風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

子規と真理 ~中村不折「子規追想」より

2007-11-09 00:33:06 | 



 余の最も子規に敬服して居るのは、一口にいうと見識の高かったことである。日本人の通弊として支那と盛んに交通して居た時代にはやたらに支那人を崇拝して、文学といい美術といい支那以外に一歩も出なかった。・・・また現今諸般の学説は西洋本位で西洋人のいうことであれば何でも好いとして、昨今の流行なる自然派とかいうものも西洋の学説で日本人の学説でない。・・・日本人が神様のように尊敬していた学説も、ある方面から異説を樹てられかつ有力な迫撃に逢うと、今まで渇仰して居た日本人の頭に一種の刺激が与えられ、今度は狼狽して、先きの学説を捨て、その刺激に基づくようになり、そこで旧派とか新派とかと勝手な名称を下す。・・・・・・

 こういう国に生れて、そして西洋の風潮を追わないで、無論受売もしないで、冷ややかにそれらの学説を高処から見下ろし、古人の学説や古来の外国の学説をひそかに考えて、ことごとくこれを咀嚼して、そして確かな見識をもって居た人があるとせば、大にえらいものであろう。こういう人がないかというに、余は正岡子規においてこれを見ることが出来る。余が子規に心服するのは全くこの点である。余は俳句や和歌は門外漢であるからそれらの文学について論評を下すことは出来ぬがただ子規の学説の確かな点には心から敬服して居る。・・・・・・

 その名全世界に届く西洋の大家が、いかなる説を吐こうとも、それが真理でなかったら、子規はその説には毫も動かされない。見るかげなき植木屋が錆びた鋏を持ってチョキンチョキンやりながら、一言二言いい交わしたことでも、それが真理であったなら子規は徹頭徹尾敬服したのである。

 余が仏国に居る頃に某医学博士と話したことがある。その博士のいうには、独逸の某博士の学説になると、ただ何となく有り難いようで、一も二もなくその学説に従いたくなる。こういってあったが、それと子規とを比べてみると雲泥の差で日本の多くの人はこの博士たらざるものはないようである。・・・・・・

 しばしばいったごとく余には子規の作家としての価値が分らぬが、達見家として近世破天荒の人物として敬服するのである。

(中村不折 『ホトトギス』『子規居士七回忌号』「子規追想」より。明治41年9月1日)


※中村不折:洋画家。子規や漱石と交遊があり、漱石の本の挿絵も担当。二人より一歳上。
 

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