風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

子規の手紙(→阪本四方太) 明治32年11月29日

2007-11-04 00:06:57 | 

四方太君
闇汁会も面白かったが先日の僕の内の会はまだ面白かった。
それは僕寝たままで諸君を労したからでもあるが原因はそれひとつぢゃない。
あの日虚子に障子あけてもらふて庭の鶏頭の色がうつくしかったのを見て天へ登りたいやうな心持ちがして其色が今に忘れられぬのを見ても当日の僕の喜びが何等かの原因によりて極度に刺激せられてゐたことが分る。
内部に喜びがあるとそれが一々外部に反応するもので当日のことは何でも嬉しくないものはない。ふき膾でも柚饅でも陳腐な茶飯でもそれが客に嫌はれるにも拘らず甚だ嬉しい。雑話も一々面白い。五目並べをやつたことも尤も面白い。こんなに面白く嬉しいというのは滅多に起こる現象ではない。
さて其原因といふは自分即ち内部に関するものと君達即外部に関するものとの二つある。僕にいくらか同情をよせらるゝ当日の「うれし会」の会員に此原因が分らぬことはあるまいと思ふ。
其日はうれしかったがまだ嬉しさが足りない様な心持ちがする。すると翌々日
君は突然と僕の蒲団の上に顔を出した。それも嬉しい。すると烟草(たばこ)の筥(はこ)から西洋菓子が出た。最(もっとも)嬉しかった。これが「うれし会」の一日置いて次の日であったのも面白い。それを持て来た人が木綿着物の文学士であつたのも面白い。シューだとかフランスパンとか花火の音見たやうな名を聞きながら喰ふたのもうれしかつた。

明治32年11月29日、子規から門下の阪本四方太へ宛てた手紙。

漱石いうところの「非常に好き嫌いのあった」子規。
23歳で初めて喀血してから36歳で死ぬまでずっと死を意識せざるをえない生活を送ったにもかかわらず、少年のような無邪気な明るさを持ち続けていた。
彼にはふしぎなほど「ひがみ」がない。
人の幸福を羨みはしても嫉みはしない。
人の才能を認めたら手放しで褒める。
嬉しいときは子供のように無邪気に喜ぶ。
憎らしくなるようなことを平気でするのに、仕方がないなぁと思わせるような、憎めない魅力がある。
上で引用した手紙にしてもそう。
多少子規に対して腹が立つことがあっても、こんな手紙をもらってしまったら、苦笑して許してしまうのではないかな。

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