったハイティンク関連記事
以前私が作った記事です。ハイティンクの過去のインタビューを纏めてありますので、ご興味のある方はぜひ。ハイティンクの人柄や音楽に対する想いを感じることができます。



初めてクラシック音楽の素晴らしさを知った2008年9月9日のロイヤル・アルバート・ホール。あの夜のBBCのラジオ放送を録音したものは、今も繰り返し数え切れないほど聞いています。


カヴァコス・プロジェクト2021 ブラームス ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会 @東京オペラシティ(10月20日)

2021-10-22 04:26:46 | クラシック音楽




というわけで、東京芸術劇場でのヴァイオリン協奏曲に続き、東京オペラシティでのブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会に行ってまいりました。今年のカヴァコスはブラームス尽くし
このカヴァコス・プロジェクト。昨年に第一弾としてベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会が予定されていましたが、コロナ禍で流れてしまいました。聴きたかった…。来年は第二弾としてバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会が紀尾井ホールで予定されているそうです。
今日のロビーはヴァイオリンケースを背負った男女や子供達で溢れていました。音大生さん?と初めは思ったけれど、N響などのプロの楽団の奏者さん達も多かったようです。以前行ったムローヴァのリサイタルはこうではなかったので、カヴァコスはマニアというか同業者に人気があるのでしょうか

【ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 op.78「雨の歌」】
あらためて。
カヴァコスの弾くブラームスの音が好きすぎる。。。。。。。。。。。
言葉で説明しにくいけれど、自己陶酔系や自己顕示系ではない真っ直ぐで誠実な、でもしっかり熱は帯びていてスケールの大きな、蔭も明るさもある温かで深みのある音。こういう音のブラームスがものすごく好み。
ただ、youtubeで聴いていたユジャ・ワンとの共演の第1番のカヴァコスの伸びやかな演奏が私はとても好きで、その音色は今日の演奏でも同じではあったのだけど、この第1番の段階ではまだピアノの萩原麻未さんとの距離がしっくりしていなかったというか、熱が温まりきっていなかったように感じられました。

【ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 op.100】
この2番からは、お二人の音がノってきたように感じました。
いやあ、いいねえカヴァコスの2番!!
印象的な1番と3番の間に挟まれた綺麗な佳作程度にしか思っていなかった2番だけど、今日の萩原さんとのお二人の演奏を生で聴いて、2番がこんな名曲だったとは!!と耳から鱗でした。
3曲の中ではブラームスの最も幸福な気分が反映されている平和で明朗なこの曲。もともと私はブラームスがその音楽の中で時々垣間見せる外見に似合わない愛らしさが大好きなんですが、三曲のうちでそれが一番感じられるのもこの2番。外見に似合わない愛らしさというとカヴァコスにも通じますよね(←失礼)。特にブロムさんと一緒のときのカヴァコスはとっても可愛い(見てこの写真!)
1楽章の伸びやかな美音。。。。。
2楽章のヴァイオリンとピアノの掛け合い、楽しかったなあ。雨の歌より雨の音っぽいこの2楽章、大好き。カヴァコスの音も情熱的なところはしっかり情熱的だし。素晴らしかったなあ。。。。。美しかったなあ。。。。。
3楽章も長調の中に時々あらわれる短調の音色の切なさが素晴らしい。カヴァコスは長調もちゃんと明るい音色なんですよね。でも深みもあって。
ああ、耳福だ。。。。。ありがとうカヴァコス、ありがとう萩原さん。

(20分間の休憩)

【ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 op.108】
この頃にはすっかりお二人の息も合って。萩原さんのピアノは主張は控えめだけどブラームスらしい飾らなさでパワーもちゃんとあり、私は嫌いじゃないです。カヴァコスの音の個性とも合っていたように思う。
一般的に、3曲の中ではこの3番が一番成熟した曲といわれているのではないでしょうか。私も名曲だと思う。
しかし2番の直後に作曲されたこの曲。幸福で明朗な2番から後年のブラームスらしい諦念を含んだ美しさへの移り変わりが、今日は聴いていてすごく切なかったな。季節が夏から秋へと移っていくような…。諦念と、そんな自分を鼓舞しようとする気持ちと…。
予習で聴いていたときはこれほどには感じなかったのだけど、こうして生で素晴らしい演奏で2番と3番を続けて聴くと、当時のブラームスの心の内が迫ってくるようで、胸が苦しくなりました。
2番と3番でブラームスの曲想がこれほど変化した理由として言われているのが、二曲の間に起きた親しい友人の死。
なんか自分に重ねてしまい、聴いていて辛かった。
後で気づきましたが、そういえば友人が亡くなるほんの四か月前に、すぐ近くの席でカヴァコスのヴァイオリンを聴いたのだった。
カヴァコスは現在53歳なので、ブラームスがこの曲を作曲したときと同年齢なんですね。

【ヴァイオリン・ソナタ イ短調 「F.A.E.ソナタ」 - 第3楽章 スケルツォ ハ短調 WoO 2(アンコール)】
このアンコールの演奏、もっのすごくカッコよかったですね!!!
私この曲を知らなくて、「誰の曲だろう。普通に考えたらブラームスよね。ブラームスぽい曲だし」と思いながら聴いていて、帰宅してから「F.A.Eソナタ」という1853年に作曲された曲だと知りました。以下、wikipediaより。
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F.A.E.ソナタ(Sonate F.A.E. [Frei aber einsam])は、1853年にドイツの作曲家であるロベルト・シューマンが友人アルベルト・ディートリヒとヨハネス・ブラームスとともに作曲したヴァイオリンソナタ。3人の共通の友人であるヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムに献呈された。1935年出版。曲名のF.A.E.とはヨアヒムのモットーである「自由だが孤独に」(Frei aber einsam)の頭文字をとったものである。ドイツ音名のF・A・Eはそれぞれイタリア音名のファ・ラ・ミに対応し、この音列が曲の重要なモチーフとなっている。
ちなみにブラームスは、ヨアヒムのモットーに対応する「自由だが楽しく」(Frei aber froh)をモットーとしており、この略に対応するF-As-Fの音列を交響曲第3番で用いている。
初演は1853年10月28日にシューマン邸で、ヨアヒムとクララ・シューマンによって行われたと推測されている。
現在では、ブラームス作曲のスケルツォがたまに演奏されるだけで、全曲演奏の機会はほとんどない。
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へ~
個性の強い音楽家達が一緒に一つの曲を作ることなんて可能なのだろうかと思ったら、第一楽章はディートリヒ、第二楽章と第四楽章はシューマン、第三楽章がブラームス作曲なんですね。
ブラームスが「自由だが楽しく」(Frei aber froh)をモットーとしていたとは意外でした。1953年というとブラームスがシューマン邸を初めて訪れた20歳のときですね。9月30日に出会って10月28日にはこの曲を初演してるって、、、天才か、、、。若いブラームスの気合の入りようが伝わってきて、微笑ましくなる曲ですね。アンコールでこの曲を聴けて、私も救われた気分になりました。人生って最後だけに意味があるのではなく、その人が生きた全ての時間の集合体なのだと改めて感じます。





カヴァコスのインスタより。絵文字可愛い
日本のホールと聴衆をそんなに愛してくださって嬉しいな


ギリシャ大使夫妻もいらしていたようです。

Leonidas Kavakos & Yuja Wang play Brahms - Scherzo from FAE Sonata

ユジャ・ワンとのF.A.E.ソナタ。
しかしこの録音はヴァイオリンの音が小さくしか拾われていなくてもったいないな。生で聴くとヴァイオリンの音がものすごくカッコイイのに。ユジャ・ワンのピアノはさすがですね。彼女、こういう曲が似合う。

何度も紹介していますが、アンサイクロペディアの「ヨハネス・ブラームス」の記事がめっちゃ秀逸なので冗談のわかる人は見て!