風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ラ・ボエーム @新国立劇場(7月2日)

2023-07-09 11:36:08 | クラシック音楽




たまっている演奏会&観劇感想をサクサクあげていこうと思っていたのに、なかなか進まず。
また直近から、新国ボエームの感想を。

プッチーニのオペラは、『トスカ』に続いて2回目。
『ラ・ボエーム』というと、私にとってはミュージカル『RENT』のもとのオペラ、という認識で、一度観てみたかったのです。
今回の公演、歌手、オケ、演出、全体としてとてもよかったです。

ミミ役のアレッサンドラ・マリアネッリとロドルフォ役のスティーヴン・コステロは、若い恋人達の瑞々しい感じがよく出ていて、一幕は彼らと一緒にときめいてしまいました。
ムゼッタ役のヴァレンティーナ・マストランジェロは、華やかでムゼッタそのもの!奔放で一途で男前で優しくて、惚れました。
マロチェッロ役の須藤慎吾さんは歌唱はとてもよかったのだけど、演技が少々オーバー気味に感じられてしまった けど2幕でムゼッタに陥落するところ、よかった〜!帽子を勢いよく放り投げる解放感、音楽とともに最高でした!

舞台美術(パスクアーレ・グロッシ)も、美しかったな~。
二幕のカルチェラタンの動く背景は歌舞伎の書割みたいで楽しかったし、三幕の雪の関所前も素敵だった(ワタシは雪の舞台美術が大好き)。各幕冒頭のセピア色の紗幕の使い方も印象的でした。

また個人的には、照明(笠原俊幸)に感銘を受けました。
単に時系列に沿うだけでなく、登場人物たちの心情や物語の状況に沿って繊細に変化していて、それがさりげないのに効果的で、思いのほか沁みました。三幕の夜明けの雪の場面の照明も美しかった。

でもやはり一番の主役はプッチーニの音楽!!
鳥の詞のところでは鳥が見えて、恋の高まりは登場人物達の心に強くシンクロしてしまいました。生で聴いて、その素晴らしさを実感。
前半の恋の高まりにシンクロできるか否かは重要ですよね。ここで一緒に高まることができないと、後半に感動できなくなってしまう。
大野さんの繊細で雄弁な音もブラボーでした。
また大野さんは以前聴いたトゥーランガリラでもそうでしたけど、色彩感をバランスよく美しく聴かせるのがお上手ですね。今回も美しい色が客席を満たしていました。

今回のラストはしっかり盛り上がりつつ劇的になりすぎないで静かな美しい余韻を残して終わったのも、よかったな(ロドルフォの叫びも、オケの演奏も)。
あの場面ってぐわ〜っとドラマチックに盛り上げすぎると昼ドラのようになってしまう気がするので、私は今回みたいな方が好きかも。
最後に建物の外に降る雪も印象的でした。最初の出会いから1年が過ぎて、次の冬が巡ってきたんですね・・・


【指揮】大野和士
【演出】粟國 淳
【美術】パスクアーレ・グロッシ
【衣裳】アレッサンドロ・チャンマルーギ
【照明】笠原俊幸
【舞台監督】髙橋尚史

【ミミ】アレッサンドラ・マリアネッリ
【ロドルフォ】スティーヴン・コステロ
【マルチェッロ】須藤慎吾
【ムゼッタ】ヴァレンティーナ・マストランジェロ
【ショナール】駒田敏章
【コッリーネ】フランチェスコ・レオーネ
【べノア】鹿野由之
【アルチンドロ】晴 雅彦
【パルピニョール】寺田宗永
【合唱指揮】三澤洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】TOKYO FM少年合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団



大野:
プッチーニという作曲家を考える時に、ある一人の作曲家といつも比べてしまうんです。

プッチーニは1858年に生まれているんですが、その2年後の1860年に誰が生まれたかというと、グスタフ・マーラーなんです。

マーラーの1880年代から1900年初頭までの諸作品というと交響曲の1番から5番ぐらいまでなのですが、プッチーニの『マノン・レスコー』から『蝶々夫人』までのオペラ作品と、ほぼ同時期に作曲されています。

その最初に放った成果は偉大なもので、その中に『ラ・ボエーム』というのが入っているわけです 。

そこで私がいつも思うのは、二人とも改革者であったということです。マーラーはワーグナー以降の調性をもっと広げていったり、管弦楽法も発達させていった。一方、オペラ作曲家としてのプッチーニは登場人物全員をあたかも主役のように書き続けた人です。

例えば『蝶々夫人』を見ても蝶々夫人、ピンカートン、スズキ、それからシャープレスも、出てくる4人の中で、この人はなんとなく付け足しだなというような人はいないんですね。登場人物のパーソナリティが非常に強いという作風でした。それまでのオペラ作曲家は時代の制約もあったかもしれませんが、王宮や神話をテーマにすることが多かった。そして2人の恋人が主役ならばそれ以外の人々は廷臣たち、といった役割が多かったんですが、その意味で『ラ・ボエーム』はなんといってもミミ、ムゼッタ、ロドルフォ、マルチェッロ、コッリーネ、ショナールという個性がある。・・・それは合唱を含めてですが、それぞれに力を発揮させるという意味でのオペラの登場人物の性格の改革を行った。それが一番よく見えるのがこの『ラ・ボエーム』ではないかと思います。

【質問】第1幕でロドルフォが「冷たき手を」を歌ってたった1曲でミミは"落ちて"しまうわけですが、ミミはロドルフォのどこに惹かれたのでしょう?

大野:
Che gelida manina!
Se la lasci riscaldar...
「手を温めましょう」と言って歌い始める冒頭も素敵なんですが、彼は詩人の卵ですから、そのうち興が乗ってきて
Chi son?
「私は誰でしょう」
とミミの前で歌います。ミミはお針子で、寒い中気を失いかけて彼のところに来るわけですが、そこで静かに聞いていると彼が大きな声で

Chi son?
Sono un poeta.
Che cosa faccio? Scrivo.
E come vivo? Vivo.

「私は誰でしょう」「私は詩人です。そして生きているんです(Vivo.)」って言うんですね。初めて息を深く吸ってびっくりしながらも、自分の中に凄烈な息を吸い込んだミミの姿が浮かんでくるように思います。

・・・


大野:
私が強調したいのは、プッチーニの作曲技法が巧みなところですが、とにかく1幕から2幕にかけての盛り上がり方。2幕には大きな合唱が入って、児童合唱も入ってきます。
その盛り上がりのカーブたるや、急カーブで最後の鼓笛隊のところまで一挙にいってしまうんですね。そして3幕と4幕は、それとは反対に、ミミの最後の息が消え去るまで、(1,2幕と)同じ時間で降りていくんですね。体感としてテンポは遅いんですが、時間軸から見るとこの盛り上がりと悲劇的な段階が同じぐらいの時間の中で収まっているというのがプッチーニの天才的な筆、そして創造力だと思います。

大野監督6/30プレトーク


今ならもっとうまく愛せたかも知れない、そのように思い返す恋もあるでしょうか。

美化しきれないもの、それを後悔として持ち続けることも、また一つ、愛のかたちなのかも知れません。

山本まりこ【開幕】新国立劇場「ラ・ボエーム」 凛としたモダンなヒロイン像に共感 愛に満ちた永遠の別れに涙 @美術展ナビ

この作品に魅かれる理由はまさにこういうところかもしれないなぁ。
若くて、うまく生きられなくて、社会の現実に直面して、でも精一杯愛して・・・。そして生き残った者達は成長し、この先の人生を生きていく。
今回ボエームを観て、ミュージカル『RENT』もより好きになれた気がします。『RENT』のミミはオペラと違って最後に生き返るけれど、当然だけど彼女は快癒しているわけではないんですよね。HIVはあの頃は不治の病だったのだから。彼女に残された時間は長くはない。それは皆がわかってる。それでも”今この瞬間”、彼女は生きている。そして歌われるNo day but today。ボエームもレントも、どちらも素敵。

































新国立劇場オペラ「ラ・ボエーム」ダイジェスト映像 La Bohème-NNTT

2020年公演の映像ですね。

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