風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

芸術祭十月大歌舞伎 夜の部 @歌舞伎座(10月25日)

2013-10-27 21:16:31 | 歌舞伎




昼の部につづき、夜の部の鑑賞です。

※3階B席上手


【木の実/すし屋】

仁左衛門さんはいつでも全力演技で、細かな工夫はされても日による舞台の振幅というものは殆どない方ではありますが。
それでもこの千穐楽の舞台は、仁左衛門さんの内側から溢れ出る感情が洪水のように伝わってきて。。。呼吸も忘れるほど見入ってしまいました。。。とくに幕切れ、すごかった。。。
3階席から観ていると、仁左衛門さんの感情が劇場の隅々まで飲み込んでいく様がはっきりと見渡せて、迫力でございました。
また孝太郎さんもブログで書かれていますが、共演者の方々の特別な思い入れも感じられた、熱い舞台でした。

しかし仁左さま、足キレイだな。。。(←オイ)
仁左さまは細いご自分の脚がお嫌いだと何かで読んだことがありますが、綺麗な肉づきではないの。太ももが眩しいわ。
オペラグラスで観ていて、なんだか変態さんの気分になってしまった(ちがうもん!美しすぎるニザさまが悪いんだもん!)

それとあのお声!つくづく思いましたけど、私は仁左衛門さんのあのちょっと高い伸び伸びしたお声を聞いているだけで、幸せになれます。。。よかった、仁左さまDVDを買っておいて。。。ご休養の間は、これを観て仁左さまを補給するのだ。かえって欠乏症になりそうな気もするが。

一度だけ『すし屋』で右腕をじっと押さえられているときがあり、相当痛いのだろうな…と感じましたが、それがまったく不自然に見えないのはやはりさすがでした。それに仁左衛門さんご自身、お客さんには肩のことなど忘れて観てほしいと思っておられるでしょうから、私も忘れるようにしましたし、実際忘れさせてくれる素晴らしい舞台でした(最後、本当に忘れてしまってた)。

それと竹三郎さん。藤十郎さんもお元気ですが、竹三郎さんもほんとお元気ですね~。お若い~。81歳とは信じられません。お二人とも、いつまでも頑張っていただきたいです。


さて。
突然ですが私、自分なりにストーリーを咀嚼できないと基本感動できないタイプの面倒くさい客なのでございます。
「そういう運命だったんだ」とかそんなでも構わないので、とにかく自分なりの納得が必要なのです。
そんな私にとって、仁左衛門さんというのは本当に有難い役者さんです。
客が疑問に思うであろう部分を、仁左衛門さんはちゃんとわかってくれている。そして歌舞伎の一線と品を守りつつ、そのままでは共感しにくい物語を、共感できる落としどころにちゃんと導いてくれる(そこまでカットしなくてもよいのでは、と思うときもあるけれど^^;)。本当に、客に対して優しい役者さんだなと思います。
今回の『すし屋』でもそうでした。
文字だけでは今一つ納得できなかった部分が、仁左衛門さんの舞台を観て、ほぼすっきりと納得することできました。
絵姿のエピソードをすべてカットしていたところも、理解しやすいストーリーになっていて有難かった(絵姿のエピソードを無くして、改心のタイミングを調整されていますよね?)
というわけで、昼の部同様、自分用の覚え書きを、以下にまとめておこうと思います。そうしないと忘れるので^^;
事実に齟齬がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。
ご興味のない方はスルーしてくださっていいですよ。長いので!


権太は、子供のようなところがある大人なのですよね。
父親に認めてもらいたい、褒めてもらいたいと思えば思うほど、気を引くためにワルをしてしまう。
でもちょっと屈折しているだけで根っからの悪人では決してないので、奥さんや子供には愛情いっぱいです。
この辺りの仁左衛門さんの微妙な演技、ほんとうまいなぁと思います。
ワルの部分は凄みを効かせてきっちりワルを演じ(まぁガラの悪いこと、笑)、なのにその後の家族への愛情あふれる権太とも矛盾がない。ちゃんと同一人物になっている。仁左衛門さんのこういう洞察の深さ、『四谷怪談』でも感動したものでした。

小せんはそんな権太をちゃんと理解していて、いつかその勘当が解かれることを一緒に願ってくれている。
そういう台詞はありませんが、『木の実』の秀太郎さんからは、そんな小せんの想いがしっかりと伝わってきました。
そして母親に金をせびりに行く権太をうまく引き止めることができるしっかり女房なのに、花道のじゃれ合いでは少女のような可愛らしさで
この小せんも、昔は女郎をしていたということですから、決して幸せな人生を送ってきた女性ではないのですよね。
でも今は権太と善太と三人、幸せな家庭を築いていて――。
これほどの家族の幸福を権太が犠牲にするのが『すし屋』なわけですから、その展開を客に納得させるのは簡単ではありません。
でも仁左衛門さんは、それを鮮やかにやってのけてくださいました。

今日も今日とて母親のところにタカリにくる権太。
母親はなんだかんだいっても息子が可愛いので、騙されていることも半分承知でお金をあげます。
そこに弥左衛門が帰宅し、権太は奥に隠れながらその秘密(弥助は実は維盛で、重盛に恩ある弥左衛門が匿っていること。それを梶原が勘付いていること)を盗み聞きます。

次に権太が登場する場面は、梶原がやってくるという知らせに、維盛親子が上市の隠居所へ逃げた後。
実は権太は父親の命がけの秘密を聞き、「ここで性根を改めずば、いつ親父さんのご機嫌にあずかる時節もあるまい」と、これまでのワルを返上する決意をしていました。
権太は「あの一家を梶原に渡せば金になる!」と言って家を飛び出し、維盛親子を追いかけていきます。母親からもらったお金を路銀に使ってもらおうと思ったからですが、素直にそう言わなかったのは、慣れない善行を口にするのが照れくさかったのでしょう(このお金を維盛に渡したところで果して勘当が解けるのか?という疑問もありますが、彼がここで性根を改めようと思ったことが重要なのだと思います)。
しかし桶を開けてみると入っていたのは生首で、権太は父親の(偽首を維盛の首として差しだそうという)計画を察します。
首は弥左衛門によって惣髪(維盛卿の本来の髪型)に結い直されていましたが、梶原は維盛が下男として潜伏していることぐらいはお見通しだろうから、こんな首を差し出せばすぐに偽首だとばれるに決まっており、計画の失敗は明らかです。
そこで権太は、別の計画を思いつきました。
生首を下男らしく月代に剃り、それを維盛の首として梶原に差し出そうという計画です。そうすれば維盛を救うことができ、また父親の力になることもできるのです。
しかし、若葉の内侍と六代の君の代わりになる人がいません。途方に暮れていたところに、(おそらく、たまたま通りかかって権太から話を聞いた)小せんが「親御の勘当、故主への忠義(これは弥左衛門の重盛への忠義のこと?)、何を狼狽えることがある」と自分と善太を使えと言います。ここで、『木の実』で見せた「権太の気持ちを誰よりも理解している」小せんの姿が一気に効いてきますよ。泣ける……・。といっても権太の述懐ですけど。

ここで権太が小せんの提案を受け入れたのは、「自分が父親に勘当を解いてもらいたいから」などという理由ではもちろんなく、弥左衛門を窮地から救うためだったと思います。今権太が動かなければ、維盛だけでなく、何も知らずに計画を進めている弥左衛門の身が危険です。
「命がけで維盛を守ろうとしている」父親を守るために、権太もまた命をかけた(小せん&善太だけでなく、権太だって命がけの大芝居です。偽物とバレたら只では済まないでしょうから)。仁左衛門さんの言う「おいたわしや親父殿。~了見違いの危ない仕事」には、権太のそういう思いがはっきりと表われているように感じられました。
そんな権太の思いを、小せんは理解していた。
ここで疑問に思うのは「弥左衛門が重盛から受けた恩というのは、それほど大きなものだったのか?」ということ。まぁそれほど大きなものだったわけですが(=命を助けてもらいました)、ここは弥左衛門の台詞がカットされているために却ってわかりにくくなっていますね。

そして縛った妻子を連れ帰宅し、梶原に「親父が匿っていた維盛卿を自分が討った」と差し出す権太。
梶原は生首を維盛の首だと認め、妻子についても本物だと認め、権太の働きへの褒美に弥左衛門の命は許してやろう、と言います。「親の命よりも褒美をくれ」と言う権太。あくまでも、金のためには親さえも売る「いがみの権太」を演じ通します。維盛の首の信憑性を高めるためです。

この花道の出から、再び花道で小せんと善太を見送るまで、仁左衛門さんの演技は本当に……もう……;;

そして父親に喜んでもらおうと真実を打ち明けようと振り返ったところで、父親に刺されてしまいます。
弥左衛門、「三千世界に子を殺す親というのは己ばかり」と涙を流します…。辛いのです…。弥左衛門だって本当は権太を愛しているのです…。可愛いのです…。そんな息子を手にかけなければならなかった苦しみ…。
ここの歌六さんがまた上手いのよぉ~~~~~;;(もうみんな上手くてどうしよう…。歌六さん、昼も夜もGJ!)
もうこの後の仁左衛門さんと歌六さんは涙なくしては観られない。。。。。

権太は本物の維盛親子を呼び出して、真実を語ります。
ですが、実は梶原はすべてお見通しだったということも判明します。
いま目の前で死んでゆこうとする息子に、嘆き悲しむ弥左衛門。
そんな家族の姿を見、また頼朝の思いも受け取って、維盛はついに迷い続けていた出家をする決意をします。
ここでお里と若葉の内侍の「私も一緒に!」の台詞を仁左衛門さんがカットしたのは、正しいと思います(7日には言っていたように思いますが、10日と千穐楽はありませんでした)。特にお里は今まさに実の兄が死のうとしているのに、「おい^^;!」と突っ込みたくなりますから(お里なら言いそうですけどね、笑)。
袈裟に着替え、出立する維盛。
家族に見守られ、息を引き取る権太。
幕、です。

ところで、梶原は一体どこまでお見通しだったのでしょうか。
17代目羽左衛門の芸談に「弥左衛門と権太から「維盛の首を討った」と言われたときにはハッとするのが約束事。実検の時は、腹の中で、偽首であることを祈るような気持ちで見、偽首と分ってほっとする」というのがあります。
梶原は「重盛に恩のある弥左衛門なら維盛を殺すことなく、(なんらかの方法で)偽首を用意するであろう」ということをわかっていたが、実際に偽首を見るまでは自信は持てなかった、というところでしょうか。
梶原は権太の改心まで見通していたかというと、それはあり得ないと思うのです。エスパーじゃあるまいし。それが歌舞伎だ、と言われてしまえばそれまでですが。
つまり権太の一連の行動は梶原の想定外だったけれど、結果的に梶原の理想どおりに権太は動いてくれた(完璧な首を用意してくれた)、そして梶原は無事任務を遂行することができた、ということではないでしょうか。
そういう流れでの権太の「梶原をはかったと思いしが、あっちが何も皆合点」になるではないかと。
ですが権太は結果的に梶原に利用されたけれど、それによって維盛家族を助けることには役立っています。梶原だって、“いかにも”な総髪の首を差し出されて「維盛の首である」とは言いにくかったでしょうし。
ですから、権太はやはり父親の役に立つことができたのだと思います。
しっかし話が入り組んでるというか、ややこしいですよねぇ(^_^;)。きっと江戸時代の客はストーリーがどうこうよりも、こういうややこしさを単純にワクワクと楽しんだのだろうと想像します。先日一階で前に座ったおじさんは、権太が間違えた桶を持っていったときに「あ!」と声を上げて反応していました。あれがきっとこの話の一番正しい楽しみ方笑。

さて、両手を胸の前で合わせる幕切れの場面、千穐楽の仁左衛門さんは、それはそれは素晴らしい表情をされておりました。
前にも書きましたが、ここの権太は苦しみの中から安らかな表情にふっと変わるのですよ。それからガックリと事切れるのです。
前回の記事で、この明るい表情は「ようやく父親に認めてもらえたから」ではないかと書きました。
ですが千穐楽の仁左衛門さんの表情を観て、それだけではないのかもしれない、と感じました。
なんといいますか、仏様を拝んだような透明感のある安らかな表情なのです。
昼の部の知盛とどこか共通したものを感じました。
辛く哀しい現世の苦しみから今解き放たれようとしている、そんな意味合いも含まれた表情なのではないかな、と。
仁左衛門さんが本の中で仰っていた「自分は決してこの世が最高とは思っていない」という言葉も思い出しました。
もちろん仁左衛門さんがそういうつもりで演じられていたかどうかは、全くわかりませんけれども。

しかし『義経千本桜』って、実はものすごく仏教的世界観に支配された狂言なのですね。因果応報、輪廻、諸行無常・・・。
何を今更と言われてしまうかもしれませんが、私がこの狂言を観たのは今回が初めてで(あ、『四の切』は一回ありますね)、今月は昼の部を2回、『木の実/すし屋』は3回観ましたが、千穐楽で昼夜通しで観るまではこの物語のそういう部分をあまり強くは感じなかったのです。
千穐楽の吉右衛門さんと仁左衛門さんの演技を昼夜通しで観て、はじめてそういう世界観を真に感じることができた気がします。


【川連法眼館】

で、これほどの深い余韻を残した『すし屋』の後での、キチュネ
菊五郎さんは夜の部でもやっぱり菊五郎さんで(ほんとほっとする、笑)、「さすが千穐楽は熱いわ~~~」という特別な熱気はございませんでしたが、びっくりしたのがキチュネが進化していたこと

すごいや、菊五郎さん!
7日に比べてすべてのケレンがスピーディーに可憐にパワーアップしておられました
もっとも千穐楽の舞台だけを観た方は、そう思ってはくださらなかったようですけれど・・・。帰りの駅でオバさま方が「千穐楽なのにやる気が感じられなかったわね~」「もうちょっと沢山回転してほしいわよね~」と不満そうに話しておられました・・・。私は7日の舞台でも「やる気がない」とは全く感じませんでしたけどねぇ。。
とにかく私は千穐楽、感動いたしましたよ。
71歳の菊五郎さんがひと月間でこんなにパワーアップするなんて、一体どれほど頑張られたことでしょう。
そして無事にお怪我なく千穐楽まで務め上げられたこと、素晴らしいことだと思います。

鼓に向ける切ない情も、前回よりもぐんとアップ
もっと感じたいという欲求もなくはないのですけれど、この程よさが「菊五郎さんの狐」なのだろうな、と思います。押しつけがましくない、内から滲む情、といいますか。やっぱり好きだなぁ、この狐。
一日の最後が菊五郎さんの狐でよかった。
ふんわり明るい気分で歌舞伎座を後にすることができました。
菊五郎さんの狐忠信、もう観られないのかなぁ・・・という寂しい気持ちもありますが、菊五郎さんにはこれからももっともっと色んなお芝居を見せていただきたいので、狐忠信でお怪我をしていただきたくはありませんから、そういう意味ではやっぱりこれが最後でいいのかも・・・とも思います。
でも『道行』の狐忠信はまだまだ見せてくださいね、菊五郎さん!!


以上、歌舞伎座新開場杮落としの芸術祭十月大歌舞伎。
皆さま、本当に本当にお疲れさまでした。
まさに名作の名演、これ以上望むべくもないほどに味わわせていただきました。
大きな感動を心からありがとうございました!!

そして仁左衛門さん。しばしのお別れ、とてもとてもとても寂しいですが、ぜひしっかりと治療されて、ゆっくりと休養されて、お元気な姿で舞台に戻られるのを首をなが~~~~~くして待っております!!!

しかし、さすがに昼夜通し観劇は疲れました^^;
もう10年若くないとキツいわ・・・(菊之助より上、松緑より下、でございます・・・)。
たった一日通し観劇しただけでこれなのだから、この4月以降の吉右衛門さんのスケジュールを思い返すとぞっといたします・・・。
吉右衛門さん、本当にこの辺りでゆっくり休んでいただきたい・・・・・・。
このまま11月、12月も公演なんて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


※10月7、10日『木の実/すし屋』の感想

※10月7日『四の切』の感想

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