ヴァイオリン:サラ・ビトロック
ヴァイオリン:ドナルド・グラント
ヴィオラ:シモーネ・ファン・デア・ギーセン
チェロ:マリー・ビトロック
【6月10日】
弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 作品127
弦楽四重奏曲第7番 ヘ長調 作品59-1「ラズモフスキー第1番」
【6月12日】
弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 作品18-6
弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 作品135
弦楽四重奏曲第8番 ホ短調 作品59-2「ラズモフスキー第2番」
【6月14日】
弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 作品18-4
弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 作品74「ハープ」
弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 作品130「大フーガ付」
たまった感想のアップ、サクサクすすめます。サクサク。
エリアス弦楽四重奏団のベートヴェンサイクル、後半3公演に行ってきました。
なぜ行こうと思ったかというと、ハイティンクが引退後にビシュコフに宛てて'My own empty days since I stopped conducting seem to fill up surprisingly easily, there is always something to read or hear. I am indulging my passion for Beethoven quartets at the moment, the scores of late ones seem as complicated as Mahler 7 to me sometimes. The more I look at these things, the more I realise that I don't know anything.' (slipped disc)と言っていて、またバレンボイムも「作曲家には生涯を通じて手がける、日記とも呼ぶべきジャンルがあります。モーツァルトならピアノ協奏曲、シューベルトなら歌曲…。ベートーヴェンはピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲でしょう」と言っていたので、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を機会があればちゃんと聴いてみたいとずっと思っていたからでした。
今回はそのうちの半分を聴くことができました
今回のサイクルでは、各日1曲ずつ、第一ヴァイオリンのサラから曲についての説明が英語でありました。
ベートーヴェンの弦楽四重奏は私は全く聴き慣れていないので、とても参考になりました
たとえば第12番については、「ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は普遍的な曲も多くあるが、この曲はとても親密(intimate)で、私的(private)な曲」だと。
また第8番(ラズモフスキー2番)については、以下のように言っていました。
・とてもダークな曲
・スロウムーブメントは、暗闇の中の希望を表している
・私にとって特別なのは最終楽章。本来はホ短調で開始されるべきなのにハ長調で開始される。ベートーベンはこの頃自殺を考えていた。でも自殺しないと決めた。そんな彼の心境がこの曲の全ての音符に書かれている。最終楽章は単純な喜びではなく、より複雑な、逆境の中での喜びを表していると思う。
さて、サイクル後半の全8曲を聴いた感想としては、とても勢いよく瑞々しい演奏をするカルテットのように感じました。
4人の雰囲気もとても親密な感じで、見ていて気持ちがいい。
もちろん演奏の息もピッタリ。
8曲の演奏を短期間で聴くとその緊張感の連続のようなエネルギッシュな勢いが少々ワンパターン気味に感じられてきてしまったのも正直なところではあったけれど(ふっと息抜きしたくなったりもした)、一方で、その情熱的な勢いにベートーヴェンの曲がもつ今まで知らなかった面を気づかせてもらえたようにも感じたのでした。
たとえば13番ラストの大フーガ。ストラヴィンスキーが「絶対的に現代的な楽曲。永久に現代的な楽曲」と言った意味が、彼らの演奏を聴いているとよくわかった。本当にまるでストラヴィンスキーを聴いているようだった。ハイティンクが「The more I look at these things, the more I realise that I don't know anything.」と言っていた意味が、おこがましいけれど、ハイティンクの1000分の1くらいはわかったような気がしたり。
13番は今年の秋にハーゲン弦楽四重奏団でも聴ける予定なので、楽しみです
どう見ても紫に見える「青いバラ」。
当時この花が開発されたとき、「青いバラを作るのって本当に不可能なのだな」と実感したものでした笑。
この花の名前は「アプローズ(喝采)」、花言葉は「夢 かなう」だそうです。サントリーらしい素敵な名前ですね
小ホール(ブルーローズ)で公演があるときは、いつもこの花瓶が飾られているのかな。今まで気づかなかったけれど。
というか、サントリーホールの小ホール(ブルーローズ)があの場所にあること、実は今回初めて知りました。。。
ずっと「ブルーローズってどこにあるんだろ~?」と不思議に思っていたんです。
あんな目の前にあったとは。
あそこって、スポンサー関係者や招待客のためのドリンクサービスの部屋かと思ってた
たまりにたまった感想を、サクサクすすめたいと思います。サクサク。
今回は第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール優勝者トマシュ・リッテルのリサイタル「ピリオド楽器のショパン」。
【第1部 レクチャー(14:00~14:30)】
「ショパン全書簡」が提示する新しいショパン像
講師:関口時正(東京外国語大学 名誉教授)
【第2部 プレゼンテーション(14:30~15:00)】
「モダン楽器とピリオド楽器によるショパン演奏について」
話・ピアノ:川口 成彦
前半は、レクチャー&プレゼンテーション。
特に川口さんによるスタインウェイと1843年製プレイエルの実演を交えてのお話が、とても面白かったです。
以下、覚書(間違えていたらすみません)。
・エラールは現代のモダンピアノの元といえるピアノ。ショパンは「具合の悪いときにはエラールを弾く。調子のいいときはプレイエルを弾く。自分の音を出せるから」と言っている。エラールはどんなときも出来合いの音が出る。一方プレイエルは扱いが難しいけれど繊細なニュアンスが出て、自分の望んだ音が出せる、という意味。
・ワルシャワで過ごした青年期までのショパンの身近にあったのはウィーン式アクションのフォルテピアノだった。ウィーン式アクションは、ベートーヴェンやシューベルトが弾いていた楽器。エラールもプレイエルもイギリス式アクションだが、ショパンはパリに移住後もプレイエルを「ウィーンのピアノ」と呼び、プレイエルにより親しみを感じていたようだ。
・アクションは古典派の時代まではシングル・エスケープメントだったが、ショパンの時代からダブル・エスケープメントになった。エラールはダブル~という、キーを元の位置まで戻さなくても再度打弦できる発明をした。一方シングル~のプレイエルは、打鍵した鍵盤を元の位置まで上げなければ次の音を鳴らすことができない。プレイエルではラフマニノフなどは弾けない。
・プレイエルを弾くと、指とハンマーの距離が近く感じられ、ショパンの心もすごく近くに感じられる。
・当時はピッチの高さは決まっていなかった。今日のプレイエルは、ショパンが慣れ親しんでいたと思われる434にしてある。同じ曲でもモダンピアノよりも低い434で弾くと華やかな音楽ではなく、陰り、孤独な感じの曲に聴こえる。
・モダンピアノは「母音」の表現が得意で、プレイエルは「子音」の表現が得意だと思う。モダンピアノはダイナミックな音が広い会場の遠くまで届き、プレイエルは音は小さいが繊細なニュアンスが出せる。
※ここでモダンピアノとプレイエルで同じ曲を弾いてくださって、川口さんが仰っていることの意味が実感できました。そして川口さんの音が優しい。もっと聴きたい。
・現代のピアノがつるつるの綺麗な紙なら、プレイエルは雑味もある和紙。汚い音も出る。ショパンは「そういう(汚い)音はここぞという時のためにとっておくように」と弟子に言っている。つまり汚い音を否定していないということ。
・ペダルも、プレイエルはモダンピアノに比べて減衰が早い。音楽教育では響きの濁りは悪いものとされているが、濁りも時には重要。楽譜にはペダルを踏みっぱなしの指示があることがあり、(減衰の遅い)モダンピアノでは濁りすぎてしまうのでペダルを踏み直して弾くのが普通だが、プレイエルでは踏みっぱなしでもその良さのようなものがある。アンドラーシュ・シフはベートーヴェンのソナタで(モダンピアノで?)それをやっている。
・人間というのは複雑で、泣きながら笑ったり、大勢の人に囲まれていても孤独を感じたりする。演劇が好きだったショパンは、言葉を伝えるようにピアノを弾きたいと思っていたと思う。そういう複雑さをプレイエルは表現できる。
(休憩)
【第3部 リサイタル(15:15~17:00)】
*トマシュ・リッテルがピリオド楽器(1843年製プレイエル)で弾くリサイタル
ショパン:ノクターン へ長調 op.15-1
ショパン:ノクターン 変ロ短調 op.9-1
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 op.109
モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K.475
ショパン:24の前奏曲 op.28
シューベルト=リスト:影法師(「白鳥の歌」D957から)(アンコール)
ショパン:マズルカ ホ短調 op.41-1(アンコール)
どの曲も悪くなかったけれど、プレイエルというピアノの良さを強く感じたのは、やはりショパンの曲でした。
音の親密さがモダンピアノのそれとは大違いで、サロンの部屋で目の前でショパンが弾いているようだった。
ああショパンの曲ってこんな親密な曲なのだな、と。こんな風にショパンを聴いたのは初めてでした。でも親密なだけではなくて、情熱もちゃんと感じられて。
川口さんが仰っていた「子音の繊細さ」もよくわかった。
ピリオド楽器のショパン、また機会があったら是非聴きたいです。
と思ったら、来年3月に「The Real Chopin × 18世紀オーケストラ」なんていう素敵演奏会が…!これは聴きたい。
※川口成彦の「古楽というタイムマシンに乗って」(ontomo)
※フォルテピアノ奏者 川口成彦 特別インタビュー①、②、③
※小倉貴久子と巡るクラシックの旅 vol.2「ショパンの愛したピアノたち」
Recital fortepianowy | Tomasz Ritter
このうち今日のリサイタルで弾かれたのは、次の2曲。
15:11 Fryderyk Chopin - Nokturn F-dur op. 15 nr 1
22:20 Fryderyk Chopin - Nokturn b-moll op. 9 nr 1
たまっている演奏会&観劇感想をサクサクあげていこうと思っていたのに、なかなか進まず。
また直近から、新国ボエームの感想を。
プッチーニのオペラは、『トスカ』に続いて2回目。
『ラ・ボエーム』というと、私にとってはミュージカル『RENT』のもとのオペラ、という認識で、一度観てみたかったのです。
今回の公演、歌手、オケ、演出、全体としてとてもよかったです。
ミミ役のアレッサンドラ・マリアネッリとロドルフォ役のスティーヴン・コステロは、若い恋人達の瑞々しい感じがよく出ていて、一幕は彼らと一緒にときめいてしまいました。
ムゼッタ役のヴァレンティーナ・マストランジェロは、華やかでムゼッタそのもの!奔放で一途で男前で優しくて、惚れました。
マロチェッロ役の須藤慎吾さんは歌唱はとてもよかったのだけど、演技が少々オーバー気味に感じられてしまった けど2幕でムゼッタに陥落するところ、よかった〜!帽子を勢いよく放り投げる解放感、音楽とともに最高でした!
舞台美術(パスクアーレ・グロッシ)も、美しかったな~。
二幕のカルチェラタンの動く背景は歌舞伎の書割みたいで楽しかったし、三幕の雪の関所前も素敵だった(ワタシは雪の舞台美術が大好き)。各幕冒頭のセピア色の紗幕の使い方も印象的でした。
また個人的には、照明(笠原俊幸)に感銘を受けました。
単に時系列に沿うだけでなく、登場人物たちの心情や物語の状況に沿って繊細に変化していて、それがさりげないのに効果的で、思いのほか沁みました。三幕の夜明けの雪の場面の照明も美しかった。
でもやはり一番の主役はプッチーニの音楽!!
鳥の詞のところでは鳥が見えて、恋の高まりは登場人物達の心に強くシンクロしてしまいました。生で聴いて、その素晴らしさを実感。
前半の恋の高まりにシンクロできるか否かは重要ですよね。ここで一緒に高まることができないと、後半に感動できなくなってしまう。
大野さんの繊細で雄弁な音もブラボーでした。
また大野さんは以前聴いたトゥーランガリラでもそうでしたけど、色彩感をバランスよく美しく聴かせるのがお上手ですね。今回も美しい色が客席を満たしていました。
今回のラストはしっかり盛り上がりつつ劇的になりすぎないで静かな美しい余韻を残して終わったのも、よかったな(ロドルフォの叫びも、オケの演奏も)。
あの場面ってぐわ〜っとドラマチックに盛り上げすぎると昼ドラのようになってしまう気がするので、私は今回みたいな方が好きかも。
最後に建物の外に降る雪も印象的でした。最初の出会いから1年が過ぎて、次の冬が巡ってきたんですね・・・
【指揮】大野和士
【演出】粟國 淳
【美術】パスクアーレ・グロッシ
【衣裳】アレッサンドロ・チャンマルーギ
【照明】笠原俊幸
【舞台監督】髙橋尚史
【ミミ】アレッサンドラ・マリアネッリ
【ロドルフォ】スティーヴン・コステロ
【マルチェッロ】須藤慎吾
【ムゼッタ】ヴァレンティーナ・マストランジェロ
【ショナール】駒田敏章
【コッリーネ】フランチェスコ・レオーネ
【べノア】鹿野由之
【アルチンドロ】晴 雅彦
【パルピニョール】寺田宗永
【合唱指揮】三澤洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】TOKYO FM少年合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
『#ラ・ボエーム』7/2(日)公演のカーテンコールを動画でどうぞ!満席のお客様からの熱いブラボー、ありがとうございます✨
— 新国立劇場オペラ New National Theatre Tokyo - Opera (@nntt_opera) July 4, 2023
残る公演は明日7/5(水)14:00、7/8(土)14:00。千秋楽、そしてシーズン最終公演となる7/8は残席僅少です。
皆様のご来場をお待ちしております。 pic.twitter.com/lVq1RQr7O0
『#ラ・ボエーム』本公演完走✨来週は鑑賞教室のソリストにバトンタッチします!公演を楽しんでくださった皆様、ありがとうございました!そして来週末からは『ラ・ボエーム』映像配信でまたお会いしましょう♬♬ pic.twitter.com/iDX1cNBQpW
— 新国立劇場オペラ New National Theatre Tokyo - Opera (@nntt_opera) July 8, 2023
先日大喝采の中閉幕した「#ラ・ボエーム」をオンデマンドで有料配信いたします🙌
— 新国立劇場オペラ New National Theatre Tokyo - Opera (@nntt_opera) July 13, 2023
映像では歌手の表情や舞台セットの細部までご覧いただけるのも大きな魅力の一つ。美しくも儚いラブストーリーを、じっくりと配信でご鑑賞ください✨
📅7月16日10時~8月12日22時
🎫1,980円(税込)
日本語/英語字幕付
大野:
プッチーニという作曲家を考える時に、ある一人の作曲家といつも比べてしまうんです。
プッチーニは1858年に生まれているんですが、その2年後の1860年に誰が生まれたかというと、グスタフ・マーラーなんです。
マーラーの1880年代から1900年初頭までの諸作品というと交響曲の1番から5番ぐらいまでなのですが、プッチーニの『マノン・レスコー』から『蝶々夫人』までのオペラ作品と、ほぼ同時期に作曲されています。
その最初に放った成果は偉大なもので、その中に『ラ・ボエーム』というのが入っているわけです 。
そこで私がいつも思うのは、二人とも改革者であったということです。マーラーはワーグナー以降の調性をもっと広げていったり、管弦楽法も発達させていった。一方、オペラ作曲家としてのプッチーニは登場人物全員をあたかも主役のように書き続けた人です。
例えば『蝶々夫人』を見ても蝶々夫人、ピンカートン、スズキ、それからシャープレスも、出てくる4人の中で、この人はなんとなく付け足しだなというような人はいないんですね。登場人物のパーソナリティが非常に強いという作風でした。それまでのオペラ作曲家は時代の制約もあったかもしれませんが、王宮や神話をテーマにすることが多かった。そして2人の恋人が主役ならばそれ以外の人々は廷臣たち、といった役割が多かったんですが、その意味で『ラ・ボエーム』はなんといってもミミ、ムゼッタ、ロドルフォ、マルチェッロ、コッリーネ、ショナールという個性がある。・・・それは合唱を含めてですが、それぞれに力を発揮させるという意味でのオペラの登場人物の性格の改革を行った。それが一番よく見えるのがこの『ラ・ボエーム』ではないかと思います。
【質問】第1幕でロドルフォが「冷たき手を」を歌ってたった1曲でミミは"落ちて"しまうわけですが、ミミはロドルフォのどこに惹かれたのでしょう?
大野:
Che gelida manina!
Se la lasci riscaldar...
「手を温めましょう」と言って歌い始める冒頭も素敵なんですが、彼は詩人の卵ですから、そのうち興が乗ってきて
Chi son?
「私は誰でしょう」
とミミの前で歌います。ミミはお針子で、寒い中気を失いかけて彼のところに来るわけですが、そこで静かに聞いていると彼が大きな声で
Chi son?
Sono un poeta.
Che cosa faccio? Scrivo.
E come vivo? Vivo.
「私は誰でしょう」「私は詩人です。そして生きているんです(Vivo.)」って言うんですね。初めて息を深く吸ってびっくりしながらも、自分の中に凄烈な息を吸い込んだミミの姿が浮かんでくるように思います。
・・・
大野:
私が強調したいのは、プッチーニの作曲技法が巧みなところですが、とにかく1幕から2幕にかけての盛り上がり方。2幕には大きな合唱が入って、児童合唱も入ってきます。
その盛り上がりのカーブたるや、急カーブで最後の鼓笛隊のところまで一挙にいってしまうんですね。そして3幕と4幕は、それとは反対に、ミミの最後の息が消え去るまで、(1,2幕と)同じ時間で降りていくんですね。体感としてテンポは遅いんですが、時間軸から見るとこの盛り上がりと悲劇的な段階が同じぐらいの時間の中で収まっているというのがプッチーニの天才的な筆、そして創造力だと思います。
(大野監督6/30プレトーク)
今ならもっとうまく愛せたかも知れない、そのように思い返す恋もあるでしょうか。
美化しきれないもの、それを後悔として持ち続けることも、また一つ、愛のかたちなのかも知れません。
(山本まりこ【開幕】新国立劇場「ラ・ボエーム」 凛としたモダンなヒロイン像に共感 愛に満ちた永遠の別れに涙 @美術展ナビ)
この作品に魅かれる理由はまさにこういうところかもしれないなぁ。
若くて、うまく生きられなくて、社会の現実に直面して、でも精一杯愛して・・・。そして生き残った者達は成長し、この先の人生を生きていく。
今回ボエームを観て、ミュージカル『RENT』もより好きになれた気がします。『RENT』のミミはオペラと違って最後に生き返るけれど、当然だけど彼女は快癒しているわけではないんですよね。HIVはあの頃は不治の病だったのだから。彼女に残された時間は長くはない。それは皆がわかってる。それでも”今この瞬間”、彼女は生きている。そして歌われるNo day but today。ボエームもレントも、どちらも素敵。
新国立劇場オペラ「ラ・ボエーム」ダイジェスト映像 La Bohème-NNTT
2020年公演の映像ですね。