風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

芸術祭十月大歌舞伎 昼の部 @歌舞伎座(10月25日)

2013-10-26 23:54:00 | 歌舞伎




頭の中がすっかり500年前のイタリアな中、歌舞伎座千穐楽に昼夜通しで行ってまいりました。
一言。


凄かった。。。。。。。。。。。。。


もうそれしか言えない。
来年3月のオペラ座バレエを諦めて、このチケットを買ってよかった。。。。。
上司に仕事押しつけて無理矢理休みをふんだくってよかった。。。。。たとえクビになっても後悔しない。

吉右衛門さん、凄かった。。。。。。。。。

が。

仁左衛門さんも、凄かった。。。。。。。。

で。

こんなお二人の後じゃ今日は菊五郎さん大変だな・・・。
と心配したら。

菊五郎さんは、千穐楽などというイベントには左右されない自由なお人だった(笑)

三人三様、それぞれの個性を存分に見せてくださった千穐楽。
まずは昼の部の感想から。
1階5列中央。


【鳥居前】

菊ちゃんの義経さまは、今日も変わらず麗しゅうございました。
美しい役者の板付は「うわぁ~」という眩しさを味わえるので大好き。
しかし菊ちゃんは前回たっぷりと堪能させてもらったので、今回は菊ちゃん以外をじっくり堪能。

梅枝の静。
義経と離れたら死んじゃうウサギちゃんのような健気さで、いじらしかった。。。梅枝は、菊之助とも松緑とも亀三郎ともカップル的に相性よいですねぇ。『新薄雪』の勘九郎とはあまり相性よくは見えなかったのですが、意外に相手を選ばない女方さんなのですね。

松緑の狐忠信。
『陰陽師』に続き、私の荒事&立ち回りアレルギーを発動させない貴重なお人!!立ち回り、カッコよくて惚れ惚れしました。松緑の荒事、ほんと好き。

亀三郎の弁慶。
まさに『鳥居前』の、情けなくも可愛らしい弁慶そのものでした!よかった。

亀寿の笹目忠太。
ええと、声も仕草もせっかくノリノリなのに、目がとても真剣なのが少々残念でした^^; でもこういうのはこれから場数をこなして余裕を持てるものなんでしょうね。笑わせるポイントは上手だったと思います。

あと、四天王の歌昇(亀井六郎)が声も通っていてカッコよかった。

以上、まだ寒いなかに咲く早春の梅のごとく、若々しい華やかさを感じさせてくれた一幕でございました。
大満足♪


【渡海屋/大物浦】

『渡海屋』で今回特に感動したのは、知盛の花道の最後の引っ込み。戦に臨む高揚と、義経へ恨みを晴らせる喜びと、緊張感と――。これは、吉右衛門さん以外の役者さんが思いつきません。

しかし、先日と比べ段違いの迫力だったのが、『大物浦』。
10日の知盛だって十二分にすごかったのに、千穐楽の知盛は桁違いでした。
正直他の日とこれほど差があるってどうなんかい?と観終わった後ちょっと思ってしまいましたが、今回の舞台を観ていなければ先日の舞台でもすごく大きな感動をいただいたので、五月蠅いことは申しませぬ。
神がかってるとか知盛が憑依してるとかいうレベルじゃなく、知盛そのものでした。
もし昨夜吉右衛門さんが亡くなりましたと言われても、全然不思議に思いませぬ(縁起でもないと怒らないでくださいね。知盛が海に身を投げた後、生きている吉右衛門さんが想像できなくなってしまったのです。あの知盛を観た方ならわかっていただけるはず)。
とくに「果報はいみじく」以降は、吉右衛門さんもう長生きするつもりないんじゃ…?と疑ってしまった。それぐらいの迫力でした。

芝雀さんも、10日から随分演じ方が変わっていて、驚きました。
先日はしっとり泣かせる芝居だったけれど、千穐楽は熱くて、力強くて、大きかった。
どちらも素晴らしかったですが、もう一人の主役ともいえる迫力はやはり今回の方でしょうか。
泣いた。。。

梅玉さんの義経がまた、もうねぇ。。。
最後の花道で義経が一瞬立ち止まってそっと目を閉じるところ、その意味するところの深さに、もう涙も息もとまって、胸がいっぱいになりました。空気が哀しくて、濃くて、なのに不思議に清らかで――。

そして、なにより。
これほど何から何まで物凄くなってしまった舞台の最後の最後を一身に引き受けた歌六さんのプレッシャーこそ、半端なかったと思いますよ。
それを見守る私のプレッシャーも半端なかったですが・・^^; ラストが近付くにつれ、歌六さんへの同情が増すばかりでした。
しかし、やってくれました歌六さん!
憎しみも哀しみもすべてを浄化してくれる、それは懐の深い清らかな音で〆てくださいました。
弁慶のたっぷりな雰囲気も、あいかわらずご立派!
もう本当にこの〆に至るまで、『渡海屋/大物浦』は義経千本桜の中の名作中の名作でございますね。。。


さて、千穐楽の舞台を観終わって、この物語について自分なりに考えをまとめてみました。
以下は、その覚書のようなものです。

筋書きで吉右衛門さんは「(知盛は)義経への恨みを晴らして自分も果てようと計画していたのでしょう。性根はひとつ。男らしくひたすら安徳帝にお仕えしている」と仰っています。たしかに吉右衛門さんの知盛には、義経への恨みを晴らすためだけに生き延びてきたような、そんな雰囲気がありました。
しかし義経を討っても運よく(?)死ななかった場合は、知盛はどのような人生を送ったのでしょう。
安徳帝もいるわけですから、まさか自害するようなことはないはず。
彼が典侍の局に言う台詞に「(知盛が生きて義経を討ったと噂になれば)知盛また重ねて頼朝に仇も報はれず(吉右衛門さんは「為せず」、だったかな)」というのがありますよね。
この言葉を素直に読むと、知盛はいずれ頼朝へも復讐するつもりだったということになります(義経は戦闘のリーダーだっただけど、源氏のラスボスは頼朝ですしね)。その暁には安徳帝を立てて平家復興なんて夢も少しは持っていたかも…とそんなことを想像するのも楽しいですが、おそらくこの物語ではそこまで考えるべきではないのでしょう。
知盛は本来壇ノ浦(作品では屋島)で死ぬべきだったのに、それを生き残ってしまった幽霊のような存在なのだと思います(知盛の心情的にだけではなく、物語の中の位置づけとしても)。
ですから彼はやはり、この大物浦で死なねばならない。ここで浄化されることこそがこの物語の目的で、そのために作者は知盛を生き返らせたといってもいい、これはそういう性格の物語なのではないかなと、あれから一晩たった今、そう思います。千穐楽の吉右衛門さんの知盛は、そんな知盛でした。
そう思って観ると、前半の明るい銀平の場面も、ただ楽しいだけではなくなりますね。

知盛が出陣する前に「万が一のときは君にも見苦しからぬ最期を」と典侍の局に言い残すじゃないですか。あれを初めて聞いたとき、「安徳帝は知盛にとって何より敬うべき存在だけど、それでもやっぱり道連れなんだな」と感じました。
この時の知盛は、安徳帝の運命が平家と共にあることに、何の疑問も抱いていません。
まぁ実際問題、既に源氏の世で新天皇が即位している以上、知盛達がいなくなればこの幼帝は生きていけないわけですし、それに「平家の仇である源氏は、(清盛の孫の)安徳帝にとっても当然仇」と知盛は疑わなかったのだと思います。そういう意識の上に成り立っている、知盛の「ひたすら安徳帝にお仕え」なのでしょう。史実でも安徳帝は平家と運命を共にしていますしね。

結果として、義経への復讐は成らず、知盛は敗れました。
安徳帝を連れて死のうとした典侍の局からこの帝を救い出したのは、義経です。
義経は安徳帝を決して悪いようにはしないと約束しますが、知盛、「そんなのはお前が天恩を思ったからにすぎず、俺が恩に着るいわれはない」と跳ねつけ、まだ戦おうとします(そんな頑なな知盛がちょっと可愛い場面…。不謹慎ですみませんね^^;)。源氏への恨みは決して浅くはないのです。
そんな知盛の心を溶かしたのは、安徳帝自身の言葉。
「我を供奉し永々の介抱はそちが情け、今また我を助けしは義経が情けなれば、仇に思うな」
安徳帝も幼いながら辛い思いを沢山してきた子供ですが、人の心の良い面に目を向けることができる子供です。子供だからこそ、曇りのない目で世界を見ることができるのかもしれません。
ちょっと義経に似た透明さを感じます(義経の方に子供のような透明さがある、といった方が正しいかも)。
この言葉を聞いて先に心を決めるのは、典侍の局。
この部分、男性にはない女性の心の逞しさのようなものが感じられて、好きです。
頼朝に追われている身とはいえ義経もやはり源氏ですし、この先源氏の世に生きていく帝にとって自分の存在は為にならないと、自害します。
そんな幼帝と典侍の局に知盛の心の闇はついに消え、敵味方としてではなく義経に向かい合えるようになり、幼帝の供奉を頭を下げて頼み(ここの吉右衛門さん、ほんと泣けた・・・)、それをしっかりと引き受けた義経に安堵し、仲間の沈む海に身を投げます。

頼朝に追われている身でありながら、安徳帝の身を預かった義経の覚悟もまた、感慨深いですよね。
義経が安徳帝を連れて花道を去り、弁慶が法螺貝を吹くラスト。
やはりこの狂言は、『義経千本桜』。義経を中心に織りなされる物語なのですね。

曽我物の上演が曽我兄弟への鎮魂の意味があると何かで読んだことがありますが、この『渡海屋/大物浦』という狂言もまた、当時の庶民による知盛や平氏、そして幼くして亡くなった安徳帝への鎮魂の意味が込められているのかもしれないな、と感じました。
そもそもこの狂言が材料にしている『平家物語』自体が、そういう性格の物語ですものね。

この世界、好きですねぇ。。


【道行初音旅】

前幕がこれほどの盛り上がりだったので、『道行』は一体どうなってしまうのだろう、と思ったら。
菊五郎さんはやっぱり菊五郎さんでございました。
お見事なほどのマイペース
というより、心なしか全体的なウキウキ感が先日より減っておられたような^^; 團蔵さんに合流する場面の粋なノリノリ感が大好きだったのですが、今回は普通にスタスタ歩いてた、笑。
最初の上手への引っ込みとラストの花道への引っ込みも、最後の数歩は素に。一か月の間の公演の最後でお疲れだったのだと思います。。。

もっとも、継信討死の場面を再現する部分はとても見応えがありました。
静とともに継信の死を悼む切なさが出ていて、見入ってしまった。

一方の藤十郎さんは、先日よりお声も動きもお元気でした。
藤十郎さんのこのほんわぁ~~~な雰囲気も、貴重な個性ですよねぇ。
私は『先代萩』の政岡よりも、この『道行』の藤十郎さんの方が好きでございます。

團蔵さんは今日も安定のノリノリ。
菊五郎さんもスッポンからの出と花道の引っ込み(揚幕前以外)は今回も素晴らしく、最後にふわぁ~~~って笠を投げて團蔵さんがナイスキャッチするところは、客席を柔らかく楽しげな雰囲気でいっぱいにしてくださいました。
5月の『先代萩』→『吉田屋』にしても、9月の『新薄雪』→『吉原雀』にしても、今月の昼&夜の部にしても、最後にはちゃんと客を笑顔にして帰らせてくれる。歌舞伎のそんなところも、大好きです。


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※10月10日昼の部の感想

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