風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

子規の手紙(→大原恒徳) 明治33年3月21日

2007-11-05 00:13:03 | 


琴子一昨日突然来寓驚き申候。
同人の話ぶりによるに台湾ハ余程気に入候趣(おもむき)に候へば同地に一生送るもよろしかるべく候。先日婚姻之口ありしもことわりしが今思へバ残念など申居候。併し婚姻ハよしあしかと存候。再び離縁などの騒ぎ起るよりハ看護婦をどこ迄も本職としてやるが得策なるべきか。尤(もっとも)当人より進んで結婚する位ならバそれもよろしきか。
とにかく一体の話口などハ余程世間なれて参り申候。
松山にてハ気が違ふたかとの噂も有之(これあり)しとのことなれども左様の事ハ無之(これなく)候。今のやうに乗気になつてゐる処を余りこじらかさぬがよろしかるべく候。女ながら台湾あたりまで出稼ぎして一身をたて候ハ頼もしく候。内にゐて用にたゝぬ女ハ皆台湾へ行くが上分別かと存候。呵々。昨年とやら一昨年とやら転任之事申(もうし)やりしに国から故障申来りよくよく腹が立ちし故此後ハ一文でも国の厄介にハならぬと決心したりなど話居(はなしおり)候。中々見上げ申候。さすがハ明治の御代になり候と存候。

・・・・・・物価ハ追々進むばかり到底昔の如く下る気遣ハなく候。・・・先々月よりホトヽギスより十づゝ毎月貰ふ事に相成ソレデ薬価(毎月六円余)を払ふことにいたし候故臨時の重患にかゝらねば加藤の御厄介にならずにすむべくと存候。琴子さへ一身独立之計を立候に男一疋(いっぴき)いつまでも人に世話をやかすもふがひなき事に御座候。併しながらホトヽギスの方まだあやふや故其収入はいつ途絶候かも難斗(はかりがたく)候。


明治33年3月21日、子規が松山にいる叔父の大原恒徳に宛てた手紙。
琴子とは藤野琴子のことで、子規の従姉妹。

子規に限らず明治大正の男は男尊女卑の典型のように思っていたのですが、この手紙を読むと意外と先進的な考えを持っていたんですねぇ。
もっとも妹の律に対する態度などはとってもえらそうだけど。
しかし明治時代に若い女の子が一人で台湾で働くとは、えらいなぁ。
松山では気狂い扱いされていたようですが、当時だったらまぁそうだろうな・・・。
この手紙を読んだ後に台湾に旅行したので、「子規の従姉妹はこんな遠くまで来て働いていたんだなぁ」と思ったりしました。

写真:故宮博物院@台北
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