風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『河内山』『芝浜革財布』 @歌舞伎座(3月27日)

2022-03-29 13:17:55 | 歌舞伎



三月大歌舞伎の第二部、前楽の日に行ってきました。
楽しかった
先月のようなヒリヒリするような緊張感も素晴らしいけれど、今月のようなのんびりした空気の歌舞伎座も私は大好きだ。

【河内山】
今月9日~15日はご体調が悪く休演をされていた仁左衛門さん。
今日私が拝見した限りでは、お元気そうなご様子でほっとしました。2、3、4月と三か月連続で歌舞伎座出演ですものね…。本当に本当にお体お大事になさっていただきたい
吉右衛門さんの河内山を観たことがあって大好きだという人が今月は観に行く気持ちになれないと仰っていて、私は先月の知盛がそうだったので、その気持ちがよくわかるんです。それでも私は先月観に行ったし、観に行ってよかったと思っているけれど(私は仁左衛門さんも大好きなので)。
その点、今月の河内山は私は初めて観る演目だったので、まっさらな気持ちで観ることができてよかったです。
もちろん吉右衛門さんの河内山も観ておきたかったなとは心底思いましたが。
またこの演目の歌六さんや次の演目の東蔵さんを客席から見ながら、「吉右衛門さんはもういないのだなあ」とそんな風に感じもしましたが…(吉右衛門さんとご一緒の舞台を沢山拝見したので…)。

仁左衛門さんの河内山、いい
ワルいニザさま、相変わらず素敵 色気もあって(もちろん!)、軽みもちゃんと出てる。
そして仁左衛門さんの動作って、ほんっっっっとうに美しいですよね・・・。頭の先から指の先まで・・・。見とれてしまう。最初に拝見した時からずっと変わらない。
あとどれだけ仁左衛門さんのお芝居を観ることができるのだろうか・・・と寂しい気持ちになるけれど、人生は本当にわからない。仁左衛門さんの大ファンだった友人が、あんなに早く逝ってしまうなんて想像もしなかった。「仁左さんのお父さんは90歳まで生きたし、きっと仁左さんも!」という話を一緒にしたなあ。彼女が旅立って、今月で四年です。コロナ禍で上演が中止になった一昨年を除いて、あれからずっと3月は仁左衛門さんは歌舞伎座に出てくださっている。その舞台を観るたびに、私の何百倍も仁左衛門さんのことが大好きだった友人のことを思います。彼女も観たかったろう…と。

千之助くん(浪路)、最近女方で観る機会が多いけれど、女方に進むのだろうか。ほっそりしていて、女方、似合っているような気がする。孝太郎さんに習うことができるしそれもいいのでは、と思うけれど。でもそうなると仁左衛門さんの芸を継いでくれる人はどこに・・・・・・・・(この話もよく友人としたなあ・・・)

【芝浜革財布】
この演目も私は観るのが初めてでした。
いい話だなあ。。。。。。。落語がもとの演目って、本当にいい話が多い。

菊五郎さん(政五郎)、冒頭に真っ暗な中で聞こえてくる「っくしゅん!(クシャミ)」からもうニヤニヤしてしまう。こういう可笑しみって菊五郎さんならではですよね。夜明け前の空気のような、白々とした薄青い照明が綺麗だったなあ。時蔵さん(おたつ)とはもう本当に夫婦!夫婦以外の何物でもない!
夫婦っていいなあ……とすごく羨ましくなってしまった(突然深刻)。

今月眞秀くんが出ているのを知らなくて(歌舞伎好きの丁稚の役柄でした)、「あ、眞秀くんだ」と思ったら、お嬢吉三や弁天小僧の名台詞のオンパレードを聞かせてくれて、すごく楽しかったです。本人もとても楽しそうで、周りの菊五郎劇団の人達の眼差しも温かくて、ほっこり気分にさせてもらえました。
寺島しのぶさんが今月のブログに「それにしてもほぼ80歳の父。凄いです。愛らしいです。あんな働かないで日がな一日飲んだくれてる貧乏人なんですが、奥さんが愛想をつかさないで一緒にいる説得力がある。何だろう。プーさんみたい。眞秀が出演しているおかげで毎日見られる幸福感。長屋にひっそり住む人たちが皆んな素敵です。」(3月7日)と書かれていて。しのぶさんはお父さん(菊五郎さん)が本当に大好きだよね
また、眞秀くんのこんなエピソードも。

眞秀が寝る前に私も添い寝をして話をする。
今日は休演日。明日から6回で千秋楽です。
しのぶ:芝浜っていい話だよねー。お母さん、時蔵さんの役やりたいなー。奥さんが主役みたいな話じゃない?
眞秀:主役は時蔵さんでもヒーマでもないよ。革財布だよ

って。なんか、グッときた。

(3月22日)

眞秀くん、鋭い。素晴らしい。本当にその通りだなあ。主役は革財布だなあ。

この演目は、江戸の風俗を感じられるのも楽しい。
納豆売り(色んな人達が次々と家と訪ねてくるのが楽しい)の「なっとぅなっと~ぅ」。おお、東京下町生まれの母親から聞いてはいたが、本当になっとなっと~って言うんだなあ
菊五郎さんの世話物はそこに出てくる食べ物が美味しそうで、食べたくなってしまうことが多い。
『雪暮夜入谷畦道(直侍)』の蕎麦もそうだし(関係ないけど直侍って河内山と同じく黙阿弥の『天衣粉上野初花』の一部なんですね)、今回はまずこの納豆が食べたくなった。おたつはお碗を納豆売りに渡して、納豆売りは藁の包みから中身を出してお椀に入れてあげてたなあ。藁の包みごと売るわけではないんだね。おたつ「からしたっぷりで」

そして、日本酒と刺身と天ぷら!
歌舞伎に出てくる刺身って必ずマグロのような赤い切り身がお皿に乗っているけど、江戸の人達ってマグロを食べていたのだろうか。カツオを食べていたのは知っているけど。
調べてみました。

まぐろは外海を泳ぐ魚である。江戸時代の関東周辺の場合、漁場は相模湾沖や房総沖だった。しかし早船で送っても、日本橋の魚市場に着くまでは数日かかる。

冷蔵技術のない時代であり、そもそも赤身のまぐろは劣化が早い。そのため、江戸城下のような都市部で生のマグロを食べることは難しかったのである。下等な魚として扱われたのもそのためだが、文化年間(1804〜18)ごろから変化が訪れる。

そのころ関東では銚子を中心に醤油が盛んに作られていたため、切り身にしたまぐろを塩気の強い醤油へ漬け、生のまま安全に届ける保存技術が考案されたのである。いうまでもなく、現代に伝わるヅケである。ヅケは江戸っ子の人気を呼び、まぐろ赤身を中心とした新鮮な魚介からなる、いまの鮨の基礎となったわけだ。

サライ

へ~~~~!マグロのヅケにそんな歴史があったとは!
ああ、江戸時代にタイムスリップして江戸の食事を食べてみたい。どんな味だったんだろう。
江戸の街中でご飯を食べて、お芝居を観て、お団子を食べたりしたい(食べてばかり)。

歌舞伎版のオチは、落語とは違うんですね。
久しぶりのお酒を飲んで、みんなで幸せにニコニコで幕。これはこれでいいな。
舞台の上には、菊五郎さんと左團次さん(大工勘太郎)と時蔵さんの3人。
平和で、温かくて。
今のご時世にこういう人情噺は、沁みるな。。。。。。

仁左衛門が語る、歌舞伎座「二月大歌舞伎」、「三月大歌舞伎」(歌舞伎美人)


歌舞伎座前の交差点。ここを通ると、この道にいた友人や麻央さんの姿を思い出す。ほんの数年前のことなのに夢のよう。人の命って本当に儚いですね…。
麻央さん、今の状況を天国から心配して見ているのではないかな…。






昼の歌舞伎座もいいけれど、夜の歌舞伎座も美しい。

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